日本人が嫌う「孤独」こそ成功の近道。寂しさの悪循環から抜け出す方法とは=午堂登紀雄

孤独死や便所飯が社会問題化するなど、日本では多くの人が「孤独」をネガティブに捉えています。しかし、孤独はそんなに悪いこと、みじめなことなのでしょうか?(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)

※本記事は有料メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2018年9月3日号を一部抜粋したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。

孤独への恐れがさらに孤独を招く。気にせず成功へ突き進むには?

なぜ孤独死が話題になるのか

テレビや週刊誌に時々「孤独死」という言葉が出てきますが、孤独をネガティブに捉えている人が多いということがわかります。

しかし、一人で死ぬことがそんなに悪いこと、寂しいこと、みじめなことなのでしょうか

そこで私自身が死の床についたときの状況を想像してみました。たとえば心拍が弱まり危篤状態にあって、家族や親しい人が駆けつけてくれ、見守ってくれている。その中で静かに目を閉じ、息を引き取る。

確かに、なんとなく自分を心配してくれる人がいるんだという安心感で、温かい気持ちになりそうな気がします。

しかし一方で、こういう感情も抱くのではないか、とも想像します。

周りはみな元気でこれからも生きていくというのに、この輪の中で自分だけが死んでいくという寂しさ。周りから置いていかれるという不安感

なんで自分だけが先に死ぬのか。もっと一緒にいたい。もっと皆と楽しいことをしていたい。もっと生きたい…。

あるいは、死んでいく自分の姿を見られることは、何か脆弱な存在のようで、ひどくみじめな気分になるかもしれないな、とも思います。一人死んでいく弱い自分をこれ以上見ないでくれ、というような…。

飼いネコが死の間際には家を出て、人目につかないところでひっそり息を引き取ることを選ぶようなものでしょうか。

誰でも孤独に死んでいく

先ほど、「一人で死んでいく弱い自分」と書きましたが、周りに人がいてもいなくても、死ぬのはやはり自分一人であり、そういう意味では孤独とも言えます。

むしろ人の中にいるからこそ、よけいに自分だけが死んでいくんだと孤独感を強く感じることだってあるでしょう。

あるいは、自分が風邪をひいて寝込んだときのことを思い出すと、しんどいときに誰かにつきっきりで看病されるのは、正直うざいと感じます。

だるいし眠いし、話すのも面倒。だから放っておいてくれ、ひとりにしてくれ、と思います。特に体調の悪い時ほど、他人がそばにいるほうがむしろうっとうしい。

そういえば妻の出産に立ち会ったとき、陣痛で苦しむ妻の手を握っていたら、パッと振りほどかれた経験があります。あとで理由を聞くと、痛くて苦しいときに、何かが身体に触れているのは邪魔に感じたということです。

だからというわけではありませんが、もし自分が病死するような場合は、ひとりのほうがリラックスできるのかもしれません

もちろん、その時の年齢や死のシチュエーションによっても違うと思います。交通事故ならそんなことを感じる暇さえないし、重いケガや病気の場合は意識がないとか心が弱って周囲のことを見る余裕はないかもしれない。

そもそも、死んだら何の感覚も感情も記憶もなくなります。死んでしまったら終わりで、寂しいとかみじめとか、何も感じない。死ぬ直前に何かを思ったとしても、次の瞬間にはその思いも消滅します。

長々となりましたが、何が言いたいかというと、本人の気持ちは本人しかわからないので、外野が「孤独でかわいそう」などと言うのは単なる偏見、思い込みに過ぎないということです。

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