大戸屋を上場企業に育て上げた三森久実氏
問題を理解するためには、まずは大戸屋の歴史を振り返る必要があります。
大戸屋の会社としての創業者は、先代会長の三森久実氏です。伯父で養父が池袋で経営していた「大戸屋食堂」を、養父の死去をきかっけに20歳で継ぎました。その後チェーン展開を行います。
1992年に吉祥寺店が火事になったことをきっかけに、「大戸屋ごはん処」として改装したことが現在の形態の起源となり、店舗数を増加させてきました。ジャスダック上場も果たし、久実氏は上場社長として辣腕を発揮します。
そんな久実氏の働きぶりがわかりやすく表現されているのが、以下のインタビュー記事でしょう。
外食産業で起業したいんだったら、どれだけ自分が現場にいることができるかが勝負ですよね。365日、寝る時間以外はずっと店にいても耐えられる人じゃないとダメですね。<中略>
外食産業っていうのは、「現場」が最も大変な上にいちばん大切なんですよ。だからこそ、そのトップである社長が現場を知らないとうまくいかないんですよね。
これだけやれる人だったからこそ、大戸屋も大きく成長できたのだと思われます。企業が大きく成長するためには、経営者の熱量が不可欠です。
ところが、2014年に不運が訪れます。久実氏に肺がんが発覚し、余命1ヶ月が宣告されたのです。治療のかいあって1年は延命しましたが、残念ながら2015年に57歳の若さにして亡くなってしまいました。
創業者急逝後に起きた「お家騒動」、夫人は遺骨を持ち詰問
強力なトップが突然亡くなると、尾を引くのが後継者問題です。
久実氏には1989年生まれの息子・智仁氏がいました。銀行に就職後、大戸屋で一般社員として働いていましたが、久実氏が余命宣告を受けると、急遽常務取締役へ昇格しました。
他の役員は何も言わなかった(言えなかった)ようですが、久実氏が死去してからわずか2日後、智仁氏は香港へ赴任するよう社長の窪田氏から内示を受けました。
これに激怒したのが、久実氏の妻、智仁氏の母である三枝子氏です。久実氏の遺影と遺骨を持って、社長室に乗り込みました。
三枝子夫人は遺骨を持ち、背後に位牌・遺影を持った智仁氏を伴いながら、裏口から社内に入ってきて、そのまま社長室に入り、扉を閉めた上、社長の机の上に遺骨と位牌、遺影を置き、その後、智仁氏が退室し、窪田氏と二人になったところで、同氏を難詰した<中略>その際、三枝子夫人は、30分ほどにわたり、窪田氏に対し、
「あなたは大戸屋の社長として不適格。相応しくないので、智仁に社長をやらせる」
「あなたは会社にも残らせない」
「亡くなって四十九日の間もお線香を上げにも来ない」
「何故、智仁が香港に行くのか」
「私に相談もなく、勝手に決めて」
「智仁は香港へは行かせません」
「9月14日の久実のお別れ会には出ないでもらいたい」
などと述べた
これを読む限り、ドラマさながらの泥沼の争いが繰り広げられていたことが分かります。
なお、窪田氏も久実氏のいとこですから、彼らは親戚関係にあります。まさに血肉を争う「お家騒動」というわけです。
その後、智仁氏は常務から平取締役へ「降格」。相続税対策のための久実氏への「功労金」をめぐってもひと悶着あり、智仁氏は2016年2月に辞職。三枝子氏・智久氏は大戸屋の株を計19%保有するだけの「株主」という関係になりました。
このように「お家騒動」は、窪田氏の「勝利」という形で幕を閉じたように見えました。
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