獣医師がコツを伝授。嫌がる愛犬愛猫を「歯磨き好き」にする方法

歯周病予防のためにもペットに歯磨きをしてほしい。でも、そもそも歯を磨く習性のない犬や猫は、歯磨きを嫌がる子が珍しくなく、悩んでいる飼い主さんも多いようです。そこで、メルマガ『佐藤貴紀のわんにゃんアドバイス』の著者で獣医師の佐藤先生が、歯磨き好きにするためのコツをわかりやすく教えてくれます。

嫌がる、犬と猫の歯磨きで必要なこと

犬や猫にはそもそもが、歯を磨くという習性はありません。人間と暮らすようになり、食べ物も良くなり。それに伴い、出てきた行為ですから、嫌なのは当然のことです。

犬猫が「虫歯になりにくい」と言われていても歯周病になりやすく、3歳以上の犬の80%は歯周病とも言われています。歯周病予防のためにも歯磨きはとても大切です。

家庭で簡単にできる方法を今週はお伝えしたいと思います。

1)歯を磨くために必要なこと。「歯ブラシ」を好きにさせる方法

まず、いきなり「歯ブラシ」を使って歯みがきをするのは、ますます歯磨きが嫌いになるので、絶対にやめてください。無理なくデンタルケアに慣れるように「歯ブラシが大好き」になるように、まずはスキンシップやコミュニケーションを交えた方法を取り入れてみてください。

まずやっていただきたいことは、おやつを握って犬の気をひく、関心を持たせるための方法の1つ「ハンドコング」の方法です。

やり方は簡単です。握った手の中のおやつを当てさせて食べさせます。その際に口や、口びるをめくることに対してなれさせます。歯や口を触らせてくれるようになれば安心です。必ず「おりこう」と褒めてからおやつを与えてください。歯を触らせるといいことがあるんだと覚えさせます。

続いて、おやつを握った手で歯ブラシを持ちます。歯ブラシに良い印象を持ってもらえるよう、口を触ってからおやつをあげてみましょう。これを繰り返すと、歯ブラシが好きになります。

2)歯磨きをしよう!!そのポイントとは?

犬や猫が、歯ブラシで遊び始めたり、嫌がったりし始めたら、すごくいいことです。下記のことを注意してみてください。

歯みがき前に散歩やおやつで遊ぶなどして、しっかり発散させてください。落ち着いてから歯みがきしましょう。最初は舐めて、一擦りだけでもOKです。そこからが1歩です。無理しないで、磨くことが一番のポイントです。

■まとめ

食べ物が良くなるに連れて、人間と同じ病菌の不安が犬や猫にも出てきています。飼い主さんが注意し、ケアしてあげてください。わからないことは、獣医師さんに聞いてください。

人間は歯がなくなっても「入れ歯」などでカバーできることもありますが、犬や猫は全くありません。食べ物が食べられなくなるだけですので、本当に注意してあげてくださいね。

image by: Shutterstock.com

子どもの成長を阻害。親が良かれと思っての先回りは「経験泥棒」

可愛いわが子が困ったり怒られたりしないように、つい先回りして障害物を取り除き、手助けしてしまう親のことを「カーリングペアレンツ」と呼ぶのだそうです。そして、そんな親の子どもは、自分自身で考え工夫する力が育たないと、注意を促すのは、メルマガ『子どもを伸ばす 親力アップの家庭教育』の著者、柳川由紀さんです。良かれと思ってしていることが「経験泥棒」となっていないか、振り返ってみてはいかがでしょう。

カーリングペアレンツは経験泥棒

Question

shitumon

これからの時代は、自己管理能力やコミュニケーション能力を持っていないと生き残っていけない、と聴きました。息子にはそういう能力を持ってほしいと思いますが、自分で何かを積極的にする、ということが苦手です。どのようにすれば、子どもが自然にそのような力を身につけるのでしょう?

柳川さんからの回答

親世代と違い、今の子どもたちの世界はあらゆるもの、コトが多様化しています。ですから、多様化する他者との協力や協働が求められるので、自分の考えや感情コントロールする力、他者とよりよいコミュニケーションを図る力が要求されます。子どもたちにそうした力を身につけさせるために、親ができること、親がしてはいけないことをご紹介します。

1.子どもの障害物を取り除く

スウェーデン生まれのカーリングというスポーツはよくご存知かと思います。ストーンが進む道をブラシでごしごしとならし、スムーズにゴールさせる競技です。

この「カーリング」になぞらえて、先回りをする親、子どもが進む道にある様々な障害物を取り除き、綺麗な道にならしてしまう親を「カーリングペアレンツ」と呼びます。

親の愛情ゆえの行動なので、親に悪気はありません。しかし、この先回り行動は「ありのままのあなたは信頼できない」と言い聞かせているのと同じです。

2.具体的な先回りとは

「明日、お習字セットが必要でしょ?硯と筆も洗ってテーブルに置いてあるから」「体操着の準備はそこにできてるから」「今日は雨が降る予報だから、傘を玄関に出しておいたから」「明日の通院、バスの時間を調べてメモしておいたから」など、本来は子どもが自分で下調べや準備をすることを全て親が、頼まれもしないのに先回りしてやってあげてしまうことです。気づかずに、あなたもやっていませんか?

3.経験泥棒

親が先回りをする環境で育った子どもたちは、多くの経験が欠如してしまいます。自分で考える経験、困難にぶつかる経験、辛い気持ち、不安な気持ちを拭い去る経験、プレッシャーに耐える経験、我慢する経験、失敗する経験などです。

これは、心理学では「レジリエンス(回復力、弾性)」と呼ばれる「折れない心」つまり、「逆境から早く立ち直り、成長する能力」(米:カレン・ライビッチ博士)を作るチャンスを奪うことになるのです。

こうした大事な経験を逸すると、我慢できない、すぐに諦める、自分で考えない、人任せ、待てない、などの状態になりがちです。

何も悟ってないさとり世代にいじめ根絶を意識させる大人の責任

「さとり世代」とは欲のない若者たちを指す言葉ですが、この若者たちの特徴は「いじめ」に対してどのような問題を引き起こすのでしょうか。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』では、「いじめとさとり世代」というテーマで、子供達の手本となる大人が示すべき姿勢について論じています。

いじめとさとり世代

さとり世代という言葉がある。物欲が少なく、無駄な努力をさけ、人間関係も無理に広げず、ほどほどの生活で満足する。そんな若者の気質を表す言葉である。過度に欲しがることはせず、現状を受け入れ、さとりきったような生活スタイルということで呼ばれるようになっている。立身出世を目指すコースに見通しが立たず不況の中でもそこそこの豊かさの中で暮らせるそういった時代背景がさとり世代を生んだと言われている。

ではさとり世代は学校の中では、どのような生き方をしているのだろう。そこにはスクールカーストの中、いじめをなくそうと努力するわけでもなくいじめの被害者を冷ややかに眺めるといった子供たちの姿があるのではないだろうか。また真面目に努力することに対し、「意識高い系といった冷やかしと敬遠の目を向ける姿もあるかもしれない。

スクールカーストの由来となっているインドのカースト制では、生まれたときからバラモン、ヴァイシャ、クシャトリア、スードラといった身分が決まっている。そしてカースト制に基づく差別は現代でも続いている。

しかしインドの釈尊は、「人の貴賤は生まれによって決まるのではなく行いによって決まる」そう語り、カースト制を明確に否定している。

スクールカーストを超え努力する生き方の価値に目覚める。さとり世代と呼ばれる若者たちがそんな生き方をするならば、さとり世代という言葉は、あきらめるという意味ではなく本当の意味で使われたことになるだろう。

それは若者たちに、努力によって人生を切り拓く人たちの姿を見せることから始まるのではないだろうか。努力によっていじめをなくそうとする姿を見せることが大切なのではないだろうか。

それに対し冷やかしや時には敵意を向けられることもあるかもしれない。しかし釈尊は語った。「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいないのである」

いじめをなくすために努力を続ける人たちの姿は、いじめで苦しむ子供たちの希望の光であることを忘れずにいたい。

守矢光児

image by: Shutterstock.com

現役教師が問う。不登校の子一人救えぬ学校の存在は正しいのか

多くの学校が抱えている、子供の不登校問題。その原因はさまざまであり、簡単に解決できることではありませんが、ただ子どもたちが学校に「不適応を起こしている」だけなのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、「学校自体が社会に不適応を起こしているのではないか」とし、学校教育の現状に警鐘を鳴らしています。

学校の不適応

不登校は問題である。問題とは、解決できなくて困るということである。逆にいえば、困っていないこと、将来的にも困りが予想されないことは、問題とはいえない。

誰が困っているのか何に困っているのか

この辺りの焦点がずれると、不毛な議論になる。

子どもが学校に不適応を起こしているこれは学校から見た問題である。子どもが学校に適応できるように、どう工夫しましょうということが「問題」になる。

学校が自分子ども自身に不適応を起こしているこれは子どもから見た問題である。学校に自分は適応できるのか、またそうすべきかということが「問題」になる。

さて、見方を変えたが、もう一つ、この議論には前提となる事柄がある。それは学校の存在は正しいという大前提である。

こういう大前提を考え直そうと言うと、反発を食らいやすい。そういうことは「当たり前」のことであり、考えること自体が不快なことだからである。

学校の存在は、正しいか。正確には、現在の実際の学校教育の在り方は正しいか、である。それも、社会に対しての在り方である。

子どもが学校に不適応を起こしている以前に、学校が社会に不適応を起こしている点があるのではないか。

学校の今の教育の在り方は社会の要請に合っているといえるのか

例えば「みんなで揃えましょう」ということは、社会でどう生かされているのか。テストの点数の平均点や成績の評定は今の子どもたちが大人になる頃にどれぐらい生きるものなのか。学校教育の枠の中できっちりやれることが、変化の著しいこの時代に、逞しく生き抜く力を育むことにつながるのか。

学校教育におけるこの手の疑問を挙げていくと、枚挙に暇がない。

さて、そんな疑問を抱くのは、一部の特異な人間かというと、そうでもない。恐らく、かなり多くの人が感じてはいることである。学校の意味ないと思うことあるあるとして、お笑いやネットの悪口掲示板等のネタになることもしばしばある。しかし、特に学校関係者は、言わない。

なぜか。内部で叩かれるからである。学校における今までこうしてきた何にも勝る最強の存在価値である。

更に言うと、自己否定にもなる。ここまで積み上げてきた先人の実績を否定することにもなる。誰よりもお世話になってきた、この学校教育を否定することにもなる。

それでも、今の調子だと、子どもたちは、社会の求める姿には育たない。基本の成功ロールモデルがどうしてもやっぱり高度経済成長期のままなのである。「我慢」や「揃える」「指示通りに動く」「決められた正解を答える」等の能力は、「24時間働けますか」の時代に求められた能力なのである。

ここが変わらない限り、社会に求められている自主的で個性的な人間は残念ながら育たないと思われる(そもそも公教育というのは個性を育む場ではない、という議論は一旦脇に置いておく)。特に「天才」タイプは育たない。不適応を起こしている子どもの中には、いじめ等が原因ではなく、学校教育に意味を見出せない子どもも含まれているはずである。

だとしたら、学校現場が変わるしかない。子どもの見方一つとっても、学校の在り方は変わるはずである。

目の前の子どもは、学校教育の中の当たり前の何に苦しんでいるのか。その「当たり前」はその子どもにとって本当に必要か。例えば、そんなことを問うだけでも、変わる部分があるはずである。

できることから、地道にやっていきたい。

image by: 7maru / Shutterstock.com

実はキリマンジャロは「キリマ」と「ンジャロ」で切ることが判明

普段、何気なく使っている言葉、そのまま使っても間違いというわけではありませんが、正しい使いなど、本当の意味を分かっていない言葉が意外と多いのをご存知でしょうか。今のままでも不自由はないけれど、正しく使えたら日々が少しだけ楽しくなりそうですね。ここでは無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』の著者・須田将昭さんがリサーチした、いくつかの言葉の「正しい使い方」をご紹介いたします。知っていて損はありませんよ。

どこで切りますか?

先日、ラジオを聞いていましたら、ヘリコプターは、ギリシャ語のヘリックスとプターが語源だから、ヘリで切らずに、ヘリコとプターで切るのが正しいのでは? という、ちょっと面白い話題が出ていました。

ウィズダム英和辞典第3版を見てみると、

<hel・i・cop・ter

helix(らせん)pter(翼)>

となっていました。

英語の音節どこで区切るのかは非常に難しい問題で、辞書によって見解が異なるのはざらです。念のため、リーダーズ英和辞典も引いてみましたが、おなじ分け方でした。このわけ方を見ている限りでは、ヘリとコプターで日本人が分けて言っても問題なさそうです。

これは、元の言語の分け方を見ても違わないパターンですが、日本語ではそう分けるとは思えないものもあります。

アフリカ大陸の山キリマンジャロは、コーヒーの名前でもあり、耳にする機会も多いですが、キリマンと呼ばれることもありますね。しかし、本来はスワヒリ語

<キリマ(山)+ンジャロ(白)>

が由来と言われていて、それだと、キリマンで切るのは中途半端なイメージですね。これはまあ、日本語には「ん」で始まる音節がないことや4拍の方が落ち着くという特性が災いしたと思われます。

日本語の熟語でも3文字のものが、どこで切れるかは意外に難しい時があります。

  • 無責任、不公平、未完成、非常識

など、否定の意味のある文字が最初にある時は

  • 1字+2字

と言えますが、そうと決め付けると、

  • 未亡人

なんて言葉で困りますね。「未+亡人ではありませんね。「夫が亡くなったのに未だ亡くなってない人」ですから、分けるなら「未亡+人」です。

※なかなか酷い意味合いがありますが、今はそういうニュアンスはなく、相対的に見て、価値が上昇した語と言えます。

「農作物」も、「作物(さくもつ)」」という語に引きずられて「農+作物」と分けたくなりますが、辞書を見る限りでは「農作+物」です。意味では「農耕により出来たもの」だからでしょう。

語の成り立ちを知るために切ってみると意外にいろんなものが出てきますね。

image by: shutterstock.com

「結婚指輪を外せ」はパワハラか。裁判所が下した「意外な判決」

概念としてすっかり定着し、さまざまな解決策も取られるようになった「パワハラ」ですが、どこからがパワハラに当たるのかといった線引については様々な解釈があるようです。今回の無料メルマガ『「黒い会社を白くする!」ゼッピン労務管理』では著者で特定社会保険労務士の小林一石さんが、過去の裁判事例を踏まえつつ、どういったケースがパワハラと認定されるかについて解説しています。

「結婚指輪をはずせ」はパワハラになるのか

逆差別」というのが問題になることがあります。例えば、会社での「男女差別」。最近は、女性の役員も増えてきましたが男性に比べるとまだまだ少数です。それは、男性が女性より能力が高いからではなく、会社においての男女差別が1つの原因になっていると言われています。

そこで、女性の役員を増やす目的で男性と同じレベル、もしくは多少低いレベルであっても女性を役員にしようとする会社が出てきました。そうなると、今度は男性に対する差別逆差別)になってしまう可能性があります(これはそのようにしている会社が問題であるという意味では決してありません。会社の状況や目的によっては必要な場合もあります)。

これと似た状況が(逆差別ではありませんが)パワハラ問題にもあります。これは最近、私もご相談をいただくことが増えているのですが、「パワハラと言われるのを恐れて上司が部下を厳しく指導できない」「部下が何かとそれパワハラですと言ってくる」という問題です。これはもしかしたらみなさんも経験があるかも知れません。実質的なパワハラがあればそれはもちろん問題ですが本来はある程度厳しく指導すべき場面でもそれができないというのであればそれも問題です。

では、どのようなことがパワハラになるのでしょうか。それについて裁判があります。

ある電力会社で、長時間労働や上司からのパワハラが原因として社員がうつ病にかかり、自殺しました。その遺族が労災申請をしたところ、申請が却下されたため、裁判所に訴えたのです。

そこで問題になったのがパワハラの内容です。その社員は、上司から「主任失格」「お前なんかいてもいなくても同じだ」「目障りだから結婚指輪をはずせ」などと、厳しく叱られていました。これを遺族はパワハラであると主張をしたのです。

では、この裁判はどうなったか。

遺族が勝ちました。労災であると認められたのです。ここでのポイントの1つが「結婚指輪をはずせという上司の発言もパワハラとして認められたということです。具体的には裁判所は以下のように判断をしました。

  • 上司は感情的に叱責し、かつ結婚指輪を身に着けることが仕事に対する集中力低下の原因になるという独自の見解に基づいて、指輪をはずすように命じた。これらは、何の合理性もない、単なる厳しい指導の範疇を超えたパワハラと認められる
  • 叱責や指輪をはずすように命じられたことは、一回限りではなく継続して行われており、(社員に)大きな心理的負担を与えたと認められる

いかがでしょうか。「そんなこともパワハラになるのか」と思われた人もいるかも知れませんが、「そんなことを強制しているからパワハラになるのです。

逆に、厳しい言い方(叱責、指導)がすべてパワハラになるわけでもありません。例えば、厳しい指導で部下がうつ病になり自殺したという裁判では、部下が経理上の不正をしておりそれを止めさせようとしても中々止めなかったため指導が厳しくならざるを得なかったとして、パワハラが認められませんでした。

また、別の例では病院での厳しい指導をミスが人の命にかかわる場合もあり厳しく指導することにも必要性がある」としてパワハラとは認められなかったという裁判もあります。

パワハラかどうかの判断は言い方が厳しいかどうかよりもその内容が問題なのです。みなさんの周りはいかがでしょうか。

image by: Shutterstock.com

恥ずべきは認知症を恥じる心。母の介護の支えになった、父の言葉

認知症を自宅で介護する家族の大変さは、想像を絶するものがあります。しかしただ大変なだけでなく、そこから学ぶことも多いとも言います。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、認知症の母を20年間にわたり介護し続けた詩人の藤川幸之助さんが、その間の心の支えとなった「父からもらった言葉」を紹介しています。

介護に悩み苦しまないで──詩人・藤川幸之助さんが語る

認知症になった母の介護に20数年間携わりながら、珠玉の詩を紡ぎだしてきた詩人・藤川幸之助さん。

最新号「語らざれば愁なきに似たり」では、藤川さんに壮絶な介護体験そこから得た介護の本質人間が生かされていることの尊さを語っていただいています。


母が認知症になった30年前には、病気への理解がまだ進んでいませんでした。認知症の家族を人目につかないよう家から出さないという家庭もありました。

でも父は、「何が恥ずかしいものか。俺が愛して愛して結婚したお母さんだぞ。病気が心臓、肺にくる人がいるようにお母さんは病気が脳にきただけだ」と、いつも母の手を固く握って散歩に出ていました

認知症の母がどうやって散歩するかというと、がに股で歩きながら数分ごとに立ち止まり「あー、あー」と声を上げ、人とすれ違えば誰構わず触ろうとする。二人の散歩についていく時私は恥ずかしくて仕方がありませんでした

ある日、散歩中に小学生くらいの子供が足元の小石をぱっと拾って、「ばーかと言いながら母に投げつけ逃げていったことがありました。

いつものことなのでしょうか、父は母に寄り添ったまま堂々と歩き続けましたが、私はかっとなってその子を追いかけようとしました。すると父は、「病気を知らない子を叱ってはだめだと私をこう諭してくれたのです

「あの子よりも問題があるのは幸之助だ。おまえはお母さんのことをいつも恥ずかしがっているだろう? がに股で歩こうが、あーっと声を上げようが、それはおまえの母親が認知症を抱えながら必死に生きている姿なんだぞ。息子のおまえにはそれが分からんのか」

認知症になっても人間はその時その時を必死に生きている。父の言葉を思い出すと、いまでも涙が込み上げてきます。この言葉が後に母の介護に向き合うことになる私の心を支えてくれました。

image by: Shutterstock.com

なぜ、「ズボン」と言う客に「パンツ」で返してはいけないのか

悪気は決してないのに、お客様に不快な思いを抱かせてしまう…。そんな接客行為の1つに、「言葉の訂正」があります。今回の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』では、著者で接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、ご自身の過去の失敗例をあげつつ、なぜその接客が好ましくないのかを解説しています。

言葉を訂正する販売員

接客販売に限らず、物を売る仕事の場合、商品知識を増やすことは、とても良いことです。ただ、人というのは面白いもので、覚えた商品知識を披露したいがために接客をしてしまう人もいます。特に、販売を始めたばかりの頃に多いのですが、これはお客様にとって、非常に厄介な販売員になってしまいます。

白状すると、私もそんな時期がありました。15年ほど前に、洋服の販売の仕事を始めた頃、それはもう、毎日新しく得られる知識が面白くて面白くて、商品知識を得るために必死に勉強していました。

「この部分は、ゴージって言うんだな」
「ズボンじゃなくて、パンツって呼ぶんだな」

メンズの洋服だったため、そういったウンチク的な知識もたくさん必要だと思い、それはもう勉強に励んだものです。

しかし、自分が楽しむ分には良いのですが、お客様に、それを披露し出したことがありました。もちろん、商品知識を持って、お客様に適切な情報を伝えるのには、非常に良かったのですが、時として、お客様のことを考えずに話をしてしまっていたことがあります。

その最たる状況が、「お客様の言葉を勝手に言い換えてしまっていた」ことです。目の前のお客様が、「ズボンを探していて」と言っているのに、「パンツをお探しなんですね」。「って扱い難しいよね」と言っているのに、「レザーは確かにそうですね」、みたいな。他にも、知識として仕入れた情報を、さも自分の方が知識があるかのように見せたくて、言い換えてしまっていたわけです。

ですが、お客様からすれば、それは、「知識のある販売員に接客されたから嬉しい」というよりも、「いちいち自分の言葉を訂正してくるやつ」にしか見えません。極端な話、バカにされているような気になるお客様だっていることでしょう。それくらい、お客様の気持ちを考えていない行動だったのです。

お客様の気持ちを考えるなら、「ズボンを探している」と話してくれるお客様なら、「ズボンをお探しなんですね」、「革物って…」と話してくれるお客様なら、「革物はですね…」と、お客様の言葉に合わせて話をすべきでしょう。特に、専門知識の多い商品販売だと、こういう現象は起こります。

お客様が望んでいる、そういう言葉を求めているという状況なら良いのです。しかしそうではないのに、ただ自分が覚えたことを披露したくてやってしまうというのは、誰も得をしない状況になってしまいます。覚えた知識や言葉を披露したいがための会話になっていないか、常日頃から、お客様の気持ちを考えて話をしたいものです。

今日の質問です。

  • お客様が使う言葉を、専門知識や用語に言い換えてしまっていることはありませんか?
  • 自分がそうされた時には、どんな気持ちになりますか?

image by: Shutterstock.com

「玉ねぎ男」は絶対に許さない。韓国市民のクールなデモの繋ぎ方

文政権が不正疑惑にまみれた「玉ねぎ男」ことチョ・グク氏を法相に強行任命して以来、チョ氏を糾弾するデモと、逆に擁護するデモとが同程度の勢いを保持し連日のように行なわれている韓国。そこには、日本で見られるデモの光景とは違う風景があるようです。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴31年の日本人著者が、あえて「韓国は、デモがクール」だと表現しその理由を解説しています。

熱い民族。デモする民族

韓国は今、大規模市民デモが華やかなりし時である。2つのデモがある。

1つは、ヂョ・グク氏を支持するデモであり、1つはヂョ・グク氏を糾弾するデモである。まったく反対方向のデモが連日とまではいかないけど、3日に1度くらいの割合で行なわれている。しかもその規模がまたすごい。

ヂョ・グク氏を支持するデモは200万人という発表があるかと思うと、ヂョ・グク氏を糾弾するデモは300万人という発表。実数のほどは両方ともよくわからない。警察も把握していないもようだ。

しかし、ニュースの画面で日本でも伝えられているかと思うけど、あの2002年のワールドカップのときよりもすごいことは一目瞭然だ。見物というしかない。

ヂョ・グク氏については、本メルマガ(「日韓関係さらに悪化必至。『玉ねぎ男』の法相任命がもたらす窮地」)でも書いた。現在は、彼の妻ジョン・ギョンシムが検察の取調べをうけているという状況である。妻ジョン・ギョンシムの調べの結果がどう出るのかは今のところわからない。どうもあまり芳しい結果が出ないんじゃないかと世間では騒がれている(つまりお縄となるような決定的な証拠がつかめずにおわるんじゃないかということ)。

娘の表彰状偽造に使われたと疑われるノートブックが見つからないようだし、娘の表彰状偽造に使われたと疑われるノートブックが見つからないようだ。当然本人のジョン・ギョンシムがどっかに隠しているわけだけど、証拠物件がないことには、検察としてもにっちもさっちもいかないわけだ。

とにかく、ヂョ・グクという男は、法学部の教授だけあってありとあらゆる法の抜け道を利用して自分には罪が降りかかってこないようにしてあるようだ。この人が今法務大臣としての任命を文大統領から受けたのだ。なぜこのものを法務大臣にしたかというと、前々から韓国の検察改革について本を書いたりしゃべったりしていてそれが文氏の心をつかんだらしい。同じ釜山出身というのもあるのかもしれない。

韓国の検察のどこをどういうふうに変えたいのか、筆者には今のところわからない。韓国の検察には、どうも強圧的な部分があるらしい。そんなところを改革しようっていうのだろうか。

でも、検察ってところは、悪を取り払うのが目的の部署だから、悪に対してはあくまで強圧的でもいいんじゃないのかと筆者などは素人考えとしてはあるんだけれど。文大統領の就任期間中にやりたいことのうち重要な柱の一つがこの検察改革であるらしい。それを推し進めるにふさわしい人間がこのヂョ・グクという人間のようだけど、彼の所属するソウル大の学生でさえ、ヂョ・グク反対デモを最初にやったくらい、このものは偽善者としての烙印を大々的に押されている人間だ。こういう人間を法務大臣にするってこと自体、正気じゃないとわたしには思われる。