コロナ後の定番?中国・上海に登場した無人ロボットカフェのお味

新型コロナの感染源となった中国ですが、人との接触機会を減らす工夫を、人間だけではなく「ロボット」を使うという形で行おうという動きがあるようです。無料メルマガ『上海からお届け! 簡単3分、写真で覚える生活中国語』の日本人著者・ジンダオさんは、自身が暮らす上海に登場したという、無人のロボットコーヒーショップなるものを動画つきで紹介。コロナ後の定番となるかもしれない、ロボットカフェのお味は?

人いらず。上海の街に登場したロボットコーヒーショップ

無人コンビニの次は、無人カフェのようです。WeChatの記事で興味深いネタを発見。それは「ロボットを使ったカフェ」というネタ。実際にどんな仕組みになっているのか? ちょっと気になったのでネットで調べて訪問してみました。

設置場所は上海一等地の中山公園

場所を調べると、設置されているのは上海では三箇所ほど。

アクセスから考えて、上海中心地にある中山公園に設置されているロボカフェを訪問することに。中山公園の「龍之夢」と呼ばれるショッピングモールの正面玄関に設置されていました。

見えてきました、「机器人咖啡亭(jī qi rén kā fēi tíng)ロボットコーヒースタンド」の文字。

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当然ですが本当に無人。一応、後ろを覗いてみましたが人の気配なし。

タブレットが設置されていて、メニューの選択が可能。日本語・英語と多言語対応。この辺、今風ですね。いずれ国外展開も考えて代理店募集をしているのかも知れません。

支払いはもちろん電子マネーのみ。ストロー等の小物は自分でセットする仕組みです。

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ロボットが作るアイスコーヒの味はいかに?

訪問した日は30度越えの灼熱の日だったので、アイスコーヒーを注文してみることに。1杯10元程度(約150円)でした。

注文して電子マネーで決済すると中国語の音声が流れて、コーヒーロボが華麗にスタート。

ロボットアームがコップを取り上げ、コーヒーマシーンへ移動し、冷水投入、濃縮コーヒー注入、最後に氷がドボドボっと投入され、蓋を閉めて完成。

完成したコップを掴んだアームが私の方へと伸びて、取り出し口まで運んでここで作業は終了。

ググッと一口。暑さもあってプハーッ最高。意外と美味いっす。喉を潤し、目にも楽しい。。。。

よくよく考えたら、ロボットアームじゃなくても、コーヒー自動販売機で事足りそうだな、なーんて考えが頭をよぎりましたが、インスタントではないコーヒーを、スタバ等のコーヒーショップよりも手軽に楽しめるという立ち位置のロボコーヒーでした。

実際に動く様子はコチラの動画から

 

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「あづみの」か「あずみの」か、それが問題だ。安曇野の正式名は

2005年、5つの町と村が合併して長野県中部に誕生した安曇野市ですが、「あづみの」なのか「あずみの」なのか、その「ひらがな表記」を巡っては、熱い議論が交わされていたようです。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では著者のUNCLE TELLさんが、「づ」と「ず」に表記が別れた背景と、自身のメルマガタイトルに「あづみの」を採用した理由を紹介しています。

あずみのとあづみの

私のメールマガジン「安曇野通信」は括弧して(あづみの)としているので、あずみのじゃないのですかと質問を受けたことがある。安曇野の平仮名表記には確かにあずみのとあづみのの二つある。かって安曇野市が誕生した当時の安曇野の表記方法の住民アンケートでもあずみのとあづみのの両方出ていたようである。

「ず」と「づ」の使い分けについて、濁音を付けないで発音して音の響きも含めて本来の意味用法に近い、また沿う方を使うというようなことも学校で習った覚えもある。すなわちこれによれば、掴むの場合はツカムで鷲掴みと濁る場合でもワシヅカミ、数はスウで、人数と濁る場合もニンズウである。

それでは、安曇の場合はアスミか、アツミか、音の響きからいえばアツミの方が近い。安曇族など決して確定的なことではないのだが、それをとりまく歴史的なことからは、今日ではアツミの方が旗色がいいようだ。それ故か、公的な機関でもあづみのを使う方が多くなっている状況なので、私も、“あづみの”とした。

過去の覚えに、長野県の地方紙「信濃毎日新聞」2004.12.09版に、「あづみの?、あずみの?」と題して興味ある記事が載っていたとある。

安曇野地域合併協議会は12月14日に開く会合で、事務局が提案した新市の名称「安曇野市」の是非とともに。漢字の平仮名表記についても協議する。平仮名表記をめぐっては住民の間でも折りに触れて話題になるが、事務局は歴史的経緯などから「あづみの」を推している。

 

「安曇」の由来について事務局は合併協議会に提出した資料で、海の神を祭る北九州の有力豪族・安曇氏がこの地を開いた?―――とする説を紹介。さらに海の神を意味する「アマツミ」「ワタツミ」がなまって「アツミ」「アヅミ」になったとの見方を「づ」の根拠としている。

 

一方、事務局によると、「あずみの」説の根拠となるのは1946年の内閣告示による「現代仮名遣い」。旧仮名遣いの「づ」は原則として「ず」とするように定めている。ただ86年の「改定」で「歴史的仮名遣いが、わが国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして。尊重されるべきことは言うまでもない」とされており、事務局も「歴史を踏まえ、『づ』の表記が望ましいのではないないか」とする。

安曇野地域合併協 新市のひらがな表記、協議へ 「あづみの」か「あずみの」か

昭和40年代以来の安曇野ブームももちろんあるが、安曇野地域の穂高や豊科地区では、企業や店の名に「安曇野」を取り入れるところも多いが、平仮名表記ではインターネットを検索しても「づ」の方が多い。「づ」の例は、JAあづみ、あづみ野テレビ、あづみの森、信州あづみ野穂高温泉旅館組合、最近開園した国営公園も、国営アルプスあづみの公園、一方、「ず」ではあずみ野南安タクシー、ビラあずみの、あずみのライダーハウス、あずみ野花園、あずみ野の朝など。少し発行は古いが日本の二大地名辞典の角川版と平凡社版でも「あずみ・の」としている。また国語辞典類も「あずみの」としているものも多いようだ。

この年(04年)12月14日開かれた安曇野地域合併協議会第7回会議は、新市の名称を「安曇野市」に決定し、平仮名表記については、事務局提案どおり「あづみの」にすることに異論は出なかったと、新聞は伝えている。

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人前での緊張を治したい。カウンセラーが語る「あがり症克服法」

会議で自分が発表をしたり、発言を求められたりする機会は多くの人が経験することだと思います。しかし、そのような場面ではどうしても緊張してしまうもの。人前であがらないようにするにはどうしたらよいのでしょうか?心理カウンセラーの鳥谷朝代さんは、自身のメルマガ『鳥谷朝代メールマガジン『あがり症克服パラダイス!』』の中で、緊張することを隠そうとせず、緊張を受け入れることが、あがり症克服へのスタートだと語ります。

会議やセミナーで前に座るか、後ろに座るか?

今回のテーマは、~会議・セミナー(前方の席がベストポジション!)~です。

みなさんは会議やセミナーに参加したとき、どのあたりの席を選びますか?席が決まっていないという場合、目立たない後方の席に座ってしまうという方も多いのではないでしょうか。

あがり症克服講座をやっていると、まず、後ろの方から席が埋まっていくことが多いです(笑)。
そして、どうぞ前の方の席へと促すと、ものすごい勢いで拒絶されます(^-^;

気持ちは分かります。ただ、あがり症克服に来ているのなら、その行動パターンを見直した方がいいです。席を自由に選べるのなら、できるだけ講演者や司会者に近い前の席に座りましょう。そのほうが圧倒的にオトクなのです。

話の発信地から遠い席にいると、内容が聞き取りづらいですし、「自分がそこに参加している」という意識が薄くなってしまいます。参加できていると感じたときに緊張は和らいでくるのです。

私はこれまで、何度も講演やセミナーを行ってきましたが、会場の前に座っている人ほどあがり症の改善度が大きいのは明らかです^^

【席選びのポイント】

✕ 「目立ちたくない」という意識で後方に座る
〇 「トクをしよう」という気持ちで積極的に前方に座る

前方に座ったほうが、司会や講師に話しかけやすくなります。雑談のようなやり取りでも、司会や講師、参加者の方と会話ができることが、その場をホームにすることができて自分もラクになってきます。

【会議に臨むとき】

会議で発表をしなければならないときは、緊張で意識がつい自分自身に向きがち。まわりの話に耳を傾けて、待ち緊張を緩和しましょう。

なお、「目立たないようにしよう」と思うことは、「あがらないようにしよう」と思うことと同じことで、考えれば考えるほどあがってしまうので逆効果です(努力逆転の法則といいます)。

会議や会議での自分の発言機会にも必ず目的があるはずです。その目的を達成すること(伝えること)に集中しましょう。

【セミナーに参加するとき】

人が多い場所は、あがり症を克服するチャンス!大勢の中で前の方の席に行くことは、多くの人の視線に慣れるための練習になります。

せっかく学びに来ているのに、消極的な姿勢でいるのはもったいないことです。前に行くほど集中力もアップし、話し手の話す内容に集中できます。積極的に練習の場を見つけて、人前に慣れていきましょう。

【第3回】こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談

どんな人間にも必ずやって来る「死」。あなたは自分の死について考えたことがありますか?そんな死をテーマに、小説やエッセイも手掛ける精神科医の春日武彦氏と、現代短歌を代表する歌人の穂村弘氏が深く語り合っていきます。3回目となる今回の対談テーマは「死に方」について。あなたには理想の死に方、ありますか?

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

連載一覧はこちら↓

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文句のつけようがない最期、でも……

春日 今回は、「死に方」について考えてみたいんだけど、そのテーマで真っ先に浮かんでくるのが山田風太郎の『人間臨終図巻』とかかな。

穂村 政治家から作家、果てには犯罪者まで、著名人の死に様を死んだ年齢順に923人分収めた奇書ですね。あ、山田風太郎も医者だったんだっけ?

春日 代々医者の家系に生まれて、東京医科大学を卒業するけど、事実上ほとんど医者としては稼働しなかったはず。

穂村 そっか。「死」への並々ならぬ関心は、春日先生同様、お医者さん的な視点があるからかな、と思って。あの本を読むと、驚くほどみんな若くして亡くなっているんだよね。昔の人は短命だったんだな、って。

春日 「これっぽっちしか生きてないのに、こんなに名を残してるのかよ!」とか思うよね。この人が代表作を書いた⚫︎歳の時、俺は何してたっけ??とか考え出すと憂鬱になるよ(苦笑)。そうそう、この本にも取り上げられているけど、俺にとってもっとも気になる死に方をした人物の1人に、画家の東郷青児がいるのね。

穂村 独特のタッチで美人画を描いた人だよね。絵が雑誌とかお店の包装紙とかに頻繁に使われてたから、昭和の頃は誰もが知ってる人ってイメージだったけど、どういう死に方だったの?

春日 旅行先の熊本で死んだんだけど、腹上死って言われてて。しかも81歳だからね!ボケてもいなかったし、二科会会長という地位もあれば、自身の名を冠した美術館だってあるわけでさぁ。

穂村 地位も名誉もあって、つまり、いろんな意味で絶頂の中で死んだわけね。

春日 はたから見たら、文句のつけようがない最期だよ。腹上死だってさ、世間一般の見方からすれば「男の夢」みたいな話なわけじゃない?でもさ、一方で彼の絵って、圧倒的に値段が安いのよ。生前も生後も。やっぱり「あの洋菓子の包み紙でしょ」的に見られてて、遠回しにバカにされているようなところがあった。

穂村 でも、初期はアバンギャルドな作風だったんだよね。そういう人が偉くなるにつれて体制寄りになっていくことはよくある話だけど、彼の場合そういうのを一気に突き抜けて、極端にポピュラーになっちゃった印象がある。

春日 俗っぽくてキッチュなイメージ。で、本人もそういうふうに見られていることを自覚していて、そこは豪放磊落に笑い飛ばしてたようなところがあったみたいだけど、俺は絶対超わだかまっていたと思うんだ。彼の死を考えると、はた目には理想的に見える最期だったとしても、本人的にどうだったかは分からないよな、と思えてならないんだよね。

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その人「らしい」死に方とは?

穂村 「死に方」といえば、小説家の中島らも(1952〜2004年)はお店の階段から落ちて死んだらしいけど、あれは言ってしまえば「あっけない死」なわけだよね。でも、彼の作品を読んでいる人間からすると、格好よく思えてくるのが不思議。

春日 彼はアルコール依存症だったんだよね。実際、足元がおぼつかなくて、階段から落ちて脳内出血で死ぬっていうケースは多いのよ。酒やドラッグで死んだロック・ミュージシャンを格好いいって思いがちだけど、実際にはゲロを喉に詰まらしたりしているわけで、それほどいいものでもないんだよね。

穂村 作家の車谷長吉(1945〜2015年)は、ウィキペディアによると「妻の留守中に、解凍済みの生のイカを丸呑みしたことによる窒息のため死去」だそうで、つい、格好いいと思っちゃった。うまく言えないけど、その壮絶具合がなんかぴったりだな、って。

春日 丸呑みしたらそりゃ詰まるだろ、って話だけど。その系譜だと、作家で俳人の久保田万太郎(1889〜1963年)は、宴会の席で赤貝を喉に詰まらせて窒息死してるよ。噛みきれなくて、つい飲み込んでしまって起こる事故だね。

穂村 知らなかった。魚介類ヤバいね。

春日 でも、赤貝はちょっと格好いいと思うな。粋だね!みたいなさ。

穂村 お寿司じゃないんだから(笑)。僕は、赤貝よりイカの方が格好いいと思うなー。実際には苦しそうでいやだけど。「こんなはずでは」と自分でびっくりするのも怖いしね。タコも危ないかな。

春日 イカよりタコの方が業が深い感じがするね(笑)。喉に詰まって死ぬといえば、あとは正月の餅とか。あれで死んだら、もはや半分喜劇みたいなもんだから、家族もやってられないだろうね。

穂村 昔、こういう死に方はイヤだな、と思ったのが、北海道に住んでいた僕の祖父の最期でさ。酔っ払って家で植木仕事みたいなのをしてて、そのまま寝ちゃって凍死したらしいの。その話を、たぶん親戚とかが話すのを聞いて知ったんだけど、当時はイヤだと思ってたんだよね。でも今になると、必ずしも悪くない死に方だったんじゃないかなと考えるようになった。

春日 その人らしい死に方ってどんなだろう?みたいなことをよく考えるんだけど、少なくとも穂村さんが酔っ払って凍死したら「らしいな」とは思わないよ。

穂村 そういう意味では、中島らもが階段から落ちて死んだのは「らしかった」よね。つまり、その「死に方」が、その人の生き方の延長線上にあるように感じられるから。
春日 ファンが想像するであろう、納得するであろう死に方そのものだもんね。

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夏休みの宿題の定番「読書感想文」が日本の子供をダメにする理由

小学生の「夏休みの宿題」の定番といえば、「読書感想文」。苦手とする子供も多い課題ですが、そもそも教育的見地から鑑みた場合、その存在意義はあるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、米国プリンストンで教鞭を執る作家の冷泉彰彦さんが、その「是非」をメルマガ内で考察しています。

読書感想文教育がダメな2つの理由

コロナ危機の中で、教育現場は変則的なスケジュールになっています。ですが、期間の長さは色々あっても、日本全国の学校では夏休みが設定されいます。そして、夏休みと言えば「読書感想文を書くという宿題」が定番です。

その「読書感想文」について、今年は様々なレベルで「必要性に関する議論」、が始まっているようです。つまり、子どもに読書感想文を書かせるということへの違和感が、かなり広範囲から出てきているのです。

正しいことだと思います。ちょっと遅すぎる感じもしますが、とにかく読書感想文教育なるものを、この機会に打破していくことは大切です。

どうして読書感想文というのはダメなのか、いろいろな議論があるようです。例えば、フォーマットにある「お約束」が時代遅れであるとか、価値判断を含む膨大な情報に接している現代の子どもたちの成長に合っていないというような指摘があります。確かにその通りだと思いますが、具体的には2点指摘できると思います。

1点目は、対象書籍の批判が許されないという一種の思考停止ということです。今はさすがに21世紀なので、指導する先生によっては批判してもいいという場合もゼロではないようです。ですが、例えばコンクールに応募するなどという場合は、とにかく課題図書などを選んで、その本に対する褒め言葉を並べなくてはいけないという暗黙のルールがあります。

著者の方々の名誉のために申し上げておくなら、実は、最近の課題図書というのは、結構レベルが高く、賛否両論を喚起するように書かれていたり、それこそ21世紀に生きる若い世代が直面している複雑な課題を取り上げたものも多いのです。

そうなのですが、コンクールとなると、やはり批判はダメというバカバカしさは今でも残っています。そこには日本の教育の根深い問題があります。それは、子どもは子供らしくとか、読書感想文というのは「本に出会って自分が成長した記録」だとかいう、カビの生えた昭和カルチャーが残っているという問題です。

更にいえば、そのような「お約束」に強く縛られた教師や親が指導すると、そのようなフォーマットの中で完璧に期待に応えてしまう「優等生」というのが、まだ存在しているという問題もあります。

そのような「優等生」的な発想では、未曾有の危機が連続する時代において、国家や企業のマネジメントなどできないにも関わらず、それでも「優等生」タイプが受験や就活に通用すると思われているし、実際にそうした「優等生」が国を動かして失敗してしまうのはまだまだ現実だと思います。そうした国のダメさの責任の一端が「読書感想文教育」にあるとも言えるでしょう。

大勢で一斉授業が落ちこぼれを出す。導入すべき「画期的」指導法

長きに渡り問題視されてきたもののなかなか改善されない、公立学校における大人数学級での一斉授業。当然ながら児童や生徒個々の学力に見合った指導は不可能で、落ちこぼれてしまう子供を多数出しているのも現実です。そんな現状を改善するため、今こそITの力を使うべし、とするのは世界的エンジニアの中島聡さん。中島さんは今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』で、ある「妙手」を提案しています。

プロフィール中島聡なかじま・さとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

私の目に止まった記事

公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体

「1学級最大40人の児童・生徒の集団に対して、1人の先生が一斉授業を行う」というスタイルの問題点を指摘した記事ですが、これは特に新しい話ではなく、以前から指摘され続けています。

理解力の高い子供達のレベルに合わせると大半の子供達がついてこられなくなるため、学力が「中位の下」か「下位の上」くらいのところに焦点を当てて進めるしかないが、それは学力が高い子供達にとっては時間の無駄でしかないし、それでもついてこられない子供達は、たくさんいます。

特に、理数系の授業は積み重ねなので、低学年のうちに授業についていけなくなった子供達は、それ以降、「何を話しているのか分からない授業」が続くことになるため、彼らにとっても授業は時間の無駄でしかないのです。

小学校の時に、クラスに数学のテストが(100点満点で)5点ぐらいしかとれない子がいたことを覚えています。今考えると、最初の掛け算あたりでつまづいてしまったまま、授業についていけなくなってしまったのだろうと思いますが、一斉授業のシステムのままでは、彼のような子供達は、そのまま放置されてしまうのです。

そう考えると、今こそITの力を使って個別指導を行うべきだと思います。私が以前から提案しているのは反転授業flipped classroom)という指導方法にITを組み合わせたものです。

反転授業とは、家では前もって用意された講義のビデオを観て勉強し、教室では演習問題を解きながら先生から指導を受けるというものです。子供達の理解度に応じて見るべき講義を決められるので、「授業についていけなくなってしまう」ことがなくなるのです。さらに、講義のビデオは複数の学校で共通のものが使えるので、教師は「講義の準備」をする時間から解放され、逆に個別指導により多くの時間が避けるようになります。

今の時代、適切なソフトウェアを作れば、「演習問題を解きながら先生から指導を受ける」という部分もかなり自動化出来るので、ある程度学力のある子供たちの指導はソフトウェアに任せてしまい、教師は学力の低い子供達により多くの時間が割けるようになります。

講義のビデオに関しては、Khan Academyがとても良い参考になります。Khan AcademyはSalman Khanという人がたった一人で Youtube上で始めたビデオ教材ですが、反転授業に十分使えるクオリティです。

Khan Academyについてもっと知りたい方は、「Let’s use video to reinvent education」という TED スピーチを観ることをお勧めします。

アロマでペットもリラックス。犬も喜ぶヒーリング方法とは?

私たちの生活に今や欠かせない存在となっているペット。そんな家族の一員として過ごすペットたちは、私たちのスピリチュアルパパートナーだと語るのは、スピリチュアルカウンセラーでアロマセラピストの原田瞳さん。自分のメルマガ『原田瞳のアロマトークルーム ~幸せを叶える極上のエッセンス』の中で、動物たちはとてもスピリチュアルな存在だとするだけではなく、効果的なアロマによるヒーリング方法も紹介しています。

人間とペットのスピリチュアルなつながり

犬や猫、鳥やうさぎ、モルモットや蛇、魚や昆虫などなど…大切な家族として迎え入れ、ともに暮らすこの動物たちは、私たちのスピリチュアルパートナーであり、スピリチュアルファミリーです。みんな、みんな宇宙からやってきた存在です。

わたしたち人の魂には、理性やペットをお世話するという利他の愛があります。本能だけで生きる動物たちが、人霊へと進化するお手伝いもしているわけですから、わたしたち人間が、お世話をしながら、大きな宇宙愛といいますか。

慈悲、慈愛といった感情がともに過ごしてゆく中で、育まれて魂がお互いに磨かれていることもありますね。動物がお家にいる家は、自然と自然霊のパワーも高まり、波動が上がり、宇宙や自然界の愛や法則、叡智と繋がりやすくなります。

エッセンシャルオイルのスピリチュアルな力を身につけることで、自然界の法則とひとつになり、インスピレーションや流れを味方にする力が得られることと共通点があります。

わたしたちそれぞれにスピリチュアルなガイドをしてくれる存在たちがいるように、動物たちには、自然霊たちがガイドしてくれています。だから、純粋で品質の高いエッセンシャルオイルたちのスピリチュアルなパワーやメディカルな力を正しく扱うことによって、動物たちがそれらを嫌いになるはずがありません。(動物によって、香りの好き嫌いや好みはありますが)

そして、動物たちはとてもスピリチュアルです。時折、亡くなったペットたちは、蝶やトンボ、昆虫などに憑依をして、わたしたちに挨拶にきてくれることがあります。

お墓参りにゆくと、蝶となって飛んできて、まとわりついて離れない、といったケースもあるそうです。これは、私の体験談ですが、昨年の秋に、ソワンソワン青山校でもアニマルコミュニケーションの先生をしてくださっていた萩恵先生のアニマルコミュニケーションのセッションに訪れた日のこと。

この日は、ポメラニアンのパトラ桃ちゃんや、亡くなって半年になるポメチワワの姫ちゃんのアニマルコミュニケーションをお願いさせていただいていたのです。特に、亡くなった姫ちゃんからのメッセージがたくさんやってきていたそうで、萩恵先生が降ろして教えてくださっていたのですよね。

セッションが終わり、代官山のサロンを後にする時に、母からLINEが届きました。バルコニーに止まっているトンボの写真でした。

母は、直観して「姫だ!」と思ったらしく、「姫~、おかえり~~」と声をかけたそうです。「姫~~」と呼ぶ度に、トンボは羽をバタバタ。いつも姫ちゃんが、お外を眺めていたバルコニーに、30分以上も止まっていたそう。その一か月後にも…また同じ現象が。

それとは別に、時折、スピリットとなった姫ちゃんは、息子を映している寝室の動画に光のオーブとして映りこんでいたりすることも。晩年は、実家に暮らしていたので、息子が実家にお泊りに行く時は、息子にべったり寄り添って、添い寝をしてくれていたことを思い出します。

これらは典型的な例で、魂が亡くなった後に、昆虫に憑依したり、スピリットの姿で存在を知らせ、メッセージを伝えているサインです。たとえ、肉眼では見えなくても、その存在は住んでいたお家や飼い主さんのところで、また次元の異なるところで一緒にいて、そのパートナーシップはまた永遠なのですね。

動物たちと繋がることは、自然界、宇宙と繋がること。眠らされてきたスピリチュアルな魂での会話、シンパシー、コミュニケーションを呼び覚ますために、あなたのペットもまたあなたのところに現れて、大切なことを教えてくれているのかもしれません。

動物や植物、自然界の命を大切にすることは、地球や宇宙とのコミュニケーションを大切にし、愛し、調和し合うことをサポートしてくれています。

これは、神仏に手を合わせることとも共通しています。そして、私たちの気運を高めてくれています。私たちの「気」や「オーラ」に反応して、テレパシーで物事を理解している動物たち。オーラには思念があり、言葉でいくら取り繕っていても、テレパシーで彼らは理解しています。

動物たちは、うわべの言葉ではない本心をエネルギー、気、オーラとして敏感に感じているわけです。あ、イライラしているな、とか。悲しいのだな、とか。スピリチュアルな感受性が高い人たちもまた、こういったコミュニケーションを日常でしているわけですね。

ただ感受性を閉じている人たちからすると、理解するまでにちょっぴり時間がかかることもあります。動物も人間や幼い子供たちもまた、感受性が高いタイプほど、アロマヒーリングによるサポートはとても役に立ちます。

数字を読めないと出世しない。ビジネスで大切な「数字力」とは

デキるビジネスマンは数字に強いとよく言われます。しかし、数字をベースに考えることはそう簡単なことではありません。新入社員や経験が浅い人間ならなおさらです。しかし、数字を扱うことでさまざまなメリットが生まれ、提案や企画にも説得力が増すと語るのは、ビジネスパーソンを数学的に変身させる専門家・深沢真太郎さん。自身のメルマガ『深沢真太郎の「~伝える力が身につく~ 数学的思考の授業」』の中で、数字を読む大切さを説いています。

どうすればあなたの部下は数字を読んでくれるのか?

管理職の悩み。いろいろありますよね。経営層との関係やコミュニケーション。部下との関係やコミュニケーション。自分自身のスキル。いわゆるプレイングマネジャーの方はなおさら難しいポジション。今日もいろんなものを抱えながら頑張っている人たちのはずです。

本当に、お疲れ様です。職業柄、ビジネス系の講座や企業研修に招かれます。だから上記のような方々とお会いする機会がたくさんあるわけです。みんな、何かに悩んでいます。今日はその中の「部下」に対する悩みにフォーカスします。

部下×数字力

シンプルに言えば、部下が数字に対する感度が低い。だから思考も具体的にならないし、持ってくる提案もフワッとしたものばかり。根拠や裏付けもないので、その提案を承認できない。結果その部下はもちろん、部門全体の仕事も前に進まない。結果その部門の生産性が落ちる。部門を預かる管理職としては、看過できない問題でしょう。

一般論ですが、プライベートとビジネスシーンの違いはなんでしょう。様々な答えがある問いですが、私は「いちいち理由が要る」という答えがエッセンシャルだと思っています。

例えばプライベートでランチにカレーを食べるとします。なぜカレーを選んだのでしょうか。別に理由なんて要りません。強いて理由を言語化するのであれば、こんな感じでしょう。
「なんとなく食べたかった」
「たまたま店の前を通りがかったから」
「そんな気分だったから」
理由なんて要らない。もちろんそれでOKなわけです。しかしこれがビジネスになると話が変わってきます。

例えば会議を開くとします。なんでその会議をするのか、理由が要ります。取引先に発注をするとします。なんでその取引先にそのサービスを発注するのか、理由が要ります。そしていちいち「ハンコ」が要ります。ビジネスは「いちいち理由が要る」世界でする行為なんですね。

前置きが長かったかもしれません。数字の話をしましょう。

部下は数字を読んでくれない。そんな課題があったとします。というか、ほとんどの企業(その管理職)が持っている課題です。なぜ部下は数字を読んでくれないのか。その答えはとってもシンプル。数字を扱わなければならない理由がないから。あるいはその理由をわかっていないからです。

管理職になるような方はそもそも仕事ができる人です。仕事ができる人は、数字の大切さがすでによくわかっています。だから「そんなの当たり前」としか思えません。

しかし、部下や若手はそうではありません。教えてあげないといけない、気づかせてあげないといけない。そういうテーマなんです。それも管理職の重要な仕事なんです。私が企業研修で「そもそもなぜ数字って大事なんだろうね…?」というアプローチから入るのはこういう理由によるものです。まさにこれも「理由」の話。やはりビジネスでは「いちいち理由が要る」ですね…。

ではどうすればいいか。数字を扱うことのメリットを伝えることです。メリットは仕事によって様々ですね。そこはその現場の仕事を熟知している管理職の腕の見せ所です。

「計画倒ればかりの息子が心配です」家庭教育のプロに聞いてみた

「やる」と言ったことをやらない。親をイライラさせ心配させる子どもの振る舞いの中でも、上位に位置づけされる行動なのではないでしょうか。メルマガ『子どもを伸ばす 親力アップの家庭教育』著者の柳川由紀さんは、「子どもが自分の欲求に従ってしまうのは仕方がないこと」としたうえで、子どもの成長のために親が意識すべきこと、できることを伝えています。

進路ではなく針路を与えましょう

Question

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息子は計画倒ればかりです。宿題の計画を描いたものの実行しない、勉強しようよ、と一緒にこちらも準備をしても友だちと約束の時間だから無理、と言います。基本的に子どもを尊重する教育方針なのですが、果たしてこの姿勢で子どもが伸びるのか心配になってきました。(小学2年男子のお母様より)

柳川さんからの回答

「子どもは親の言うことを聞かないもの」と認識しておきましょう。子どもには子どもの世界があり、子どもの都合もあります。大人が折れることも必要です。親にできることをお伝えします。

1.親の常識を見直す

子どもは「小さな大人」ではありません。大人の言うことを聞かない、自分の欲求に従う、というのは当たり前です。そうした中で、実際に失敗したり、困った体験をしたりすることによって、子どもは自分のこととして受け止め、自立に向かいます。

子どもは親の言うことを聞かなくて当たり前、それができる子どもは「小さな大人」です。大人の物差しで子どもを見ずに、ありのままの子どもを見るようにしましょう。

2.自分で責任を取ることを学ばせる

例えば、親の言うことを聞かずに、遊びたいから遊び、宿題をしなかったら、翌日学校で、先生から叱られればいいのです。実際に叱られる体験、宿題をせずに授業が分からなくなる経験をしない限り、どれだけ親が言葉で伝えても伝わりません。

子どもが自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取れるようにするには、結果ではなくその結果によって子どもがどうしたか、という点に注目しましょう。この場合、「宿題をしなくて叱られた」という結果ではなく、「叱られた」ことによって「自分がどう思ったか、今後どうするのか」が大切なのです。

3.自分をさらけ出す場所を見つける

今の子どもたちは、親の世代と比較して、本当の自分をさらけ出す場所や、だらっとした姿を見せられる場所が少なくなりました。学校では気を使っていますし、かつては、近所の人や、駄菓子屋のおばさんなどと会話してストレスの発散場所がありましたが、今は、コンビニや自動販売機が相手です。

放課後、仲の良い友達と遊ぼうにも、習い事や塾に明け暮れる子どもたちばかりで、時間に追われ、思う存分とことんまで遊ぶことができません。だからせめて、家では自分をさらけ出せる環境を整えておきましょう。少しくらい片付いていなくても、だらだらしても目をつむることです。