なぜ麻雀が上手い人は「出世」が早いのか、論理的に説明しよう

将棋でもチェスでもなく、人生を戦略的に生きるために必要なのは「麻雀上級者の考え方」だ…。こんな刺激的な指摘をするのは、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者、佐藤しょ~おんさん。佐藤さんは社内の出世を「麻雀習熟度別のものの見方」に例え、わかりやすく解説しています。

自分対大勢ではなく

麻雀というゲームがあります。これは基本的に4人でやるゲームで、一人2万5,000点からスタートした点数をやりとりして誰が一番点数を増やしたのかで順位が決められます。4人でやるというところが他のゲームとの大きな違いです。将棋、チェス、オセロ、囲碁、トランプカード、ボードゲームの多くは、2人で遊ぶモノが多いんですよね。ところがプレーヤーが4人必要というゲームはあまり多くありません。

ルールの詳細はさておいて、4人で点数を競うというゲームなのだと理解したところで、このゲームで強い人と弱い人の差がどこにあるのかを考えてみましょう。私は高校生の頃に麻雀を覚えてドップリと耽溺したクチなので、初心者の域は抜けています。

で、初心者というのは自分しか見えていないんです。自分の手がどうなっている、自分の点数はいま何点ある、これしか見えていないんです。4人でやっているゲームなのに、意識の上では存在しているのは自分だけなんですね。

これが中級者に近づくと、「自分対3人の敵」という目線が生まれます。つまり相手の手の内を予想したり、彼我の点数の差を考えたりするということです。ところがここにもレベル差があって、初心者を抜け出たばかりの頃は、意識が「自分対その他大勢」なんです。3人いる敵が団子状態になって認識されているんですね。

これが段々と上手くなるにつれて、「自分対親」、「自分対トップ者」、「自分対リーチ者」という感じで3人いる敵が細分化されていくんです。そして上級者になると、「自分対A君」、「自分対B君」、「自分対C君」という3つの力関係が常に並列に存在していて、それぞれの力関係で自分がどれくらい勝っているのか、負けているのかを認識出来るんです。ゲームの途中でも、A君との点差はいくら、B君とはいくら、そしてC君との点差はいくらと把握出来るわけです。さらに彼ら一人ひとりの波の好不調と自身の波の好不調を重ね合わせて、それぞれの局面で押すか引くかを判断出来るようになるとかなりの上級者と言えるでしょう。

なぜ女は、社会参加しても家庭に入っても満足できないのか?

一億層活躍がうたわれ、女性の社会進出が進む現代。選択肢が広がり、女性の生き方はどんどん多様化しています。しかし、専業主婦を選んでも、会社で立派なキャリアを築いていても、どこか不満や迷いのあるひとは多いのではないでしょうか。そんな悩みを抱えた人のために、メルマガ『ちょめの成功脳トレ』の著者である投資家ちょめさんが、本当の成功とは何かについて、オリジナルの寓話で説明されています。

オリジナル寓話 【 2人の女 】

むかーしむかしある所に、デザイアリタという、2人の女がおったそうな。

2人とも同じ田舎町の生まれで幼馴染、片や女優として、片やデザイナーとして、夢を追い掛け一緒に都会へ。お互い励まし合って日々を懸命に過ごしたそうです。

2人の出会いは高校に入学したての頃、同じ部活に入部したのがきっかけでした。たまたま同じ日に入部届を出しにいき、同じタイミングで部活説明を聞きました。いつも明るく前向きなデザイアと、ひたむきで真面目なリタは、お互い認め合い、いつしか夢を語り合える親友として、無くてはならない存在となっていきました。デザイアは演劇部の花形女優を目指し、リタは裏方として衣装を担当しました。

3年の卒業を前にデザイアは主演女優となり、リタはデザイナーの責任者として、文化祭を大成功させ、その成功体験は2人をさらに大きな夢へと駆り立てました。

高校を卒業するとデザイアは都会の大きな劇団へ見習いとして参加させてもらい、リタは有名なデザイナーを多数輩出しているデザイン専門学校へと入学しました。2人とも厳しいレッスンや制作、生活を支えるアルバイトに疲れ果ててましたが、夢へと向かう毎日にツラさは感じず、充実した日々はアッという間に過ぎました。

その間2人にはチャンスが訪れたり、挫折したり等、様々な出来事が起こります。雑誌に載ったり、小さな賞を取ったりしましたが、なかなか大きな成功は訪れず、それでも腐らず、前向きに頑張ってればいつか必ず報われると信じ頑張りました。恋人も出来ましたが、夢の為に障害となると思い泣く泣く別れた事もありました。

2人の支えとなっていたのは、高校時代大好きだった有名な女優のインタビュー、『諦めない限り、夢は必ず叶う』という言葉で、それを胸に突き進んでました。

しかし田舎を出てから10年、28歳となった2人は、さすがに不安を覚えます

—————-そんなある日、2人に転機が訪れます。

日本で頻発する地震を次々と的中させた、早川教授の地震予報メルマガ

鹿児島湾で震度5強、アリューシャン列島でM7.8の衝撃

7月11日午前11時56分ごろ、鹿児島県鹿児島湾を震源とする地震があり、鹿児島市で震度5強(M5.3、深さ10km)を観測した。

同県を中心に宮崎で震度3の揺れを観測。熊本、長崎、佐賀でも揺れを観測している。

また、同18日午前8時34分頃には、北海道からそう遠くはないアリューシャン列島(ロシア、コマンドル諸島)を震源地とする、M7.8という比較的大きな地震も発生している。日本周辺で津波等は観測されなかったが、ここ最近発生した地震の中では規模が大きいため日本の地震活動も気になるところだ。

6月から7月にかけて九州を中心に日本全国で中規模の地震が多発しているが、これから発生すると言われてる南海トラフ巨大地震、伊豆諸島沖の巨大地震、北海道近海の大地震などは大丈夫なのだろうか?

そんな中、数多くの地震を事前に予測し発表、的中させているメディアがある。日本地震予知学会会長で電気通信大学名誉教授の早川正士氏の発行するメルマガ「【1週間前に地震を予知】早川教授の最新『WEEKLY 地震予報』」である。

時期、場所、規模を的中させている地震予測メルマガ

早川教授が3月14日に新創刊したメルマガ「【1週間前に地震を予知】早川教授の最新『WEEKLY 地震予報』」。普段は関東地方を中心に予測を発表しているメルマガだが、「その他の地域」として掲載している九州や北海道の中規模地震を今年に入って複数回当てている。下の表は、2017年4月以降に実際に発生した震度4以上の地震と、早川教授が発表した予知内容を並べたものだ。

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緑色の部分が的中した部分、黄色で示した部分は事前の予測とずれた部分になる。確率的には1/2ほどの予測が、規模、地域、時期ともに的中していることが分かる。そして、6月20日の豊後水道、7月2日の阿蘇地方など、震度5規模の大きめの地震も的中させていた。

南関東の内陸部、福井県若狭湾沖、北海道南部、伊豆鳥島・八丈島沖地震、薩南諸島など、国内で近いうちに巨大地震の発生が疑われている地域は想像以上に多い。メルマガ「【1週間前に地震を予知】早川教授の最新『WEEKLY 地震予報』」への登録は、懐中電灯や携帯ラジオ同様に「防災」の懐刀となることは間違いない様だ。来るべき巨大地震が静穏期を終えて再び大きな揺れを起こす前に、メルマガの登録をすることは自身や周りの人々を守ることに繋がるのかもしれない。

文/水 煎包(MAG2 NEWS編集部)

image by: 気象庁

たった一人で33年かけて妄想の「理想宮」を完成させた郵便配達夫

「空想」という言葉を聞いて何を思い浮かべますか? 実現しないからこそ、人々は「空想」と呼ぶのかもしれませんが、空想を実現した偉人も世界には稀に存在します。今回ご紹介するのは、当時43歳の郵便配達人が空想で創り上げた城塞のお話です。完成にかかったのは実に33年間もの月日。毎日30kmもの距離を徒歩で配達していた彼を、空想の世界の実現に駆り立てたものとは、そしてそれを実現へと導いたものとは、一体何だったのでしょうか。

何キロもの距離をひたすら歩きながら、空想を楽しむようになった郵便配達人の熱い想い

現在、年間15万人もの観光客が訪れるようになったフランスのドローム県にある城塞は、今から100年以上前の1912年に、郵便配達人フェルディナン・シュヴァル氏によって完成されました。

かつてはリヨンでパン職人をしていた彼でしたが、のちに郵便配達人となり、転勤をきっかけに移り住んだのが、ドローム県オートリーヴでした。

今では考えられませんが、当時の彼の配達業務は、すべて徒歩。毎日30kmもの距離を誰とも話さず、一人でひたすら歩いて配達をこなしていたそうです。私たちも、日常で少し悩み事や辛いことに直面した際に、一番手軽にできるリフレッシュ法は、散歩ではないでしょうか。景色を見ながら歩いていると、それまで塞ぎ込んでいた感情や、凝り固まっていた思考が少し和らぎ、別の方法や前向きな気持ちになれたりするものです。

ましてや彼は、「長い散歩」を毎日行っていた訳ですから、いろんな物事を考えているうちに、空想の世界を作り出したといっても、不思議はありません。

ある日、つまづいて転びそうになった石を拾い上げその奇妙な形に魅了されたことをきっかけに、シュバル氏は毎日仕事中に見つけた石を、初めはポケットに、そして少し大きめのバスケットに、最終的には台車を使って家に持ち帰るようになりました

image by: Wikipedia

そうして集まった石たちを、夜のうちに積み上げるという作業をひたすら毎日繰り返したのです。近所の人たちからは不審がられ職場の上司からも注意を受けたシュバル氏でしたが、彼は自身の理想宮を作り上げることをやめませんでした。

そうして33年後に見事に完成したのが、のちに「シュバルの理想宮」と呼ばれるようになった城塞です。

そのデザインは聖書やヒンドゥー教の神話などの影響も受けており、様々な建築様式を取り入れているためジャンル分け不可能とされています。各地から送り届けられる郵便物の数々に、まだ見ぬいろんな国や地域への憧れを抱いていたのかもしれません。

そして、シュバルの理想宮は1969年に歴史的建造物に指定されました。

現在、シュバルの理想宮を管理している団体に行った取材によると、シュバル氏はアートに関して何か専門的な勉強をした経験は一切なく、「全ては、ごく一般的で地味な人間が自らを盛り立てるために抱いた想像の世界に過ぎなかったが、あまりにも美しく鮮明だったため、その後10年以上も脳裏から離れなかった」のだそう。

それらを何とかして形にする作業に踏み切ったわけですが、それまでコテを握ったこともなければ、建築についての知識も皆無だった彼には、その作業は無謀以外の何物でもなかった筈。

なぜ自分にこのようなことが実現できたのか天から与えられた才能のようなものが宿っていたとしか説明がつかない」と語っていたそうです。

 

そんな彼の才能はもちろんですが、それよりも私たちの胸を打つのは、彼の生き様ではないでしょうか。

周りの人に誤解されても否定されても自分の意志を貫こうとする彼の情熱が、自身を奮い立たせ、突き動かしたのだと思います。

33年間もの間、誰からの理解も協力も得られず、孤独な作業に時間も労力も費やし、見事に完成させたシュバル氏の姿は、時空を超えて私たちの心に響くものがあります。

彼の生涯をかけた傑作を一度訪れてみたいですよね。

 

写真提供/取材協力:Palais ideal du facteur Cheval 
参考: フランス観光開発機構 
取材・文/貞賀 三奈美

【英語で読む歴史】戦後史の出発点「ポツダム宣言」を振り返る

無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』では、英語のエキスパートの山久瀬さんが、海外のメディアで報じられたニュースなどをタイムリーに解説します。今回のテーマは、日本が受け入れて今年で72年がたつ「ポツダム宣言」についてです。

受諾してから72年「ポツダム宣言」

今週のテーマは、「日本を朝鮮半島のような分断から救った『ポツダム宣言』」です。

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【海外ニュース】
We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.
The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion and of thought as well as respect for the fundamental human rights shall be established. 

訳:
我々は日本人を奴隷化し、日本という国家を破壊する意図はない。しかし、我々の捕虜に残忍な行為を行った者を含む戦犯は裁かれなければならない。そして日本政府は民主主義を復活させ、それを日本国民に徹底するための障害物を取り除かなければならない。言論や信仰、思想信条の自由、同時に基本的人権が尊重されなければならない。
(ポツダム宣言より) 

 

【ニュース解説】

夏がくると、第二次世界大戦で日本が降伏したいきさつについて毎年のように様々な報道番組が組まれます。日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏をしてすでに72年という年月が流れています。

明治維新から日本の近現代が始まったとするならば、明治維新から第二次世界大戦の終結までが77年です。

まさに、1945年8月15日は、日本の近現代史の折り返し点ということになります。

ここで改めて、第二次世界大戦がどのような戦争だったのか考えてみましょう。それは軍国主義に染まった日本とドイツ、そしてイタリアという3カ国と、その他の国々との戦いであったというのが一般的な見方です。

しかし、世界にはもう一つの対立項がありました。

それは、第一次世界大戦当時から続いていた共産主義勢力と他の国家との緊張でした。

ソ連に代表される共産主義国家は、既存の国家観を否定し、立憲君主制や議会制民主主義を労働者が主体となった独裁体制に変えて行こうというスローガンによってできあがった国家です。

従って、多くの国々は、共産主義勢力の伸張に神経をとがらせていたのです。

戦前、イギリスなどは資本主義体制を維持するためには軍国主義勢力との妥協も必要だと考えていました。

つまり、世界史的にみれば、軍国主義国家は、従来の資本主義社会から生まれた癌細胞だったのです。

ですから、癌細胞を取り除く手術のために、アメリカもイギリスもソ連という共産主義の超大国の力を借りたものの、そのことによってソ連の影響力が癌細胞を除去したドイツや日本に及ぶことには強い警戒感をもっていたのです。

そして大陸国家であるドイツでその懸念が現実のものとなりました。

ヨーロッパ戦線の最終段階でソ連がベルリンまで侵攻し、その結果ドイツはアメリカやイギリス、フランスといった資本主義勢力とソ連との間で分断されてしまったのです。

ポツダム宣言は、そうした緊張の中で、戦争を継続する日本に向けられて発信したメッセージだったのです。

ポツダム宣言は、アメリカとイギリス、そして中国の連名によって、日本に通告されましたが、その内容のほとんどはアメリカ政府内部で検討され、作成されました

すでに連合国の間でソ連の参戦の密約が交わされていたなか、本土決戦まで戦争が引き伸ばされることで、ソ連が北から日本本土に侵攻してくるリスクを想定しなければなりませんでした。

さらに日本国内での執拗な抵抗にさらされた場合の犠牲の大きさにも、アメリカは気づいていたのです。

日本は当時ソ連に戦争を終わらせる仲介を依頼していました。

もちろん、アメリカはそのことにも気づいていました。

であれば、ソ連の影響が少ない間になんとしても日本を降伏に追い込み、日本国内から軍国主義という癌細胞を取り除かなければなりません。

癌細胞の除去ができれば、日本は敵ではなく、友好国になるからです
ポツダム宣言はこのぎりぎりの段階での通告だったのです。

タカタも米国にハメられた?リコール問題に残る不可解な事実

東芝は米国にハメられた。原発買収で起きていた不可解なやり口」で、東芝がアメリカ側の官民が結託して行った隠蔽工作を見抜けず、約7000億円もの損失を計上するに至ったという衝撃事実を明かしたメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』の著者で元国税調査官の大村さん。今回は、タカタの「エアバッグ大量リコール問題」でのアメリカ側の不穏な動きに言及しています。

「タカタ」もアメリカにはめられた!

前回、東芝がアメリカにはめられたというようなお話をしましたが、実は、昨今、世間を騒がせている、タカタの破たんも、東芝と似たような経緯があるのです。

タカタは、アメリカの大量リコール問題で、現在、経営危機に陥っており、ニュースでもたびたび取り上げられているので、ご存知の方も多いでしょう。

タカタという会社は、東芝やトヨタほどの知名度はありませんが、エアバックやチャイルドシートで世界シェアの20%程度を占め、自動車安全装置の分野では世界のトップ企業であり、日本を代表する製造輸出企業の一つです。

このタカタは、2017年6月現在、約1兆7千億円の負債を抱え、経営破たんに陥っています。負債総額1兆7千億円というのは、戦後最悪です。負債額だけで見るならば、東芝よりも大きな事件」なのです。

そして、この負債総額のほぼ100%はアメリカのリコール処理から来ているのです。

経営状況は良好だったにもかかわらず、アメリカの大量リコールによって、倒産同然の状況に追い込まれたのです。

親日家を超えた「愛日家」。台湾の偉人・蔡焜燦氏90歳の生涯

自らを「親日家を超えた愛日家」と称した台湾の偉人・蔡焜燦氏が先日、90年の生涯を閉じられました。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では著者で台湾出身の評論家・黄さんが、日台友好に尽くした蔡氏の偉業を振り返るとともに、誇りを失ってしまった現代の日本人に対して「先人がいかにすばらしい歴史を築いてきたかを認識すべき」と発奮を促しています。

【台湾】日本精神を賞賛し続けた「老台北」の遺志を継ごう

「台湾歌壇」代表の蔡焜燦氏が死去 日台交流に尽力

蔡焜燦氏は、日本と台湾という二つの祖国を持つことを誇りにしていた人物です。司馬遼太郎の『街道をゆく 台湾紀行』のなかに、「老台北」という愛称で登場したことで有名であり、半導体事業で実業家としても成功を収め、日台交流促進のために日本語で短歌を詠む台湾の愛好会「台湾歌壇」代表も務め、その功績が認められ2014年に旭日双光章を受章した偉大な人物でした。

その蔡焜燦氏がついに90歳で亡くなりました。とにかく日台のために尽くした人でした。自身が起こした企業の董事長を引退してからは、日台交流の場に呼ばれることも多く、声がかかるものすべてに丁寧に対応し、会合のための飲食費をすべて一人で負担することも多くありました。日台交流促進のためには、見返りを求めず献身的に尽くす姿勢。それこそが彼の心に染み込んでいる「日本精神」の実践でした。

私は、以前から彼の調子が悪いことは知っていました。台湾独立連盟日本支部の委員長から、彼の目が悪化しており、片方の目はすでに見えなくなっているといった報告を受けていました。そして、亡くなる前日、躓いて病院に運ばれ、そのまま神に召されたということです。どれだけ病状を知っていても、この夏に台湾へ帰った折にはまた会えると思っていただけに、彼の訃報に触れた際はやはり大きな驚きは隠せませんでした。

以下に産経新聞の報道を一部引用しましょう。

蔡氏は日本統治時代の1927(昭和2)年、台湾中部・台中市で生まれた。地元の商業学校を卒業後、志願して少年航空兵となり岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊、日本で終戦を迎えた。帰台後は体育教師などを経て電子機器会社社長を務めるなどした。李登輝元総統と親交が深く、『日本語世代』の代表的存在として日台交流に尽力。自ら親日家を超えた「愛日家」を名乗った。2000(平成12)年に日本で著書『台湾人と日本精神』を出版。日本の台湾統治を肯定的に評価し、『日本人よ胸を張りなさい』と訴えた。

「老台北」蔡焜燦氏が死去 李登輝氏と親交、「日本語世代」の代表的存在

かつて李登輝氏と話をしていた際、「私よりも蔡焜燦に聞くべきだ。彼のほうが私よりも頭がいい」と言っていたことがありました。

日本のファッションは欧州より上。中国アパレルから見た最新トレンド

高齢化やファストファッションの台頭で苦境に立たされている日本のアパレル業界ですが、海外、特に中国での評価は少し異なるようです。メルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんによると、いま中国のアパレル企画会社は、パリを中心としたヨーロッパよりも、日本や韓国のデザイナーズブランドを高く評価しており、優秀な日本人デザイナーとの契約を強く望んでいるという実態を明かしています。

中国が評価する日本のクリエーション

ヨーロッパは怠けている?

中国のアパレル企画は、プルミエールビジョンとパリの市場調査から始まる。少し前までの常識が変わってきたらしい。

中国アパレル関係者曰く、「最近のヨーロッパは怠け者になった」「ヨーロッパから新しいトレンドが出てこない」「ヨーロッパは日本のトレンドを吸収してヨーロッパから出しているだけ

「ヨーロッパのコピーばかりしている中国アパレルが何を言うか」と怒る人もいるだろう。しかし、コピーばかりしているからこそ、見えてくることもある。

コピーは安易な方法だが、それでもコストは掛かる。ヨーロッパ出張して、サンプルを買い集め、コピーしても売れなければ、採算割れである。

中国アパレルもオーバーストアと同質化に悩んでいる。どのブランドもヨーロッパ商品のコピーをしているのだから、同質化は否めない。

特定のブランドをコピーするとは、そのブランドに憧れている層が存在すること。その中で、本物は高くて買いたいが、類似商品が低価格で供給されれば購入する顧客が存在することを意味する。

ブランドに対する憧れがなくなれば、それを低価格で出しても意味がない。そう考えると、中国アパレルがヨーロッパ商品に魅力を感じていないとすれば、コピー商品だけでなく、本物もまた売れなくなるかもしれないのだ。

4万例の相談からわかった「うまくいく恋愛パターン」一挙公開!

読者数約16000人の人気メルマガ『マーチン先生の恋愛教室』の著者、マーチン先生が、西暦2000年からの40,000件以上もの膨大な恋愛相談の成功例と失敗例から判明した、成功する恋愛と失敗する恋愛のパターンを、このたび総集編としてまとめています。これを読めば、男女が出会ってから親密な関係になっていき、結婚へ至るまでの上手なステップの進め方のポイントが、しっかりと理解できるかもしれません。またマーチン先生は、いま恋愛中の方が抱える「今の相手で大丈夫か」「この恋愛は成就するのか」といった迷いの悩みに対する判断基準「NGの法則」も示しています。

マーチン先生の恋愛五箇条

本物の関係を作っていくための恋愛の仕方。
カケヒキをせず、素直にまっすぐ真心を持って」それが、マーチン論の核心です。

まず、次の5ヶ条を胸に据えておきましょう。
1.カケヒキから卒業しよう
2.素直にまっすぐ、真心をもって接しよう
3.究極の恋愛術、「ありがとう法」
4.尽くすの本当の意味
5.結婚を意識してもらう方法

◆ 出会い~交際初期のポイント ◆

<行動の法則(進め方)>

どちらから誘う?

・男性女性、どちらから誘っても恋は実ります。女性の皆さん、男性に誘ってもらおうとして待ちの姿勢にならないようにしましょう。(男性はぜひ率先して誘って下さい。女性は男性のお誘いを待っています)

→これ男性の皆さんは、リアル恋愛教室のお茶会に1度でもご参加頂けたら女性の生の声が聞けてよくわかります。デートが成立している以上、次の誘いを女性は待っています。だからスパッと誘ってあげた方が良いのですよ。

2回めのデートに誘ってダメな時は「そもそもダメ」なわけです。1回めのデートで何らかの失敗をしたか、「やっぱり合わない」と思われたということで、それは待っていたら実るものではないのです! ←ここ大事だね!

何が言いたいかと言いますと、男性諸君!2回め以降のデートは誘わないと100%ソンということですよ。

そして、同じ話が女性にも当てはまります。自分が次回を望むなら「よかったら、また行きましょう(^^)」とお伝えして、翌日にでも「ところで次回ですが(笑)、○日あたりに××はどうでしょうか?」という感じで伝えたらよいですよ。

連絡を取り合う頻度は

・知り合ってから交際に至るまで。そして、交際に至ってからも毎日~1日置き程度連絡を取り合いましょう。初期に起こりやすい失敗として、会う約束をした後にそのまま何日も連絡をしない という事例が目立ちます。これをやるとお互いにテンションが下がって約束が流れたり、会えても先に進まなくなる可能性が高くなります。

→「会う約束をした後に、何日も連絡をしない」という失敗例はあとを絶ちません。交際を実らせる段階では「積み上げていくイメージ」が大事です。そのためには、約束のデートに向かって盛り上げること。それが出来なくても「盛り下げないこと」が必要なのです。放置すると、人の気持ちは盛り下がりますのでご注意を。

付き合うかの答えが出るまでの期間は?

・出会いの場で知り合った場合、初めて会ってから1ヶ月以内 に結果が出るのが普通です。当社で統計を取ったところカップルの約85%がそうなっており、これは言い方を変えると「1ヶ月以内に答えが出ない場合は実る可能性は15%」ということです。少なくとも平均週1回は会えるようにお誘いしていきましょう(トントン拍子に進む2人の場合は、平均週1.5回~2回会えます)。

→これはメルマガでよく出てくるお話ですね。スタートから1ヶ月以内に結果が出るように進めることが大事です。「1ヶ月で4~5回以上会える」のが実るパターンの法則です!

平日 or 休日、どちらに誘えば良い?

・お誘いする場合、週末にこだわる必要はありません。「来週の火曜か水曜あたり、どうですか?」とお誘いしてみましょう。順調にやりとりが出来ているなら、当日に「今日仕事が早く終わりそうなんですが、よかったらゴハン食べに行きませんか?」とお伝えしても大丈夫です。

→これ、ぜひ参考にしてくださいね!「平日誘ったら失礼じゃないかと思って」といった話を耳にすることがありますが、そんなわけがありません。無理強いしたら失礼だと思いますが、そんなことする人いないです(笑)

まずは誘ってみたらよいのです。お誘いしてダメだったら週末にしたらいい。ただ、それだけですよ。

日にちは、具体的に提案しよう

・お誘いする場合「都合のいい日を教えて下さい」とは言わないこと。「来週の○日か○日はどうですか?」のように、具体的な日程をあげてお誘いするのがマナーです。自分が誘われた場合、どちらが答えやすいか考えてみましょう。

→わかっている人はわかっていることで、出来ない人は仕事でもできていないデス。先日、僕に取材を申し込んできたある女性は、「先生のご都合の良い日をお知らせ下さい」と言っていたにも関わらず、ご都合の良い日をお伝えしてあげたら(笑)「その日は都合が悪いんです」と来ました。

こういう人って、ホントこんなもんなんですーっ! ←何度出会ったことか。
出来ない人は、どこまでも出来ないものです。そしてもちろん代案も出してこないという、お決まりの対応でした♪
初めから「○日や○日などは、どうですか?」と2つ候補をあげて提案しましょう。

男女の関係を進展させるコツ

・「男女として進展する」とはハグ→キス→エッチと関係が進むこと。進展させたいと思う時は、それができる場所に行くことが必要です。お家に誘う旅行に誘う等、デートプランを考えましょう。

→はい!これもご相談事例ではよく出てくるお話ですね。進展するように頑張る際は「それができる場所に行く」という意識で行動しましょう。これに「お付き合いしましょう」という言葉が伴って交際成立です。

相手に違和感を感じたときは?

・違和感を感じたら、そこから目をそらさないことが大切です。目をそらして延命しても、延命はあくまで延命であり必ず終わりが来ます。違和感(=問題点)と向き合って解決を試みましょう。

→「信じたいものを見るクセ」に気をつけましょう。ご相談事例では、ダメになる前から自分自身が違和感を感じていることが大半です。目をそむけても改善することはありませんので、ちゃんと現状把握&問題解決を試みましょう。悩んでしまった時はマーチン先生に相談ですよ!(笑)

敬語で会話していてもいい?

・この時期(出会い~交際するまで)に「敬語だと仲良くなれないから、タメ語にしたいんですが、どうしたらいいでしょう?」といった質問をする人がいますが、敬語のままで構いません。敬語でも十分仲良くなれますし信頼関係も築けます。大事なところはそこではないのです。

→これ、本当に「大事なところはそこじゃない」です。敬語のままで全く問題ありませんので、そのまま普通に話してください。エッチするまでは「敬語:タメ語=7:3」くらいになって混在するのが普通だと思いますよ。

いじめを解決する気のない学校に突きつけるべき「二つの文書」

いじめ被害を訴えても、学校側が本腰を入れて解決に動いてくれないというケースはままあります。そんな時、親としてはどう動くべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、いじめ解決に力を発揮する「文書」の具体的な作成方法を紹介してくださっています。

いじめ解決に向けて-文書の大切さ

先日はこのようなご相談を受けました。

「夏休みになったら学校は指導できないと言うんです。2学期が始まっても、うちの子が、学校に行けるかどうかも分からないのに。いじめに対応してくれません」

しかも、担任から、

「いったいお母さんは何をしてほしいんですかと言われたんです」

と本当にお困りのお電話でした。

「先生は教育のプロだから、いじめを相談したら、すぐに適切に対処してくれるはず」と、私たち保護者は期待してしまいます。しかし、上記のケースのように、いじめが解決されないまま時間がたってしまうことがあります。特に夏休み前などは、早急にいじめを解決しなくてはなりません。

このような膠着状態になってしまった時に「文書が早期解決への道を開くことがあります。私たちは、「いじめ被害経緯書」と学校への「いじめ解決の要望書」の2つの文書を作ることをお勧めしています。「面倒だ」とか、「そんな大げさなことまでしたくない」とおっしゃる方もおられますが、しかし、文書はいじめ解決への大きな力となります。