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中韓に周回遅れ。日本はプライドを捨てQR決済でキャッシュレス化を目指せ=岩田昭男

金融知識が乏しかった中国

それにしても、なぜ急にビザの認定もない、アリペイといったものが出てきたのでしょうか。これには中国の国内事情が関係しています。

私が中国の決済サービス会社・銀聯(ぎんれん)の招待で、中国に行ったのは2008年のことでした。銀聯ジャパンができて数年が経っていましたが、万博の前だったので、銀聯本社のある上海の街はすごくほこりっぽかったことを覚えています。

銀聯は、当時の中国では数少ないカード会社でした。そのため、日本のカードビジネスを話す私は大歓迎を受け、社員たちとは気持ちよく歓談しました。

しかし、その中で不思議に思ったことがありました。社員はみな金融業界の人たちなのに、専門の知識が少ないことでした。私が中国の消費者金融の話をしても、ニヤニヤして聞くだけでした。なぜかなぁと思っていたのですが、その答えはすぐにわかりました。

銀聯カードができるまで中国ではリテール産業がほとんど育たなかったのです。50年間、闇の中にいたといってもいいでしょう。だから誰も詳しいことを当時は知らなかったのです。

つまり、こういうことだったのです。第二次世界大戦が終わって、中国共産党が権力を握りました。1949年には中華人民共和国ができて、やっと国作りを始めようという時に、今度は朝鮮戦争が勃発。そして、おびただしい数の戦死者を出すなどして、中国は大打撃を受けました。その後も政治的混乱がつづき、毛沢東による文化大革命の波に飲み込まれていきました。その間、鄧小平が出てくるまでは、経済に対する関心はほとんどなかったといいます。

小さく始まった中国のキャッシュレス決済

一方、欧米や日本では、同じくこの時期にクレジットカードが急速に普及を始め、それに伴ってビザ・マスターといった国際ブランドを中心としたクレジットカードネットワークが整備されていきました。

そして国際ブランドの掛け声によって、先進国を中心とした世界がクレジットカードのネットワークで結ばれ、キャッシュレス化が急速に進んでいったのです。

世界が金融を中心として回り始めようとしていた時に、ひとり中国だけが蚊帳の外に置かれていました。一般国民も、お金が足りない時でも公的機関から借りるという発想はなく、いつも家族や親戚からお金を回してもらい、それでなんとか凌いでいたという状況だったそうです。前近代的な金融環境でした。

しかし15億人以上の人口を抱える国ですから、ビザやJCBなどの国際ブランドは、中国でクレジットカードを普及させてひと儲けしたいと考えるようになりました。

そこでChina UnionPay(銀聯)という名称で、ビザがクレジットカードのセンターのような組織を立ち上げ、カードの発行に必要な信用情報を集めたり、カード発行の下地作りなどを始めたのです。

ところが、途中から中国政府の横槍が入り、結局ビザはプロジェクトを放り出して撤退しました。その後を継いでビザのノウハウやその仕組みを再利用する形で生まれたのが、銀聯でした。

ただし、クレジットカードをやろうとしたのですが、自前では信用情報をまとめることができなかったために、とりあえず審査のいらないデビットカードで行くことにしたといいます。

銀行口座とカードを直接結びつけてお金のやり取りをするというもので、クレジットカードにつきものの与信のリスクがなくなるので、安心してカード事業に精を出せました。

Next: 日本は何を学ぶべきか。出遅れたアリペイの挽回策が「スマホ決済」だった

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