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トランプ大統領も譲歩。「不法移民の親子分離停止」で考える国境の難しさ=矢口新

元から「国境がない」暮らしもある

私は高校生の頃、有名なジャズ評論家ナット・ヘンホフの著書に感銘を受けたことがある。同氏の若い頃の放浪時代の話で、一時欧州のロマ(移動型民族)と生活した頃の話だ。

題名は覚えていないが、著者名と共に覚えているのが、星空の下で眠る時の描写と、もともとが遊牧民であったロマには国境がないという点だ。大空の下で国境に縛られないロマは自由だというのが、私が得た読後感だ。

欧州の国境は戦争や紛争がある度に変わる。独仏国境などでは、同じ場所で生活していながら、ドイツ人になったり、フランス人になったりしてきた人たちがいる。

欧州には、日本人にとっては時に不安を覚えるだろう「シェンゲン協定」ようなものが結ばれる下地があるのだ。

ロマにとっては、ユーラシア大陸全体が「固有の領土」だ。時の政権を担う異民族が定めた国境は、自分たちには関係がない。

政治力や利害関係で決まる「国境」

ここで問題となるのが、「固有の領土」という概念だ。

先に住み着いた人たちに「固有の領土」と主張する権利があるのなら、新大陸のどれもが侵入者による「新」であって、昔からいる人たちの権利を侵していることになる。

昔の線引きをどこに置くかで違いが出るのなら、極端に言えば、現在の線引きでも正当化できる。いずれ、昔になるのだから。

となれば、結局は政治力や武力、経済的な利害関係で、国境線が決まることになる。実際のところ、それが世界の国境線の実態だ。

憧れと蔑みの対象

ロマはそれを否定した、国境に縛られない、国籍を持たない「失われた民族」なのだ。少なくとも、ナット・ヘンホフの若い頃はそうだったらしい。

欧州でロマは蔑まれている。彼らは自分たちをロマと呼ぶが、一方で、ロマを意味するボヘミアン、フランス語でラボエーム、イタリア語のジンガロなどは、欧州人にとって一種の憧れで、題材にした哀愁を伴う名曲も多い。フラメンコはロマ音楽だ。ジャズでは、ジャンゴ・ラインハルトや、ステファン・グラッペリが最も著名だと思う。

憧れと蔑みが、自由を持つ人々への一般的な感情なのだ。仕事のフリーランスに対しても、そうした面があるかも知れない。

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