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ユーチューバーは今の1000倍に増える?コロナ後は動画配信できる人が生き残る=鈴木傾城

もはや動画配信がメインストリームになって外せない

これまで時代の主流は「ホームページ→ブログ→SNS→動画」と次々と変わってきたのだが、もはや動画配信がメインストリームになって、そこを外したらインターネットで存在を示せないということになる。

だから、「動画配信できるかどうか」がこれからインターネットで生き残れるかどうかという話になってくる。

自分のコンテンツを「動画」で配信できないのであれば、個人が2020年代を生き残るのは相当難しいのではないか。

ところで、動画と言えば誰もが真っ先に思い浮かべるのはユーチューバーである。

インターネット黎明期の若者はホームページに挑戦した。次の若者はブログに戦場を移した。やがて実名・顔出しをモノともしない若者がSNSで時代を切り拓き、そして2010年代の後半には多くの若者がユーチューブに到達した。

今の若い表現者は「動画で配信」は呼吸するのと同じくらい当たり前となっており、「動画配信できるかどうか」などと言っていたら鼻で笑われる。それは当たり前でしかないのである。

新しい世界は、新しい人が飛び乗ってできている

ところで、インターネットという世界は表現が次々と変遷しているのだが、この流れはインターネット黎明期に好奇心を持って新しい世界に飛び込んだ人たちの全員がついていっているわけではない。

「HTML」を覚えてタグを駆使しながら自分のサイトをゼロから作ってきた時代の人たちは、ブログの時代に入っても自作のホームページに固執して主流から外れてしまった人もたくさんいた。HTMLでホームページを作っていた人と、ブログの時代に乗った人は「別物」だったのである。

ブログに馴染んでいた人は、次にフェイスブックみたいなSNSが主流に踊り出ても自分のブログに固執して主流から外れてしまった人もたくさんいた。やはりブログにいた人と、SNSの時代に乗っていた人は「別物」だったのである。

そして、SNSに馴染んでいた人は、次にユーチューブみたいな動画が主流に踊り出てもSNSに固執して主流から外れてしまった人もたくさんいた。SNSにいた人と、ユーチューバーは「別物」なのである。

インターネットは古くからいる人が次々とメインストリームを渡り歩いているのではなくて、新しい人が新しいメインストリームに乗って古い人を押しのけて時代を切り拓いているということになる。

新しい世界は、新しい人が飛び乗って新しい時代ができている。

ただ、ホームページという世界も、ブログという世界も、SNSという世界も、消えてなくなるわけではないし多くが残る。それぞれの世界観を愛する人が残り、その世界で生き残る人も大勢いる。

それぞれの世界は決して消えてなくなるわけではない。その世界は淘汰されるわけではない。ただ、「主流ではなくなるだけ」である。

つまり、かつてよりも注目されることもなくなるというだけの話だ。

それに、誰もが時代についていかなければならないわけでもない。いくらスマートフォンが当たり前になっても、昔ながらの折り畳み携帯電話に固執する人もいるし、電子配信が主流になっても、いまだに紙の本や紙の新聞に固執する人がいる。

誰が何と言おうが、古いものから「絶対に」離れない人は一定数いるのだ。

だから、古いものは時代の主流から遠く外れていったとしても必ず生き残り、場合によってはそれなりの重要性も担う。

Next: これからもエネルギッシュで活気のある場所にいたいのであれば、自分が――

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