コロナ禍での初詣は「分散参拝」や「郵送・オンラインの活用」など異例づくしになりそうです。その形式を決めているのが、全国8万社を包括する組織「神社本庁」。自民党の票田でもあり、政治に大きな影響力を持っていると言われています。近年、こんぴらさん(金刀比羅宮)を筆頭に傘下の神社の離脱が増加。このまま有力神社の離脱が相次げば、自民党の改憲を後押しするパワーも弱まってしまうことが懸念されています。今回は、この神社本庁とは何か、また離脱が増えている原因を紐解きながら、カネと人事と政治が絡んだ組織の闇に迫ります。(『らぽーる・マガジン』原彰宏)
※本記事は、『らぽーる・マガジン』 2020年11月16日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
目次
- 新しい参拝様式
- 参拝ルールを決める宗教法人「神社本庁」とは?
- 神社本庁の組織
- 神社本庁は内務省神祇院(じんぎいん)の流れ
- 神社本庁と各神社との関係
- 神社本庁の本宗は伊勢神宮
- 伊勢神宮の御札(おふだ)をめぐるカネの流れ
- 各神社に課せられる厳しいノルマ。すべては式年遷宮のため?
- 神社の懐事情
- 神社本庁を脱退する神社たち
- 離脱要因は「お金と人事」の不透明さ
- 神社本庁の強権体質が原因
- 神社本庁の人事介入
- 百合ケ丘職員宿舎売却における「土地転がし」問題
- 政治団体「神道政治連盟」の存在
- 自民党が神社本庁を大切にするワケ
新しい参拝様式
コロナ禍での初詣は、例年の様子とは大きく異なります。
「分散参拝」という奇妙なフレーズが登場しています。郵送やオンライン活用という、一見、初詣とはなんの関係もないような言葉も飛び出してきました。
ソーシャルディスタンシングによる人との接触を避ける「三密対策」として、神社本庁は、初詣の感染防止ガイドラインを策定し、傘下の神社に周知させるとのことです。
密集対策としては、以下が挙げられています。
・参拝者が手を清める柄杓の撤去
・賽銭箱の複数設置
・参拝経路の一方通行化
この他、初詣期間を12月から2月節分までとすることで、参拝客が集中しないようにする提案しています。
また非接触の奨励として、以下を取り入れることを勧めています。
・事前に祈祷した御札の郵送
・オンラインで御札やお守りを授与
・キャッシュレス賽銭受付け
これら、コロナ禍での新しい参拝の形式を提案しているのは、全国の神社を管理・指導する「神社本庁」というところです。
この神社本庁に関して、「こんぴらさん」の愛称で親しまれている四国の金刀比羅宮が、神社本庁を離脱するという報道が大きな話題となりました。
実は、日本でも有数の「ビッグネーム」神社の離脱は、金刀比羅宮がはじめてではありません。これまでにいくつもの神社が神社本庁を離脱しています。
何かと政治との絡みも噂される神社本庁ですが、いま一体何が起こっているのでしょうか。
今回は、コロナ禍で追い込まれている国民が、すがる思いで「今年は良い年でありますように」と願う初詣などの神社詣でを通して、この神社本庁について調べてみました。
参拝ルールを決める宗教法人「神社本庁」とは?
神社本庁ホームページには、「伊勢の神宮を本宗と仰ぎ、全国8万社の神社を包括する組織として昭和21年に設立された」とあります。
神社本庁は「庁」とありますが官公庁の意味ではなく、一般の宗教法人です。法律上では、天台宗や浄土真宗本願寺派、天理教などといった諸宗教団体と同列の地位にあります。
神社本庁は神道系の宗教団体では日本最大で、下部組織として都道府県ごとに「神社庁」があり、それぞれの都道府県にある神社を管理・指導するものです。
神社本庁は「包括宗教法人」となっています。それは、神社本庁の傘下にある神社がそれぞれ独自に宗教法人(単位宗教法人)となっているところもあり、それらの上に神社本庁が位置する関係になっている宗教法人だという意味です。
包括宗教法人に対して、傘下の単位宗教法人は「被包括宗教法人」と呼ばれ、法人格を持たない神社は「被総括神社」と呼ばれます。
少数ながら、神社本庁に属していな神社もあります。
神社本庁以外の包括宗教法人(たとえば、京都を中心に80あまりの神社を包括する神社本教など)に属する神社、単位宗教法人だがどの包括宗教法人にも属していない単立宗教法人の神社(靖国神社、日光東照宮など)、宗教法人ではないが宗教団体として活動している神社などがあります。
日本に存在するほとんどの神社が神社本庁の傘下にあると言っても、過言ではありません。
ただ宗教法人として神社本庁をわかりづらい怪しいものにしているのは、その存在の特殊性にあります。
例えば、有名な仏教の浄土真宗本願寺派と呼ばれる包括宗教法人は、京都の西本願寺を本山とし、本山は全国の同派の寺院を末寺として管理しているわけですが、親鸞という絶対的な開祖を掲げた総本山という立派なお寺が存在し、一般の人々が大勢訪れる場所が存在します。
高野山真言宗は、高野山の金剛峯寺を正式な所在地とする包括宗教法人ですが、金剛峯寺は本山として末寺である全国の同宗の寺院を束ねている、つまり金剛峯寺という実態があり、末寺と同じように一般の人々の参拝を受け入れています。
ところが神社本庁は、同じ宗教法人でありながら、明治神宮北門の外にある建物があるだけで、神社という実態が存在するわけではありません。いわば単なる事務所であって、神社本庁と全国の神社との関係は、総本社・総本宮とその末社という性格のものではないのです。
これが宗教法人と言われても“怪しさ満点”となっているのではないでしょうかね。
神社本庁の組織
組織はピラミッド構造になっていて、一番上が「神社本庁」、その下に、各都道府県に「神社庁」が置かれています。その神社庁が直接各都道府県にある神社を管理・指導しています。
・神社本庁
└・都道府県ごとの神社庁
└・各神社(被包括神社)
神社本庁のトップは「総長」と呼ばれ、全国の神職・総代から選出された評議員会となっている議決機関が、総長以下役員を選任することになっています。
現在の総長は石清水八幡宮宮司で京都府神社庁長の田中恆清氏で、田中総長は、日本会議副会長でもあります。
ここで日本会議が登場してきました。話がややこしくなりそうですね。宗教と政治との密接な関係が匂ってきますね。
政治と言えば選挙、選挙といえば票田……。業界団体や士業の団体、連合会やPTAに至るまで、人が共通の思いで集まるグループは、政党にとって政治家にとっては、どれもとても「“美味しい”票田」になります。
組織は何でもそうですが、実際の活動は、地域に根づいたところが直接行います。末端組織なんて表現がされますよね。神社の場合は「氏子」と呼ばれる信者たちを抱えている各神社(被包括神社)が、最前線に位置します。
日本は農耕民族だからか土地というものを大事にします。土地には神様が居て、その土地の神様がその土地の住民を守っているという考え方を大事にします。
神社は、その土地の神様と住民との架け橋となる存在で、住民が土地の神様に守ってもらうようにお願いする窓口のような存在となっているのです。
それが、住民と神社との絆になっていて、土地の神様を敬うことで、氏子たちは神社に集うのです。それを束ねるのが神社本庁である言うのが、組織としての存在意義があると言えます。
そこが政治的に魅力に映るのでしょうし、物流を起こすうえでも効率的に見えるのですね。
ただ、人々の土地に対する思いも変わってきて、「土地に根付く」という言葉も消えようとしていて、住民と神社との関係も、微妙に変わってきていると思われます。
神様を通じて目に見えない糸で結ばれている絆というものが弱まってきていることに、神社本庁は危惧していると思われ、ことさら日本会議に代表される今の保守を名乗る人たちは懐古主義に走り、古き良き伝統を守ることを強調して、政治政策に理念とか伝統とかの思考を反映させようとしているように思えます。
神社は、土地の神様と通じる大切な場所であり続けなければなりません。人々が神社詣でをする風習を途絶えさせてはいけないのです。
神を信じることを強要するものではないはずで、自然と心で感謝する気持ちが生まれてくるのが大事なのですが、神様は確かに存在して人々を助けてくれるものであり、その象徴は目に見える形で存在しなければならないのです。
それは誰にとって、何のために必要なのか…。謎解きのような表現ですが、その真意は、後ほど明らかになります。
神社本庁は内務省神祇院(じんぎいん)の流れ
神社本庁の主たる事務所は、明治神宮の隣にあり、かつての内務省外局の神祇院の後継的存在となっています。
内務省とは、第二次世界大戦前にあった行政機関で、地方行財政、警察、土木、衛生、国家神道など、国内行政の大半を担う「官庁の中の官庁」「官僚勢力の総本山」と呼ばれた最有力官庁です。
地方のカネ、警察組織、土木行政、宗教を一手に握るもので、すべての権力が集中していると言ってもが、過言ではありません。
今の政治を見る上でも重要なことですが、カネと情報と執行権限力と人心掌握力を握れば何でもできます。
宗教は、いつの時代でも政権と密接な関係にあり、人心掌握には宗教は不可欠であり、だからこそ、政治と宗教は分離しなければならないのです。
神祇院と呼ばれる宗教のトップと警察組織のトップが同じ人だった戦前体制を、GHQは分離させました。
憲法では、政教分離が強調されてはいるのです。
神社本庁と各神社との関係
神社本庁の役割は、各神社(被包括神社)の管理・指導にあります。
各神社は、指導を仰ぐ機会を得る(集合研修・講演参加)ため、神社の経営指導を得る(人事、宮司派遣)ために、神社本庁にお金(会費のようなもの)を納めます。
神社は、氏子と土地の神様を結びつける大事なお役目を果たすために、常に自分自身を研鑽しなければならないということなのでしょう。
この神社本庁と神社との関係は、どこの業界団体にも見られるものです。
たとえば医者と医師会もそうですが、会費を払うことで人材紹介をしてもらい、いざというときの資金融通のお手伝いをしてもらい、知識のブラッシュアップのための研修等を実施してもらう、そのために会費を納めます。ちゃんと情報提供していることを示すために、会員同士の疎通を図っていることをアピールするために、毎月会報を発行します。それはどこの業界団体も同じで、神社本庁にも、ちゃんと会報はあります。
納付金は、各神社(被包括神社)の氏子の数に応じて決められます。数千円から有名神社で数百万円になるようで、会費のようなものです。
この氏子の数は、国勢調査の人口をもとに各神社庁からヒアリングを行って決め、それを基に各都道府県の納付金額が決まります。割り振られた金額から神社庁は、管轄の各神社の規模や事情を加味して負担する額を決定する仕組みとなっています。
初詣の数がかなり多いとか、結婚式を行う人が多いなどの要素も、納付金額を決めるときには考慮されるようです。神社と言っても、社務所もない無人の神社もあれば、初詣に100万人規模が訪れる有名神社もありますからね。
これら以外に「厚意の寄付」というのもあるそうです。
一方、神社本庁にお金を払うことによる各神社(被包括神社)は、以下などの恩恵を受けられます。
・講習・講演の参加
・神道学校への進学
・神社が破産した場合などの援助
・宮司後継者不在の時の人材派遣
特に、小さな神社、後継者に困っている神社は、神社本庁から人材を派遣してくれることはメリットと感じているようです。
神社本庁の本宗は伊勢神宮
神社本庁は、本宗(ほんそう)は「伊勢の神宮」としています。
本宗という言葉はかなり特殊で、三省堂国語辞典には載っていません。仏教で言う本山に似たようなものなのでしょうが、おそらくは組織として傘下の神社を束ねる「錦の御旗」という意味合いが強いのではないでしょうか。
ただ伊勢神宮は、形式上では神社本庁の傘下の神社の1つになります。包括宗教法人「神社本庁」の組織の中に伊勢神宮は存在するかたちになっています。
かつて、神社にはそれぞれ「格」というものがありました。戦前まで近代社格制度というのがあり、全国神社は「官社」「諸社(民社)」「無格社」に分けられていました。それぞれの説明は省略しますが、伊勢神宮だけは「すべての神社の上にあり、社格のない特別な存在」となっていました。戦後、この格というものはなくなり、すべての神社は平等となりましたが、依然、伊勢神宮だけは別扱いとなっています。
神社本庁は、この伊勢神宮を本宗としたのです。
しかし、神職の進退等で、旧官国幣社や一部規模の大きな神社と一般の神社を同じ扱いにするのは不都合があるとして、「役職員進退に関する規程」において特別な扱いをすることと定めています。
その対象となる神社が同規程の別表に記載されていることから、「別表に掲げる神社」(別表神社)と呼ばれ、神社本庁は、この別表神社の神職進退等に介入するようになっています。
ちなみに神職にも派閥があります。
日本で神主になることができる大学は2つで、東京の國學院大學と、三重県の皇學館大学で、大学に行かなくても研修を受けて神主になることができます。
国学院派閥と皇學館派閥が、地域では競っているところもあるようです。採用時に下心が入るとか有利になるとかではないでしょうかね。
ここで、神社本庁の「人事」というキーワードが出てきました。これは後ほど再登場させるとして、ここからは、伊勢神宮の流れから「カネ」についての生々しい話へとつなげていきます。
ここで前出の「問い」をもう一度登場させます。なぜ各地に神社は必要で、人々が神社を詣でる風習はなくしてはいけないのでしょう?