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フジテレビ全盛期の80年代に新卒入社した私の体験談〜お茶くみは1日3回、女性の仕事=三宅雪子

バブル当時の就活は難しくなかった

早い内定だったので学生最後の夏休みはゆっくり過ごせました。バブル時代だったので、就職に苦労した友人はほとんどいませんでした

ただし、有名企業に入れても、「女性」というだけで仕事を任せてもらえないという話はよく聞きました。短大卒だとなおさらでした。

男女雇用均等法が成立していましたが、証拠づくりのように数人を抜擢して残りの人は従来と変わらないお茶くみやコピーという仕事でした。

そういう意味では、フジテレビに入社したアナウンサー3人含む14人の女性一般職(総合職)は恵まれていました

配属発表の日は天国と地獄

数週間の研修の後、新入社員一同が集められて人事発令がありました。

今考えてみれば、たとえ、初年度に仮に希望でないセクションに配置されても、人生が終わるわけではありませんし、数年後にはまた異動があります。

好まない人事発令であっても、それは長い会社員人生の中で(たいがいは)わずか数年のこと。

しかし、まだ若かった私たちはそうは考えられず、人事発令の日は天国と地獄といった1日となりました。「人事」「総務」「経理」いずれも一般企業であれば、なんら問題ない配置です。しかし、同期の多くは制作現場に関わりたかったので、悲喜こもごもでした。

私は希望の営業局の「営業管理部」に配属になりました。好きなフジテレビの番組を売りたかったので営業志望でした。営業管理部の仕事は番組セールスではありません。

研修中に、ある役員が、営業局幹部が私を管理部で自分の秘書にしたがってると口を滑らせましたので疑心暗鬼でしたが、その通りになりました。配置は不満でしたが、その元営業局幹部は今でも娘のように私をかわいがってくれています。

女性優遇と差別が混在

1年後に希望の「ローカル営業部」に異動になりました。「ローカル営業」は首都圏の番組をセールスが仕事です。

しかし、ここでは、異動当日からジェンダーバイアスの壁にぶつかりました。この時代は混沌期でした。「優遇と差別」つまり、女性であることで極端に得することと、極端に損をすることが混在していました。

Next: まだ仕事に「お茶くみ」があった時代、当然のように女性の担当だった…

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