東京オリンピックの光と影。会場設営が社会的弱者を困窮させる
「社会への負担」とは、コロナ禍開催の東京五輪では、医療スタッフの確保もそうですが、消防職員も約300万人が新たに配置されるとも言われています。
コロナ禍という特別な事情を抱えた東京五輪だけでなく、過去の五輪において、常に生活困窮者などの社会的弱者が、五輪開催の犠牲者になっているという指摘もあります。
会場設営のための立ち退きもその1つですし、路上生活者の排除も見られます。
ドキュメント映画『東京オリンピック2017都営霞ヶ丘アパート』が上映されました。1954年の東京オリンピック開発の一環で建てられた都営霞ヶ丘アパートの住民が、今度は2度目の東京オリンピックのために2016年から2017年にかけて取り壊され、東京都から立ち退きを強要されたというドキュメントです。
立ち退き期限は2017年1月、高齢者には厳しい冬の時期でした。最後まで残って、多くの引越しの手伝いをしていた80代の女性が、慣れない引越し先で、1週間後に心筋梗塞で倒れて亡くなったそうです。
「自然と調和した森のスタジアムという新国立競技場にものすごい違和感を感じる」と、自身のラジオ番組でこのドキュメント映画を紹介したライターの武田砂鉄さんの言葉です。
まさに「東京オリンピックの光と影」です。
経済的効果を全面に出して開催意義を主張されますが、その裏でどれだけの経済的弱者の人たちの犠牲があるかは、一切語られてはいません。
社会への負担は、国民生活への負荷が強くかかりすぎることは、コロナ禍という東京五輪特有の事情もあるのでしょうが、経済負担ということを考えると、過去の五輪もそうですが、当初予算から膨れ上がった「ツケ」は、開催後、何年も掛けて、開催国の国民が背負うことになるのです。
それを含めて「オリンピック誘致」だと言えばそうなのでしょうが、広く国民がそのことを納得しているんでしょうか。こればかりは「多数決」で決断して良いことではないように思えます。
アスリートとしての平尾氏が五輪反対を主張した当初は、腫れ物に触る感じで、議論にすらならない“無視”の状態で、「アスリートの“くせに”」という目線だったそうです。
今はその雰囲気も、少しは和らいできたようで、平尾氏自身は「アスリート“だから”」反対するのだと主張しています。
そのアスリートファーストとは思えないことが、IOCの中にはあると指摘しています。
それは、IOCは選手らに求める同意書で、新型コロナによる死亡は自己責任とする署名を五輪出場選手に求めていることに、アスリートとして憤りを感じていると、平尾氏は訴えています。
この後は、「社会への負担」の中でも特に「お金」に関するとんでもない“事実”をご紹介していきます。