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トランプ支持メディアに起きた不可解な弾圧。誰がフェイクニュースとみなすのか?=高島康司

フェイクニュースの終わり

これは主流メディアから見ると、陰謀論を基盤にしたフェイクニュース以外のなにものでもないとして批判される。

なぜならアレックス・ジョーンズのプラットフォームは、米国内や世界で起こるあらゆる事件や出来事に「グローバリスト」の隠れたアジェンダを読み取り、これを破壊するための革命的な行動を主張し、事実とは関係なくどんな状況にあっても、トランプとロシアへの熱烈な支持を訴えているからだ。

よくインターネット社会では、人は自分が見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じるようになったと言われている。その点から見れば、ジョーンズのニュースメディアも、アレックス・ジョーンズという個人の世界観が多くの支持を集めてたまたま巨大化しただけで、そこにあるのはジョーンズの思い込みと幻想にしか過ぎず、それを裏付ける客観的事実は存在しないと思われてしまうかもしれない。

フェイクニュース以降の世界

しかし、ネットメディアが個人の幻想の拡大であると言い切れる時代は完全に終わってしまった。おそらくそれは2001年以前の状況である。

興味深いことに、ジョーンズの報道のソースは、独自の取材で得た情報や、内部関係者からの告発とともに、主流メディアでほとんど注目されなかった記事がとても多い。要するに、アレックス・ジョーンズも主流メディアも、共通した事実を根拠に報道しているのである。では、何が異なるのかというと、そうした事実を読み取る意味なのである。

たとえば、世界のどこかの地域で紛争が勃発すると、主流メディアはそれを各国の利害の衝突から起こったと報道するのに対し、ジョーンズのメディアでは、その裏に「グローバリスト」のアジェンダを読み込むということになる。

そのとき主流メディアは、現地の取材から得られたインタビューを根拠にするのに対し、ジョーンズは、紛争を背後から画策した集団に近い存在から証言を得て、「グローバリスト」のアジェンダを暴く。

このように見ると、フェイクニュースvs.真実のニュース、また幻想や思い込みvs.客観的事実という単純な対立ではまったくないことが分かる。

こうした対立を説明するために、英語ではよく「ナレティブ(narrative)」という言葉が使われる。これは日本語に訳すると「語り口」ということになるが、ちょっと意味が通りにくい。「ナレティブ」とは、イデオロギーや価値観を含んだ世界観全体のことを表現しているといったほうがよいだろう。日本語では「言説」という言葉がぴったりくる。

以前は主流メディアが「言説」を独占していたが…

時期の確定は難しいが、SNSが拡大する以前の2005年くらいまでは、世界で起こる出来事の「言説」は主流メディアの独占状態であった。そこには、保守系や革新系でちょっとした偏差はあるものの、事実や事件の読み取りでは共通の了解が存在していた。社会で容認される「言説」はいわばひとつであった。

出来事の裏には「ニューワールドオーダー」を構築する「グローバリスト」のアジェンダがあるなどという「言説」は、保守であろうが革新であろうが主流メディアからは完全に排除されてきた。

しかし、SNSが主導するインターネット2.0の世界では、状況が完全に逆転した。ネットではアレックス・ジョーンズのような巨大メディアが出現し、これまでの主流メディアによる「言説」の独占を突き崩した。これは、資本主義の競争原理がメディアの世界に導入されて、主流メディアが競争に敗れたといってもよい。

いずれにせよ、この結果、社会には複数の「言説」が併存し、競争する状況になっている。そこには、いわば常識としての共通了解は存在しない

Next: なぜアレックス・ジョーンズは弾圧されたのか?

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