ついに公明・創価を見限った自民。元国民民主の議員を「首相補佐官」に抜擢した岸田の本心

連立政権を組みながらも、近年は選挙協力を巡り関係性が悪化するなど微妙な状況にあると言っても過言ではない自公両党。その関係を揺るがしかねない官邸人事がさまざまな憶測を呼んでいます。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、元国民民主党の議員を首相補佐官に抜擢した自民党の思惑を推測。さらに当人事に対する公明党代表の反応を紹介しつつ、自公国の「三角関係」の成り行きに注目しています。

自民が知った労組票を取り込む旨味。元国民民主議員を首相補佐官に抜擢した意図

岸田首相は、かつて電機連合の組織内候補だった元国民民主党参院議員、矢田稚子氏をこのほど首相補佐官に起用した。

それがどうしたと言われそうである。第一、矢田稚子氏という名前を耳にしてピンとくる人は案外、少ないのではないか。しかし、コトは自公連立体制にかかわる可能性があるのだ。

首相補佐官といえば、総理直属で国家の重要政策を担うポスト。安倍・菅政権で辣腕をふるった和泉洋人氏は首相補佐官という地位を威圧的に用いて悪名をはせた。そこに、元参院議員とはいえ、野党の国民民主党所属だった人を充てたのだから、まさに、サプライズ人事というほかない。

矢田補佐官の仕事の中身は、岸田首相が進めようとしている賃上げ政策の担当で、官邸では「賃金・雇用の専門家として、助言をもらいたい」と期待しているそうである。

矢田氏が連合傘下のパナソニックグループ労組の幹部だったゆえに、「賃金・雇用の専門家」というのは早計にすぎるが、官邸と労組間のパイプ役としては、一定の役割を果たせるだろう。

むろん、賃金政策のみが人事の目的であるはずはない。各メディアで言われているように、国民民主党との連立への布石、あるいは労働組合票の取り込み、という面は否定できない。

大企業系の民間労組が、国政選挙で自民党との融和姿勢に転じる動きが、その底流にある。民間労組を支持母体とする国民民主党が岸田政権にすり寄ってきたのも、この変化と無縁ではなく、自民、公明両党の関係を激しく揺さぶっている。詳しく見てみよう。

2021年10月に芳野友子氏が会長に就任した連合は自民党との対立関係を緩め、傘下の民間労組にも大きな変化のうねりが起きはじめていた。全トヨタ労連は50年以上、野党系の推薦候補を国会に送り込んできたが、同年10月31日投票の総選挙では擁立せず、結果として自民党に議席を明け渡した。

エンジンから電動化への変革の波が押し寄せる自動車業界にあって、自民党との協力体制は欠かせないとみる当時の豊田章男社長が、岸田首相の3%賃上げ要請に対し、他社に先駆けて満額回答を示したが、その姿勢に労組が呼応した形だった。

この記事の著者・新恭さんのメルマガ

「統一教会のために死ね」の意味か?韓鶴子総裁の“特攻隊”トンデモ発言

いよいよ秒読み段階に入ったとも伝えられる、政府による旧統一教会への解散命令請求。そんな状況に対する焦りもあるのでしょうか、教団の韓鶴子総裁が発したとある言葉が大きな話題となっています。今回のメルマガ『詐欺・悪質商法ジャーナリスト・多田文明が見てきた、口外禁止の「騙し、騙されの世界」』では、かつて旧統一教会の信者だったジャーナリストの多田文明さんが、韓国に集められた2世信者たちに韓総裁が語ったとされる「日本を救う特攻隊」という発言の意味を考察。さらにこの物騒な物言いが招きかねない事態を憂慮するとともに、1世信者たちに対して冷静な対応を呼びかけています。

図りかねる意図。旧統一教会の韓鶴子総裁が2世に語った「特攻隊」という言葉

旧統一教会の韓鶴子総裁が2世に話す「特攻隊」の言葉から思うこと

すでに報道されているように、韓国に旧統一教会の2世信者を集めて、韓鶴子総裁が「日本を救う特攻隊」と語ったとされています。

国対ヒアリングで配られた資料のなかにも、韓鶴子総裁は「特攻隊は、真の父母様が銘じれば絶対服従で従います」「真の父母様に侍(はべ)る誇り高き天一国の特攻隊であり、有志であることを自覚してください」と発言したとされています。

すでに記事にもしましたが、私の信者時代は伝道機動隊という、過激な名称のついたグループに所属して、精神的身体的な限界がくるまで、死ぬ気での街頭での勧誘活動を指示されました。

しかし今の2世たちにはその言葉の一歩上をいくような「特攻隊」という言葉が使われています。これには大変な危惧を持ちます。

特攻隊では多くの若者が飛行機に乗り、自ら敵艦隊にぶつかっていき命を失いました。それを彷彿とさせるような言葉をメシヤである教祖は話しています。

戦時中、子供を亡くした親たちは「お国のため」であるとしながらも、残された家族たちは相当な辛い思いを抱えたことでしょう。今2世たちに「教団のため」として「死ぬ気でぶつかる」よう指示する言葉で煽ることにはとても心配な思いを持っています。

2世を持つ親たち(1世信者)はこの言葉を聞いて、「そうだ。そうだ」と思っているのでしょうか。

もう一度、胸に手をあてて考えてみる必要があります。自らも通過してきた過激な伝道、お金の集め(万物復帰)の活動に、自分たちの子供を従事させることになるからです。

1世信者の多くは、伝道、霊感商法、マイクロ隊(マイクロバスで寝泊まりしながら、モノ売りの活動をする)など何年にもわたり様々な苦しさを味わった人もいると思います。そして多くの被害者を生み出しました。その苦しみをその子供にも背負わせることになるわけです。

誰が逮捕されても不思議ではない。「新世事件」「青森事件」を繰り返すな

旧統一教会は、先祖解怨のための高額献金をするように、今も「救いの道」を示しています。

しかし今は「不当寄附勧誘防止法」ができて、以前にも増して高額なお金集めに厳しい目が向けられています。

過去の旧統一教会の被害の清算が充分になされていないなかで、もし死ぬ気で誰かを誘うという伝道を行い、法律における禁止行為である「畏怖・困惑」などさせて誰かに高額献金などをさせることになれば、2世が罰を受けることもあるかもしれません。

もっと考えてほしいのは、過去に新世事件、青森事件などで印鑑販売を行っていた信者らが逮捕されました。

しかしあれは、当時の統一教会の信者であれば、誰の身に起こっていてもおかしくはないことです。たまたま、その印鑑販売会社に教団の指示で人事異動になった人たちが逮捕されただけです。

今「特攻隊」という言葉を通じて、教団の指示で過激な伝道や経済活動をさせられれば、同じようなことが2世の身にも降りかかるかもしれない危険な状況といえます。

心ある1世信者は、取り返しのつかない行動をする前に、過激な行動をしないように2世信者を守ってあげてください。本当にそれを願います。

この記事の著者・多田文明さんのメルマガ

東京・御茶ノ水にひっそり佇む隠れ家book cafe エスパス・ビブリオは、想像以上に「文化とアートの発信地」だった

70年代後半から90年代にかけて、東京池袋西武百貨店周辺は「あらゆるカルチャーの発信地」でした。90年代に高校生だった私は、書店のリブロ池袋本店に足繁く通い、今は亡きセゾン美術館でアートを堪能し、地下のアート専門書店で現代美術と現代音楽を知り、コーヒーの匂いに包まれる空間で洋書の画集を立ち読みしていました。リブロ内には現代詩の専門店、向かいにはセゾン系列の巨大なCDショップがあり、近くのミニシアターでは寺山修司の実験映画などを上映していました。まさに池袋は、西武百貨店の社長だった堤清二氏の作り上げた「セゾン文化の中心地であり、文化とアートの香りが充満した場所だったのです。しかし、1999年にセゾン美術館が閉館したあたりから、少しづつアートや文化の匂いが街から消えてゆきました。そして現在、文化の発信元だったはずの西武百貨店そのものが存続の危機にさらされ、売り場の大部分が家電量販店に変わろうとしています。いまの池袋からは、かつての文化の香りは感じられなくなってしまいました。

ところが、その池袋から5つほど先の駅、地下鉄丸ノ内線「御茶ノ水駅」徒歩8分のところに、まだ「文化とアートの発信地」として奮闘する、素敵なブックカフェがあることをご存知でしょうか? まるで隠れ家のように佇むその店の名前は、book Cafe『エスパス・ビブリオ』。そのカフェは、かつて文化学院という老舗専門学校だった元校舎の斜め前にありました。

天井まで伸びる本棚に並べられた6000冊を超える蔵書はすべて席で読み放題で、アート作品集から写真集、音楽、映画の書籍まで、多種多様です。

コーヒー片手にページをめくりながらゆったりとした時間を過ごすことができる店内には、トークショーなどの各種イベントや展覧会もできるスペースもそなえており、まさに「文化とアートの発信地」そのもの。なぜ、こんなに素敵な空間が、ここ御茶ノ水駅近くの駿河台の地にひっそりと存在しているのでしょうか?

できれば秘密にしておきたくなる、隠れ家ブックカフェ誕生秘話を、オーナーでデザイナー兼写真家齋藤芳弘さんにおうかがいしました。(取材協力:東京・御茶ノ水 book Cafe『エスパス・ビブリオ』)

駿河台の隠れ家カフェは写真集など蔵書6000冊という、正真正銘の「ブック・カフェ」だった

──本日は宜しくお願いいたします。以前から御茶ノ水や神保町にはよく来ていたのですが、こんなに素敵なブックカフェが御茶ノ水駅の近くにあるとは思いませんでした。この店内の雰囲気から、かつて池袋にあった「アール・ヴィヴァン」という現代美術と現代音楽の専門店のことを思い出しました。ここで営業をはじめられたのはいつからでしょうか?

齋藤芳弘さん(以下、齋藤:原宿時代から数えると10年前からですね。原宿にあったときは今の3分の1ほどのスペースしかなかったんです。僕の本業はグラフィックデザイナーで、デザイン事務所を経営していまして、毎月のように写真集など洋書を買ってデザインの参考にしていたんですね。そのうちに自然と蔵書の数が増えていって、その本が読めるようにと、約6000冊もある蔵書を一般の方々に開放して自由に閲覧していただく目的でカフェをオープンしました。もともとは、デザイン事務所の中に図書室みたいな感じのスペースを作っていたことがきっかけだったんです。

──なるほど、当初はデザイン事務所の中にあった資料室、図書室みたいな感じだったんですね。

齋藤:そうです。デザイン事務所をやっていて驚いたのは、今の若い人が写真集や画集をほとんど見たことがないということです。僕なんかは、デザインを考えるとき、最初のイメージを膨らませるのに、古今東西いろいろな写真集やデザイン書なんかを参考にして見たりするのが当たり前でした。自分の頭の中以外に、さまざまな世界が見られるじゃないですか。そういうことからスタートしていたから本が必要だったんです。でも若い人は全然見ないし、見たことがないって言うんですね。たとえば、ファッション写真界の巨匠ヘルムート・ニュートン(ドイツ出身の写真家、1920-2004)の大型写真集『Helmut Newton SUMO』なんて見たことないわけです。でも、今の人はスマホやパソコンで検索すれば画像は出てきますよね? 僕はやっぱり本の形で見て、自分でページをめくらないとダメなんです。昔から本が大好きですから。

──やっぱり、紙の本で見るとの、ネットで画像検索して見るのとでは、迫力も質感もまったく違いますよね。このカフェでは、齋藤さんが長年買い集めてきた蔵書が自由に読めるところが素敵ですね。カフェをオープンした経緯は何だったのでしょうか?

齋藤:この蔵書をなんとか活かして何かできないかと考えたときに、10年くらい前に「ブック・カフェ」というものが流行りだしたので、「そうだ、ブック・カフェをやろう」と思いつきました。原宿にあったデザイン事務所は、ビルを5フロア分も借りていたんです。その中に半地下みたいなスペースがあったので、そこをブック・カフェにしようと。場所が千駄ヶ谷小学校の近くだったからファッション関係のお客さんが多かったんですね。

ファッション関連の写真集もいっぱいあったから、夕方になるとファッション関係の仕事をしている人が、仕事帰りにコーヒー飲みながら本をめくったりして、とてもいい風景だったんですよ。

──なかなかいい感じの雰囲気ですね。では、どうして御茶ノ水に移転することになったんでしょうか?

齋藤:実はビル一棟丸ごと借りていたから、家賃が毎月300万円もかかっていたんです。広告関係の仕事をしていたから、家賃が高いとは感じなくなっていたんですね。しかも狭くて厨房が作れないから、もっと広くて安いところにしようと物件を探すことになりました。本好きで神保町好きだからしょっちゅう行ってて、神保町の周辺を探すことにしたんです。

仲が良かった神保町の「海画廊」のマスターに相談したら、不動産屋さんを紹介してくれて、その人がいろいろ探してくれました。でも、行くとこ行くとこ全部ダメで。いわゆる雑居ビルしかないんですよ。「僕が探しているのは、中庭があって、レンガの壁があって、蔦の葉が生えているようなところなんです。わかるでしょ?」って言ったら、「そんなところなかなか無いよ」って言われました。ところが次の日に連絡があって「あった」と(笑)。それが今のお店の場所だったんです。

──まさしく、理想の場所がここだったんですね。

齋藤:地下だったから、「ああ、地下じゃダメだな」と思って降りてみたら庭が見えたんですよ。これは素晴らしいと。当初は家賃が月に一フロア85万円で、二フロア借りたんですね。だから170万円。原宿の300万円に比べたら130万円も安いということでここに決めました。でも2020年にコロナ禍があってからは、みんな外出を自粛するようになって、そこから客足が戻ってこないですね。移転してみてわかったのは、神保町は古本の町だけど、文化的なものに興味のあるようなお客さんは駿河台の坂を上がってここまで来ないんです。駅前にあるのは銀行とか病院ばっかりですから。学生もスタバに行ってしまって、洋書を読みにくるような人が少ないですね。

──とはいえ、見る人が見れば、貴重な写真集や画集、単行本がずらりと並んでいる様は壮観ですね。コーヒー一杯で手軽に文化やアートに触れられるお店は、今やなかなかないと思います。週末も文化的なイベントが目白押しですし、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいと思っています。隠れ家のままにしておくのはもったいないですね。

齋藤:15人くらいでしたら余裕で入れますので、ぜひ大勢の方を連れて来て、ゆったりとした空間で本やコーヒー、平日はランチもやっていますのでお料理も堪能していただきたいと思います。庭は竹林になっていて、これからの季節は庭のテラス席も気持ちいいですよ。

──ぜひ多くの方に訪れていただきたいですね。また、ちょくちょくお伺いさせていただきます。ありがとうございました。


池袋のセゾン文化亡きいま、ここ御茶ノ水の地に新しい文化の風を吹かせようとしているブック・カフェ『エスパス・ビブリオ』。10月7日(土)には、弊サイトでも取り上げたシティ・ポップのシンガーソングライター・滝沢洋一に関するトークショーも開催されます。ぜひ一度、この素敵な空間と貴重な本、コーヒー、そしてイベントを堪能していただきたいと思います。(編集部gyouza)

book cafe エスパス・ビブリオ

住所:〒101-0062 東京都 千代田区神田駿河台1-7-10 B1F
電話:03-6821-5703
E-mail:info@espacebiblio.jp

営業時間定休日:日・月・祝日)
●火曜日〜土曜日/11時30分〜22時

※ランチタイム/11時30分〜14時

※ワインバー/17時〜22時00分(ラストオーダー/食22時00分・飲22時30分)

※同店は多目的スペースのため、イベント開催やパーティーなど貸切の場合があります。お電話にてお確かめの上ご来店ください。また、ランチの時間帯は混み合っているため、お電話に対応できない場合があります。

【『エスパス・ビブリオ』イベント情報】

『Mr.シティ・ポップ 滝沢洋一の世界』

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ゲストに音楽ライターの金澤寿和さんをお迎えして送るトークショー。近年、シティ・ポップの名盤として再評価が高まりつつある唯一作『レオニズの彼方に』発売から10月5日で丸45年となった、シンガーソングライター・作曲家の滝沢洋一。今回、滝沢の自宅から奇跡的に発見された大量のテープから、名曲ばかりの未発表作品、佐藤博アレンジの未発表音源、どこかで聞いたことあるCMソングなどを本邦初公開。なぜ山下達郎をメジャーにした『RIDE ON TIME』はあの音になったのか、アルバム『FOR YOU』は今なぜ世界で注目されているのか? 青山純伊藤広規、そして新川博のプロデビューのキッカケを作ったニューミュージックの名付け親Mr.シティ・ポップ 滝沢洋一の知られざる魅力に迫ります。

2023年10月7日(土)
15:00~17:00(14:30開場)
参加費=2,500円(当日精算)
※定員60名様、予約制

【予約方法】

ご予約は、メール(info@espacebiblio.jp
または電話(Tel.03-6821-5703)にて受付

件名「10/7 シティ・ポップ参加希望」

お名前、電話番号、参加人数をお知らせ下さい。返信メールで予約完了をお知らせいたします。

【会場】

ESPACE BIBLIOエスパス・ビブリオ
地図→ https://www.espacebiblio.jp/?page_id=2
〒101-0062千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1

● 詳しくは、コチラ
https://www.espacebiblio.jp/?p=8335

image by: MAG2 NEWS編集部(於:東京・御茶ノ水 book Cafe『エスパス・ビブリオ』)

客に「蟹歩き」で近づく、シャツは黒より桜色。カリスマ販売員が500回の店頭実験で掴んだこと

どんな商品でも売ってしまう「カリスマ販売員」として、全国の企業や販売員の指導、セミナーや講演活動に取り組んでいる売れる売れる研究所代表・橋本和恵さん。しかしそんな橋本さんも最初は全く売れない販売員だったといいます。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、その橋本さんが語った、試行錯誤の歩みから掴んだ販売の極意をご紹介しています。

500回におよぶ店頭実験から掴んだ販売の極意

 

橋本 「現場に立つ以上はやるしかないと覚悟を決め、次の3つのことを実行し始めました。

1つは、『何でも試してみる』ことです。例えば、真っ正面からお客様にお声掛けした場合と、横からお声掛けした場合とでは、アプローチできる確率が違ってくるんですね。あるいは、髪の毛や着るシャツの色を何色にしたら売れるかなど、500回に及ぶ様々な店頭実験を繰り返したんです。

そのうち約350回は失敗したんですが、面白いことに、約150回は成功したんですよ」

──どんなことが分かりましたか。

橋本 「先ほどの例で言えば、正面よりも横から蟹歩きで近づいていったほうがお客様とお話しできる確率が高まるとか、黒色よりも桜色のシャツを着た時のほうが、お客様の反応がよくなるとか……。

あとお客様にお洋服などを試着していただいた際に、『お綺麗です』『お似合いです』と言っていたのを、『上品ですね』と言ってみたら、売り上げが倍以上に増えたんです。

なぜだろうと調べてみると、女性が好きな芸能人ランキングってありますよね。その上位を見ると、吉永小百合さんとか上品な女性が入っている。つまり、世の女性は上品な人に憧れる傾向があることが分かったんです。

2つ目は、『ものまね』をすることです。『あの店に販売のうまい人がいる』と耳にすれば、とにかくカメラや録音機器などを入れたリュックサックを背負って、『どういう販売をするのだろう』と観察しに行き、優れたところはどんどん取り入れていきました。

3時間くらい物陰からじっと観察していたら、警備員さんに『怪しい』と取り調べを受けたこともありました(笑)。それくらい熱心にものまねをやったんです。

そして、3つ目が『録音』することです。自分が店頭に立つ際には、必ずお客様とのやり取りを録音するようにし、勤務が終わったら近くの喫茶店に行って夜遅くまで延々と録音を聴きました。きょうの自分のセールストークはどうだったかと客観的に見て、日々改善を繰り返していったんですね。

そのような試行錯誤を地道に続けていくうちに、だんだんどうすれば売れるかが分かっていきまして、3年目ぐらいから、売り上げが急激に上がり始めたんです」

image by: Shutterstock.com

ジャニーズ性加害を放置した体質そのもの。中国の「人権侵害」をガン無視するニッポン

自らは決して認めないものの、深刻な人権侵害が繰り返されていることは明白な中国。そんな隣国で、またも当局による「重大な蹂躙」が発覚しました。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、廃刊に追い込まれた香港の反中紙創業者とその家族に対する、人権を完全に無視した行いを紹介。さらにその事実を伝えない日本メディアに批判的な目を向けています。

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2023年9月27日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【中国】ジミー・ライへの中国の残酷な人権侵害、中国批判で終身刑も

中國秘密信件曝光!騷擾各國外交官 要求抵制黎智英兒(中国の密書を暴露!ジミー・ライの息子の国連演説をボイコットするよう各国外交官に要求する嫌がらせ)

北京政府に批判的だった香港の『アップル・デイリー』(現在は廃刊)創刊者・黎智英(ジミー・ライ)氏は、2020年8月に香港国家安全維持法(国安法)に違反したとして逮捕され、それから約1,000日が経過しました。

【関連】香港の自由は死んだ。現地新聞『リンゴ日報』休刊が伝える中国共産党の横暴

ジミー・ライ氏の息子である黎崇恩氏は、父親の置かれた危機的状況や、言論の自由が奪われた香港の近況を発信し続けており、最近も国連のイベントに招待され、スピーチを行いました。

ロイター通信によると、国連人権理事会の会合期間、「香港におけるメディアの自由」というイベントが開催されましたが、その講演者のひとりが、黎崇恩氏だったそうです。ちなみにこのイベントは、アメリカ、フランス、ドイツなど22カ国以上が共催しているとのこと。

しかし中国が各国外交官に「いかなる形であれ、このイベントへの参加を控える」よう求める書簡を出していたことが明らかになりました。その書簡には「香港関連の問題は純粋に中国の内政問題であり、外部からの干渉を許さない」と書かれていたそうです。

ロイターの取材では、少なくとも4人の外交官がそうした書簡を受け取ったことを確認し、そのうち3人は、中国の外交官がいくつかの国に対し、このイベントに参加したり支援したりしないよう個別に連絡していたと証言していたそうです。

記事によれば、ジュネーブの中国外交部からは回答はなく、香港当局は一般声明を発表し、「メディアがジミー・ライ事件に関して誤解を招く中傷的な発言をしたことは政治的干渉に当たる」と非難しました。

一方、イギリス外務省は中英共同宣言を引用し、香港における権利と自由の侵食を引き続き懸念すると述べています。

中国政府は香港から表現の自由を奪うだけではなく、ジミー・ライ氏から、そしてその息子、国連からも自由な発言を奪おうとしているわけです。

この記事の著者・黄文雄さんのメルマガ

まさに売国。補助金で中国製EVを普及させ日本の自動車産業を潰す岸田政権の愚行

世界中で猛烈な勢いをもって進むEVシフト。その流れに乗り遅れたとされる日本の自動車メーカー各社ですが、こともあろうに日本政府が国内での中国製EVの普及に「手を貸す」事態が起きているようです。今回のメルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんがその事実を明らかにするとともに、政府に対して至極真っ当な要望を突きつけています。

日本政府が日本の自動車産業を潰すまでのプロセス

私がモスクワに行った1990年、ロシア国民の夢は、「日本製の家電で家を埋め尽くすこと」でした。

私は当時、知り合いのロシア人に、「日本車は?」と尋ねました。すると、皆口をそろえて、「それは、難しすぎて夢にもならん」と言いました(今モスクワは、日本車、ドイツ車だらけになりましたが)。

そう、1990年当時、世界には日本製品があふれていたのです。

ところが…。いつ頃からでしょうか?世界市場で、日本の家電はシェアを落とすようになっていきました。はっきりは覚えていませんが、20年ぐらい前でしょうか。

日本を代表する家電メーカーP社の社員が、「韓国に負けそうだ」と泣き言を言っているという話を聞きました。私は、「冗談だろう!?」と仰天したのをよく覚えています。

モスクワの家電量販店では、日本製が徐々に駆逐され、韓国、つづいて中国製が目立つようになっていきました。

日本製が中国製に駆逐されたプロセス

思い出してみてください。1990年代、まだ中国製品は、「安かろう悪かろう」と思われていました。中国製の服は激安ですが、「買ったその日にボタンがとれる」といった感じでした。「中国製を着るのはちょっと恥ずかしい」という感覚もあったでしょう。

いつから「中国製全然OK」になったのでしょうか?1990年代末にユニクロが大人気になったことがきっかけでしょう。ユニクロのフリースは1998年200万枚、99年850万枚、2000年2600万枚売れたそうです。これで、「メイド・イン・チャイナでもいいよね」となった。

要するに、日本の会社が中国で安く生産し、日本が逆輸入する。日本企業が、「メイド・イン・チャイナ」の信用を上げたのです。

それから20年以上の月日が流れました。アパレル業界はどうなっているのでしょうか?

シーイン」という会社があります。私にはよくわかりませんが、「めちゃくちゃ安くてかわいい」と若者に人気なのだそうです。

シーインの特徴について、小島尚貴先生は、最新刊『脱コスパ病 ~ さらば自損型輸入』の中で、

「企画、デザイン、開発、縫製、検品、流通、広告、営業、販売、顧客フォローまで、一つも日本企業の関与なく完成させた」という点にあります。
(59p)

と書かれています。

少し流れを振り返ってみましょう。まず、日本企業が日本で作る段階がありました。ところが日本企業の一部が中国で製造し、「安くて質もまあまあ」の製品を作り、逆輸入した。日本企業が、「メイド・イン・チャイナ」の信用を上げた。

次の段階として、「中国企業が中国で生産した製品を、日本に輸出する」。日本企業は、一切関わっていない。皆さん、どうでしょう?シーインは、ユニクロに勝てるでしょうか?

小島先生はシーインの未来について、

日本人が現代中国を見る時は、どんなことを見聞きしても、最初は油断して見下します。

 

前作で大きな反響を集めた熊本の「い草、畳表」の事例でも、国産農家と自治体は油断で大敗北を喫しました。

 

同じパターンで、後に白物家電、パソコン、スマホもやられました。
(61p)

と警告されています。

カロリーベースの食料自給率たった38%。我が日本が先進国最低レベルのワケ

国産の食料品で自国民の食べ物をどれだけ賄えているかを示す「食料自給率」には、カロリーベースと生産額ベースという2つの指標があります。飢えを心配するケースで重要なのはカロリーベースの指標で、日本は先進国最低レベルの38%しかありません。戦前は86%、1970年でも60%あった自給率はなぜこれほど下がってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、その“元凶”について解説。南海トラフなどの大災害に備えた備蓄に加え、根本的に自給率を改善させる方策の必要性を訴えています。

米を作って食料自給率を上げよう

11月に『食糧危機のウソ八百』(仮称 ビジネス社)と題する本を出版する予定である。日本の食料自給率はどんどん下がり、カロリーベースで38%(2022年度)しかなく、自然災害や戦争などで外国から食料が輸入できなくなれば、国民の大半は飢餓に直面するだろう。というわけで、なぜ食料自給率は下がったのか、食料自給率を上げるにはどうしたらいいかを考えてみようというわけである。

カロリーベースの食料自給率は、所謂先進国の中で日本(もはや先進国とは言えないかもしれないが)は最低レベルで現在38%である。自給率が高いほうから、カナダ221%、オーストラリア173%、フランス117%、アメリカ115%、ドイツ84%、イタリア58%、イギリス54%となっている。日本の自給率がいかに低いかがわかる。

カロリーベースの自給率は、1人1日当たりの国産供給熱量/1人1日当たりの供給熱量×100で算出される値で、国民に供給される食物の熱量(カロリー=エネルギー)に対する、国産供給熱量の割合である。日本は現時点で供給カロリーが2426kcalで、国産供給カロリーは918kcalである。ここから計算すると自給率は37.8%となる。供給熱量は実際に口に入ったものばかりではなく、残飯や賞味期限切れとなって捨てられている食品も含まれているので、こういった無駄を省けば2100kcalくらいには下げられるので、それだけでも自給率を6%近く改善できる。

実際、戦前の1936年度の供給熱量は2075kcal、自給率は86%で、戦後の食糧難の時の供給熱量は1448kcal、自給率は88%であったことを考えると、供給熱量は2100kcalくらいで、十分生きていけるだろう。もっとも1946年の1448kcalは異常に低く、別のデータによると摂取熱量は、実際は1903kcalとも言われ、差し引きの455kcalは統計に残らないヤミ食品だと考えられる。

食料自給率にはカロリーベースの他に生産額ベースでの値もあり、これだと、カナダ118%、オーストラリア126%、フランス82%、アメリカ90%、ドイツ64%、イタリア84%で、日本は63%である。生産額ベースで見ると、日本もそれほど悪くないが、実際に飢えに直面した時に、問題となるのは必要なカロリーを摂れるかどうかなので、食料の安全保障を考えるときに重要となるのは、カロリーベースの値である。

この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ

占い師になるチャンスが目の前に。理解のない夫を説得するには?

子どもが自立し親の責任から解放された専業主婦が、夢見ていた仕事を始めたい。夫がいる人なら相手の理解は不可欠ですし、開業資金の協力を仰ぐのであれば尚更です。今回のメルマガ『公認心理師永藤かおるの「勇気の処方箋」―それってアドラー的にどうなのよ―』には、以前から憧れていた占い師の仕事を始めるチャンスが巡ってきた主婦から相談が届きました。公認心理師の永藤さんは、長年の夢なのであれば本来は、自分自身でお金の面も準備しておくものとピシャリ。それでも、占いを学ぶ相談者をバカにしているという夫にお願いするなら、どんな説得材料が必要かをアドバイスしています。

ちょっと御相談がありまして:夢を追いかけたい

皆様からお寄せいただいたご相談や質問にお答えしたり、一緒に考えたりしていきます。

Question

shitumon

アラフィフの専業主婦です。夫はあと5年で定年、子供は今年社会人になり、家を出ました。昔からずっと、占い師になりたいと思って、いろいろなスクールに長年通ったりもしていました。夫は占いも、占いを学ぶ私のこともずっとバカにしています。

先日、昔から知っている先生のおひとりがお年を召して引退されることになり、隣の市の駅ビルの一角の占いコーナーに欠員ができるため、やってみないかと打診を受けました。私は千載一遇のチャンスだと思い、ぜひやりたいと思っています。

ただ、スタート時にかかる費用、例えば出店料や衣装代や道具を新しくするための費用が自分の貯金では全然足りないため、夫に出してもらわなくてはなりません。占いコーナーに空きが出るなんてめったにないので、私はどうしてもやりたいのです。どうしたら夫を説得できるでしょうか?

【永藤より愛をこめて】

そうですか。壁に当たっていますね。基本的に私は、「人生一度きりなんだから、やりたいことをやりたいようにやればいい」と思っている人間です。自分の人生なんだから、自分の夢を追いかける権利は自分だけがもっている、という持論があります。

ただし、です。それは自分の行動に責任が持てる範囲であり、誰かに負担や迷惑をかけたり、誰かの犠牲の上でないとなりたたない、ということがないようにするのが鉄則です。あなたにとっての占いは、お子さんにとっての教育とは違う、ということはお分かりですね。

いつか占い師になりたい、ということが、ぼんやりしたあこがれや夢レベルではなく、現実に手元に引き寄せたいのであれば、勉強するのはもちろんですが、出店のためのお金のことを考えておく、準備しておく、ということも同じように大切なのではないでしょうか。そして職業として占い師になるのであれば、どうやって収益を上げるのか、その見通しを立てるということも必要です。

お金のことって本当に大事です。パートナーさんは、あなたのお財布ではないし、打ち出の小づちでもありません。そもそもあまりご賛成ではない様子。それでもどうしてもお金を出してほしいのであれば、「私に投資をしてくれれば、きちんとこんなに大きなリターンをいたします」と、経営プランを提出してお願いをすることが必要になります。

「そんなの無理!絶対出してくれない!」そうだとしたら、まずご自身が初期投資分を用意してからのスタートになります。そうすれば、何の気兼ねもなく、堂々と、晴れ晴れと、占い師としてのスタートが切れます。

もちろんポジションに空席が出るのは稀かもしれませんが、今無理やりスタートさせたとしても、かなり近い将来に息切れしてしまうことが見えてきそうです。少し冷静になって、長い目でご自身の、そして夫婦の将来の展望を見てみてはいかがでしょうか?他人様の幸せを願う占い師さんであれば、きっとそれができるはずですよね。

この記事の著者・永藤かおるさんのメルマガ

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なぜ、パチンコ屋さんを「新装開店」した居酒屋はこんなにも盛況なのか?

全長33mのカウンター。そこに40人程度のお客さんがずらりとならんでお酒を嗜む……そんな一見異様ともいえる光景を大阪で見ることができます。今回のメルマガ『繁盛戦略企画塾・『心のマーケティング』講座』の著者、佐藤きよあきさんが紹介するのは、元パチンコ屋さんを改装して作ったという居酒屋。一見さんも入りやすく、かつその人たちが常連になってしまうという、お店のマーケティング方法とは?

驚異の集客力!!全長33mのカウンターに、酔客40人が並ぶ!

人びとに愛されている居酒屋さんはたくさんあり、多くの常連さんに守られて、長年営業を続けています。

しかし、時代の流れとともにお客さまの数は減り、やがて暖簾を下ろす時期がやって来ます。

これは運命とも言えることですが、古いお店には独特な雰囲気があり、一見さんが入りづらいことも影響している場合があります。

老舗と言われるお店は、常連さんに紹介してもらう以外に、来訪するキッカケがありません。

酒が良い、料理が旨い、店主の人柄に惹かれる。

そんな内側の情報は、お店の外観を見てもわかりません。

つまり、お店の前を通り掛かった人が、興味を持って、積極的に暖簾をくぐる可能性は少ないということです。

常連さんに守られながらも、一見さんが次々に増えていかなければ、お店の永続は望めないのです。

大阪市天王寺区に、近鉄上本町駅直結の地下飲食店街があります。

ここの一角に、ひと目で酒好きの人を惹きつける居酒屋さん「天山閣ハイハイ横丁」があります。

駅周辺地下街などでよく見掛けますが、お店と通路の間に壁がないタイプの居酒屋さんです。仕切りは暖簾だけ。

なぜ、このお店がひと目で人を惹きつけるのか?

通路から見えるお店のカウンターの長さに驚いてしまうのです。

全長33m。暖簾の長さも33m。

このカウンターに、40脚の椅子がズラリと並んでいるのです。

これを初めて見た関西人は、「なんや、これ?」「ウソやろ!」「ホンマか?」「笑わせよんな!」と驚くことしかできません。

このインパクトに、他で出逢うことはありません。

入らずにはおれぬほど、興味を持ってしまいます。

日本一長いカウンターだと言われています。

この見た目に惹かれて入る一見さんが多くいるのです。

カウンターの向こうは調理場ですが、もちろん細長い造りになっています。

なぜ、こんな細長いお店を作ったのでしょうか。

実は、偶然と計算の産物なのです。

元々この場所はパチンコ店だったのですが、閉店した時に、お店のオーナーが買い取り、その使い途として居酒屋さんを考えたのです。

しかし、ほとんどの部分は別の業種で使い、一部だけを居酒屋さんにしました。

その一部の使い方が斬新だったのです。

韓国から産婦人科医が“超高速”で減り続けている。原因は「制度と訴訟」か?

韓国では産婦人科の医師が激減していることが問題となっているそうです。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超え教育関係の仕事に従事している日本人著者が、なぜ産婦人科を目指す医師がいなくなっているのかについて詳しく解説しています。

韓国から産婦人科がなくなりそう

啓明(ケミョン)大学東山(トンサン)病院産婦人科のペ・ジンゴン教授(高危険産婦新生児統合治療センター長)は24日、ニュース1との電話インタビューで、「産婦人科で産婦の妊娠と出産を扱う産婦人科は3D(難しくて危険で汚い極限職業)だが、今のような制度の下で誰が簡単にお金を稼げる皮膚美容を選ばずに産婦人科を選ぶだろうか」と声を高めた。

子供を産む人口も減っているうえ、労働に比べて大金を稼げないため、産婦人科を専攻しようとする医師が急速に減り、韓国は産婦人科が危機に陥っている。

9月1日に、オープンして32年になる蔚山広域市の大型産婦人科専門病院が無期休業に入ったのに続き、光州広域市に位置する大型産婦人科病院が30日に廃業を決めた。

長い間、地域で新生児を受け入れてきたこれらの病院が閉鎖を決めた理由は明らかだ。低い報酬問題と下落をつづける出産率で病院運営がこれ以上耐えられない状況に至ったためだ。病院が閉鎖されて直撃弾を受けることになったのは、結局産婦たちだ。ここに通っていた産婦と患者は新しい病院を探さなければならない境遇となってしまった。

このように地域拠点の役割をする産婦人科が消えれば、結局、高危険産婦や出産が差し迫った場合、子供を受け入れてくれる病院を訪ねてあっちこっちを「ぐるぐる」回るしかなくなる。

国会行政安全委員会所属のある議員が消防庁119救急課に提出された資料を分析したところによると、病院までの移送距離が20km以上の妊婦は最近3年間で4315人と集計された。「ドクター・ヘリ」に乗って産婦人科に移動した産婦も最近5年間で9人に達する。

問題は、これまで地域拠点で産婦を管理し、子供を受け入れてきた病院級規模の産婦人科が消えることにとどまらない。産婦人科医自体が超高速で減っているという点がさらに大きな問題だ。産婦が、山を越え海を渡ってドクター・ヘリに乗って大きな病院に移送されてきても、子供を受け入れてくれる医師がない最悪の状況が非常に近い将来に繰り広げられる可能性があるという話だ。

三星ソウル病院産婦人科のオ・スヨン教授は、「産婦人科を選択してインターン(修練医)、レジデント(専攻医)、チーフ(医局長)、専門医を経てフェロー(臨床医)に至っても、約3年後には産科を辞めるケースが80%~90%に上る」とし、「産科の場合、高危険患者が来ると明け方にも手術をしなければならない状況になるが、がんばって持ちこたえてきても結局、『教授のようには生きられないようだ(すいません)』という話をして去っていく」と話した。分娩という生命誕生の瞬間を助ける医師になるという心構えで産婦人科を選択しても、現実の壁に結局背を向けるという話だ。