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なぜ日本のベビーカーは蹴られるのか?冷たい大人が増えた原因と親の心構え=午堂登紀雄

自分のことで精一杯。他人を思いやる余裕がなくなっている

もう1つは、他人を思いやる余裕がなくなっている傾向があるようにも感じます。みな自分のことに精一杯で、他人のことを気にしている余裕がない。

だから自分にも幼少期だった頃があるとか、自分も周囲に迷惑をかけながら育ってきたということにすら想像が及ばない。

想像力が欠如しているから、子育ての大変さも想像できない(たとえば乳児連れで外出したことがある人はわかると思いますが、おむつ、おむつ袋、粉ミルク、お湯の入ったボトル、水、吐いたりウンチが漏れたりしたときのための着替え、などなどたくさんの荷物が必要で、「ベビーカーを使わないとやってられるか!」となります)。

ラッシュの時間帯にベビーカーを持ち込むなという気持ちもわかりますが、やむを得ずその時間帯に乗るしかない事情があるんだろうという想像力が働かない(たとえば病院の検診などで時間がずらせないとか、私も経験がありますが、出張時に飛行機の時間が限られていて、ラッシュとわかっていても乗らざるを得ないときがありました)。

そして実生活で満たされたない承認欲求。だから他人も認める余裕がない。

そんなふうに、ただでさえストレスまみれなのに、子どもの声はもはや騒音にしか聞こえない。男性の方が他人に対して排他的・攻撃的になる傾向が強いため、自分が考える正義(公共の場では静かにするべき、住環境は静かであるべき)を実現しない子どもには、余計に否定的感情を抱くのでしょう。

女性がそういう感情を抱くとすれば「嫉妬」でしょうか。たとえば年賀状の家族写真でも、「自慢か?見せびらかしか?他人の幸せそうな姿なんて見たくない」と、やはり満たされない自分と比較してしまうのでしょう。

確かに、「そこのけそこのけ、ベビーカー様だ!」などと言わんばかりの横柄な使い方をしている人も散見します。すれ違う時によけようとしないとか、店内の通路をふさいでいるのに気が付かない無神経な人もいます。

子どもが騒ぎ回って明らかに周囲は迷惑そうなのに、何もせず放置している親もいます(ただこれも、何か理由があるのかもしれません)。

車の「赤ちゃんが乗っています」「Baby in Car」というステッカーには、「赤ちゃんが乗っているからゆっくり走りますね」というより、「赤ちゃんが乗ってるんだから煽るなよ!」「赤ちゃんが乗ってるんだからお前ら配慮しろよ!」という、ある種の傲慢な圧力を感じることもあります。

そういう日常体験でのうっぷんが積み重なっている人がいるのもわかります。

他人を変えることはできない

では、このような“冷たい”人たちに対して、子育て中の親はどう対応すればいいのか?私の考えでは、どうすることもできません。

こういう「赤の他人への無関心さ」「他人に配慮する余裕のなさ」を払しょくできる環境変化が起こるようには思えないからです。

むしろコロナで「自粛警察」「マスク警察」が増長するなど、ますます加速していく状況のようにも思えます。欧米などと違って宗教的背景も薄いですから、「汝、隣人を愛せよ」なども期待できないでしょう。

だから私は、子どもに冷たい人を変えようとするのは無駄な労力で、子育てをする私自身が堂々としていればいいと考えています。

他の親がどう考えるか、それはその人の自由ですが、「子育てしやすい社会に変えていかなければならない」というのは単なる思考停止で何も変わりません。

実際、「社会の風潮を変えるって、具体的にどうするんですか?」を考えたとき、方法が思い浮かぶでしょうか?

ポスターを掲示したりリーフレットを配って啓蒙する?本当に効果があると思いますか?それでどうにかなるなら、あらゆる犯罪、いじめ、虐待がなくなっているでしょう。

Next: 子育ては立派な社会貢献。堂々と対応するコツ

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