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迫る韓国3回目の通貨危機で日本に擦り寄り?日韓通貨スワップの重要性にやっと気づいた=勝又壽良

中国依存の危険性を察知

韓国は、中国がこうした窮迫状態であることに気付かずにいた。

そして、迫りくるウォン危機へ根本的に対応できるのは円であると再認識したのが、3月10日以降という直近のことと見られる。過去2回の通貨危機と韓国を取り巻く状況が、根本的に変化していることを自覚したのであろう。

1997年の通貨危機では、IMF(国際通貨基金)とG7(先進7ヶ国)が支援体制を組んだ。民間金融機関では、日本が100億ドルの貸出枠を設定したが、実際には使われなかった。

これらの措置で金融市場は安定を取り戻した。日本は、2年間にわたり国際機関やG7各国と協調して、韓国支援の主導的な役割を果たした。

当時、韓国の国家債務が対GDP比11.4%と余裕のあったことも、その後の回復過程で幸いした。当時の財政が、どれほど健全だったか分かる。財政支出を支えにして、通貨危機後の景気回復は早かった。

2008年の金融危機では当初、外貨準備高が2500億ドルを超えるため、政府は問題ないと断言していた。だが、2カ月間で400億ドルが流出すると、恐怖が広がった。その背景として、2008年の資本収支と経常収支はともに赤字(外貨準備高の取り崩し)となり、貿易赤字に陥っていたという事情がある。為替レートは、2009年に1ドル=1100ウォン台から1500ウォン台へと暴落した。

2008年のウォン危機を救ったのは、主として米中との通貨スワップ協定である。米国は10月に、中国は12月に韓国と締結した。

日本は最後にスワップ協定を結んだ。米中に比べて遅れたのは、日韓関係の悪化が理由である。韓国の日本批判が盛んな中で、当時の中川財務相が反対したもの。韓国は、日本の通貨スワップ協定遅れを批判した。これが、日本の心証を害し、2015年を以て日韓通貨スワップ協定を終了した。

日本が支えた韓国経済

1997年の経済危機終息を振り返ると、日本の役割が大きかったことだ。

1997年では、日本がプロデューサー役になって、国際機関の取りまとめや支援などで大きな役割を果たした。韓国は、この日本の努力に対して誠意を持って答えず「反日」で対応した。これが、2008年危機では災いし、日本は通貨スワップ協定でも米中に遅れるという消極的なものに変わった。

日本が、韓国と通貨スワップ協定を結ばなければならない義務はない。韓国は、日韓併合時代の「償い」という意味で「当然視」してきた。これが、過去2回にわたる韓国通貨危機から学んだ日本の教訓である。

日韓併合も終わって、今年で75年を迎える。いつまでも、昔の証文を出されても応じる義理はない。韓国は、日本に対して敵対意識を持っており、すでに友好意識が消え失せているからだ。

文政権が、率先して反日不買運動を行なう状況で、日本が友好意識を深められるはずもないのだ。

Next: 急に態度を変えた韓国。韓国が現在、ウォン危機認識を持ち始めたのは――

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