孤独への恐れが、さらなる孤独を招く
それと同じことが生きている人間にも起こっています。たとえば、自分の意に反してでも人と付き合おうとする。自分の本音を抑えて周囲に合わせようとするために、心がつらくなっていく人が増えています。それも、「孤独はみじめ」という自分の中の思い込みが、自分を追い詰めているのです。
「便所飯」や「ランチメイト症候群」という言葉が話題になるのも、一人でいるのが寂しいのではなく、一人でいるところを見られて「あいつは友達がいない寂しいヤツなんだ」と思われそうなのが怖いのです。
それも結局、「ひとりは寂しい」などという世間の価値判断基準を自分の中に取り込み、その基準で自分を評価しているだけ。自分自身の価値判断基準で生きていないということです。
それは、自己否定や被害者意識となって蓄積されていきます。
たとえば「自分は傷ついた」という人間ほど、かえって他人の痛みや苦しみに鈍感になっているところがあります。なぜなら、自分だけが世間から虐げられていると、自分の殻に閉じこもり、自分の感情しか見えていないからです。自分の感情だけが大事で、周囲との関係改善という発想がない。
あるいはその被害者意識が強いために、相手の発言や態度の意味をネガティブに歪めて解釈し、それが自分に向けられていると思い込んでしまいがちです。
好きなことに打ち込む人は魅力的である
そんな悪循環に陥らない方法のひとつは、趣味でもなんでもよいので好きなことを見つけ、それに打ち込むことです。
自分が何かに打ち込み、完全燃焼していれば、孤独感を感じることはありませんし、他人からどう思われるかも気にならなくなるものです
たとえば学校や会社でパッとしないように見える人が、実は絵画コンクールで入賞するほどの腕前だったり、将棋のプロだったり、あるいはプロダンサーなど、自分の世界を持って打ち込んでいる人は、ひとりでも堂々としています。
私が好きなマンガ『はじめの一歩』に出てくる主人公・幕の内一歩が、こんなセリフを残しています。
親の商売は釣り船屋だった。
だから小学校からずっと、「ミミズ臭い」と毎日言われながら蹴り飛ばされた。「それはミミズじゃないよ、イソメだよ」と言うと張り手を食らわされた。
いじめは高校2年生までの11年間続いた。
でも、好きなこと(ボクシング)ができて打ち込んだ。打ち込んでいたら、周りのことは気にならなくなった。
そして、全日本新人王になれた。気が付いたら、周りが変わっていた。