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この格差を解消しない限り、日本は「次の戦争」で再び敗戦国になる=児島康孝

先日、近くの本屋さんで歴史書を読みました。ギリシャの都市国家、アテネの繁栄と衰退について書かれた本ですが、これは日本の今後に示唆を与えています。日本は、これまでの構造改革・リストラ路線を見直し、中間層の雇用・所得第一路線に転換しなければ、いよいよ大変なことになります。(『ニューヨーク1本勝負、きょうのニュースはコレ!』児島康孝)

このままでは日本も「経済衰退からの軍事侵略」で滅亡してしまう

都市国家の繁栄・衰退パターン

おおむね紀元前400~500年といった頃の話ですが、アテネはエーゲ海を中心に交易で栄え、海軍力と経済力で繁栄した都市国家でした。アケメネス朝ペルシャを海軍力などを発揮して退け、様々な産業で中間層が育って発展します。

しかし、アテネを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟は、紀元前431年にペロポネソス戦争を開始。その原因は、ペルシャを退けたアテネは繁栄の一方で帝国主義的な色彩を強め、パルテノン神殿の建設費にデロス同盟の資金を流用するなどして反発を受けたためです。

不運にもアテネでは疫病が流行したほか、スパルタがペルシャと同盟を結んで海上交通を抑えたため、アテネは食料を含む海上からの物資の流れがストップ。そして、ペロポネソス戦争は、紀元前404年にアテネが全面降伏して終結しました。

この流れの中で、アテネの経済的な繁栄は、中間層の増大とともに加速しました。そして、ペロポネソス戦争が起こったことで、中間層が経済活動に専念できずに没落し、富裕層と貧民の間の格差が拡大したことにより、アテネはあっという間に衰退したのです。

国家の盛衰を左右するのは中間層

アテネで思うのは、やはり、国家の盛衰は中間層の厚さにかかっているということです。

豊かな中間層に裏付けられた強い経済力があってこそ、平和主義での影響力は強くなります。また軍事の側面でも、経済力がなければ力を維持できません。

日本では、1990年のバブル崩壊以降、中間層が減り続けています。このため国力は衰退し、GDPも先進国の中では最低水準の伸びで停滞しています。

景気が悪い時には、中間層を増やす経済政策が必要です。

ところが日本は、この中間層の雇用・所得に関しては、真逆の経済政策を続けました。

普通、体調が悪い時には、体力を温存して栄養をとりますね。そして回復したら、またハードな活動を再開します。しかし、日本はこれとは真逆の考えを持っていました。体調が悪い時に氷水の中を泳いで鍛錬したり、長距離マラソンをしたり。つまり、景気が悪いときには、構造改革やリストラをすれば日本経済が良くなるというのが、これまでの考えであったわけです。

金融政策では、景気が悪い時に金利を上げようとか、資金を絞るということは現在はありませんね。しかし、日本の雇用や所得に関しては、まさに逆の経済政策が行われたのです。

これには既視感があります。かつて日銀の三重野総裁(当時)が「平成のバブル退治」と持ち上げられ、バブル崩壊時に金利を上げたのと同じことです。いまでは三重野総裁の金融政策は誤りだったとみられていますが、当時はもてはやされていました。FRBのバーナンキ前議長も、当時の日銀の政策を批判しています。

そして、日本は失われた10年から20年へ。今年でもう27年目になります(※現在の日銀には岩田副総裁や原田委員などデフレ・恐慌研究の第一人者がいて、マイナス金利の導入や実質金利を重視する政策を推進して好転しています)。

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