ポジティブに捉えて幸せに暮らす人
一方、私の妻の友人で、重度の知的障害を兄に持つ女性起業家がいますが、彼女から特に不満とか絶望とかいう言葉を聞いたことがありません。
本心はわかりませんが、「私が面倒を見ていく」という覚悟を持っているそうで、彼女の旦那様もそれを共有してご結婚されています。彼女はとても明るい性格で、ご自身の会社の経営をがんばっておられます。
もう一人、やはり知的障害がある自閉症の息子さんを持つシングルマザーの知人がいますが、その経験を活かして子育て・教育に関する講演や、障害者の保護者向けのコラム執筆などの仕事をしています。かつてはかなり悩み、そして大変な苦労もあったようですが、今では良い意味で達観しており、悲観するでも絶望するでもなく、あっけらかんと普通に子育てされています。講演に引っ張りだこで著作も多数あるなど経済的にも余裕があるようで、それも余裕のある子育てにつながっているのでしょう。
多種多様な「発達障害」を同列に扱うことはできない
もちろん、前回のコラムにも書いた通り、ひとことで発達障害といっても、ASD(自閉症スペクトラム)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD(学習障害・ディスレクシア)と大まかに3つの種類があり、それぞれ独立ではなく入り組んでいます。その入り組み方もひとそれぞれで、さらに知的障害がない人もいれば、知的障害がある人もいる。それも軽度から重度と、グラデーションのようにひとり一人が異なります。
一方で、高度に知的レベルが高い人もいて、ギフテッドと呼ばれるいわゆる天才児の中にも、発達障害者は少なくありません。実際、ギフテッドの行動パターンは発達障害そのものとも言えます。
このように障害の中身・程度・発現の仕方は本当に人それぞれ違うので、同列に扱うことはできません。
たとえば重い知的障害を抱えていれば、家族は「親亡きあと」の支援体制を考えなければならないし、軽度であれば支援校や就労支援などで「自立して生活していける」ための方策を考えることになります。
あるいは前回のコラムでも書いた通り、何らかの分野で突出した才能を持つ場合は、その方面を伸ばせるよう、家族や周囲は環境を整備してあげる必要があるでしょう。
特に米国では発達障害者を「障害」ではなく「個性」とみなす思想があり、発達障害者向け教育プログラムは世界最先端ですから、家族で留学移住をする人もいます。ニューロ・ダイバーシティという考え方も米国が先んじている印象です。
日本でも、昨今話題となっている「N中」「N高」(運営は民間企業のドワンゴ)は、もしかしたら大きな可能性を秘めているかもしれないな、と私は注目しています。
さらに医師の方針にもいろいろあるようで、診断を出してくれやすい医者もいれば、なかなか出してくれない医者もいるそうです(ママ友の間でも、「あそこの先生は出してくれる」「あそこは出さない」という話題が出ます)。すると、本当は障害なのにグレーゾーン扱いになることもありますし、本当にグレーな人もいるでしょう。
割り切って発達障害児の子育てを楽しむ我が家のケース
というふうに一律に語れない側面はあるものの、家族が不安を抱えて悩んでいても、誰も幸福にはなれない。
実は私の妻も、当初は息子が発達障害だという診断をなかなか受け入れられなかったようで、かなり悩んだそうです。しかし、私からもいろいろ情報提供したからなのか、療育の成果が出てきているからなのか、児童精神科の先生に数的能力や空間認識能力は平均より高いと言われたからなのか、いまはもう割り切って子育てを楽しんでいます。
そこで、「家族がどのような心構えを持てば幸福になれるんだろう?」を考えてみました。むろん正解はないのですが、私とわが家の心構えをご紹介します。