現役科学者が考える、社会心理学的に一目惚れを成就させる方法

もしお近づきになりたい人が出来たら、あなたならどう動きますか?それが片想いの恋ならば、どう思われているのかを気にするよりも、まずは自分を知ってもらわなければ話になりません。今回の無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』では著者で科学者のくられさんが、ゲスト出演した有料配信番組に寄せられた「お悩み相談」の中から、ある片想いの悩みを取り上げ、「人と人の距離」について解説しています。

科学的 恋の悩み相談室

毎月1回『~の主役は我々だ』さんとの有料配信にゲストとしてお邪魔しておりまして、そこで「お悩み相談」を行ってます。

基本的に「~という具合なんですがどうしたら?」とか「上司の口臭が~」みたいなお悩みを科学的に切っていくみたいなザックリしたバラエティトークなのですが、先日ちょっと毛色の変わったモノを取り上げました。

悩みの内容は「先輩のことが好きになってしまった接点も何も無く話もできない状態だけど告白したら…」といった甘酸っぱいお悩みです。この悩み相談、別に科学的に答える話でもなんでもなさそうなのですが、いろいろ大事な要素が隠れているので取り上げました。

人と人の関係というのは恋愛だけでなく先輩と後輩、教師と生徒、上司と部下、あらゆる社会の現場で人と人のコミュニケーションにおいて大事な要素です。そもそも学校というのはそういった場でコミュニケーションを学ぶ場でもあるので、そこで失敗するとぶっちゃけ社会に出てからというか一生苦労することになります。

この辺の解釈を難しくすると社会心理学という学問になり、人間と人間の反応を学問として研究されています。しかしこの社会心理学である程度解明されていることを知ることでコミュニケーションを円滑にすることができます。理論ばかりになって頭でっかちで動けなくなっても本末転倒ですが、エッセンスぐらいには社会心理学の本を読んでみるといいかもしれません。

さて、今回の悩みですが、これすごく大事な要素が含まれています。

接点も何も無く話もできない状態だけど告白したら…」

という点です。よくある一目惚れですね。一目惚れからの告白は思いの一方通行なのでそこが問題なのです。

大好きな対象について好きな人はその人をずっと目で追いかけていて、仕草や、動き、はたまた何が好きなんだろう、お弁当はこんなのを食べるんだ…音楽は何を聞いてるんだろう…と好きな人について知りたいからずっと見ていますね。これは「一方的に知っている状態」といえます。

しかし、見られている先輩は質問者のことをおそらく「顔は知ってる」程度の認識で終わっているかと思います。自分が見ているから自分が知っているから相手も自分のことを知っている…というのはあり得ませんよね?

つまり、「一目惚れしました!好きです!」と言ったところで、「え?誰?」なのです。そもそも可も不可も無いのです。

それでも成立する場合はなんとなく容姿や格好が自分の好みから逸脱していなければ「じゃあまずはお友達程度に付き合って…」と成立することもあります。まぁ見た目がそこそこで自分に好意を伝えられて嫌な気持ちになる人は少ないです。相当生理的に無理な場合などはともかく、例え好みの相手でなくても好意を持たれたことに嫌悪はあまり持ちません。

しかし、この成功情報からイケメンや美人でないと恋愛は成功しないみたいな謎神話が生まれるわけです。

ぶっちゃけ容姿は姿勢良く不衛生でなければ人間はよっぽどのことがない限り超ブスにはなりません。だいたい自分でブサイクと思っている人は、そういう「諦めの上に自己認識を載せている状態です。

つまり自分が嫌いなわけです。

夜の街のオネエの言葉を借りると「ブスにあぐらかいてんじゃないワよゥ!」って感じ。

自分が嫌っているものだけど人には好いて欲しいというのは態度からして卑屈になって「キモい要素」になりがちなので、そもそも好かれないようにしているのに好きになって欲しいという理屈を押しつけることにもなるわけです。これはいけません。

人を好きになってその意図を伝えたいならまずは自分を大事にして(決して自分最高のナルシストという意味ではなく)その上で、出来る努力をしてから相手に挑むべきなのです。

世の中をみているととびきりの美人でも自己肯定感の低い人はブサイクに見えるそぶりや表情猫背で眉間に皺を寄せて口をへの字にしていたりが固定化されている人もいます。凄くもったいないです。

現役教師が告発。学校教育に競争を持ち込むとろくな事にならぬ訳

偏差値やテストの順位等々、「世界は競争で成り立っている」ことを叩き込まれ続けている子供たち。しかし、他人と比べて秀でていることのみに注目した学校教育は「正解」なのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では現役教師の松尾英明さんが、競争の原理を教育現場に持ち込むべきでない理由を解説しています。

教育に競争を持ち込まない

学校教育における競争」について。

先に結論を述べる。学校教育に競争を持ち込むとろくなことにならない。メリットより害悪の方がはるかに多い。なぜなら、競争は協働の力を削ぐからである。

ちなみに、教員評価制度もこれである。一緒に働く仲間同士に誰かの視点で優劣をつけられると、うまく協働できなくなる。損得で働くことになり結果的に評価につながらない損な役回りは誰もしなくなり学校は荒れる。要は、教育現場なのにアメとムチで人を動かそうということであり、退廃はわかりきったことである(「目立つ」子どもをよくほめる、叱る教師の学級が荒れるのと同じ原理である)。

競争は相手より優位に、上に立つことを目標とする。1位が一番良いし、人より先んじることが善である。最下位が最も劣る評定で、人と比べて遅れることが、そのままマイナス評価になる。

ここまで書いていることだけでも、教育の現場に全く馴染まないのがよくわかる。

ちなみに競争の象徴であるかのような部活動指導も優れた指導者は競争原理ではなく協働の原理を上手に使って導いている。だから、チームの雰囲気が、誰に対しても本当にいいのである。ただ強さだけを求めるチームは、差別やいじめがあるなどして、チーム内がぎすぎすしているはずである(競争は、ランキングというその性質上、必ず差別化を含む)。

健全な競争は企業間にとっては有効に働く。企業間競争が、顧客にとってのサービス向上にもつながるのも事実である(ただしこれが値下げ競争の形をとると、サービスの質の低下にもつながる)。

しかし、市場原理の多くは、教育には馴染まない

なぜなら、学校にとっての顧客とは、子ども全員、一人一人だからである。A君が1位でZ君が最下位、というような見方では、全員を良く」したことにならない。教育は「常時善導であるべきで自尊感情を損なうことは悪導」(注:松尾造語)でありマイナスである。

これは、例えば「叱ってはならない」ということではない。叱ることによって善導もできるし、「悪導」にもなる。ほめることも同様である。

この叱る・ほめるを競争として使わないというのは、重要にして最もできていない部分である。

何かが人よりできたからほめる。
勝ったからほめる。
成功したからほめる。
何かが人よりできないから叱る。
失敗したから叱る。
負けたから、叱る。
結果を、他人と比べる。

全て激しくマイナスである(だから、通知表を互いに見せるような行為は、厳に慎むべきこととして教える。ここは親同士も同様である。兄弟間も×である)。

特に、世間の一部で「ほめるを手放しにプラスに捉える傾向があるので、要注意である。以前も書いたが「100点をほめる子どもはどんどん追い詰められる(参考:プレジデントオンライン記事「『100点答案』を褒めると勉強嫌いになる」)。

叱るのは、人の道として誤っていると思うから叱るのである(怒るのは、感情的に気に入らないから怒るのである。人間同士の教育だから、それもある)。ほめるのは、(上の立場から)相手の努力といった人間性に対して心からの賞賛拍手を送りたいからほめるのである。単なる結果でしかない点数をほめるのとは、全く違う。

勉強とは、競争ではない。勉強とはたゆまぬ自己研鑽である。受験はどうだというかもしれないが、あれも根本は自分とのたたかいである。結果はすべて自分を高めた結果であり周りとの比較など本来関係ないはずである(とる側が合格して欲しいと思うような人間は、誰と比較しなくてもわかる)。

同じ方向を見つめる仲間と、競争ではなく協働して切磋琢磨」すればいいのである。「受験競争」でマウンティングしたり、相手を貶めたりする必要はない。

学級での些細な言動、あるいは授業の中で、ちょっとした競争をさせてしまっていないか。それによって、ぎすぎすした人間関係を築く「悪導」をしてしまっていることを見過ごしていないか。

学級で協働がうまくいかない根本的な原因を、そういった行為が作っている可能性がある。特に、親や教師といった大人が他者より優れたい自分だけが得したいという思いがあるとそれは子どもに移る。教育において、競争原理の扱いについては、十分注意したい。

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キレても無駄。子供が「ちゃんと」「とにかく」を理解できない訳

自分と子どもだけでいる時、いつの間にかイライラし始めている…、そんな経験はないでしょうか。今回の無料メルマガ『子どもが育つ「父親術」』では、親子が共に楽しく過ごせる環境づくりのため、まずは親が余裕を失う前に試してみたいいくつかの予防策を提案しています。

子どもに対してキレてしまう…

このブログは、“父親術”と名乗ってはいますが、読者の半数以上は女性のようです。また、中には学生さんなど、パパ・ママ・保育士さんなど以外の読者さんもいらっしゃる模様。

そんな、まだ子どもを持っていない読者の方にお伝えしたいことのひとつが、「子育ては、楽しいことばかりじゃない」ということ。時には子どもを憎らしく思うこともあるものです。実際には、それでも充分にお釣りが来るくらい楽しい時間と素敵な経験が得られるのですけどね。それでも、このことを頭の片隅に入れておいてくださいね。

子育ての楽しさ・素晴らしさばかり聞かされていると、いざ自分が子どもを憎らしいと思ってしまった時が心配です。本来、自然で普通なことなのに、自分がものすごくダメな親に思えたり人間失格な気分になってしまい自分を責めてしまう恐れがありますので。

さて、「時に憎らしく思う」ことが「自然で普通なこと」であるとは言え、中には「子どもに対してブチ切れてしまう」というような状況も、起きてしまうことがあります。読者の方の中にも、このことを気にしている方は多く、メールいただく話題のトップ3に入るのでは、思うほど。「ついカッとなってキレてしまい、後になって後悔する、の繰り返し」「今日こそは穏やかに優しく、と思っていても、結局イラついて怒鳴ってしまう」など、お悩みの声をよくお聞きします。

その時はその時で、後で冷静になってから「ちょっと怒りすぎちゃった、ごめんね」と言えば良いのですが、できる範囲で防いだり減らしたりすることは、心がけても良いでしょう。

子どもに対してキレてしまう時に共通する条件が、

  1. 親の側に余裕がない
  2. 何度言っても、言うことを聞かない

の2つ。これらを詳しく解きほぐしながら、どうすればキレずに済むかのヒントをお届けしますね。

1.親の側に余裕がない

親の方に余裕がない時には、余裕を回復するのが一番です。この点については正攻法がおススメです。体力的に余裕がないなら、休息しましょう。時間的に余裕がないなら、一定の時間内にやろうと思っている「やるべきこと」「最低限やっておきたいこと」を、思い切って大幅に削減しましょう。気分的に余裕がないなら、「こうでなければイケナイ」という思いや、どこかで言われたこと・読んだことを忘れて、「自分と子どもが居心地良いかの原点に立ち返ってみましょう。

…でも、それができないから、余裕を失っているのですよね。

ここで強くお勧めしたいのが、人の手を借りること。じじ・ばばに預ける、近所の子育て仲間にしばらく子どもを見ていてもらう、保育サービスを利用する、というのが代表的な「人の手を借りる」作戦です。他にも、子連れで行ける遊び場・サークルなどを見つけておく、個人的な仲間以外にも相談できる機関・相手を知っておく、なども役に立つでしょう。

ですが、「人の手を借りる」ことは、往々にしてとても難しく、勇気を必要とします。この点については機会を改めて書こうと思いますが、余裕があるうちに頼り頼られることができる仲間を意識的に増やしておくことは、今の時代の子育ての重要項目です。

日本人観光客が前年比4~5倍に。中央アジアの「ある国」の真相

世界情勢が不安定な昨今、海外旅行先として、かつてシルクロードで栄えた「中央アジア」に注目が集まっているようです。ジャーナリストとして数々のメディアで活躍中の嶌信彦さんは今回、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で、シルクロードのオアシスと呼ばれた「ウズベキスタン」を実際に訪れ体感した日本との歴史的絆や、新興国特有の空気感をジャーナリストの鋭い視点で記しています。

急成長ウズベキスタン訪問記

中央アジアのウズベキスタンへ行ってきた。今回は私が会長を務める「NPO法人日本ウズベキスタン協会」の20周年記念旅行で、9月6日から13日までの8日間の訪問だった。会員と一般募集で募った約30人が参加し、和気藹々の実に楽しい旅だった。年配のご夫婦をはじめとして、中堅や20~30代の若手も交じり、普段ではなかなか一緒に旅行する機会のないメンバーでの旅行となった。

日本人捕虜が建てた「ナボイ劇場」を見学

週2便のウズベキスタン航空で成田から直行し、9時間半ほどで首都タシケントに到着。翌日は敗戦直後に旧ソ連によって満州から連れて来られた日本兵捕虜457人がウズベク人とともに2年間かけて建設した伝説のナボイ劇場」(オペラハウス)や日本人墓地、現地のジャリル・スルタノフ氏がコツコツ集めた資料を展示している日本人抑留者資料館を見学した。抑留当時の貴重な建設の様子などを8ミリフィルムで撮影した映像や資料を拝見したり、ウズベキスタンの歴史博物館なども訪れた。

今回の旅行には、隊を率い、ウズベク人を指導しながらビザンチン風の3階建て「ナボイ劇場を建設完成させた永田行夫隊長のご子息ある永田立夫氏も参加されており、感慨深げだった。立夫氏によると父の行夫氏は生前、捕虜時代のことをあまり詳しく話されなかったため古い映像や資料を見て苦労の実情がわかったという。

また、永田隊長は「ナボイ劇場」を建設するに当たり「捕虜として労働させられるのだから適当に作っておけばよいという考え方もあるだろうが、この劇場が今後数十年も残ることを思ったら日本人として恥となるような仕事はせず、後世にも名が残るような立派な建物を作ろう」と収容所の仲間に呼びかけた。

その後、1966年にタシケント大地震がありタシケントの街がほぼ全壊した時、「ナボイ劇場だけは悠然と建ち続けその名を中央アジアにとどろかせたのだ。日本ウズベキスタン協会では、2001年に設立10周年の記念イベントとして日本のオペラ『夕鶴』を企画、主催し、建設に関わられた方々がオペラ終了後に「ナボイ劇場」の舞台に立たれたこともあるだけに、懐かしさも一杯だった。

日本への留学生たちと旧友を温める

もう一つの楽しみは、2日目の夜に旅行団とウズベキスタン在住の日本関係者とのパーティーを開催したことだった。かつて日本に留学していた方々や赴任されたばかりの在ウズベキスタン日本大使の藤山美典氏、ウズベキスタンに赴任されている商社やJETRO、JICAなどの関係者30名をお招きし、久しぶりに再会し話がはずんでいた。

■世界最大の公害の塩湖「アラル海」の悲劇

さらに、今回のハイライトのひとつは、世界最大の環境問題地域といわれる「アラル海」を訪れたことだった。綿花や水稲の灌漑農業用水に「アラル海」の水を利用した事業の促進によって、旧ソ連時代に世界第4位の湖面面積(北海道と同じ位の広さ)を誇っていた大湖が砂漠化し60年間で9分の1にまで減少。塩分が上昇し湖水流域の漁業、農業もほぼ全滅した。砂漠化したかつての湖底に立つと、漁船があちこちに錆び付いたまま放置されている「船の墓場と呼ばれている異様な光景にみんな口をつぐんでしまった。

アラル海の公害現場はウズベキスタンとカザフスタンにまたがる地域に存在していたが、いまやカザフスタンにある小アラル海だけが残っているという。当時、「アラル海」縮小による漁獲高減少による損害は最大6,000ルーブル、灌漑農業によって得られる利益は140億ルーブルに達するとみられ、損益面からのみ考え実施したものの、気候の変化やデルタや河川の砂漠化土壌の塩類化、牧草の減少──などが次々と起こり自然改造によって起こる環境破壊が大きな国際問題になってしまい、人間の愚かさを示していた。

「お前は今日でクビだ!」と叫ぶ社長に知っておいて欲しいこと

企業が抱えるトラブルの中で大きな割合を占める「解雇」に関する問題。今回の無料メルマガ『採用から退社まで! 正しい労務管理で、運命の出会いを引き寄せろ』では著者で現役社労士の飯田弘和さんが、企業側が解雇を行う際に気をつけなければならないこと、そして労働者側が解雇を予告された際にすべきことを紹介しています。

解雇予告手当について

いろいろなご相談を受ける中には、解雇に関するご相談が多くあります。労基法20条では、解雇をする場合には、その30日前までに労働者に伝えるかあるいは30日に不足する日数分の解雇予告手当を支払うことになっています。即日解雇を行うのであれば30日分の解雇予告手当の支払いが必要になります。

※その解雇が不当かどうかは労契法の問題(民事的な問題)であり、労基法では解雇の手続きについてのみ定められています。

ところで、この解雇予告手当を労働者が受け取るといった行為は、どういった意味を持つのでしょう?解雇予告手当を受け取る行為には、以下のような意味合いが考えられます。

  1. 使用者の合意解約の申し込みに対する承認
  2. 将来、解雇の効力を争わない旨の和解
  3. 解雇の効力を争わない意思の表明
  4. 当面の生活保障のための受領

4.については、解雇そのものを認めていない納得していない)ことになります。ただし、漠然と解雇予告手当を受け取った場合には、解雇を認めたものと解されてもおかしくありません。もし、解雇を認めていない・解雇に納得していないなら、解雇予告手当を受け取るときに解雇を承認したわけではないことを表明すべきでしょう。

ましてや、使用者が解雇予告手当を支払わないときに、使用者に対して解雇予告手当を請求した場合には、解雇の効力を認めていると判断されてもおかしくありません。労働者が解雇無効を主張する一方で、解雇予告手当を請求することは矛盾していることになるからです。

しかし、安易な理由での解雇を行えば、結局、裁判等で解雇無効と判断されてしまうでしょう。事業主が気を付けるべきことは、安易な解雇を行わないことその場の感情で解雇を行わないことです。また、解雇予告手当の支払い時には、可能な限り、解雇の効力を争わない旨の合意書を交わしておくべきでしょう。

解雇は、労働者の生活の糧を奪う行為です。労働者のプライドを傷つけます。今まで会社のために尽くしてきたのに会社に裏切られたショックや会社への反感を抱かせます。したがって、労働者は必死に反撃してきます。また、解雇された労働者の周囲の人間やある種の弁護士などが、会社との争いを煽ったりもします

争いになれば、時間も労力もお金も掛かります。事業主であれば、争いにならないようにすることに労力を割くべきです。自ら争いを招くような安易な解雇は、絶対に行わないで下さい。

解雇予告手当について、最後に1つだけ。解雇予告手当は、税法上は退職所得として扱われます。そのため、「退職所得の受給に関する申告書」を提出してもらう必要があります。また、解雇予告手当には、雇用保険料や社会保険料は掛かりません。

以上が、本日の解雇予告手当についてのお話しとなります。

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自分らしく生きていきたいあなたが、今すぐ手放すべき「考え方」

「あなたが本当に実現したいこと」を形にするためのコツはあるのでしょうか? 7,000人近くもの読者を持つ人気無料メルマガ『たった一つの小さな「コツ」があなたを変える』の著者、野澤卓央さんが、あなたが本当にやりたいことを見つけ、実現するためのヒントを教えてくれました。

まずあなたが信じるべきもの

20代のとき経営者、哲学者、宗教家など、様々な分野で活躍する方に会いに行きました。あるとき、科学者として活躍する方の家に行ったとき、その方がふと僕にいいました。

「科学者ほど見えないものを信じている人はいないと思っている。なぜなら、世界中の人たちがまだ知らない、確信できる証拠も答えもないものを、“ある”と信じて本気で研究するのだから」。

キング牧師の言葉で、「疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべてが見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。」という言葉があります。

“外側”に形も実績も証拠も確証もないけれど、自分の“内側”にあるものを信じ歩むことができれば、自分がこの世界にもたらしたいものを創造することができるのかもしれませんね。

自分の“内側”にあるものを信じるには?

自分の内側にあるものを信じるには、“自己受容”が大切になります。自己受容とは自分の内側にあるものは“すべてあっていい”と思えている状態です。良い自分、出来る自分、好きな自分だけを認め、受け入れるのは、本当の意味での自己受容とは言えません。

ポジティブな感情や価値観(考え方)を持つ自分だけを受け入れるのではなく、自分の内側にあるネガティブといわれる“感情”と“価値観”への理解、受容をしたとき、つまり、すべての感情や価値観を受容できない自分をも受容したとき、自分の内側にある声を正確に聴けるようになっていきます。

難しく考えず、受け入れるぞと壮大に構えるのでもなく、どの感情や価値観も、『あっていいんだ』と、軽やかに捉えるのがポイントかもしれません。

不快な感情を理解、受容した先に道がある

自分の内側にあるすべての感情と価値観を受容したとき自分への愛おしさが湧いてきます。それが、自己受容です。至らない自分を払拭し、理想の自分になろうと努力する先には“自己受容”はありません。また、直線的に自己受容を目指すと、自己受容していない自分を否定してしまい、自己受容が困難になります。

自己受容への道のりは、自分の内側にあるすべての“感情”と“価値観”を理解、受容したとき自然と“なるもの”。すべての感情とは、自分の内側にある、怒りや悲しみ、憎しみ、妬み、殺意など。良い悪い、正しい間違いから見ると、ダメ、悪いとされる感情への理解と受容によって道が拓かれます。

世間の常識では怒りや妬みをダメな感情と言うことが多いですが、大自然がつくった人間の内側にあるものを、人間が良い悪いで評価判断していいものか? 常識や当たり前を健全に疑うことが大切でしょう。ポジティブな感情は良いもので、ネガテイブな感情は悪いものという先入観を超え、感情とは何か“真実”を理解していくことで、感情による悩み苦しみから解放されます。

【動画】絶対パニクる…登った木が突然激しく燃え出してしまう

高い場所で木を切る作業は少々危険だが、木登りや器具を使い慣れた人にとってはさほど難しくない。

しかしこちらの動画ではアクシデントが発生してしまい・・・
 

 
ヤシの木に登って作業していた男性。

チェーンソーで作業していると、手元でヤシの木に火がついてしまう。

手元にある火がついた木などはなんとか外して落としたのだが・・・

落として燃えたままの木片が、木本体に燃え移り激しく燃え上がってしまった!

ヤシの木は油を多く含むため引火してしまったのかもしれない。

さすがに火傷は負ってしまったことだろう。今後は気をつけてほしいものだ。

 
 

 
 
(※↓詳しくはコチラへ)
参照・画像出典:YouTube(ViralHog)
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)

 

記事提供ViRATES

なぜ「筋肉食堂」はここまで店舗数を増やし弁当まで人気なのか?

誰に何を提供するのかがひと目で判る店名を冠することで、強いインパクトとメッセージを送り、大成功を収めたレストランがあります。今回の無料メルマガ『MBAが教える企業分析』では著者でMBAホルダーの青山烈士さんが、現在注目を集めている「筋肉食堂」の戦術と戦略を詳しく分析しています。

自分のためのお店だと思ってもらう

今号は、注目を集めているユニークな食堂を分析します。

● TANPAC株式会社が展開している「筋肉食堂

戦略ショートストーリー

日々トレーニングしている方をターゲットに「ボディメイクに有効な食事のノウハウ」に支えられた「高タンパク・低カロリー食が美味しく食べられる」等の強みで差別化しています。

顧客のカラダづくりを食事でサポートするために、目的別のメニューを用意し、顧客が求める栄養バランスの食事を提供することで、支持を得ています。

■分析のポイント

「筋肉食堂」というお店の名前が顧客にとって非常にわかりやすいメッセージにもなっていますね。まさに「名は体を表す」ものとなっています。

ボディメイク(自分にとって理想の体型を作ること)に取り組んでいる方にとっては、自分のためのお店だと思う方が多いでしょう。

店名で何屋かがわかるのは特に新しいお店にとっては大切です。仮に「筋肉食堂」の名前が「青山食堂」だったとしたら同じメニューを提供していたとしてもターゲット顧客に認知していただくことは容易ではないでしょう。

ですから、店名を聞いて、どんなメニューを提供しているのか想像できるというのは、競争の激しい外食業界に参入するうえでひとつの大切な要素になるのです。つまり、店名で何屋かがわることがターゲット顧客に関心をもってもらうためには有効ということです。

また、目的別にメニューを用意しているところが素晴らしいと思います。

ボディメイクといっても、マッチョになりたい方もいれば、ダイエットしたい方もいるでしょうし目指す体型は、人それぞれです。ですから、目的別にメニューを提供することでボディメイクを志す方に寄り添うことができます。

これにより、顧客にとっては、自分のためのお店だと感じることにつながるでしょう。自分のためのお店だと思ってもらえているからこそ、店舗数を増やすことにつながっていると思いますし、その人気がお弁当にも拡がっているのだと思います。

今後の「筋肉食堂」に注目していきたいです。