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反安倍派・菅野完氏の強制わいせつ未遂事件、本当に未遂か?7年前の事件で書類送検のワケ=世に倦む日日

本当に「キスした」「押し倒した」だけで済んでいたのか?

私自身は、正直なところ、7年前のこの事件が「キスした」「押し倒した」だけで済んでいたのか、疑う気分を拭えない。

こうした疑念に踏み込む言論を見たことがないが、男性の常識で考えて、被害者女性が「(菅野完の)背中に数回両手を当てたところ」、菅野完が「女性が性行為に応じる意図がないと分かった時点で、直ちに性行為を断念し」たという状況説明は、どうにも不自然で納得の範囲を超えてしまう。

もし真実がそうであったなら、被害者の抵抗によって菅野完が理性を取り戻し、女性を犯し傷つける最悪の事故(犯罪)を避けられたのだから、不幸中の幸いで、二人の関係はもっと良好なものに戻ってよかったのではないか。

性的欲望の実現と快楽達成の目的を断念した時点で、菅野完は野獣から人間に戻ったわけで、すなわち我に返って平謝りの態度となり、女性に謝罪し反省するという行動に出るのが普通である。

ところが、その後の二人の関係はずっと険悪で、歪に尾を引いていて、時間が経っても女性のトラウマが深刻なまま、事件が表面に出る度に発症と激痛に苛まれているように窺われる。不信と嫌悪だけが増している。

真実は別にある?

傷の深さがそうさせているのだろう。であれば、これまでの事実説明とは違う地平が本当はあるのではないか。

そこから導かれる推理と仮説は、これを「キスした」「押し倒した」という未遂事件に止め、加害と被害の程度を軽くした事実認識で固めるという苦肉の策の選択である。

問題を司法的に解決せざるを得なくなった以上、被害者側はそうせざるを得なくなったのではないか。司法の場で争う事態になれば、本名も家族も過去も何もかも表に出てしまう。男を家に上げた女の方が悪い、自業自得だという、いつもの悪意のバッシングにも晒される。

二次被害を受け、勝訴したとしても得るものよりはるかに多くのものを失う。その犠牲を考えれば、仮にそうした真相だったとして、それは妥当な決断と処置ということになるのではないか。

私がこのような憶測を抱くに至った根拠の1つは、山崎舞野がブログで紹介しているところの、菅野完に関するもう1人の被害者の存在がある。

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