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米大統領選は情報戦。素人がフェイクニュースの嘘を見抜く方法はあるか=鈴木傾城

どれが真実なのか分からなくなってしまった

SNSというシステムは大量のユーザーと情報を抱え込んで、多種多様な「主義主張」と「意見」で翻弄され、苦しんでいる。大量の情報を取り込んだSNSは、その大量の情報で自縄自縛に陥った。

世の中で拡散されている情報は、それが拡散されることが容易になればなるほど玉石混交になる。これは、「大量の情報」に接する私たち自身がそれをどう判断するかの自己責任になることを意味している。

たとえば、私たちは今、中国発コロナウイルスのワクチンを待望しているのだが、このワクチンひとつに取っても、予防のために打つべきだという意見と、ワクチンそのものが副作用で問題を引き起こすので「絶対」に打たない方がいいという意見が激突している。

「ワクチンは健康な人間を病気にする毒であって、そんなものは打つべきではない、コロナのワクチンも信用できない」という人がいるのである。これはコロナのワクチンだけに限らず、インフルエンザのワクチンですらもそうだ。

「ワクチンは打っても効かない。むしろ害悪になる」
「ワクチンは製薬会社が儲かるために仕掛けたプロパガンダ」

この主張を信じる人は大勢いる。一方で、病気を予防するワクチンは打っておいた方が絶対に良いと医師は主張する。こちらを信じる人は圧倒的だ。

ワクチンは打っていいのかどうか。結論が180度違う情報がそれぞれ大量にある。しかも、最終的にどちらが正しくてどちらが誤っているのか、そんなことはグーグルやフェイスブックですらも分からない。

普通、真実はひとつしかないはずなのだが、インターネットではあまりにも「真実」を称する記事がありすぎて、どれが真実なのか分からなくなってしまうのである。

真実を見失い、間違ったものを取り込んだ時、私たちは自分の人生ですらも存続の危機に立たされる可能性もある。

ネット上にあふれる「主義主張」と「意見」

現代社会は、科学も医学も社会のありかたも経済のありかたも、すべてが猛烈に細分化されている。もはや人々は自分の専門以外の部分で「何が真実なのか」を知ることができなくなってしまった。

ひとりの人間が身の回りで起きているすべてを正確に把握できるほど分かりやすい社会ではなくなっていったのだ。

だから、人々はインターネットに頼り、SNSに頼り、検索エンジンを駆使する。

しかし、そこから得られる情報もまた多種多様になり相反する主張が渦巻き、何が正しくて何が間違っているのか、何も分からなくなっている。

大量の情報は、物事を整理し、解決するためにあるのではなく、むしろ自分の判断を大混乱させるものと化す。大量の情報は大量のゴミと化して、それに触れれば触れるほど混乱していくことになる。

Next: 頼れるのは今までに身につけた「常識」だけ。人は簡単に騙される

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