海外では新自由主義と資本主義の見直しが進んでいる
内需から外需へ……経済成長のエンジンを強化させたということで、それは米国や中国の経済成長に依存するところが大きく、円安などの為替にも影響も受けやすい不安定なものであることは否めません。
その反省の上に、岸田政権は「脱新自由主義」を掲げるとしているのでしょうか。長きにわたる清和会支配から、宏池会色に移行することを宣言したのでしょうか。
海外では、新自由主義の限界、資本主義の見直しが求められているのは確かです。
韓国では「左派新自由主義」という言葉が登場しています。経済が回復しても正規雇用者が増えずに非正規雇用者が増える実態、格差拡大を問題としています。日本と同じですね。でも課題解決は、日本の先を行っています。
20世紀末には、英国ではサッチャリズムを否定するかのように、トニー・ブレア労働党党首(当時首相)は「第三の道」として「新しい社会民主主義」を模索しようとしていました。
世界では、民営化に拡大した政策の見直しも出てきています。水道事業の再国営化などです。
野党側は差別化が難しくなった?
岸田文雄新総裁の主張は、まるで野党の主張とも思える発言です。
野党側は、政権との違いを、経済政策のうえでは打ち出しづらくなったようですね。
菅政権までの与党とは、新自由主義というものを対立軸に、その延長線上にある政権と、格差を生んだ新自由主義からの転換を掲げる野党という対立構造を描けました。
それが「富の分配」というところまで言及する岸田政権に対しては、野党は対立構造を描きづらくなり、それどころか、今までの野党の経済政策は霞んでしまいそうですね…。
第2次世界大戦後から前進しない日本の経済政策
前回記事で、「新自由主義」のアウトラインをご紹介しました。
時代の流れで考えてみますと、第2次世界大戦前は、それまでの絶対君主制などからの開放の機運で、自由主義(リベラリズム)が求められました。立憲主義という言葉は、この時代にもてはやされたものです。
その後、世界経済を揺るがす世界大恐慌が起こりました。それは自由放任主義がもたらしたものだと考えられ、今度は、国家が関与する政策に舵を切っていきました。
第2次世界大戦後は、東西冷戦も激化し、社会主義との政策の違いを鮮明にする必要がありました。そこで求められたのが「ケインズ主義」というものです。
年金、失業保険、医療保険等の社会保障の拡充、公共事業による景気 の調整、主要産業の国有化などを推進し、国家が経済に積極的に介入して個人の社会権(実質的な自由 )を保障すべきであるという考え方に流れていきます。
景気が悪くなったら、公共事業を拡大すれば良い……古き自民党体質のように語られるのですが、実は公共事業は、景気回復や雇用創出には、大事な役割を果たしていたのです。
やがて大きな政府、福祉国家の考え方は、1970年代に入っての石油危機(オイルショック)により、マネタリスト(金融政策の重要性を主張する経済学者)や、サプライヤー(経済では需要より供給面が重要)からの批判を受けることになります。
でも、日本は相変わらず、公共事業拡大に頼っていました。というか土建政治の利権を手放せなかっただけかもしれませんけどね。
そのことで、日本は経済政策を大きく遅らせたとも言えますが、その体質は今にもつながっていると思われます。