中央銀行の「信用創造」が、どういったメカニズムでどこから生じるのか根底から知るには、近代の銀行の発祥から調べる必要があります。ところが、近代銀行の発祥は封印された歴史です。詐欺ではないのですが、詐欺めいていることが理由です。なぜか、肝心なことが学問の対象になっていないのです。書けば、普通は陰謀論と退けられるテーマです。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年8月10日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
現代経済学のタブー? 封印された近代銀行制度の発祥を紐解く
真実から逃れつづける「信用創造」の研究
「マネー研究は、経済のあらゆる分野の中で、真実を隠す、または真実からたくみに逃れるために、それが暴露されないよう、わざと複雑になっている分野の一つだ」(『Money,when it came, where it went(1975)』:ジョン・K・ガルブレイス)
ハーバードの教授だったガルブレイスは、1960年、ケネディ大統領の時代に、米国経済学会の会長だった人です。ノーベル賞も得ています。世間的にその学績が評価されたことを示します。
マネーの創造について、なぜ真実を隠すのか。誰が隠したいのか。
我々は、マネーがどう作られてきたのか、常識としては知ることがない。経済学でもその歴史は語られない。突然、「通貨や流動性(Currency)」として登場するのです。
金貨の時代~「ゴールドスミス」という商売
まずは金貨からです。古今東西、通貨になってきたものが金貨です。ところが、金貨やゴールドバーは保管が大変です。当時は武装した強盗も多かった。警備が必要だったのです。
自然な流れとして、都市国家時代の資産家は、金の安全な保管所を求めました。保管所になったのは、金の細工師(金匠:きんしょう=ゴールドスミス:Goldsmith)の金庫でした。
金匠は、貴族や商人から金貨、ゴールドバー、ゴールドアクセサリーを預かって、含まれる金を計量し、「預かり証」を発行します。ロスチャイルド家もそのひとつでした。
最初、ゴールドスミスは、金貨を溶かして高純度の金を抽出し、「標準的な金貨」を作っていたのです。銀貨を金貨に、金貨を銀貨に崩す両替商でもあった。田中貴金属や三菱マテリアルのように、ゴールドスミスが鋳造した金貨は、内部に不純物や銀が含まれず、人々に信用されるようになっていったのです。
いつの時代も、借り手はいます。棚をまるごと借りる貴族や商人も出ます。ゴールドスミスは、金の貸し付けをして金利をとっていたのです。
金貨の代わりに流通しはじめた「預かり証」
ゴールドスミスは、サインした金の預かり証を発行していました。
この時代でも、重く柔らかく、すり減ったり、ナイフで削り取られ流通するたびに小さくなっていく金貨は、不便な通貨でした。
市中では次第に、信用の高いゴールドスミスが発行した預かり証が、金貨の代わりに流通するようになっていきます。ゴールドスミスに金を預けたまま、預かり証(金の請求権)を、金と同じものとして使う人が増えたのです。
準備率の発見、レバレッジという錬金術
この過程で、ゴールドスミスは、奇妙なことに気がつきます。発行された預かり証で金貨を引き出す人は実際には少ない。全体の10%しか引き出されない。発行した預かり証の90%が、ゴールドスミスに還流してこない。
それなら、預かった金貨の9倍まで裏付けがない預かり証を作って貸し付け、金利をとっても大丈夫ではないか?受け取り金利も9倍になる――ゴールドで受け取る金利を年7%とすれば、ゴールドスミスが持つ金は、10年で2倍になる計算です(1.07の10乗≒1.97)。
化学的な錬金術は失敗ましたが、経済的な錬金術はこの預かり証で可能になったのです。ゴールドスミスは、錬金術の工場でした。
近代銀行の発祥
ここに、金(ゴールド)を支払い準備にして、紙幣(兌換紙幣)を貸し付ける近代の銀行が誕生したのです。
時代は英国産業革命前の17世紀。イタリア(ミラノ、ジェノバ、ベネチア)が中心になり、商業の広域化とともに英国、オランダ、ドイツの各都市間で紙幣が流通するネットワークもできていきます。
紙幣を使う人は、預かり証に1:1で対応する金(ゴールド)が、ゴールドスミスの金庫(銀行の発祥)にあると思っていました。しかし実際は10%程度の、引き出しに備える金準備しかなかった。
「金貨がない」という噂が立って、取り付けが起こり、破産し、詐欺罪で斬首刑になるゴールドスミスも多かったのです。