fbpx

なぜ先進国で日本だけ?サラリーマンの給料が20年間も下がり続けるワケ=大村大次郎

かつては日本企業も雇用を大事にしていた

日本の経済社会では、欧米のような「勤労者の権利を守る」というシステムがほとんど機能していません。というのも、日本の経済社会は、これまで、労働問題としっかり向き合う時期がほとんどなかったのです。日本でも終戦後の10年間というのは、非常に激しい労働運動がありました。しかし、昭和30年代に入ってから、企業側から、労働者に歩み寄りがあり、雇用を重んじ常に賃金の上昇を意識するようになったのです。また国の政策的にも、「何よりも国民の収入を増やそう」という方針がありました。だから、高度成長期からバブル期まで、日本の企業は雇用や賃上げを非常に重んじたのです。

たとえば、トヨタなどがその最たる例です。トヨタでも、終戦後の一時期までは激しい労働運動があり、1950年には、2か月に渡るストライキも決行されました。しかし1962年、トヨタの労働組合と経営側により「労使宣言」が採択され、トヨタの労使は「相互信頼を基盤とし、生産性の向上を通じて企業繁栄と労働条件の維持改善を図る」ということになったのです。つまりは、トヨタの労働組合は経営との協調路線を採ることになったのです。これは、戦後の日本企業を象徴するようなものだといえます。

以降、トヨタの労働組合は、ストどころか、団体交渉さえ行なったことがなく、賃金、労働条件などすべての労働問題は、労使協議会で行われています。組合の幹部になることが、トヨタ内での出世コースにさえなっているのです。これは雇用や賃金をトヨタがしっかり守る姿勢を見せたので、従業員側も歩み寄ったということです。

雇用を犠牲にするようになった日本企業

ところが、バブル崩壊以降、日本の企業の雇用方針は一変します。前述しましたように、賃金は上げずに、派遣社員ばかりを増やし、極力、人件費を削るようになりました。企業が手のひらを返したのです。

そうなると、日本の労働者側には、それに対抗する術がありませんでした。日本の労働環境というのは、欧米のように成熟しておらず、景気が悪くなったり、企業が労働者を切り捨てるようになったとき、労働者側が対抗できるような環境が整っていなかったのです。だからバブル崩壊以降、企業が急に賃金を抑制したりするようになっても、労働者側はまともに対抗できませんでした。ほぼ企業の言いなりになってしまったのです。

日本で労働運動が下火になったのは、各企業が従業員が不満に思わないように、それなりに賃金に気を配ってきたからです。

「企業は雇用を大事にし賃上げに全力を尽くす」
「従業員は無茶なストライキなどはしない」

労使のそういう信頼関係の元に日本特有の日本型雇用が形づくられたのです。そして、この「日本型雇用」の影響で、日本の労働運動は衰退したのです。従業員は激しい労働運動しなくても、雇用は守られ待遇は改善されていく、という建前があったからです。

しかし、バブル崩壊後、景気が悪くなった途端に、企業側は、「日本型雇用」をやめてしまいました。労働者側から見れば、企業から裏切られたということです。そして、結果的に、欧米よりもずっと過酷な労働環境となってしまったのです。

Next: 日本が目指すべき社会とは

1 2 3 4
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー