缶ビールに泡を立てろ。「ドライ頼み」の脱却に成功したアサヒビールの大逆襲

かつて「この味、辛口。」のキャッチコピーで一世を風靡したビール業界の雄「スーパードライ」ですが、その後は「発泡酒」や「第三のビール」が台頭し、一度は奪ったビール系飲料シェア首位の座もキリンビールに奪われてしまったアサヒビール。そのアサヒが起死回生の一手として今年の春に送り込んだのが居酒屋のビールみたいに泡の立つ「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」でした。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)」では、アサヒがコロナ禍で飲食店の酒類販売休止が続く中、社運を賭けてのぞんだ新商品投入の舞台裏に迫ります。

新時代の幕開け!アサヒビールの戦略に迫る

4月上旬。東京・目黒区のスタジオに現れたのは、俳優の菅田将暉さんと中村倫也さん。人気絶頂の二人が臨んだのは新しい缶ビール「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」のCM撮影だった。

その蓋は、フルオープンのスタイルになっている。蓋を開けると泡がどんどん出てきて、缶なのに生ビールのような新感覚のビールだ。二人はその様子を見ただけで大興奮。二人とも飲むのはこの日が初めてだそうだ。

去年12月、アサヒビール本社で行われていた新商品の発売を決める最重要会議。そこに社長・塩澤賢一の姿もあった。一人一人に配られた完成目前だった生ジョッキ缶の試作品。店で飲む生ビールのような味わいを目指したこれまでなかった缶ビールだ。ピリピリした空気の中、自社商品にもかかわらず絶賛の声が次々と上がり、発売が正式に決定した。

「本当にワクワクしてもらえると思いますし、ほとんどの方に『試してみたい』と思ってもらえるのではないかと想像しています」(塩澤)

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今年1月には記者発表。アサヒはこれに社運をかけている。実は今、アサヒはライバルとの競争の中にあって土俵際に追い詰められていたのだ。

その歴史を紐解くと、昭和の時代は業界万年3位。「夕日ビール」などとやゆされたこともあった。大手4社では最後発のサントリーにも追い上げられた。

「毎年毎年、売り上げが下がっていく、この会社、このままで大丈夫なのかな、と」(塩澤)

そんな中、起死回生のメガヒット商品が生まれ会社を救う。1987年発売の「スーパードライ」だ。当時のトレンド、「苦味」から離れ、「辛口」を売りにすると、これが受けた。かつてない「キレのあるビール」は消費者の心を捉えた。そして1998年、アサヒはキリンを抜き、ビール業界売り上げトップに立つ。CMには村上龍も引っ張り出された。

しかし、「スーパードライ」頼みの天下はずっとは続かなかった。2000年代に入ると手頃な発泡酒や第三のビールが台頭。「スーパードライ」の販売量は減り続け、さらにコロナショックが追い打ちをかけた。アサヒは去年、11年ぶりにビール系飲料のシェアでキリンに首位の座を明け渡したのだ。

逆襲を期し、コロナ禍の家飲みも意識して世に送り出すのが生ジョッキ缶だった。

茨城・守谷市のアサヒグループ研究開発センター。湧き上がってくる泡は、開発担当の古原徹を中心に生まれた。そこには発想の転換があったと言う。

「缶ビールは泡を立てないことが品質上は良好なんです。泡を立てることが今までの開発の考え方と180度違うので、どんな技術を使えば泡立ちができるのか、開発の初期段階ですごく苦労しました」(古原)

泡が生まれる秘密は缶の内側にあった。特殊な塗料を焼き付け、細かい凹凸を作ったのだ。通常の缶にフルオープンの蓋を付けて開けても泡は湧き上がってこない。しかし、生ジョッキ缶は開けてしばらくしても泡が湧き上がり続ける。蓋を開けた時に発生する泡が凹凸に触れて増殖、より多くの泡になるのだと言う。

開発にかかった時間は実に4年。古原は凹凸の数や大きさを試し続け、40回以上の試作を繰り返し、最高の泡立ちにたどり着いたのだ。

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性暴力や拷問、虐殺も。タリバン報道の裏で進行するアフガン以上の悲劇

収束の見えないアフガン情勢が連日大きく報じられていますが、アフリカ東部に位置するエチオピアが大混乱に陥っているという事実をご存知でしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、内戦状態にあるエチオピアの現状と複雑に絡んだ各国の思惑を解説。さらに今後その緊張が高まった場合には、周辺地域を巻き込んだ国際紛争に発展しかねないとの懸念を示しています。

 

アフガンだけじゃない。世界を揺るがす“もう一つの国内紛争”と国際情勢の裏側

国際社会がタリバンによるカブール陥落とその後のアフガニスタン情勢の混乱に驚く中、よく似た状況が遠く東アフリカの地で進行しています。

それはHorn of Africa(アフリカの角)と呼ばれる東アフリカの要の位置にあるエチオピアです。東京オリンピックでエチオピア出身の長距離ランナーたちが快挙を成し遂げて歓声を集めているころ、エチオピアの人たちは非常に残虐な争いの真っただ中で苦しむという状況でした。

昨年11月4日に勃発した政府軍と北部ティグレ州の武装勢力TPLFとの間の武力紛争は、11月29日にティグレ州の州都メケレが政府軍によって陥落し、TPLFのリーダー、ゲブレミカエル氏ほかが山中に逃げ込んだことで、終戦を迎えたと思われていました。

しかし、逃亡前にゲブレミカエル氏が言い残したように、「TPLFは決して停戦など行わず、最後の一人になるまで政府およびアビィ首相の横暴に抵抗する」という言葉はその後現実化しました。

ゲリラ的な戦いを繰り返してメケレを奪還したTPLFは、リーダーであるゲブレミカエル氏が大けがを負うという事態に見舞われましたが、勢いを取り戻し、2021年6月以降、政府軍への反攻を本格化させました。

6月にはコロナ理由で遅れていた総選挙が行われ、アビィ首相率いる繁栄党(Prosperity Party)が圧勝し、盤石の勢力基盤を手に入れたと感じた政府は、TPLF掃討作戦を再開し、その後、各地で非常に激しい戦闘が繰り広げられています。

その結果、各地で政府軍そしてTPLF双方による人権侵害行為が繰り返されており、多くの犠牲者が出ている模様です。

6月以降の戦闘で情勢が大きく変わったのが、TPLFが息を吹き返し、ティグレ州の支配を取り戻したことを機に、アムハラ州およびアファール州に駐留していた政府軍と州軍を駆逐し、あと少しで首都アジスアベバに到達する勢いです。

ここ最近は、アビィ首相に近く統率力が高いと言われる首都近郊の政府軍と、TPLFに打ち負かされたアムハラ州の州兵が協力してTPLFの侵攻を食い止めているとの情報がありますが、そこにアムハラ州の拡大主義勢力が第3の勢力として、政府軍およびTPLF双方に戦いを仕掛けているらしく、ここにきて情勢が緊迫し、非常に複雑化しています。

電話やインターネット回線という情報インフラが、政府によって意図的に遮断され、北部ティグレ州をはじめ、TPLFが奪還したと言われているアムハラ州やアファール州でも情報発信が妨害され、かつ国内外のメディアのアクセスも政府軍が阻止しているせいで、伝えられる情報はほとんどアビィ政権側(とその仲間たち)の見解や主張ばかりであり、TPLF側の主張やアビィ政権に反感を抱く勢力側の情報が伝わらないため、なかなか実情が掴めないのが事実です。

 

遅すぎた日本の自衛隊機アフガン派遣。決心のできぬ政府が国を滅ぼす

アフガニスタン情勢を受け日本政府は23日と24日、航空自衛隊の輸送機3機を現地に派遣しました。これに対し「10日以上遅い」とその決断と実行の遅さを指摘するのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんです。その言葉どおり現地は既に混迷を極め、日本人とアフガニスタン人協力者を輸送機に迎え入れるのが困難になっていると伝えられます。小川さんは、法的にも部隊にも機材にも問題がないのに首相が「決心」できないのは、官僚の知識不足のせいと過去の例も紹介し解説。一事が万事緊急事態に対応できない現状では、国が滅んでしまうと最大級の警鐘を鳴らしています。

首相が「決心」できないと日本は滅びる

ようやくと言いましょうか、航空自衛隊の輸送機がアフガニスタンに向けて出発しました。

「政府は23日、イスラム主義勢力タリバンが全土を掌握したアフガニスタンから邦人らを退避させるため、航空自衛隊のC2輸送機1機をアフガン近隣国に派遣した。24日にもC130輸送機2機を出発させ、アフガンで働く国際機関の日本人職員のほか、日本大使館や国際協力機構(JICA)が雇用する現地職員らを近隣国に移送する。(中略)

 

C2は、拠点となる近隣国まで隊員らを運ぶ。空自小牧基地(愛知県)所属の2機のC130が、拠点とアフガンの首都カブールの国際空港とを行き来して邦人らを退避させる」(24日付 読売新聞)

何回も申し上げているように、危機管理の要諦は「必要なことを適切なタイミングで行う」ことにあります。それを前提にすると、アフガンの政権が崩壊した12日の直後のあたりでは現地入りしていなければならず、そこからすると10日以上も遅いことになります。派遣された自衛隊には何の問題もありません。いつでも出発できる態勢にあったからです。むろん、外国の旅客機をチャーターして現地に向かわせることも簡単にできたはずです。

ここで厳しく問われなければならないのは首相官邸の機能不全です。法律的にも派遣できる、部隊は待機している、機材も整っている、現地も一定の安全確保ができている。それなのに10日以上も遅れてしまったのは、首相官邸をはじめとする日本政府には「決心」ができないからです。

この「決心」とは、自衛隊や世界の軍隊の指揮官教育で叩き込まれるもので、敵の大軍が迫ってきているといった目の前の緊急事態に対して、いかに素早く、正面突破、迂回攻撃、退却などを的確に選択し、味方の損害を最小限に抑え込みながら戦うか、という点に主眼があります。世界のビジネスパーソンの教育でも重視されています。

どうして首相官邸は条件が整っているのに迅速に自衛隊機やチャーター機を派遣できなかったのでしょうか。意外かも知れませんが、首相官邸に航空機の運用についての基礎知識を備えた人材が配置されていないということに尽きるのです。だから、首相に適切なタイミングで「決心」してもらうことができなかったのです。

ウーバー配達員が明かす、地蔵仲間の意外な“月収金額”と台風の配達ウラ事情

メルマガ『ジャンクハンター吉田の疑問だらけの道路交通法』に届いた相談をきっかけに、女性タクシードライバーから紹介された現役ウーバーイーツ配達員にインタビューする機会を得た交通ジャーナリストの吉田武さん。前回の記事『ウーバー配達員が明かした「マクドナルドへの苦情」で得する裏ワザと過酷な配達事情』では、吉田さんは同じウーバー配達員から、マクドナルドで注文した商品が冷めていたとき等に苦情を出す時の裏技や、過酷な配達事情について聞き出しました。そして今回も同配達員が、ウーバー地蔵仲間が経験したという“事故”や、自らの月収、そして配達員が足りない状況に陥った場合のウーバー裏事情についても明かしています。

※本記事は有料メルマガ『ジャンクハンター吉田の疑問だらけの道路交通法』2021年6月25日、7月2日、9日号の一部を抜粋したものです。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

ウーバー配達員に聞く、地蔵仲間の“事故”と「高収入」と台風配達ウラ事情

今回も、女性タクシードライバーのFさんから紹介して頂いた、ウーバーイーツで自身の電動自転車を使ってフードデリバリーをしているという清水さん(下の名前はNGとのこと)から、配達する側からの目線で交通状況など含め忌憚なく伺ってきた。

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吉田:で、地蔵待ちして知り合った同じ配達員の地獄を味わったエピソードとは?

清水:ウーバーイーツ始めて1カ月経った頃、自転車での配達時に散歩中の犬を後輪で踏んづけてしまったと。

吉田:なんかエグい話になりそうですが……。

清水:どうしても配達先を探すのにスマートフォン片手にキョロキョロするのがフードデリバリーあるあるなんですけども、それを自転車走行中にやってしまったんですね。

吉田:つまり走行中にスマフォを見ながらってわけですね。

清水:はい。完全にアウトです。リードで首輪された状態で散歩していたポメラニアンが歩道でゆっくり走行中ではあったものの、突然吠えて彼の自転車へ向かってきたそうで、前輪にリードが絡まってしまい、そのまま転倒しそうになったところ、後輪でポメラニアンの首部分を踏んづけてしまい……。

吉田:そのポメラニアンのケガの状態は?

清水:ほぼ即死だったみたいです。首の骨を思いっきり自転車の後輪で踏みつけてますから飼い主さんはその場で大泣きしてしまい、動物病院へ行くも助からず……だったと。

吉田:エグすぎる話ですなぁ……。過失割合はどうなったんです?

清水:彼は自転車の保険加入しておらずだったことで100%悪いので補償することに。

吉田:犬は周りを気にせず今回のように突然飛び出す”可能性”もあるわけで、本来ならば事故として現場検証してもらえば100%の過失扱いにはならなかったと思うのよね。

清水:それはなぜですか?

吉田:彼がスマフォ見ながら自転車を運転していたのは大きな過失かもしれないけど、飼い主はポメラニアンのリードをしっかり短めにして持っていれば防げた事故ではないかと思えるんですよ。状況見ていないからなんと言えないけど、飼い主側も飛び出すことを常に予測する=想定していないと散歩させてはダメなんですよ。僕の家でも犬を飼ってますけど、当然突然の飛び出しの可能性はゼロだと思ったことはないですからね。

清水:飼い主側にも注意すべき義務があるってことですか?

吉田:もちろんです。飼い主さんの愛犬ポメラニアンは本当に気の毒だけど、突然吠えて自転車の前に飛び出してしまったわけで、そこに飼い主側の過失が発生する。これがウーバーイーツの配達員ではなく高齢のお年寄りが運転している自転車だったらどうなったと思いますか?

清水:間違いなく転倒して骨折の1つや2つしているでしょうね。

吉田:そこなんですよ。今回はスマフォ見ながらで彼への過失が大きいのは仕方ないけども、清水さんもいつ何時自分自身に散歩中の犬が飛び出してくるかなんてわからないし、その可能性は十分秘めていますからね。

清水:では仮にゆっくりと歩道を徐行運転しながら犬が飛び出してきて接触してしまった場合はどうなりますか?

吉田:事故の主たる原因が犬の飛び出しと判断されれば過失ゼロです。飼い主側が注意義務を怠ったということになります。その際に「回避できる可能性はこの至近距離な状況ではとても無理でした」と答えれば、裁判とかでもし争うことになった場合有効になるはずです。それだけペットを散歩させる場合は、飼い主の責任が大きいので決して100%の過失になることはないです。但し、自転車走行中にイヤフォン付けていたり、スマフォいじっていたら無理だけどね(苦笑)。

清水:勉強になります。では、この彼は自分を責めているんですけども、過失割合は吉田さん判断でどうだと思いますか?

必要以上に周囲の顔色をうかがってしまうことは決してマイナスではない

プライドが傷つけられたことによって情緒が未成熟なまま大人になってしまった親に育てられた子供は、対人不安や知人恐怖が埋め込まれてしまうようです。今回の無料メルマガ『東北の人気メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』では、このような子供たちに対して、「マイナス面」として捉えるのではなく「特性」として考え、それを活かせる場所をアドバイスしています。

自分の個性を活かせる場所を見つけましょう

劣等感などによって自尊感情が傷つけられ情緒的に未成熟なまま親になった人は、傷ついた自尊心を「家庭の中でTOPに君臨すること」で回復させようとすることって少なくありません。たとえば、

・なにかと恩着せがましい
・なにかと賞賛を要求する
・なにかとルールを押し付ける
・なにかと家族のために自分を犠牲にしていることをアピールする
・弱いものを暴力や精神攻撃で支配する
・外面はいいのに、家の中では周りの悪口を言いまくる

などなど…。こうしたことをすることによって、家族から「すごいね!」「ありがとうね!」と言われないと気が済まないのです。

家族もこうした欲求に応えないと不機嫌になることを知っているので、とにかく相手の要求に応じるままに与え続けるのですが、残念なことにこの要求はとどまるところを知りません…。与えても与えても「もっと欲しい」「どうしてくれないのだ!」と、さらなる要求をされるので、家族としては心身消耗状態になります…。

日本の「当然」が海外では「意外」? NYでセミの抜け殻を見て考えた

晩夏の季語で、儚いもののたとえとしても用いられる「空蝉」。読んで字の如くセミの抜け殻を意味する言葉ですが、そこに意味を見出す感覚は日本人独特のものかもしれません。今回の『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』では著者でNY在住の人気ブロガー・りばてぃさんが、現地の公園で誰も見向きもしない蝉の抜け殻を目にして考えた、「多様性」にも通ずる思いを綴っています。

 

季語と日本人の心

久しぶりに撮影のためにワシントン・スクエア・パークへ。

ダウンタウン西側のSOHOから少し北に上がったところにある公園。

ニューヨーク大学の校舎が立ち並ぶエリアでもありますし、有名ジャズクラブのブルーノート本店も近くにあるなど飲食店やバーも多く、特に夜は飲み屋街としても賑わうエリアです。

そんなエリアにあるこの公園は、日中は近所に住む方々や子ども連れ、ミュージシャンの演奏などのんびり過ごす地元の人たちが集まる憩いの場になってまして、夏は真ん中の大きな噴水に水が貯められミニプールになっていて水着で遊ぶ子どもたちで賑わったりしています。

とにかく地元の人々に愛されている公園なのです。なので、取材に行った日の日中は30度を超える猛暑で、午前中だったけどもすでに30度近くても、相変わらず地元ニューヨーカーで賑わってました。

もう平和そのもの。のんびりまったりと撮影をしていたのですが、ふと公園のベンチ横にある木を見るととっても立派な蝉の抜け殻がくっついていたのです。抜けてそのままの状態。

ツイッターに載せたので写真を見たい方はこちらからどうぞ。

Liberty/ りばてぃ

日本の田舎でもこんな綺麗なのは見たことないなぁというほど立派で、夫と一緒に興奮ぎみに撮影して楽しかったのですが、すぐ近くのベンチに座っていた人たちはまったく興味を示しておらず、このアジア人は何を撮っているのだろう?と不思議に思っていたかもしれません。

蝶々なら綺麗とかふわふわ飛んでいて可愛いとか思ったり、鳥さんだったら珍しい鳥だとかあるかもしれません。実際、バードウォッチングはNYではメジャーですし珍しい鳥や動物がNYに来たらニュースで報じられるほどだったりします。

最近では白いフクロウさんとか、オシドリさんとか。

そんなわけでニューヨーカーが自然のものに興味がないわけではないのですが、蝉に対してはあまり興味がないようでした。

でも、日本では蝉の抜け殻は季語になっているほど身近で文化に根ざしています。

季語で有名なものには、蝉が脱皮して空になったことを表す「空蝉(うつせみ)」。

子季語には蝉の殻、蝉の抜殻、蝉のもぬけなどがあるそうです。

日本人は蝉の鳴き声を聞くと夏の風物詩と感じ、抜け殻を見ると夏の終わりを告げるものとして俳句や和歌に残したりします。言葉にしなくても風情を感じたりするわけです。

特に蝉は、地中に出て脱皮して元気に鳴いていてもその期間は1週間ほど。

土の中での生活が長いとはいえ、成虫としての寿命があまりにも短いので、蝉の人生とあっという間に過ぎ去る自分の人生を重ねたり、一生とは何かを考えたりします。俳句や和歌だけじゃなく小説やエッセイなどでも蝉に関する表現は出てくるでしょう。

 

韓国軍、奇跡の撤退。アフガンから391人を救出した作戦の全貌

日本をはじめ各国がアフガンからの自国民や関係者の救出に手間取る中、韓国が起こした奇跡に同国市民が沸いています。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、韓国軍の輸送機がアフガンから391名もの人々を救出したというニュースを紹介。さらにアフガン人の韓国協力者を「難民」の扱いではなく「特別功労者」として受け入れた韓国政府に対する賛辞を、報道を引く形で記しています。

「難民」ではなく「特別功労者」として

クールコリアが久しぶりに登場した。アフガニスタンから391人を飛行機に乗せて救出した韓国の作戦だ。ミラクル作戦と命名された今回の作戦、8月25日のニュースを筆者は391人を乗せて仁川に来るんだな、と別に何のひっかかりもなく見ていた。ところが8月26日になって、朝から391人の話題だけなのだ。なんだなんだと注視してみると、日本から派遣した自衛隊機は回収者ゼロ、ベルギーもゼロ、ドイツ7人、豪州は50人、オランダは接近自体が不可だったとあるではないか。

ええ?それじゃあの「391人」という数字は、途方もない奇跡なんじゃないのか。韓国、でかしたぜ!と思わず筆者の口から雄叫びがあがってしまった。これを書いているのが26日午後3時だけれど、たぶん午後4時ごろに仁川空港に到着する予定のようだ(発送することには到着しているかも)。

韓国国防部国防政策室のキム・ミンギ室長は26日午前、CBSラジオ「キム・ヒョンジョンのニュースショー」に出演し、カブール脱出作戦の裏話を熱く語った。まず今回の輸送作戦の名前は上述したように「ミラクル作戦」。キム室長は「今日26日入国するアフガン現地人は、韓国を助けてくれた人たちで、大使館や韓国病院、職業訓練院に勤めていた」とし「76家族が入国するが、このうち乳幼児が100人余りになる」と話した。家族単位で動くので、幼い子どもが多かった。

当初の申請人数は427人。今回の入国は391人だ。金室長は「他の国を希望した方もいれば、個人的理由で来られない方もいた」と説明した。当初、韓国政府は民間機の輸送を計画していた。しかし、状況が緊迫するにつれ、軍の輸送機を投入することになった。金室長は「計画を作って準備していたが、こんなに早く(8月15日に)カブールがタリバンに占領されるとは思わなかった」とし「危機意識を感じ、急に軍用機投入を決定した」と話した。映画『モガディシュ』を見ると内戦の様相がいかに早く変わったかが分かる。タリバンがこのように早くカブールを占領すると予想した人は誰もいなかった。米国もそうだったし、ひいてはタリバンさえも同様だった。

映画『モガディシュ』は、今年7月28日に封切された韓国映画だ。28日の公開初日から動員数歴代1位をマークし、その後も勢いが続いている。『モガディシュ』は1991年にソマリアの首都モガディシュで、ソマリア内戦当時、孤立した人々の生死を駆けた脱出を描いた映画だ。奇しくもアフガン救出作戦と相似形だ。『モガディシュ』は一言でいって「命をかけて空港に向かう道を探す路程」だ。今回のカブールも同じだった。今月15日、タリバンがカブールを占領した後、カブール空港は修羅場となった。タリバンは空港を掌握することはできなかったが、空港への道を遮断した。アフガン人の空港出入りは禁止された。金室長は「カブール空港内外で2万人余りの人員が右往左往しているため、空港ゲートには入れない状況だった」とし「作戦初日には(集結地)内に入った人員が(391人のうち)26人しかいなかった」と明かした。豪州50人、ベルギーはゼロ、ドイツ7人、オランダは接近自体が不可だったというではないか。金室長は「絶対にこうなってはならないという判断で「神の一手」を投入した」とし「再集結地として、空港近くの聞いたらすぐわかる地域を選定した。そこにバスを待機させ、(入国希望者が)集まればバスで移動した」と話した。このバスもアメリカのバスを使ったりという韓国人ならではの臨機応変さを発揮したものだった。ただ黙って誰かがしてくれるのを待ってはいなかったわけだ。

歌舞伎の隈取りつけたまま患者を手術。俳優・山城新伍のけったいな父親

映画やドラマ、CMにバラエティ番組の司会と、まさに八面六臂の大活躍でお茶の間の人気を一身に集めた山城新伍氏。破天荒な生き方でも知られる山城さんですが、そのご両親も「規格外」の方々だったようです。今回のメルマガ『秘蔵! 昭和のスター・有名人が語る「私からお父さんお母さんへの手紙」』ではライターの根岸康雄さんが、山城さんが「けったい」と語る父、そして一本筋の通った母のエピソードを公開。さらに思わず漏らした娘への思いも併せて紹介しています。

 

山城新伍「人間の存在は五分と五分、人はみな互角やというそれが親父の考え方だ。徳のある人だった」

山城とは『現代・河原乞食考─役者の世界って何やねん?』という本の上梓のタイミングでインタビューの機会を得た。都内のホテルのティールームでのインタビューには女性編集者も同席した。この本の版元は解放出版社だった。解放出版社は部落解放・人権研究所の関連する組織だ。表現には時に差別的な記述を織り込まなければ伝わらないことがある。父親の生きざまを描いたこの本には、そういう箇所が所々にある。人の考えようは様々で、仮に本の内容から差別を指摘され糾弾されたとしても、版元は差別撤廃と人権に造詣のある出版社なので、エクスキューズが効く。そんなちょっと姑息な裏技を遣うところが山城新伍らしいと感じた。インタビューの出だしは彼流の威圧するような口調で、尖った言葉に多少手こずったが、打ち解けてしまえばざっくばらんに自分のことを語る気のいい人であった。(根岸康雄)

歌舞伎の隈取りをつけたままで手術。けったいな親父だった

京都の老舗で、『たちばなや』という代々続いた醤油の製造元のボンとして育った親父は、店を継がずに医者になった。醤油の醸造より医者の方が、みんなが助かると思ったのか、家の敷地の中に渡辺医院という看板を掲げ、小さな医院を開業していた。

老舗の醤油の製造元だから、それなりに財産はあったのだろうけど、親父は自分の代で醤油製造元の店を潰そうと思ったのか。戦後のドサクサの中で財産が雲散霧消していくのも、一向に気にしていなかった。

けったいな親父だった。生活感というものがまったくない人だった。あれは4歳くらいの時だ。当時、弟と二人で屋根に上がって、風呂の煙突掃除をするのが僕の役割で。ある日、夕飯の時に親父が、「安治、大変やなあ、おまえら煙突の中に入って、掃除しとるのか?」って。

フツーの家の風呂の煙突なんだから、子供でも中に入れるわけがないじゃないか。誰が見たってそんなことはわかる。「煙突の中には入れないよ」と、僕が大声を出したら、

「そうか、わし考えたんやけどな、お前より体の小さい弟を縄で縛ってな、煙突の穴から出し入れしたら、一発できれいになるな」

親父は真面目な顔して、そんなことを言っていた。

道楽者の親父だった。家の離れにはよく義太夫語りや講釈師や、染めの禿げたような紋付きを着た芸人さんたちが集まってきて、サロンのようだった。親父は芸人さんたちが自分を慕って、遊びに来てくれることを誇りに思っていたところがあった。

親父も芸事が好きで、芝居好きの医者仲間が集まり、けっこう本格的な素人歌舞伎をやっていた。医者だから威張っている人間が多い。みんな二枚目の殿さんみたいな役をやりたがる。なのに、親父の十八番、歌舞伎の演目のひとつの『お富与三郎』では、お富をゆする『蝙蝠安』役を喜んで演じていた。

ある日、先斗町の歌舞伎練場で、素人歌舞伎を演じていた時、近所の女の子が犬にほっぺたを噛まれたから、すぐに手術してほしいという連絡が入ったことがある。役者の顔を本職の人に仕上げてもらっていた『蝙蝠安』役の親父は、芝居の幕間にほっぺたに黒い蝙蝠をつけた化粧のまま診療所に戻り、手術したこともあった。

渡辺医院の看護婦長として、看護婦一人を従え、親父の仕事を手伝ったのはオフクロだった。けったいな親父どすなと、オフクロは思っていたに違いない。でも、「うちのお父ちゃんは歌舞伎好きでな」あーだこーだと、往診で親父がいない時なんか、患者相手に待合室で親父のことばかり話題にしていた。

夫婦ふたり、医者と看護婦、二人三脚で人生を渡っているみたいな感じだったんだろう。

 

「遅発性副反応」のデータを明かさぬワクチンキャンペーンの問題点

デルタ株による新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、緊急事態宣言の範囲を拡大しても実効性は乏しく、実質的に政府が頼みとするのはワクチンのみ。ならば「副反応」について、詳らかに情報開示すべきと主張するのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、政府もメディアも接種直後から2日後くらいまでに起きる副反応に関しての説明はあるものの、1週間から10日後に発症する「遅発性副反応」の説明がほとんどないことを問題視。実態を誠実に説明し確実な補償もセットにしなければ不信感は拭えず接種率向上など望めないと苦言を呈しています。

副反応のこと

ワクチン接種による副反応はその発症時期から大きく3つに分けることができる。将来何年後かに起こるかもしれないもの(将来性副反応)、1週間から10日後に起こるもの(遅発性副反応)、接種後すぐに起こるもの(急性副反応)の3つである。

このうち将来性のものは今は語りようがない。急性のものに関してはメディアで多く大きく取り上げられている。問題は遅発性のものである。これに関しては全くと言っていいほど情報がない。試しにインターネットで調べてみても山中伸也氏による発信があるばかりでその他と言えば自治体が独自に調査しているものくらい(それも調査結果ではなく調査用紙など)である。

現在自分が知り得る範囲でこの遅発性副反応について説明すると、その症状は発疹・発赤などの皮膚症状、倦怠感などの全身症状、抑うつ・希死念慮などの精神症状と多岐にわたっている。特に皮膚症状に関しては写真で見ただけではあるがちょっと目を背けたくなるほどである。また精神症状に関しては何となくインフルエンザ治療薬の副反応に似ており今後の研究を待ちたいところでもある。

大体、発症後1週間程度で軽快に向かうようだが、治療には抗ヒスタミン剤、ステロイド、抗生物質などが使われており、対症療法的にも一筋縄ではいかないさまを物語っている。前2剤は免疫系を抑える薬であり、抗生剤は細菌等を殺し免疫系を助ける薬である。相反する効果の薬剤を適宜使い分けなければならないのである。

それにしてもワクチンキャンペーンを進めて行く過程でこういった負のデータを詳らかにしないところは如何にも不誠実な気がしてならない。そもそも健康体(特に若者)の人に異物を注射して人為的に何らかの病的状態を生じさせている訳である。誠実な説明と確実な補償は、何を置いてもまず第一に重要なことであろう。

接種に迷っている人には、それをすることによるメリット・デメリット、それをしないことによるメリット・デメリットをデータに基づいてできるだけ詳しく説明し、最終的には個人が自由意志でもって決定できるようにしなければならない。そこに社会的な強制力が働くようなことになっては絶対いけない。

そしてワクチンキャンペーンを全国民的に進めたいなら、デメリットをできるだけ小さくする努力をしなければならない。それには確実な補償が必要である。例えば副反応として認めるか否かの審査も、因果関係レベルではなく相関関係レベルで行うこととすればそれだけでも受ける側の気持ちは随分楽になる。ワクチンを受けたから具合が悪くなったのに、因果関係が証明できないなどと言われて次回審査に持ち越し持ち越しされれば当事者としては堪ったものではない。

辛坊治郎氏のヨット船内に軽油が流出の大ピンチ!初日に受けた太平洋の“洗礼”

先日掲載の「辛坊治郎氏が遂にゴール!“男泣き”の裏で早くも『次の航海』を計画中? 4カ月間の『無謀』な挑戦をナマで語る」でもお伝えしたとおり、大阪・淡輪港~アメリカ・サンディエゴ間の太平洋単独ヨット往復横断を見事に成功させた、ジャーナリストの辛坊治郎さん。そんな辛坊さんは今回、自身のメルマガ『辛坊治郎メールマガジン』で、アメリカに向かう航海中に恐怖におののいた出来事を紹介しています。それは思いもよらぬ「太平洋の洗礼」とも言うべきものでした。

 

往路の航海で恐ろしかった事:ワースト5位

既に皆さんご存じの通り、今週火曜日午前9時過ぎ、台風崩れの低気圧に吹き込む強い南風の中、大阪岬町の淡輪ヨットハーバーのゲスト用桟橋に着岸しました。メルマガ読者の皆さんのご声援と祈りの賜物です。本当にありがとうございました。

「太平洋単独無寄港横断を成功させて8年越しの悲願を達成する」というはっきりした目的があった往路と違って、復路は言わば「船を大阪に戻す」というのが主目的で、モチベーションが弱い分だけ精神的にかなりきつかったです。

「ヨット乗り」としても、「安定した貿易風に乗っていれば自然に太平洋の西側に吹き寄せられる」という好環境の中、大してすることもなく、ギラつく熱帯の太陽と暑さとの戦いの中で、かなり「病んだ」心理状態になりました。復路で一番恐ろしかったのは、「寝ているときに錯乱状態になったり寝ぼけたりして海に飛び込まないか」という自分の心でした。

そのため、暑い中ではありましたが、キャビン内で寝る際には必ず入り口の差し板を嵌め込み、重いスライディングハッチを閉めていました。これは寝ぼけて海に飛び込むのを防止するためでした。

復路出発前に考えていた最大の難関は、貿易風帯を抜けて北上するタイミングでの日本近海の台風で、二つくらいは覚悟していました。幸い幸運に恵まれてこの区間で台風直撃を免れたのは皆さんご存じの通りです。これこそまさに多くの方々の祈りのおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

という訳で、復路で一番怖かったのは「自分自身」だったのですが、これに比べて往路は実に多彩な「恐ろしい事」がありました。このメルマガで私が時事ネタについて書き始めるのにまだ1か月くらい「リハビリ」が必要ですので、それまで今回から5回連続で「往路の航海で恐ろしかったこと」について、ワースト5位からワースト1位までランキング形式で書いて行きます。

今日は「往路の航海で恐ろしかった事ワースト5位」です。