AIに任せることで「時間の価値」が大きく変わっていく
先ほどの役所の例で言えば、1人の職員が窓口で住民応対をして、窓口を離れた机では、書類の作成や関係部署への書類送付などを行っています。
今まで事務作業山積の中で窓口対応していたものが、事務作業すべてAIが担当してくれることで、窓口における住民サービスに時間を多く割くことができるようになるのです。
AIが事務作業全般を引き受けてくれることで、今まで以上に住民の声に耳を傾けることができるようになるのですね。
住民の人たちに余裕を持って接することができ、さらに親切に手を差し伸べることだってできるようになるでしょう。今まで煩雑な事務処理にかかっていた時間を、ほかの有効なことに使えます。
例えば会社でいえば、「処理」という価値を生まないことに割いていた時間を、新しい価値を生むことに費やせる、時間を「コスト」から「資産」に変えることができるようになるのです。
そうなると、時間消費の「メンバーシップ型」雇用における「人件費はコスト」という概念から、「人件費は資産」という概念に転換しやすくなります。
もちろん、資産を生む能力は求められますし、そのためのスキルは要求されますが、その分自分への価値は上がり、自分の評価(給料)は上がるということになります。
そのスキルを習得するために「リスキリング」制度が整備されようとしているのです。時間の価値が変わる……ここに、AIやテクノロジーによる効率化の意味があるように思えるのです。
そう考えると、AIやテクノロジーと人間が対立構造で語ることが、いかにナンセンスであるかがよく理解できるかと思いますね。
・人間でしかできないことをやる
・それに費やす時間を作ることができる
でも、まだAIを否定する人がいます。今度は「人間は、AIやテクノロジーの被害者だ」とする論調です。
AIに仕事が奪われる?
AIに仕事が奪われる……“奪われる”という表現が、すべてを物語っていますね。
2014年に出たオックスフォード大学調査による記事は、多くの人にとってはショッキングなことだったでしょう。
※参考:オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」- 現代ビジネス(2014年11月8日配信)
当時の筑波大学准教授・落合陽一氏の言葉を思い出します。「義務教育の知識と体力だけでできる仕事は、将来AIに置き換わっていく」。いま言われていることは、「ルーティーン作業はAIが担うことになる」です。この短期間で、落合氏が指摘したとおりの世界観になっています。
自動車の自動運転がなぜ良いのかといえば、それは「ヒューマンエラーをなくす」ことにあるからです。自動車事故のほとんどは運転者による不注意によるもので、その不注意というヒューマンエラーをなくすのが、自動運転なのです。
逆に、そのことで人間でしかできないことが再評価されているという側面もあります。それは人間の評価が上がることでもあり、ひいては給料が上がることにもつながりますね。
だから、「AIやテクノロジーが人間の職業を奪う」のではなく、社会の要請で職業の担い手が変わるだけで、人間にしかできない仕事が大きく注目され、そのスキルが高く評価されるということにもなるのです。
駅の改札口から人がいなくなるまでにはずいぶん時間が経ちましたが、切符がなくなるのはあっという間でしたね。
でも改札口にいた人は、別の部署で活躍していますよね。人は減ってはいませんね。
かつて家内制手工業からマニュファクチュア(工場制手工業)に移ったとき、手作りは最高って叫んでいませんでしたかね。その後は大量生産が当たり前となり、販売価格が下がることで、広く社会に受け入れられました。
あくまでもAIやテクノロジーは“ツール”であり、マイクロソフトはChatGPTのことを「co-pilot(副操縦士)」と称しています。チーフパイロット(主役)は人であり、人がAIを評価するのです。
そうすると今度はこんな反論が出てきます。「能力がある人、できる人はよいが、落ちこぼれていく人はどうすればよいのか」……これはもう、最初から負け犬根性丸出しの考えですね。