公立のギフテッド専門クラスで学べること
たとえば公立のギフテッド専門クラスでは、小学校1、2年ですでにロボット工学を学びます。
ひとり一人にipadとクロームブックが与えられ、数名のチームに分かれて車輪のついたロボットを障害物を避けて通るようプログラミングする授業があります。
言語は子どもでもプログラミングの基本が学びやすいスクラッチというドラッグアンドドロップで使えるビジュアル言語が採用されています。
しかし驚くべきは、グループメンバーそれぞれに役割が与えられ、TODOリストでタスクを細かく書き、その隣に締切と担当者の名前を書いて進捗マネジメントがなされていることです。
日本の小学校1年生で、ここまで実践的で競争を促し、大人顔負けのプロジェクト管理を教えている公立校があるでしょうか。
あるいは国語では、小学校3年生で高校3年レベルの読書をしたり、それも自分の興味のある本を題材にゲームを作るなどして感覚で学び、必ず発表の場があります。
先生は単なる補助で、子どもたちに考えさせ、発言を促す役目で、生徒同士のインタラクティブな授業を促進します。
それにしても本の内容をゲームにして他の子が理解できておもしろいと思えるようなアウトプットをするというのは、相当な思考力を要する作業ではないでしょうか。
成績は「自分がどれだけ成長したか」で付ける
また、成績をつけず他人と比較しない制度を持つ学校もあり、評価は個々人の成長度合いで測られるという教育機関も増えています。
つまり他人との比較ではなく、過去の自分からどれだけ成長したかで評価されるわけで、自分と他人は違っていいんだという寛容性や適切な自己肯定感が育まれます。
このようにアメリカの学校は、徹底的なプロジェクトベース、アクティビティベース、インタラクティブベースで行われ、個々人の好奇心、主体性、体験、思考力を徹底的に引き出す教育プログラムになっています。
これは日本の公教育とはまったく違うことがわかるでしょう。鎌倉幕府が何年に開かれたとか、そんなことを聞いている時代ではないと危機感を覚えるのではないでしょうか。
ただ「勉強ができるだけの学生」は求められていない
このような教育が小中高と行われ、さらにその中でも優秀な学生がアメリカの名門大学に進学します。
さらにトップ校は優秀な留学生も急増しており、アメリカの名門大学への受験戦争は史上最も過酷になっています。
そのため、成績がオールA、学力テストで最高点、というのだけでは名門校は進学できず、高校の時からたとえば音楽、サイエンス、アートなどの分野で全米レベルのコンテストで優勝とか、起業や出版などの経験を持つスーパー高校生でないと難しくなっていると言います。
なぜなら、アメリカの名門校はたた勉強ができる学生を求めているわけではないからです。
独自の研究を重ねる力のある、そういう強い情熱と探求心、そのために必要な複雑なコンセプトを理解し、分野の異なる知識を組み合わせ統合し、新しい価値を創出できる人間が求められているわけで、そういうイノベーティブな素質を持った異才がしのぎを削っているのです。