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ゴーン氏の腐敗を許した日産の罪~「ガバナンス(統治)が働かなかった」は的外れ=吉田繁治

日産に舞い降りた「リーダシップ型経営」の組織

ドラッカーがその主著『マネジメント』で提唱したのは、旧国鉄のような「上位の権限による命令と統制の組織」ではなく、ビジョンつまり長期で達成すべきことをかかげ、年次では成果目標による管理を行う組織でした。

(※注:MBO[Management By Objectives]がこれです。統制型の経営ではなく、経営参加型とも言えます。階級は、それぞれの成果責任を負うので、組織は、命令の権限ではなく、果たすべき責任の体系になります。)

命令ではなく、ビジョンに沿う年次の成果目標によって、自己管理する組織です。これが、90年代の米国企業に出現したリーダシップ型経営でした。成果目標の達成を、上級のマネジャーに約束することを、コミットメントと言いました。

ゴーンが言ったビジョンやコミットメントは、2000年代初期の、日本の部課長制の上からの権限による経営とは違って、新しい響きをもっていました。このリーダシップ型の経営が、カルロス・ゴーンとともに、日本の最大手級の企業である日産に、舞い降りたのです。

メディアと経営者そして車を買う人々が歓呼で迎えた理由がこれです。ゴーン氏が、フランス語なまりの日本語とともに体現したのは、リーダシップ型の経営の新しさでした。オーナー型ではない経営者として、初めて現れたスターだったと言ってもいいでしょう。

ゴーン氏がなぜ、いつから、成果の達成にコミットするリーダーから、命令する絶対権力者に変節したのか。そして経営者の犯罪までを行ったのか。

原因は「権力の長期化」と「進言者がいない」こと

理由は、「絶対権力の長さ」であり、「誰も進言する人がいなくなった」からとも思われます。

声望の高い絶対権力者なら、自分の報酬を欲しいだけ上げればいい。株主に対して詐欺的なことまでを行う必要はない。なぜ報酬を正当に上げなかったのか?

株主総会で、「高すぎる」と指摘されるのが嫌だったのか。謎のまま残ります。仮に、2倍の報酬でも、日産を倒産から救い、再生させた功績に対して、株主総会で否決されることはなかったと思えるからです。資本の投入だけではできないことを、行ったからです。

アマゾンの奥の町で生まれた幼少のころ貧困だったことが、躊躇を生んでいたのかと思うと悲哀を禁じえません。フィッツジェラルドが書いた名作『グレート・ギャツビー』のような成功でした。貧しかったギャツビーが、巨万の富を得ます。このギャツビーの結末も死でした。

Next: 本当に報酬は高すぎたのか? ゴーン氏の動機はいずれ明らかになる…

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