NATO出席にトヨタ電撃訪問。岸田首相“異例日程”が炙り出す選挙戦術

6月15日に通常国会が閉幕し、7月10日の投開票に向け戦いの火蓋が切られた参議院選挙。しかしそのさなかにNATO首脳会議の出席のためスペインを訪れるなど、岸田首相の選挙戦における党総裁としては異例のスケジュールが一部で話題となっています。この動きを政権与党の高度な選挙戦術と見るのは、元全国紙社会部記者の新 恭さん。新さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で今回、自民党と電通の深い関係を紹介するとともに、やはり選挙戦の只中に予定されている首相のトヨタ自動車本社への訪問も、電通が絡んだ選挙対策の1つと推測。さらにNATO首脳会議の出席についても、同社スタッフが選挙への効果分析を行った可能性を指摘しています。

 

岸田首相の異例スケジュールから自民党選挙戦略の裏側を読む

「6月22日公示、7月10日投開票」と決まった参議院選挙。当然のことながら、事実上の戦いはとっくにはじまっており、圧倒的に自民、公明の与党陣営が優勢とみられている。

なにしろ、今月3~5日に読売新聞が実施した全国世論調査では、岸田内閣の支持率64%、自民党の政党支持率43%と高水準なのである。参院選を意識し、野党と対決するような法案の提出を避けた岸田政権の“真空路線”が功を奏しているのかもしれない。

さぞかし“左うちわ”の心境であるはずの岸田首相なのだが、このところ国政選挙前としては“異例”ともいえる決断が相次いでいる。

その一つが、6月29、30日にスペインで開かれるNATO首脳会議への出席だ。選挙戦の真っ最中、ふつうなら党の候補者の応援で全国を駆けめぐるところである。

もちろん日本はNATOの加盟国ではない。ロシアのさらなる反発があるのは必定だ。米国の要請があったにせよ、選挙を理由に断ることもできたはず。それでもあえて出席を選んだのは、なぜなのか。

筆者が思うに、「勝ってあたりまえ」という状況は、それなりに辛いところがあるに違いない。よほど大勝しない限り、野党の体たらくのせいなどと片づけられるのがオチだろう。

岸田首相とて権謀術数の渦巻く政界をくぐり抜けてきた1人である。参院選にのぞんで、欲もかくし策も練る。“外交の岸田”をアピールし、リーダーらしく振る舞うのに、NATO首脳会議は格好の舞台だと見積もったのではないだろうか。

「地球儀を俯瞰する」と言って外遊を好んだ安倍元首相は、米国のトランプ元大統領やロシアのプーチン大統領らとしばしば首脳会談を行い、“やってる感”を演出した。これといった実りがなくとも、なぜか日本では米国大統領と仲良くすることをもって、外交成果と評されたりする。

モリ・カケ・サクラなど数々の疑惑を抱えながら安倍政権が選挙に強かったのは、外交パフォーマンスによるところも大いにあったはずだ。

2012年から17年まで外務大臣だった岸田氏は、安倍首相に外交の主役を奪われたため、目立たぬ存在に甘んじた。しかし、外交を政権維持の重要な手段とする安倍流を間近で学ぶ期間でもあった。

記者団を引き連れて外遊を繰り返し、その都度、外国首脳とにこやかに握手する姿がテレビで報じられる。そのイメージの積み重ねが、いざ選挙というときに役立つことを、岸田氏は嫌というほど見せつけられてきた。

今年5月22日、バイデン大統領が日本にやって来て、日米首脳会談が行われた。自分が米国を訪問するより前に、むこうから来てくれたのである。参院選を控えた岸田首相としては最大の勝負どころだった。バイデン氏から「いい友達だ」と持ち上げられ、岸田氏が身を乗り出してうれしそうに握手を交わす光景から見て、少なくとも蜜月関係の演出には成功したといえるのだろう。

 

“敵の牙城”で大暴れ。大阪に乗り込み「維新の正体」を暴く菅直人元首相の行動力

7月10日に投開票が行われる参院選で、昨秋の衆院選の勢いそのままに野党第一党の座を狙う日本維新の会。しかしその前に、強力な敵が現れたようです。元毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中 香尚里さんは今回、かつて首相を務めた立憲民主党の菅直人氏が、自ら大阪に乗り込み展開する「維新との戦い」の様子を詳細にレポート。菅氏が暴かんとする維新の正体と、彼らの政治に翻弄される大阪の市井の人々の声を紹介しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

「維新を斬れ」菅直人元首相が大暴れ(前編)

立憲民主党の菅直人元首相(党最高顧問)が、参院選(22日公示、7月10日投開票)を前に、妙に存在感を増している。この参院選で「立憲から野党第1党の座を奪う」と息巻く日本維新の会を目下の「敵」と見定め、自ら党の「大阪特命担当」を名乗り、維新の牙城の大阪にたびたび乗り込んでいる。現在75歳。菅氏は自身の政治活動の「集大成」を「維新との戦い」と見定めているかのようだ。

「11年前に総理を務めました、菅直人です」

13日朝。菅氏は、立憲民主党が参院選の大阪選挙区に擁立を決めた新人・石田敏高氏らとともに、JR京橋駅(大阪市城東区)前で街頭演説に立っていた。京阪本線や大阪メトロも乗り入れるターミナル駅。足早に行き交う大勢の通勤客に向け、菅氏はこう訴えた。

「自民党が与党で、維新が野党なのではありません。維新は自民党をもっと右に引っ張っていく政党なのです。維新の正体を大阪の皆さんに見極めてもらいたい」

街頭演説で配られていたのが、菅氏自らが作成した小冊子「維新政治を斬る!」だ。

A5判24ページの冊子には、維新政治の危険さを表すキーワードとして「カジノ・イソジン・核武装」を挙げた。カジノは「弱い者をいじめて強い者を強くする新自由主義的な経済を目指すこと」、イソジンは「国民の生命や暮らしを守ることをないがしろにし、『やってる感』ばかりを演出すること」、核武装は「戦後日本が築いてきた平和主義と民主主義的価値観を踏みにじり、戦前回帰を図ろうとすること」の象徴であると指摘した上で、維新が掲げる「身を切る改革」について「国会議員を3割減らしても、国民1人あたり約200円にしかならない」などと批判している。

ビラに比べてかなり情報量の多い冊子だが、せわしない通勤時間帯にもかかわらず、用意していた数はすべてはけていた。

今さら繰り返すまでもないが、大阪における維新の勢いはすさまじい。昨秋の衆院選では、19ある小選挙区のうち15選挙区で維新が勝利。ちなみに、残る4議席は事実上の協力関係にある公明党が勝利している。

一方、立憲は党のシンボル的存在である辻元清美氏(大阪10区)が比例復活もできず落選するなど惨敗し、現在大阪を選挙区に持つ立憲の衆院議員は、比例復活した森山浩行氏(選挙区は大阪16区)1人だけ。参院議員は1人もいない。参院選はここ2回、改選数の4議席を維新2、自民1、公明1で分け合っており、今回も同様の結果になるのではないかという予測も出ている。

党の足腰となる地方議員をみても、大阪府議会は定数88の9割以上を維新、自民、公明の各党が占め、立憲の府会議員はわずか2人である。

こんな惨憺たる状況のなか、党内には一時不戦敗の空気さえ漂っていた。

どこまでバカなのか。先を見据えず露と取引する企業を叩く日本人

かねてから指摘されている日本人の付和雷同的気質ですが、ウクライナ戦争を巡ってもそれは悪い意味で「遺憾なく」発揮されてしまっているようです。今回のメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』では著者で現役医師の和田秀樹さんが、ロシアと取引を続ける企業や親ロ派と呼ばれる人々を、集団となり一方的に叩く大多数の日本人を強く批判。さらに日本政府ととある企業との間で実際にあったやり取りを紹介しつつ、ウクライナ戦争後、あるいは10年先、20年先を考えることができない我が国の政治家や評論家を問題視しています。

 

ロシアと取引する会社や親ロシア派の人たちを袋叩きにする、先のことが考えられない日本人たち

エンジン塾というのがあって、ウクライナの音楽家を呼んで、それに対する解説を森本敏先生と三浦瑠璃さんがしてくれた。

今だから言えるが森本先生は、日本の安保理の理事国(非常任だが)入りを既定事実として説明したり、今後の戦況の予想なども、テレビで言っているいい加減なものよりリアルな形で予想してくれた。

フロアからいろいろな活発な発言があったが、三浦さんが「みんな、こんなに西側中心の社会が続くと思っているのに、驚いた。10年後、20年後、中国の経済力がアメリカを抜かしたとき以降の枠組みの時代を生きないといけないものとしては、そこを考えないといけない」というしめの発言にはよくぞ言ってくれたという感じだった。

日本の政治家も評論家も10年後20年後のことを考える人がいない。

日本だけアメリカの子分としてアメリカと心中するとか、アメリカが日本を見捨てて中国に近づくことだって想定しないといけないのに、そんなことをいうとサヨクの扱いを受けてしまう。

ところで森本さんの話によると、サハリンの石油と天然ガスからアメリカが手を引けと言ったのを、そんなことをすると中国が引き継ぎますが、それでもいいのですかと言ったら、アメリカがしぶしぶ日本の主張を飲んだという。日本にもまともな外交が出来る人がいるというのに感心した。ところがそれをマスコミが袋叩きにして、結果的に日本は手を引くことになりそうだという。

どこまでバカなのか?

日本は石油も天然ガスも取れない国だというのに。

民間外交ということばがある。

政府間では仲が悪いが、民間の商社とか民間人などが仲良くすることで、外交ルートをキープすることだ。これは戦争が終わった後のことを考えると有効なリスクヘッジと言える。

ところが、日本のウヨクやマスコミやSNSの住民たちは、今でもロシアと取引をする会社や新ロシア派の人たちを袋叩きにする。

結果的に戦争が終わった後、ロシアとのパイプが残らない。

おそらくは、その利権を中国が引き継ぐのだろう。

後々のことを考えて黙認してやろうというような将来展望と度量のある人間がいないことは恐ろしいことだ。

普通に考えて、ウクライナがNATOに入って米軍が駐留することはプーチンでなくても一般のロシア人だって許さないし、脅威だろう。

 

成功者の絶対法則。ビジネスに欠かせない“閃き”はどうやって働くのか

ビジネスにおいて大切といわれる『閃き』と呼ばれるものは、いったいどういう現象なのでしょうか。メルマガ『開発技術者たちよ! 開発マネジメントの達人になろう』では、その閃きについて突き詰めて考え、それが働く条件を探っています。

 

閃きという知覚を活かす

知覚とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つを指します。5感と呼ばれるものです。これにもう1つ加えることがあります。何となく察する、うすうす感じるという能力のことで、第6感と呼ばれます。

一般にこの6つが知覚と呼ばれるようですが、もう1つ重要なものがあるような気がします。それは、何かの折に閃く、フッと想い浮かぶというような力です。これも知覚と言えるのではないでしょうか。

それは思考の1つの相ではないか、とのご意見もあるかもしれません。閃きとは、6つの知覚が集めた情報の分析と統合の積み重ねの中から生まれるものだとも言えるからです。

情報の分析と統合は紛れもなく思考そのものです。しかしながら、閃きは思考を超えたところで起こっています。うすうす感じるという第6感とも違い、豁然と現れます。

閃きから得られたことが、情報の収集、分析、統合という科学的かつ論理的思考によって検証され、法則化されるというパターンが全てに当て嵌まるように思えます。

このように考えますと、閃きはやはり知覚の範疇に入れるべきものと受け止めるほうが妥当性があるように思えるのです。ここでは、閃きを知覚と受け止めて話を進めることにします。

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過去を振り返ってみて、閃きを得た経験を探してみましょう。この後の内容と照らし合わせて考える材料とするために、メモをしておいてください。
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閃きが5感と違うところは、5感が外部のものを感じるのに対し、閃きは内部のものを感じるということです。何も無いところで閃きが働くことはありません。

閃きが働くところには必ず内部に蓄積されたものが存在しています。5感を通して獲得した情報、経験や学習を通して得られた知識、思考の過程と結果、第6感を通して感じること、といったものです。

こうしたものが内部に蓄積され、この蓄積されたものの相互作用やこれに基づく思考過程の中で、ある条件が揃うと閃きが働くのではないかと考えられます。

 

なぜ、年金制度や介護保険はここまで欠かせないものになったのか

食品代など物価の高騰が続く中、6月に支払われる年金が前年と比べて0.4%減額しました。引き下げは2年連続となり、高齢者からは不満の声があがっています。そんな年金について詳しく教えてくれるのがメルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』。著者で年金アドバイザーのhirokiさんが、今回は年金制度や介護保険が人々の生活に欠かせなくなった理由について解説しています。

 

時代が変化した事で人々に欠かせないものとなった年金制度や介護保険と、旧年金制度を絡めた事例

こんばんは!年金アドバイザーのhirokiです。

不可欠となっていった年金制度

現代において約4,000万人以上の人が年金を受給しており、年金は特に高齢者にとっては必要不可欠なものとなっています。

65歳以上の高齢者の総所得に対して年金は約60%ほどであり、総所得のうちのすべてが年金であるという人が48%ほどとなっています。

年金のみで暮らしている人がそれだけの割合いるわけで、かなり重要な収入となっています。

年金なんか必要ないよっていう声もありますが、誰もが前もってキチンと備えられるわけではありません。

日本は資本主義の国ですが、資本主義というのは競争の社会です。

競争をする事で良質な商品などを開発する事で発展してきましたが、そんな中で競争をするという事は脱落してしまう人も出てきますよね。

基本的には誰かが勝者になって、他の人は敗者になってしまう弱肉強食の厳しい社会。

しかしそんな勝った者が生き残る世界じゃあまりにも不安定な社会ですよね。

特に働く事が難しくなってしまうとか、収入が思うように手に入らない高齢者の人や、障害の方、大黒柱を亡くした、失業した…などなど急な不幸が降りかかる事があります。

全て自己責任だから…とは言えない事も多いわけです。

そんな時にこの社会から弾き出されてしまったら本当に理不尽な社会になってしまうので、そういう人が安心して暮らして行ける社会を提供しているのが社会保険でもあります。

東西冷戦が終わって、資本主義が勝利して社会主義国は衰退していきました。

もちろん資本主義は発展していきますが、弱者が生きていきにくい社会という弱点があったわけですね。そんな弱点を社会保障が担っていると言えます。

 

給食に“人間の排泄物”を混入。ストレス発散?20代女性職員を書類送検、「うんこくさい!」校長が試食で異臭に気付く

愛知県岡崎市の公立学校の給食に“汚物”を混入したとして、学校に勤める20代の女性職員が名古屋地検に書類送検された。“人間の排泄物”を給食に混入するという前代未聞の事件。給食への異物混入となると真っ先に給食調理員が疑われがちだが、今回は女性職員の犯行とみられている。学校と職員の間に一体何があったのだろうか?

「給食に人の排泄物」容疑者は学校の20代女性職員

事件が起きたのは昨年の10月8日。岡崎市立の公立学校の校長が職員室用の給食のおかずを検食しようとしたときに、異臭と変色に気づいて検査したところ、大腸菌が検出された。産経新聞によると、「食材が腐っただけでは検出されない大腸菌」だという。

この後、おかずを差し替えたために職員や子供たちに健康被害はなかったが、市は警察に被害届を提出した。岡崎市立の小中学校の学校給食は給食センターで作られ、各学校に配送されている。

もし、給食センター内に汚物が混入されていたのなら、給食センターに保存された衛生検査用のおかずにも大腸菌が検出されるはずだが、他の学校での検食でも異臭や変色がみつからなかった。

早い段階で学校へ給食が届いた後に混入されたことが特定されており、学校関係者の犯行が疑われていたとみられる。

内部の者が容疑者だとしたら捜査は慎重にならざるをえず、事件発生後、書類送検までに時間がかかったのだろう。調べに対し、女性職員は容疑を否認しているという。

職員室用のおかずだけに汚物が混入されていたとしたら、教室で生徒と一緒に食べる教師にではなく職員室で給食をとる職員を狙ったものだと推測される。

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溜まったストレスが爆発か?謎の犯行動機

「もし口にしていたら…」と想像もしたくない事件。なぜ、“人間の排泄物”を給食に混入するという信じられない出来事が起きてしまったのだろうか。

直接料理に触れる給食調理員ではなく、女性職員の犯行というところに大きな意味があるかもしれない。

学校職員の業務は幅広く、庶務、経理、広報など学校運営のための仕事を少人数で行わなければならない。保護者や外部の直接クレームを処理するのも学校職員の役目。現実の学校事務の仕事は想像以上に過酷である。

しかし、最大の離職原因はやはり人間関係だという。

公立の学校では、子供や保護者、教員以外と交わることが少ないせいか閉鎖的だ。教員から見下され、教員間のいざこざに巻き込まれることも多いとされる。

ストレスが多い現場である上に、教員に比べて人数が少ないので相談できる相手も少ない。心理的な負担が大きくのしかかることも否定できない。

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混入したとされる20代の女性職員が容疑を否認しているということもあり、いまのところ真相は不明だが、報道が事実であればよほどの恨みがあったに違いない。

“ソウル大学をまともに卒業した唯一の大統領” 尹錫悦登場の意味

韓国で尹錫悦(ユン・ソンヨル)政権が誕生して1ヵ月。韓国側から日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)早期正常化など、関係改善に前向きな声が出てくる一方、文在寅の“負の遺産”に苦しんでいる様子も伺えるようです。そんなユン大統領に対し韓国国内ではどのような声が出ているのでしょうか。無料メルマガ『キムチパワー』で、韓国在住歴30年を超える日本人著者が新聞のコラムを引用して紹介します。

鳥は左右の羽で飛ぶ

メルマガ筆者がよく引用するのが朝鮮日報のコラムニスト「金大中コラム」だ。今回も、80歳を越えてますます元気な金大中氏のコラムからの引用である。

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朴正熙(パク・チョンヒ)が軍事クーデターで政権をとった「5・16クーデター」(1961.5.16)。その混沌の時代に韓国社会に「革命勢力」と言えるのは軍と大学だけだった。大学は4・19革命(1960.4.19=学生らが李承晩を大統領の座から引きずりおろした)で民主党政府を作った。

しかし1年後、軍部に権力を奪われた。大学は組織化された勢力ではなく、軍は組織化された勢力だった。結局、組織された力が勝った。政治権力というものは、その時代必然の産物だという話だ。目覚めた意識、組織の力、権力欲、国民的要求、このようなことが相まみれて権力を掌握させるということだろう。

軍部は、貧困から脱しようとする国民的欲求と効率的な政府を望む政治的要請を背景に組織的推進力、そして構成員の権力欲をうまく組み合わせて政権獲得に成功し約30年間権力を維持した。

そしてそれからさらに25年後、大学の左派運動圏を組織化した586勢力がついに韓国の政治権力を掌握した。文在寅左派政権の登場がそれだ。

それでは、尹錫悦(ユン・ソンヨル)政権の誕生はいかに説明できるだろうか。尹大統領が政界出身ではなく、検察の首長でシンデレラのように登場したのは、どのような時代的要請と論理で説明できるだろうか。

尹大統領自身がそれを説明している。彼は公正と法治を前面に押し出した。自由と民主の価値を力説した。そして、国家安保と国の理念的アイデンティティの回復を強調した。

運動圏政権のネーロナンブル、幼児独裁的不正を査定せよという国民の要請が拡大していった。それで検察という司直機関の首長が清掃専門家(?)として登場したのだ。

尹大統領は清掃任務を達成するために検察出身者を大挙起用して野党から「検察共和国」という攻撃を受けているが、彼の行動は時代的・国民的要請に応じたものだ。

ただ、その清掃作業が終われば、おそらく尹錫悦第2期は、違う面貌を見せるだろうし、またそうしなければならない。

Appleの次世代「CarPlay」に日産やホンダも乗ることになったワケ

米Appleが開発者向けのイベント「WWDC22」をオンラインで開催。M2チップ搭載の新型「MacBook Air」などが発表され話題となっているなか、「Windows95を設計した日本人」として知られる世界的エンジニアの中島聡さんが注目したのは、次世代「CarPlay」でした。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』で中島さんは、ソフトウェア開発を自社でしてこなかった日本の自動車メーカーの問題点を指摘。次世代「CarPlay」の参加メーカーとして日産とホンダの名前があるのも、「走るコンピュータ」となりつつあるTeslaのEV車に対抗するためには、唯一の選択肢だったのだろうと伝えています。

 

私の目に止まった記事

Apple WWDC22

先週、AppleのWWDC(World Wide Developer Conference)が開かれました。このイベントは、以前はサンフランシスコで開かれており、私も何度か参加しました。新型コロナの影響で、オンライン開催になり、逆に参加しやすくなった点は大きなプラスです。

色々なものが発表されましたが、私がこれまでやって来たことと最も関係があるのが、CarPlayです。

Appleは、CarPlayの将来像として、カーナビだけでなく、スピードメーターやタコメーターなどを含めた装置クラスター全てのインターフェイスをAppleが提供する計画を発表しました。

私が創業したUIEvolution(後にXevoと改名)は、まさにこんな用途のために開発したUIEngineというユーザーインターフェイスの記述言語とそのエンジン(UIEngine)を自動車メーカーに提供して大きくなった会社です。

トヨタ自動車に向けて、車載機と呼ばれるカーナビ上で動くアプリケーションを提供するところまでは実現しましたが、装置クラスターを任せられるところまでは到達出来ませんでした(社内では、プロトタイプを作っていました)。

その一番の理由は、日本の自動車が、数多くのベンダーから調達した部品を組み合わせて作る設計になっているため、ほとんどの場合、カーナビを提供するベンダーと、装置クラスターを提供するベンダーが異なり、その枠組みをまたいで統合的なUIを作るなど全く現実的ではなかったことにあります。

にも関わらず、日産やホンダまでもこのAppleの提案に乗ることになったのは、圧倒的なソフトウェア・エンジニア不足と、Teslaが猛烈な勢いで起こしているEVシフトのためです。

日本の自動車メーカーは、自らはソフトウェア・エンジニアを雇わず、仕様だけ決めてカーナビや装置クラスターのハードウェアをソフトウェア込みで(デンソーやパナソニックなどの)ハードウェア・ベンダーから調達する形で開発して来ました。

しかし、それらのハードウェア・メーカーも自らソフトウェア・エンジニアを雇わず、ソフトウェア開発は、さらに下の下請けに丸投げし、その下請け会社は、派遣会社から派遣社員を雇って人月工数で働かせる、という形で開発を進めて来ました。

そんな体制で長年自動車を開発して来たため、自動車会社にはソフトウェアが作れる人材がいないどころか、ソフトウェアのことが理解出来る経営陣すらいないのが現状です。

しかし、Teslaが台風の目となって、誰も予測しえなかったスピードでEV化が進み、自動車が「走るコンピュータ」に進化を遂げつつある中で、これまで通りの作り方では、戦えないことが明確になって来たのです。

AppleのCarPlayは、その自動車メーカーのニーズに応える見事なソリューションであり、多くの自動車メーカーにとっては唯一の選択肢となったのです。

ライバルとしては、GoogleのAndroid Autoがありますが、Googleのビジネスは、あくまで広告ビジネスであるため、所有者のプライバシーを守る面でも、ユーザー体験の面でも、Appleと比べると大きく見劣りするのです。(『週刊 Life is beautiful』2022年6月14日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみ下さい。初月無料です)

 

image by: Chinnapong / Shutterstock.com

日本人の年収は、なぜ25年で「550万円」が「372万円」まで下がったのか?

毎日のように様々な物の値上げや値上げ予定のニュースが伝えられていますが、一部の大企業を除けば、政府が目指す賃金上昇の気配は見えてきません。そもそも日本人の年収の中央値は、この25年で「550万円」が「372万円」になったというデータがあり、激減した理由を3つの要因に求めるのは、メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』著者で健康社会学者の河合薫さんです。河合さんは、「残業」「米国」「投資」というキーワードで日本の経営者による間違った方針を指摘。働いても楽にならない現状を変えるには「人への投資」が必要と訴えています。

 

働けど働けど賃金上がらず

値上げラッシュが止まりません。国内の主な食品や飲料メーカーの、すでに値上げしたか、今後値上げする予定の商品が、8300品目以上に上ることが民間の信用調査会社の調べで分かりました。

値上げ予定の商品は6月と7月だけで3000品目を超え、最も多い加工食品では平均13%、調味料は平均10%、酒類・飲料は平均15%の値上げになっているそうです。

ガス代や電気代もいつの間にか上がっているし、どれもこれも生活必需品なので厳しい。一方で、賃金は一部の大企業以外、上がる見込みがほとんどありません。

日経平均株価が一時、600円以上値下がりする~なんて報道もありましたが、14日の終値は2万6629円86銭です。2017年11月9日に、2万3000円をうわまったとき、約26年ぶりだ!高度成長期の「いざなぎ景気」を超えた!とメディアは大はしゃぎしましたが、その2万3000円より高いのです。

何度も書いてますが、日本国内の富裕層と超富裕層の割合は、「アベノミクス」が始まった2013年以降、広がり続け、日本の超富裕層(純資産5000万米ドル超)は世界最大の伸び率を記録しています。

これは日本が格差社会よりはるかにシビアな「階層社会」に突入したことを意味し、「現代版カースト」ともいえる理不尽な世界の始まりでもあります。

そもそもなぜ、日本の賃金は上がらないのか?いや、上がらないどころか下がっているのはなぜか?バブル崩壊後の1994年から2019年までの25年間で年収の中央値が「550万円から372万円へ」と著しく減少し、年齢別では、“働き盛り”である30代後半~50代前半までの世帯の年収が激減しているのは、なぜ?

「経営者がきちんと経営をしてこなかった」という一言に尽きるのですが、それは「残業」「米国」「投資」の3つの要因に大きくわけることができます。

 

「ハートカクテル」に酔いしれて。漫画家・わたせせいぞうが今も“手描き”にこだわるワケ

1983年から1989年まで漫画雑誌『モーニング』(講談社)に毎号カラー4ページで連載され、カリスマ的な人気を誇った漫画「ハートカクテル」。作品に描かれた、まるでアメリカ西海岸やリゾート地を思わせるオシャレな世界観と映画のような男女の恋愛物語は、当時の若者たちの憧れの的となりました。のちにアニメ化やドラマ化もされるなど、日本中で一大ブームを巻き起こした「ハートカクテル」の作者が、今も第一線で活躍する漫画家・イラストレーター、わたせせいぞうさん(77)です。6月16日から大丸東京店にて「わたせせいぞう展 〜ハートフルな東京日和〜」が開催され、全6冊が刊行予定の『わたせせいぞう自選集 ハートカクテル』(小学館クリエイティブ)の新シリーズ、ミュージック&クルーズ「サンライズ」編も発売されたわたせ先生に、漫画家をめざしたキッカケから「ハートカクテル」制作秘話、そして大好きな音楽や近況まで、いろいろとお話をおうかがいしました。(於:わたせせいぞうギャラリー白金台  港区白金台5丁目22-11ソフトタウン白金1階)

突然開いた「漫画家への扉」

──本日は、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。わたせ先生といえば、40代以上の人にとって漫画「ハートカクテル」の印象が強くあります。洗練された画風のみならず、漫画の中に登場する街中の看板や小物まで、すべてがオシャレで新鮮でした。そもそも、わたせ先生が漫画家を志そうと思うようになったきっかけは何だったのでしょうか?

わたせせいぞう(以下、わたせ):本日は宜しくお願いいたします。実は、もともと漫画家になろうとは思っていなかったんですよ。ただ、小さい時から絵を描くことは好きで、幼稚園の年長から小学一年生にかけての2年間、絵の家庭教師をしていた父の友人から絵を習っていました。父が画家志望だったので、私を絵が好きな子供に育てたかったんでしょうね。そのときに、基礎となる物を観察することや遠近法を学んだんです。その後もずっと絵を描くことが好きで、絵のコンクールがあると応募して入賞したりして、先生も絵を認めてくれました。それが小、中学生の頃です。

ところが、高校生になったときに美術部へは入らず「書道部」に入ったんです。なぜかというと、「前衛書道」というものを見たときに「これは絵だな」って思ったんですよ。絵のような感覚で、白と黒の領域の比率があることが面白くて。高校生の頃は、漫画家よりも新聞記者に憧れていました。当時は文章を書くことの方が好きだったんですね。早稲田大学に進学した後も小説の同人誌を作ったりして、文章を書くことに興味がありました。だから漫画を描くということはあまり考えていなかったんですね。

──では、どのタイミングで「漫画家」になろうと決心されたのでしょうか?

わたせ:大学を出たあと損害保険会社に就職したんですが、まだ心のどこかで新聞記者のような「モノを作る世界」に憧れていたんですね。そして入社して3年目くらいのときに、直木賞作家の永井路子さんの講演を聞きに行ったとき、その途中休憩で永井先生と10分くらい直接お話しできる機会があったんです。そのとき僕は、短い時間にいきなり小説を見せるのは失礼だと思って、自分で書いていた小説は持っていかずに、ケント紙2枚に描いた擬人化された猫の4コマ漫画をお見せしたんですよ。そうしたら永井先生が「渡瀬さん、漫画家になりたいんだ!」と言われまして。そこから「漫画家への扉」がパッと開いたんです。

──そのとき小説をお見せしていたら、まったく違った人生になっていたのかもしれませんね。ここで初めて「漫画家」への道を意識されたということでしょうか?

わたせ:そうですね、「そういう道もあるのか」と。もちろん絵や漫画を描くことは小さな頃から好きでしたよ。最初は永井先生に自分のことを印象づけるためのサプライズとして持っていっただけなんです。でも、永井先生にそう言われて初めて漫画家ということを意識しました。その後、永井先生が雑誌社を紹介してくださって、サラリーマンとして働きながら、描いた漫画を持ち込んだりするようになりました。雑誌社からは「必ず賞に応募した方がいいよ」と言われたので、応募した作品で新人賞を獲ったりするようになったんです。

──1974年に小学館の「第13回ビックコミック賞」に入選されていますが、これは漫画を描き始めてからどのくらい経った頃だったのでしょうか?

わたせ:あまり間を置かずに入選しましたね。その前になりますが、実業之日本社の『週刊漫画サンデー』という漫画雑誌の編集長が永井先生と知り合いで「まず彼のところへ行ってごらん」と紹介されました。そこで『ギャートルズ』の園山俊二さんを紹介されて、線の引き方とか「漫画のイロハ」を教えてもらったんです。

──あの園山俊二さんから教わったんですね。その後、数多くの作品を発表することになりますが、影響を受けた作品や漫画家さんはいらっしゃいますでしょうか?

わたせ:子供の頃に好きだった漫画家で言うと手塚治虫さん、石ノ森章太郎さんの作品ですね。もう一人、おませだったので、エロティックな女性の漫画で有名な小島功さんの漫画が好きでした。大人になったときに「小島さんのような線で女性を表現できればなあ」と、漠然とした憧れを抱いていましたね。

──小島功さんの漫画は「これぞ大人の漫画」という感じで、女性のボディラインを本当に美しく描かれていましたよね。わたせ先生が漫画家として作品を発表し始めた当時は、損害保険会社のサラリーマンと漫画家という「二足の草鞋(わらじ)」生活だったと聞いています。その頃の大変だったエピソード、逆に嬉しかったエピソードは何でしょうか?

わたせ:営業部の勤務でしたから、「毎月どれだけ予算を達成しているか」という評価なんですよ。「二足の草鞋」生活が始まった頃は、まだ普通の社員だったんです。ところが、『モーニング』で「ハートカクテル」の連載が始まった1983年の少し前くらいから、東京の足立支社長を任されるようになりました。そうなると急に責任が重くなって大変でしたね。上司に「漫画なんか描いているから予算が達成しなかったんじゃないか?」と言わせたくなかったので、プレッシャーがかかりました。「成績が落ちたら漫画を描くのはやめろ」と、パワハラみたいなことも上司に言われていましたから。精神的なハードさもありましたが、「ハートカクテル」の連載が始まると身体的にも辛かったですね。月曜から金曜までは会社の仕事に集中、しかも営業マンですからお得意先との飲み会やカラオケまで行くことも多かったんです。そして、会社が休みの土日だけ漫画の仕事をすることにしていました。ところが、平日も休日も両方の仕事がタイトになってきまして、赤信号を待っているときに「この間だけでも少し寝られるかな」と思ってしまうくらい、体力的にも限界がきていたんです。