1980年代、フジテレビが民放視聴率ダントツ首位だった黄金時代に新卒入社した経験を元衆議院議員の三宅雪子さんが綴ります。(『三宅雪子の「こわいものしらず」』)
※本記事は有料メルマガ『三宅雪子の「こわいものしらず」』2019年5月24日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。
元衆議院議員。玉川学園女子短大、共立女子大学を卒業。テレビ局勤務を経て、2009年群馬4区で民主党から立候補し、比例復活当選。現在は、執筆やネット配信、福祉や介護のアドバイザーなどをしながら政治活動を行っている。
同期の女子アナは河野景子さん、有賀さつきさん、八木亜希子さん
視聴率は民放ダントツ首位。フジテレビの入社試験は?
1980年代、フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチコピーにバラエティ番組がヒット。視聴率は民放でダントツトップでした。人気が高かったフジテレビに私は「総合職」として入社しました。
入社前の経緯から書きます。
私は玉川学園の短期大学から共立大学に編入をしました。当時、短期大学卒業=短卒は各企業で引く手あまたでした。いわゆる「売り手市場」だったんですね(反対の女性大卒は苦労したと記憶しています)。
私はマスコミ希望だったのですが、短大卒の場合、事務職になると言われました(その後しばらく短卒採用は中止になりました。今はわかりません)。そのため大学へ編入したのです。
大学4年だった1987年の春「マスコミセミナー」といういわゆる青田買いの場があり、ここが事実上のフジサンケイグループ採用の1次試験でした(その前に書類選考はありました)。フジサンケイグループのどの社が希望なのかを書くように言われ、第1希望「フジテレビ」第2希望「ニッポン放送」と書いた覚えがあります。
そこでの成績は英語では上位でしたが、国語などは全然ダメでした。結果を見て「だめかも」と思いましたが、英語で何とかカバーできたのか、2次試験に進むことができました。3次(部長面接)、4次(役員面接)と人数は減ってきました。親しくなった人の姿が次の試験では見えないと寂しい気持ちになります。ライバルなのですが、一緒に受かりたいと思いながら面接に臨んでいました。
最終面接は錚々たるメンバーでした。その後にNHKで活躍した女性アナウンサーやコメンティターになっている女性もいました。ちなみにこの年のフジテレビアナウンサーは、河野景子さん、有賀さつきさん、八木亜希子さんの3人でした。
思い返すと、1989年4月16日に亡くなった故・鹿内春雄社長が最後に面接した社員となりました。内定は、かなり早い時期でした。