NYの日本酒、焼酎学校の講師お勧め。タイカレーに合う意外なお酒

世界に日本酒が広がり始めているというニュースを耳にすることが多くなりました。ニューヨークでは日本酒や焼酎のソムリエやアドバイザーを養成する「Sake School of America」という学校もあるようです。『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』の著者でNY在住のりばてぃさんが、Sake Schoolの講師による講義で聞いた料理とお酒の組み合わせについて、いくつか紹介してくれます。

タイカレーに合う飲み物は何でしょう?

問題。
タイカレーに合う飲み物は何か?
選択肢は以下4つから。

  1. スパークリングワイン
  2. 白ワイン
  3. 赤ワイン
  4. にごり酒

さて、どれだろうか?答えは、








4番のにごり酒。へぇ~意外、と思われただろうか?それとも、知ってた!となった人もいるかも?そんな方は食通に違いない。

これはアメリカで日本酒や焼酎のソムリエやアドバイザーを育成するSake School of Americaの講師であるサラ・グッターボック(Sara Guterbock)さんが勧める合わせ方。

つい先日、サラさんの食べ合わせの講義を聞く機会があり、その時、日本の居酒屋を例に出し、いろんな料理が並ぶのに、例え1種類の日本酒であってもどの食べ物にも合うと絶賛。

でもワインはそれがしにくい。だからコース料理では1品ごとに合うワインをペアリングするでしょ、とのことだった。たしかに、頷く部分が多い。

他にお勧めしていたのは、ポップコーンとフルーティなスパークリングのロゼワインもしくはポップコーンと八海山。ポップコーンの塩っけがワインのフルーティさを引き立たせる。一方、八海山は酸味が低く旨味があるので塩っけと合わせると味を華やかにするのだそうだ。

ちなみに辛い食べ物にも日本酒はぴったり。辛さをちょうど良い具合に抑える効果があるという。それで冒頭のタイカレーとにごり酒。にごり酒は透明な日本酒よりあまったるさがあるので、より辛さをマイルドにし旨味を立たせるのだそうだ。たしかに辛いものには甘いジュースがぴったりだったりする。

でももし赤ワインを合わせた場合はワインのオークやタンニンが辛みを増してしまうので、ただただ辛い料理になるのだとか。辛いものをより辛く食べたい人は赤ワインを合わせると良いのかも?

こうした様々な食べ合わせは舌で感じる味覚に関係しているそうで、例えば、フランス料理はそのままだと少ししょっぱ過ぎると感じる人がいるかもしれないが赤ワインと合わせると味の深みや華やかさを引き出すそうだ。

他にも細かい説明をいろいろしてくれたのだけど、すぐにはマスターできそうにないので、ひとまず辛いタイカレーにはにごり酒。ポップコーンにはスパークリングロゼワイン、もしくはすっきりタイプの八海山。しょっぱい料理には赤ワイン、と覚えておくだけでけっこう使えるかも?

そして日本酒はほぼほぼ何にでも合うそうなので、世界の様々な料理との組み合わせを調べていくともっと新しい発見があるのかもしれない。

10月こそチャンス。増税開始で離れた客足を確実に取り戻せる施策

ついに実施された消費税増税の影響で、多くの店では10月の売上ダウンが予測されます。しかし、「こんな時だからこそできることがある」とするのは、接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさん。坂本さんは今回、自身の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』で、11月以降にお客様が帰ってくる施策を紹介しています。

増税のタイミングだからこそ

ついに消費増税が実施されます。軽減税率という謎の制度のおかげで、商品や提供の仕方によっては、税率が変わる場合もあるかとは思いますが、多くのお店では、10%の消費税になることでしょう。

9月中もいくらかのお店では、駆け込み需要があったという話も聞いていますし、まぁ増税という言葉だけで消費意欲は下がるのが常なので、少なからず、お店への影響はあるはずです。もしかすると、増税対策などで、購買を促す施策を取っていないお店では、10月に入ってしばらくの間は、かなり苦戦を強いられることになるかもしれません。

こうして書くと、お店側にとっては、何だか悪いことばかりのように聞こえます。実際に、売れ行きが悪くなる可能性は高いので、確かにそうなのかもしれませんが、私としては、このタイミングこそ1つのチャンスと捉えるべきではないかと考えています。というのは、たとえ増税により実質的な値上がりがあったとしても必ずお客様は戻ってくるからです。

10%の消費税になったからといって、お客様が金輪際、買い物をしなくなるわけでは決してありません。これから先も、10%なのは変わらないのですから、どうあっても、お客様もそれに慣れるしか道はなくなります(我々もですけど)。だから、少し時間が経てば、結局はまたいつも通りになるということです。

ですが、何度も言うように、最初の数週間から数カ月は、普段よりも、お客様の数が減ったり、お客様の購買意欲が下がるかもしれません。ただ、それは裏を返せば、より、サービスに力を入れられる時間や余裕ができるということもあるのです。

普段は忙しい時期が続いていたり、9月の駆け込みで、なかなか親身な接客ができなかったというお店に関しては、確実に時間的な余裕が生まれます。そこで、一人のお客様にしっかり接客ができる時間を作ることで、お客様には、「こんなに良い店があるんだと思ってもらえる可能性を高めることができます。

つい先日も、あるメガネ屋さんで、「増税後に売り上げが下がるのは間違いない」という話が出ました。しかし、丁寧に接客ができるお店でしたので、だったら、お客様がこれまでに買ってくれたメガネや、今お持ちのメガネを整理する時間を作ったらどうかという話になりました。

一人のお客様にしっかり接客ができるので、お持ちのメガネを一旦お客様と共に整理するような時間を設けて、それと共に、メンテナンスを促したり、足を運んでもらう機会を増やそうというわけです。厳密な内容はお伝えできませんが、「それは面白い」ということで、実際に10月度の前半で、導入することにもなりました。

これも、これまでの状況であれば、時間的な余裕がなかったために実施はできなかったことです。

本当に丁寧に、お客様のためを思って、親身に接客サービスができているお店には、たとえ、値上げがあろうと何だろうと、100%お客様は帰ってきます。逆に、そんな部分を無視して、無理に値下げして、価格ばかりで勝負しているところほど、お客様は帰ってきません。過去の歴史を振り返っても、どんな商売でもそれは同じことです。

増税があり、売れないからと焦って、無理に売ろう売ろうとするよりも、このタイミングだからこそできる本当に良いサービスを提供していく。11月、12月以降のお店の売り上げを決めるのは、そんな考え方なのではないでしょうか。

今日の質問です。

  • 値上げがあっても、あなたが、また行こうと思える店はどんな店ですか?
  • 自分たちの店では、この増税のタイミングで、どんなことに気をつけておかなければならないと思いますか?

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中秋の名月を愛でた人は10月11日の月も観なければいけない理由

9月13日の中秋の名月を楽しんだ方も多いかと思いますが、実は「もう1つの名月」を観なければ縁起が悪いとされているのはご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田将昭さんが、中秋の名月の相方ともいえる「栗名月」を紹介しています。

今月のほしぞら案内(10月)

10月になりました。恒例の「ほしぞら案内」です。

このところ毎月「月と惑星が近づきます」というネタを書いているのが多かったと思いますが、それもそろそろ終わりかなというところです。

今週の半ばから週末にかけて月が木星、土星に近づいていきます。とは言っても、先月ほど近くなくて、ちょっと離れた感じで見えていると思います。

木星は、日の入り後すぐに西の空に明るく輝いているのが見えています。今週半ばぐらいには、細い月が木星と同じ方向に見えています。細い月もなかなか美しいので、これを機会にぜひ月を眺めてみてください。その月のすぐ南にはさそり座の一等星アンタレスも見えているはずですが、西の空の低いところなので、見晴らしのいいところで見てみたいところです。

週末には土星に近づいていきます。日に日に月が太くなっていくのも感じられるはずです。

月は、同じ方向に見える時間が毎日変わります。言い方を変えると、同じ時間に見える方向は変わります(見えないこともあります)。そして毎日、その形が変わります。

数日あけて見るとその辺がよくわかります。週半ばには西の空に細く見えていた月が、週末にはもう少し南の空に、やや太くなって土星の近くに見える。そこで月の動きを感じてもらえたらと思うところです。

月に関連すると、十三夜の月を愛でる栗名月は今月11日ですね。「中秋の名月」は「芋名月」と呼ばれますが、旧暦9月13日の月は「栗名月」と呼ばれて、こちらもお月見をする風習がありました。中秋の名月ほどには注目されませんが、芋名月だけ愛でるのは「片見月」などと言って、縁起が悪いと言われていたこともあるようです(「風習」の話で、天文学とは関係はありませんが)。

秋の空は、夏の水蒸気の多い空と違い、澄み渡った空になりやすいので、月の光も冴えています。煌々と照る月を愛でるのもよきものです。

あとは、下旬にオリオン座流星群が極大を迎えるのですが、もともと1時間に5個程度の流星群なうえに、今年は明るい下弦の月があるので条件としてはあまり期待できないだろうと思います。

ということで、今月は秋の月を眺めるというのが楽しみとなりそうです。

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高齢者だけじゃない。働き世代で特に男性に多い「孤独死」の実態

「高齢者の孤独死」は以前から深刻な問題として捉えられていますが、日本少額短期保険協会の最近の分析で、若い世代、特に男性の孤独死の発見が遅れる傾向にあるなど新たな実態が明らかになりました。これを受け、マンション管理士で社会問題にも詳しい廣田信子さんは、今回の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』で、新たな孤独死問題が分譲マンションにも与えるであろう影響を指摘しています。

孤独死は高齢者だけの問題じゃない

こんにちは!廣田信子です。

人の「死」について思うとき、その「死」を誰にも気づいてもらえないことの深い深い孤独を感じてしまいます。

「孤独死」した人の魂が、自分の肉体が変化し異臭を放ってくる様子をはらはらしながら天井付近から眺め、誰かに気づいてもらいたいと、親しい人に合図を送りたいと思っても、親しい人がいなかったため、その合図は届かす、悲しい思いで部屋に留まっている様子が、思い浮かんでしまいます。心がえぐられるようです。

2019年度版の高齢社会白書では高齢者の孤独死は過去最高となっています。長生き社会は、高齢一人暮らしが多数存在する社会です。20年後には高齢者の半数近くが一人暮らしと言われます。ただ、高齢者の一人暮らしでは、本人もそれなりの対策を考え、親族も気をくばります。介護保険サービスを利用していたり、民生委員や地域の定期的な見守りもあって、その存在が認知されている可能性が高いので、たとえ、一人で亡くなったとしても比較的発見が早いといいます。

深刻なのは高齢期に達しない人の孤独死です。日本少額短期保険協会が昨年発表したレポートでは、孤独死の平均年齢は、60.8歳。4割は50歳代以下の現役世代なのです。男女比は8:2で男性が圧倒的に多くなっています。

死亡してから発見までの日数は平均17日(前回は42日)。14日以内に発見された人数は全体の68.6%(前回は46%)となり、大幅に改善されているといいます。しかし、30日以上経過してから発見される事例も16.5%と決して少なくはないのです。

3日以内に発見されるケースでは、女性の方が11ポイント高くなっていて、孤独死し、長期発見されない危険は、高齢かどうかに関わらず男性の方が圧倒的に高いということがわかります。

このレポートは、少額短期保険会社の家財保険(孤独死特約付き)に加入している被保険者で協力会社から提供された2015年4月~2018年2月までの孤独死のデータ2,017件の分析です。

この保険は、大家さん保護の意味合いが強い保険で、この孤独死データは基本賃貸住居に関するものです。というと、分譲マンションは、そこまで心配いらない…と思いたいところですが、私は逆だと思います。

賃貸で借りている場合は、大家さんがいて、多くの場合、賃貸管理会社が入っているので、家賃の滞納や隣から異臭等の苦情があれば、すぐ動きます。管理費等の滞納のように3カ月までは督促状を送るだけなんて悠長なことを言っていません。異常を感じたら部屋に入ることもできます。

しかし。分譲の場合は専有部分には踏み入れません。私が話を聞いた中でも特に悲惨なマンションの孤独死事例も40歳代50歳代の方でした。

事業に失敗して、借金取りから逃げていたけど、密かに自宅マンションに戻って、そこで自殺していた…。高齢の親の家に同居していたひきこもりだった息子が、親が亡くなった後、親の残した貯金がつきたときに、外に助けを求めることもなく孤独死していた…。

分譲マンションは所有者である住民が助けを求めないと事情が見えにくく干渉しにくいために、より、孤独死の危険が見えにくいのです。特に現役世代で、周囲との付き合いがなく、仕事をしていないように見える人には、高齢者と同様の気配りが必要だと思います。

管理組合として孤独死と向き合う必要性をいうとき、どうしても、理解されやすいように、孤独死は資産価値の低下を招く…という話をしますが、自分の死を誰にも気づいてもらえない「魂」の孤独を思うと、近隣に暮らすという縁があった者として、ほっておけないよね…と思うのが本音です。

孤独死は高齢者だけの問題じゃない。

分譲マンションは専有部分に干渉がしにくいために孤独死に気づきにくい。

そのことを忘れないようにしたいです。

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いいものは、いい。日本文化に影響与えた「琳派」を京都に訪ねる

京都と言えば神社仏閣ですが、絵画や彫刻など古美術に焦点を当て観光するのも素敵なものです。 今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者で京都通の英学(はなぶさ がく)さんが、長きに亘り紡がれてきた日本絵画における流派「琳派」の成長の歴史から作品の特徴、さらにゆかりの観光名所までを紹介しています。

琳派の独自性とその魅力

江戸時代から現代に至るまでの間、琳派は日本の絵画陶芸などをはじめあらゆる画材に影響を与えてきました。

江戸時代までは日本の絵画には大きく分けて日本画と漢画の2つの流れがありました。日本画は土佐派が、漢画は狩野派がそれぞれの画風を代表する流派に発展していきました。主に江戸時代以降、琳派はその2つの流派を融合させ広く日本人の心に響く画風となっていきました。そして日本人の審美眼にも多大な影響を与え、現在も広く受け入れられ、称賛される美を確立しました。

今回は琳派固有の特徴と、誕生から発展への過程やその魅力に迫ります。そして最後に京都における琳派ゆかりの観光名所をご紹介します。

琳派誕生とその時代

今から4年前、2015年は日本中で琳派が注目を浴びました。国宝「舟橋蒔絵硯箱」や「不二山」の作者としても有名な本阿弥光悦が徳川家康から洛北・鷹峯の地を与えられ芸術村を開いたのが1615年と伝わります。2015年はそれから400年目の年だったので京都を始め各地で琳派展などが開催されていました。

琳派は安土桃山時代後期から江戸時代初期に本阿弥光悦と俵屋宗達が残した作品の表現手法を用いる芸術家たちの流派です。この時代はまさに天下人が信長、秀吉、家康特徴目まぐるしく移り変わる戦国から天下泰平への移行期でした。琳派の祖・本阿弥光悦や俵屋宗達が生きた時代はまさに3人の天下人が生きた時代です。

当時は狩野派が御用絵師として安土城や大坂城、伏見城や二条城といった天下人の住む城の襖絵や有力寺院の障壁画を一手に引き受け活躍する時代です。狩野派は師から弟子へと代々引き継がれる流派で、その画風は子々孫々粉本(ふんぽん)」で伝わり中国の絵画漢画を元にし統一感が強いのが特徴です。

琳派は江戸時代中期以降、尾形光琳・乾山兄弟によってさらに発展を遂げ、その後さらに酒井抱一(ほういつ)・鈴木其一(きいつ)などがその流れを受け継ぎました。おもしろいことに、琳派は家系や師弟関係などによって受け継がれたものではありません。琳派は時代を超えて模倣によってのみ受け継がれてきたのです。これこそが琳派の最も興味深い特徴です。宗達画を光琳が模写し、抱一が光琳の画風を模写するといった具合です。

しかも俵屋宗達尾形光琳酒井抱一の3人はそれぞれが生きた時代に100年近い開きがあり血のつながりもなければ互いに面識もありません。このように直接教えを受けたわけではないものの、著作を模倣することによって傾倒し、師と仰ぐ私淑(ししゅく)が大きな特徴です。琳派は後世に才能を開花させた芸術家がただその芸術的手法や技法を学びたいという想いだけで結ばれているのです。

大和絵と漢画

日本の絵画の歴史を遡ると大きく2つの流れがあります。大和絵日本画と漢画中国から伝えられたもの)です。

大和絵は平安時代の院政期に生まれた日本独自の様式で、源氏物語絵巻など平安絵巻に描かれたものです。一方、漢画は鎌倉時代以降流行るようになりました。臨済宗が中国から伝わり禅仏教が広まると、禅僧たちが中国へ渡り水墨画などを持ち帰るようになったからです。この二つの流れを二分したのが土佐派と狩野派です。

土佐派と狩野派

土佐派は大和絵を代表する画風で王朝絵巻の様式を取り入れ人物は引き目鉤鼻かぎばなで描かれるのが特徴で、画題は主に「源氏物語」や「伊勢物語」などの平安時代の国風文学です。このような作品は主に皇室や公家に好まれ、彼らによって庇護されていました。

一方で狩野派は水墨画が元になっています水墨画に色彩を加え金箔などを貼った屏風が有名です。画題は「琴棋書画図(きんきしょがず)」や「四季花鳥図」など中国由来のものが多く、豪快な画風は下剋上で成り上がる戦国武将の生き様に重なるものがあり、主に武家(将軍や戦国大名)に好まれました。

土佐派や狩野派は代々その技法を受け継ぐ方法として絵手本があり組織的に弟子の育成もしていました。彼らは一人一人の個性や創造性を表に出す事は許されず、同じような画風の作品を作り続けるという点では絵師というよりは職人のような仕事だったようです。

当主は土佐派であれば、朝廷や公家の「絵所預(えどころあずかり)」となり皇室に仕え、狩野派は将軍家や有力大名に召し使えられ「御用絵師」として活躍しました。このように土佐派と狩野派ははっきりと活躍する舞台が分かれていて別々の役割をそれぞれ果たしていました。

今すぐ確認。自分の給料が最低賃金以上かどうかを調べる計算法

最低賃金の時給額引き上げにより、中小企業が悲鳴をあげています。アルバイトやパートであっても、それ以上の賃金を労働者に支払わなければならない決まりになっていますが、果たしてこのルールは守られているのでしょうか。今回の無料メルマガ『採用から退社まで! 正しい労務管理で、運命の出会いを引き寄せろ』では著者で現役社労士の飯田弘和さんが、労働者の賃金が最低賃金を下回ってはいないかを調べる計算方法や除外する手当などについて解説しています。

御社では、最低賃金額以上の賃金を支払っていますか?

10月といえば、最低賃金の改定の月です。私の住む東京都では、10月1日より、最低賃金が1,013円に改定されています。改定日については都道府県ごとに異なりますが、数日中には、すべての都道府県で新しい最低賃金に改定されることになっています。

最低賃金については、支払われている1時間当たりの賃金が、都道府県ごとに定められた最低賃金額以上でなければなりません。たとえ、アルバイトやパートであっても、最低賃金額を下回る時給で働かせることはできません。

時給の場合、その時給額が最低賃金額以上でなければなりません。

日給の場合、「その日給額を1日の所定労働時間数で割った金額」が最低賃金額以上でなければなりません。日ごとに所定労働時間が異なるが、日給額は1日〇〇円と定まっている場合には、「1週間でみたときの1日の平均所定労働時間数で日給額を割った金額」が最低賃金額以上でなければなりません。

月給の場合、「月給額を1ヶ月の平均所定労働時間で割った金額」が最低賃金額以上でなければなりません。1ヶ月の平均所定労働時間とは、1年間の所定労働時間を12で割った時間です。

また、たとえば、基本給は時給であり、○○手当が月給で支払われている場合には、「時給額」と「○○手当の金額を1ヶ月の平均所定労働時間で割った金額」を足した金額が最低賃金額以上でなければなりません。

基本給は月給で、それにプラスして歩合給が支給される場合には、少し計算が複雑です。基本給については、1ヶ月の平均所定労働時間で割って、時間当たりの単価を出します。歩合給については、その歩合額を、当該賃金算定期間(前回の歩合賃金の締め日から今回の歩合賃金締め日まで)の総労働時間数で割って、時間当たりの単価を出します。そして、基本給の時間当たり単価と歩合給の時間当たり単価を足した金額が、最低賃金額以上でなければなりません。

ところで、最低賃金の計算において、諸手当のうち、精皆勤手当・通勤手当・家族手当は除外します。また、次にあげる賃金も除外して計算します。

  1. 臨時に支払われる賃金(結婚手当等)
  2. 1ヶ月を超える期間ごとに支払われる賃金(ボーナス等)
  3. 所定労働時間を超える時間の労働に対して支払われる賃金(残業代等)
  4. 所定労働日以外の日の労働に対して支払われる賃金(休日割増賃金等)
  5. 深夜労働(22:00~5:00)に対して支払われる賃金のうち、通常の労働時間の賃金額を超える部分(深夜割増賃金等)

みなさんの会社でも、各労働者の賃金が最低賃金を下回っていないか、しっかり確認してください。

以上を踏まえて、改めてお聞きします。

「御社では、最低賃金額以上の賃金を支払っていますか?」

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これでは気づけぬ。女子バレー中田久美監督が真っ先に指導した事

9月に行われたW杯バレーボール大会では、世界ランク1位のセルビアを破る金星を挙げた日本女子チーム。多くの人に感動を与えたこの試合で指揮を執っていたのが、中田久美監督です。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、中田監督が日本代表の前に指導していた「久光製薬スプリングス」の監督に就任した際、最初に行った選手への「意識改革」が紹介されています。

「答えは日常生活にある」─バレーボール・中田久美監督

日本に戻ってから久光製薬スプリングスに入るまでは半年くらいでした。最初はコーチで入って、監督になったのはその翌年からでした。久光製薬っていうチームは、それまでも決勝に残ったりはしていたものの、最終的に勝てていませんでした

それが何なのかっていうのがありましたけど、私からすればチャラチャラしているチームにしか見えなかったんです。

だから私が最初にしたことは、選手のマインドをリセットすることでした。最初に「どこを目指すのこのチームは?」って選手たちに聞いたら、「優勝したい日本一になりたい」って言うんですね。「だったら日本一になるための練習をしようよじゃそのために何が必要か書くね」って、ばーって書き出したんです。

それから片づけですね。というのも、体育館と隣接する合宿所の廊下に私物が散らばっていて、中にはやめた選手の箪笥まで放置されていたんです。すぐに選手を集合させると、「これではダメ日本一にはなれないすぐ片づけなさい」と言って、各自の部屋から体育館の掃除まで当番をつくって全部一からやり直させました

なぜそうしたかと言うと、周りの変化に気づけない人たちが自分たちのチームの問題に気づけるわけがないからなんです。

「汚い」とか「汚れてる」って気づけない人に、チームの何が気づけるんですかって話です。日常生活ってすごく大事で、いまはコートの中だけちゃんとやっていればそれでいいっていう風潮がありますけど、答えは日常生活の中にある、と私は思うんです。

※本記事は『致知』2018年4月号 特集「本気 本腰 本物」に掲載されたインタビュー記事を抜粋・編集したものです。

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軍事アナリストが期待を寄せる「日中トラック2」という安全装置

9月19日、軍事アナリストの小川和久さんが「中国人民解放軍佐官級訪日団歓迎レセプション」に出席したことを報告すると、日中の軍関係者の間に交流があることへの驚きの声があがったそうです。そこで今回、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で、実は2001年から始まっていて、小川さん自身も関わった交流事業の成り立ちや、中止の経緯を解説。昨年交流が再開されたことで、『トラック2』と呼ばれる強い意思疎通のパイプが大きく育ち、世界平和に寄与することを願っています。

日中トラック2という安全装置

9月19日夜、「2019年度中国人民解放軍佐官級訪日団歓迎レセプション」に顔を出してきました。中国側は、団長の宋延超陸軍少将(中国共産党中央軍事委員会国際軍事合作弁公室副主任)以下、上級大佐2人、大佐6人、中佐11人、事務局4人の総勢24人が出席しました。

そのときの画像をFacebookに上げたところ、「そんなものがあったのか」と驚きの声が寄せられましたので、最初からの関係者として簡単に紹介しておきたいと思います。

専門家でも一部しか知らないことですが、実は中国人民解放軍と防衛省・自衛隊の間には『トラック2』と呼ばれる強い意思疎通のパイプがあり、両国軍人が本音で話すことができる信頼関係が構築されています。このパイプを通じた日中の共通認識は、『日本と中国は隣同士で引っ越しできない仲なのだから、両国の軍同士の衝突は何としても避けよう』というものです。

現在おこなわれている日中のトラック2は、日本財団(笹川陽平会長)のシンクタンク笹川平和財団が年間1800万円(過去は3000万円)を負担して実施されています。基本的には年2回、春先に日本側が中国を、秋に中国側が日本を、それぞれ20人くらいのグループで1週間ほど訪問します。日中両国とも陸が中心で、日本側は制服組エリートをはじめ防衛官僚や国防族の国会議員が参加するときもあります。石破茂・元防衛大臣も何度か参加しています。

日中のトラック2が始まったのは2001年です。まず1998年夏に人民解放軍から、日中交流に尽くしてきた笹川陽平さんに、好きなところを見ていただきたいと招待がありました。笹川平和財団の窪田新一さんから『人民解放軍についてレクチャーをしてほしい』という話があって、通り一遍の話なら私でもできるけれども、せっかくの機会だから中国の軍事についての専門家の方がよいだろうと、現職の防衛庁情報本部長だった国見昌宏陸将を紹介しました。防大9期の国見さんは中国の防衛駐在官を務めた中国専門家です。

笹川さんの訪中を受けて翌1999年、人民解放軍のシンクタンク国際戦略学会の秘書長(日本でいう事務局長)だった苗樹春・陸軍少将が来日し、最初の夕食は私と窪田さんが相手しました。苗少将は、情報部門を統括していた熊光楷・副総参謀長の部下にあたる人物です。

そこで出たのが、日中間で軍人の交流を始めたいという話、つまりトラック2です。公式の協議や交渉だけでは、言いたいことも我慢することが多く、『もの言わぬは腹ふくるる技なり』、つまり疑心暗鬼を生じやすい。これは軍事組織にとって最悪の状態だ。誤解が生じないようにして、戦争を回避したい、ということでした。むろん、こちらとしても異存などあるわけがありあません。

トラック2を始めるにあたって、以下のルールを決めました。1)どんなに激論を交わしても決して喧嘩にはしない、2)どんなことがあっても中止しない、3)台湾問題のようなデリケートな問題をあつかうときほど、おいしいものを食べながら議論しよう、という3点です。3)は、いかにも中国らしい提案だと思いました(笑)。

【書評】平成衰退の戦犯はこの国のメディアだと断言する納得の訳

先進国の中でも唯一「衰退」が止まらない我が日本ですが、平成時代に日本を衰退させた「戦犯」政治家とは誰だったのでしょうか? 無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長の柴田忠男さんは、その「亡国政治家」の実名を挙げるとともに、最大の戦犯は日本のメディアだとして、その理由を一冊のレビューを通して記しています。

偏屈BOOK案内:乾正人『令和をダメにする18人の亡国政治家』

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令和をダメにする18人の亡国政治家
乾正人 著/ビジネス社

産経新聞論説委員長が書いた「永田町取材30年の記者が断罪! 令和をダメにする18人の亡国政治家」という、多少辛口な人物評。素敵なタイトルであるがその18人とは誰?というとどこにも一覧がない。カバーには小池百合子、小泉進次郎、玉木雄一郎、小沢一郎の顔がある。小沢は間違いなく亡国政治家だが、他は小者だ。冤罪wだ。ほんと、18人が誰なのか読み込んでも分からない

この本のタイトルは詐欺に近い。「カネまみれの昭和の政治」をひきずってきた小沢一郎が最大の戦犯、「権力の二重構造」という田中角栄の手法を踏襲し、次々と傀儡政権をつくった竹下登、日本の「強制連行」を認める談話を出したことで後世にまで累を及ぼす河野洋平の三人を、平成敗北の「A級戦犯」とする。もちろん、異論はない。あと15人を並べて斬り捨てて……いないんだよ。

人数には入らないが、朝日新聞をはじめとする亡国メディアこそ最大の戦犯だろう。産経を除くほとんどすべてのメディアは、鳩山由紀夫政権がスタートする前後、「政権交代が実現すれば、なにもかもバラ色になる」式の手放し礼賛ぶりだったではないか。著者は断言する。「平成19年のあの時点で、政権交代をメディアが煽った罪は万死に値する」そのとーり!読売でさえアホだった。

「当時、民主党に政権運営能力がなかったのは、当事者だった小沢一郎でさえ分かっていたことであり、福田康夫政権のときには、自民と民主の大連立政権樹立寸前までいった。民主党政権でなかったら東日本大震災の対応も少しはましだったはずである。民主党政権3年間の記憶が有権者から消え去るまで、政治改革が目指したはずの2大政党制によるスムーズな政権交代の実現なぞ夢のまた夢になったのである」。メディアも平成衰退の「大戦犯」だったのだ。

平成日本が敗れた理由を筆者は3つ挙げる。

  1. 焼け跡からの奇跡の経済復興に慢心してしまった
  2. 30年間に首相の座に就いた政治家がのべ18人を数えるほど政治が混迷を極めた
  3. 中国の共産党独裁体制を支援した

とくに3番目は取り返しのつかない失策である。天安門事件で国際的に孤立し、苦境に立っていた中国共産党を助けたのが日本だった。海部は円借款をいち早く再開した。

宮沢は天皇訪中を実現させた。中国は難なく国際社会に復帰した。一党独裁を維持したまま、世界第2位の経済大国にのし上がった出発点はまさにここにある。この失敗に「意味があるとすれば、誤った歴史認識に引きずられることなく、冷徹に自国の利益を何よりも優先した決断をしなければ将来に大きな禍根を残す、という教訓を歴史からくみ取ることしかない」……残念無念である。

トランプが大統領選を勝ったとき、著者は「トランプでいいんじゃないか」という記事を書いた。その思いは「トランプで良かったじゃないか」との確信に変わった。いまやトランプのツイートで、米国のむき出しの本音を知ることができる。トランプはいずれ(もしかしたらもうすぐ)「俺をとるのか、習近平をとるのか」と安倍首相に迫るはずだ。間髪を入れず you が正解。

編集長 柴田忠男

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関電が受け取った金品「小判や金の延べ棒」に「越後屋かよ」の声

関西電力の役員らが、高浜原発がある福井・高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていた問題で、この金品の中には、金の延べ棒や小判なども含まれていたことがわかったと、FNNプライムニュースなどが報じた。ネット上には「悪代官か」「越後屋かよ」「脱税もしてるのか」などと、嘲笑や厳しい声が多数挙がっている。

この問題は、関西電力の八木誠会長や岩根茂樹社長ら役員20人が、高浜町の元助役で2019年3月に死亡した男性から、およそ3億2000万円の金品を受け取っていたもので、なかには1億円以上受け取っていた役員もいたという。この金品は現金だけでなく、金の延べ棒や金杯、小判などの高額品も含まれていたことがわかったとしている。関電は2日にも記者会見をおこない、経緯を説明するとしている。この問題について、ネット上では「時代劇かよ」「悪代官と越後屋みたいだな」などと、受け取っていた金品が「金の延べ棒」や「小判」であることに反応。さまざまな意見が投稿されている。

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source: FNNプライムニュース

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