体験の構築
用事が特定できたら、次になすべきことは、顧客がなし遂げようとしている進歩に伴う体験を構築することです。製品・サービスの購入時や使用時におけるすぐれた体験が、顧客がどの製品やサービスを選ぶかの基準になるからです。では、同社はどのような体験を構築すればいいのでしょうか。
待合室にあるソファーを雇うとする顧客にとって障害となり得るのは、先に述べたように、他人が座った温もりの残るソファーに座ること。この障害を取り除くことは、顧客にとっては不快の解消につながり、それはある意味ですぐれた体験といえます。ただし、一部のいわゆるクレーマーは別として、一般の顧客が「さっき座ったソファーが生温かった」という声をあげるかは疑問です。
プロセスの統合
最後は、顧客がなし遂げようとしている進歩のまわりに社内プロセスを統合し、顧客に対して彼らが求める体験を提供します。そうすることにより、プロセスは摸倣が困難になり競争優位をもたらすのです。
上記で触れたように、そもそも顧客が声をあげなければ、同社グループがいうように「お客様の一つひとつの声と向き合い」ということができません。いずれにしても、「生温いソファー」という顧客の不快を解消するためには、ハード面とソフト面の対応が必要です。
まずハード面として、ソファーの素材を改良し、他人が座った温もりが残りづらくすることがあげられます。次にソフト面として、接遇の工夫があげられます。例えば、他の人が座ったばかりのソファーを避けて、別の空いているソファーに案内する係員を配置することも検討に値するでしょう。ただし、これらのことは容易に模倣されてしまいます。したがって、社内プロセスの統合という意味で同社グループにとっての課題となるのは、デザインや美観等に優れたオリジナルのソファーを開発すること、接遇面で従業員に対して独自の教育を施すこと等です。
では、同社グループがこうした取り組みを行おうとするのであれば、業績の評価基準をどうすればいいのでしょうか。クリステンセン教授たちは次のように指摘しています。
ジョブ理論は、プロセスを何に合わせて最適化するのを変えるだけでなく、成功の尺度も変える。業績の評価基準を、内部の財務実績から、外部的に重要な顧客ベネフィットの測定基準へと移す。
・顧客の行動について集めたデータは、客観的に見えてもじつは偏っていることが多い。データはとくに、ビッグ・ハイア(顧客がなんらかのプロダクトを買うとき)だけを重視し、リトル・ハイア(顧客がなんらかのプロダクトを実際に使うとき)を無視している。ビッグ・ハイアが、顧客のジョブをプロダクトが解決したことを意味する場合もあるが、本当に解決したかどうかは、リトル・ハイアが一貫して繰り返されることによってしか確認できない。
この指摘を踏まえるのであれば、同社グループはリトル・ハイア──待合室のソファーに座る人の数──を業績の評価基準とするのが得策だということになります。
【参考文献】
・クレイトン・M・クリステンセン他[著]、依田光江[訳]『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(ハーパーコリンズ・ジャパン)
・クレイトン M.クリステンセン『C.クリステンセン経営論』(ダイヤモンド社)
・クレイトン・M・クリステンセン『医療イノベーションの本質─破壊的創造の処方箋』(碩学舎ビジネス双書)
・恩藏 直人/編著 岩下 仁/編著『医療マーケティングの革新』(有斐閣)
・有価証券届出書(新規公開時)
本記事は『イノベーションの理論でみる業界の変化』2019年11月26日号の一部抜粋です。全文にご興味をお持ちの方は、バックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
『イノベーションの理論でみる業界の変化』(2019年11月26日号)より一部抜粋
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クリステンセン教授たちが練り上げた「片づけるべき用事」の理論は、これまで不可能とされてきたイノベーションの予測を可能にし、その効果はアマゾンのベゾスらによっても確認されているといいます。3年目になる2018年からは内容を刷新し、従来のMBAツールとは一線を画すこの優れた理論を使い、各業界におけるイノベーションの可能性を探ります。これはイノベーションを生み出すための「思考実験」にもなります。なお各号はそれぞれ単独で完結(モジュール化)しているので、関心がある業界(企業)を取り上げた号を購読していただけます。