堂々と対応するしかない
「社会が悪い」「社会を変えないといけない」というのは、何も考えていない人の逃げ口上です。
仮にそうだとしても、具体的な解決策や効果測定が可能な打ち手が思い浮かばないなら、原因の掘り下げが浅すぎる、課題設定が雑すぎるということ。
問題解決の場面において、その原因に「社会」という茫漠としたものを設定すれば、たちまち思考停止し、解決には程遠くなるだけです(学者や研究者でさえ、そういう人は少なくないですね)。
だから、そんなもののせいにしない。まずは自ら変わる。自ら行動する。
もともと私は他人にどう思われるかはまったく気にしないので、前述の通りベビーカーを蹴られたら、どんな場所であろうと大声で怒鳴り返すなど、徹底的に戦います。自分でも思いますが、ほんと面倒くさい人間ですよ、私は(笑)。
しかし、そこまではできない人の方が多いと思います。
特に女性が混雑する電車内で大声を張り上げて反論するというのも難しいでしょう。
子育ては立派な社会貢献
そこで、ひとつの心構えをご紹介します。
「私は未来の種を植え、育てている」
「その種がすくすく成長するために、あらゆる選択肢を排除しない」
自分の子がもしかしたら日本や世界を変える人物になるかもしれない。いま批判している人やその家族の生活がより良くなるイノベーションを起こすかもしれない。むろん拡大解釈ではありますが、可能性はゼロではない。
そしてそう考えれば、子育ては純粋な社会貢献ですから、そこらへんの凡人が文句を言う筋合いなどないでしょう。
それで文句を言う人がいたとしても、
お前は社会貢献を否定するのか?
お前のどこに未来の芽を摘む権利があるのか?
未来の日本を担う子どもに制限を加えられるほど、お前は偉業を成してきたというのか?
と思えば、周囲が何を言おうとスルーできるのではないでしょうか。
そもそも自分の権利ばかり振りかざす人(保育園うるさいから建設反対、学校うるさい、公園うるさい、ついでに除夜の鐘もうるさい)に限って、小心者なのですから。そんな人の意向を聞くことはむしろマイナスでしょう。