発達障害児の家族を幸せにする「4つの心構え」
<心構えその1:現実を直視する>
これが結構難しいようで、人は見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞こえません。障害が重度であれば周囲は認めざるを得ませんが、軽度の場合が難しいようです。
そこでまずは「発達障害は悪である」という思い込みを捨てることです。あってはいけないことだと思うから悩みになるわけです。
むろん「善である」とか無理に思い込む必要はありませんし、前回のコラムのように「武器」とまでは思えない人もいるでしょう。実際、現時点の日本では発達障害者の活躍のハードルは高く、だからこそ「将来の可能性」として希望を捨てないという意味で書いたわけです。
そして発達障害は悪でも善でもなく、「この人の特性である」とニュートラルに受け止める。もっと言えば「そういう人」とそのままを受け入れるのです。
私が息子の発達障害に気づいたのは2歳になったころです。周りの子はもう言葉を発し始めているのに、この子ほとんどしゃべらないうえ、極端な癇癪(かんしゃく)持ちでした。それで「ちょっと変だな」とは思っていましたが、「男の子は発語が遅いというし、個人差だろう」で済ませていました。
しかしある日、突然白目を向いて口から泡を吹きながらけいれんを起こして倒れた、と妻から連絡がありました(いわゆる熱性けいれん)。そして救急車で病院に運ばれ、医師から発語と癇癪の状況を聞かれたとき「知能の発育に問題が見られる。一度専門医に診てもらった方がいい。ただし、いまはどこを受診しても経過観察で終わってしまうため、3歳くらいになってからのほうがよい」と言われました。
さすがにショックでしたし、「そんなはずはない」と否定したい気持ちにもなりました。しかし、現実から目をそらしても何の問題解決にもならないとすぐに頭を切り替え、発達心理学や幼児教育に関する書籍・文献をたくさん読み込みました。
すると、「それ、うちの子にもあるある」「なるほど、だからか」「なるほど、そういうことか」と多くのことが腑に落ち、「そういう特性のある子なんだ」とすっきり受け止められるようになりました。
そして、できないことを嘆いたり、ほかの子と違うことを嘆くのをやめる。でなければイライラが募るだけですから。できることを見てあげて、褒めて、ほかの子より遅れていても違っていても、そういう個性なんだと認めることです。
できることは人それぞれ違うというだけです。