初期の銀行における信用創造の方法
イタリアや英国の初期の銀行は、ゴールドスミスのものでした。以下のように信用創造をし、金と交換(意図的に難しく漢語で「兌換」と言う)できる紙幣を発行したのです。
(1)金(ゴールド)を貴族と商人から預かり、金と交換できる預かり証を発行する。その預かり証は、市中では金貨の代わりをする紙幣として使われた。
(2)預かり証を持ってきて、金との交換を要求する人は、10%程度しかいないことを経験から知っているゴールドスミスは、金の裏付けのない預かり証(負債証券)を作り、それを貸し付けて金利をとった。貴族や商人が大挙して借りに来た。
(3)ゴールドスミスは、金を1トン預かると、ほぼ9トン分の紙幣(負債証券)を発行でき、その貸し付けができた。これで、金の10倍の紙幣になった。これが、金準備率10%という、後の銀行の基準になっていった。
(4)ゴールドスミスは、発行した紙幣の金1トン分で、金を1トン買った。金準備が2トンになると、更に9トン分の紙幣を発行し、貸し付けることができた。金利の収入も2倍になった。
ここで、ゴールドスミスは、以下のようなB/Sになった。資産と負債を対照させて記帳する複式簿記は、13世紀のベネチアの貿易商が作っていた。
金準備 2トン | 元の預かり証 2トン分 |
貸付金 18トン分 | 派生した紙幣 18トン分 |
(注)紙幣は英語でnoteと言います。まさに、ゴールドスミスのサインがあるノートが紙幣になったのです。ゴールドスミスが発行した小切手と言っても同じです
ここでは、ゴールドスミスによって金18トン分の紙幣が、信用創造されています。
信用創造とは、ゴールドスミスのクレジット(負債)の創造であり、それが、通貨(currency:流動性)の発行です。
(注)通貨=流通する紙幣の含意です。
預かり証である負債の創造ですから、交換できる金を持っていると思われる限りまで、紙幣が発行できます。
この信用創造は、無限にできるのではない。「ゴールドスミスが交換できる金を持っていると信用される限り」まで、です。
実際は、ゴールドスミスは発行した紙幣に対応する金は持っていません。金準備に対するレバレッジ(信用倍率)は、金準備が10%のときは10倍です。
以上が、金本位の時代の通貨発行の仕組みです。
ニクソン米大統領による金交換停止
米ドルの金本位は、1971年のニクソン米大統領による「金交換停止」まで続きました(ニクソン・ショック)。
戦後の戦勝国が、国際基軸通貨で協定したブレトンウッズ体制は、ドルと金の交換を保証したものでした。しかし、FRBの金とドルは、1:1で対応したものではなかった。保有する金準備(ゴールド)の公定価格の数倍のドル紙幣が発行されていたのです。
ブレトンウッズ体制では、金1トロイオンス(31.1g)の公定価格は$35でした。ほぼ1グラムの金が1ドルでした。当時の1ドルは、1グラムの金貨と同等の価値だったのです。
現在の金価格(国際卸価格:消費税なし)は1グラム$43.5です(4570円:16年8月10日)。ドルは名目GDPの増加により発行が増えたため、その価値が不換紙幣になった後の45年間で1/42に下がっています。年率平均で8%の金価格上昇(=ドルの価値下落)に相当します。20年平均で4.7倍です。
日本のことを言えば、日銀(当時の資本金1億円:今も不思議にこの1億円が資本金)が、三井銀行の外為部を元に作られた1882年(明治15年:夏目漱石16歳)には、金本位制であり、1ドル=1円でした。明治の日本銀行は、金を、ロスチャイルド家の代理人(エージェント)から借りています。
紙幣発行の1/10程度しか金がない金準備制度を、詐欺と言う人がいます。紙幣の価値が金の価値の信用に依存しているように見せながら、実際は、対応する金を持たないからです。
当方は詐欺とは考えませんが、100%の金準備をしているように見せていたゴールドスミスが、金の保有高を決して言わなかったことは、詐欺的でしょう。
銀行が、自行の不良債権を言わない習慣の根は、ここにあるのでしょう。無形の信用で成り立つのが銀行だからです。