米朝接近から高官処刑までの流れ
米朝接近には布石があった。
2017年11月:韓国の文在寅大統領が「朝鮮半島構想」を発表
同構想は南北の「平和共存と共同繁栄」を目的に、核問題解決と朝鮮半島の休戦協定(1953年)を平和協定へと転換することで、戦争終結をも実現させる内容だったという。この主張は、金正恩氏の祖父、金日成主席および父、金正日氏の「遺訓」と一致するという。
そうした呼びかけに応え、北朝鮮は2018年2月の韓国平昌オリンピックに、南北統一旗を掲げた南北統一チームとして参加した。
2018年3月:トランプ大統領、金正恩委員長からの会談の申し出を受け入れ
2018年4月:板門店で南北首脳会談
2018年6月:シンガポールで米朝首脳会談(両国の最高指導者としては初めて)
2019年2月:ハノイで2回目の米朝首脳会談
そして、その会談の失敗を受け、3月に担当者のトップが処刑されたのだ。
朝鮮半島「南北統一」もなくなった?
トランプ大統領は北朝鮮にある膨大な地下資源に興味を持っていた。
米国が資金と技術を提供すれば、すぐにでもWIN−WINの関係を築けると考えていたと報道されていた。それは、北朝鮮にとっては願ってもない話だったはずだ。
とはいえ、中国、ロシアと国境を接する北朝鮮が、米国と緊密過ぎる関係を築くことは中ロを刺激する。そうした狭間にある北朝鮮を、実際に経済的に支援し続けたのは中ロで、一方の米国は経済制裁を緩めることがなかった。
明日からの生活をどうするかという点でも、北朝鮮の選択肢は1つだったと言える。
これで明らかになったのは、米国と中国、ロシアが対立を深める中で、北朝鮮が米国に歩み寄るという線が完全に断たれたということだろう。
このことは、韓国が米国から離れない限り、南北統一もなくなったということかも知れない。