現在の130円台の円安は歴史的ボンド安に類似
戦後の英国の、50年の長きに渡るポンド安として起こったことに、類似しています。
英国では、戦後は、GDPの200%の戦費国債(=チャーチルが使ったドイツとの戦費)を抱えていました(筆者注:日本の国債残はGDP比230%と世界1大きい:米国はGDP比100%です)。
この国債ため、英国は戦後インフレの中でも金利を上げることができなかった。大英銀行は経済理論ではあり得ない「インフレの中の低金利」を敷き、「金融抑圧」を行ったのです。金利0.25%以下を目標にしている現在の日銀と「瓜二つ」です。
インフレの中では上がるべき金利を、人為的に抑えられたポンドは、1945年には1,000円と高かった。戦後は大きく売られ、まず800円に下がり(-20%)ました。20%下落は、今の円に似ています。
1年平均4%~5%。長期的に下がっていったポンドの預金をもち、ポンドの給料を得る英国人の生活(所得と社会福祉は世界1高度でした)は、輸入が多く、価格が上がり続ける食糧の買いに躊躇するくらい、貧しくなっていったのです。
大英銀行が金融抑圧を続け限り、ポンド安には「出口」がありませんでした。
英国ポンドは、20年、30年、40年、50年間も下げ続けました。
現在は1ポンド164円です。1945年の1,000円に対して、1995年までの50年、下がり続けが結果が、この164円です。
50年間で84%のポンドの下落は、1年間平均では-3.6%ですから、なるほどと思える下落率です。奇異なことは50年下がり続けたことでしょう。
ケインズが1946年に亡くなった後でもあったので、深くは分析されず、インフレの中で通貨が下がり英国人の所得が減っていくこことは、「英国病」と言われたのです。英国経済は、没落しました。
(英国ポンド:1980年 500円 → 1995年 169円)
日銀が国債を買い、通貨価値は希薄化した
GDPの成長率より大きく通貨を増やす「量的緩和と低金利」は、通貨価値を希薄化させます(濃度を薄めること)。
量的緩和は、ウィスキーのモルト(原酒)に水を入れ、見かけの通貨の量を増やすことと同じです。通貨1単位の価値を下げます(筆者注:MMT[現代貨幣理論]を有効とするリフレ派にはない視点です)。