北朝鮮にある名勝地「金剛山」で、かつて観光客が射殺された事件があったことをご存知でしょうか。今回のメルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』では、日本で最も朝鮮のことを知っている一人である宮塚コリア研究所の宮塚先生が、2008年に金剛山で一体何が起きたのか紹介しています。
※本記事は有料メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』2023年3月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
北朝鮮「金剛山」観光で観光客が射殺された
金剛山は天下の名勝地である。朝鮮では古くから「金剛山を見ずして朝鮮の山を語ることなかれ」といわれ、「クムガンサンド シックギョン(金剛山も食事の後で)」(日本語の「花より団子」)とも言われてきた。
金剛山は「ダイヤモンド(金剛石)のように輝く山」としてその名がついた名峰でもある。北宋時代の最高の詩人と言われた蘇東坡が「願生高麗国一見金剛山」(一生に高麗の金剛山を見るのが私の願いだ)とうたったというが、内金剛や外金剛では花崗岩からなる奇石怪石が連なる山々や美しい渓谷を堪能することができた。
山登りが好きな私は金剛山の主峰である昆蘆峰(ピロボン)の登山を計画していたが、日程上無理であった。昆蘆峰(高さ1639メートル)は雄大かつ荘厳である上に、金剛山尾「一万二千峰」の全景と北朝鮮の日本海側の蒼海まで一望できる最高の展望台でもある。
観光案内書には
「昆蘆峰の頂上に辿り着くと朝日をあびると銀色に、夕日に移ると黄金色に輝くはしごがあり、観光名所となっています」
とあった。
旅の最終観光コースは「三日浦」(サミルポ)である。三日浦は温井里から東方12キロ・メートルほどのところにある湖である。三日浦は周囲が6.5キロ・メートル、深さは9~13メートルで北方に36の低い連峰があり、北西には三日浦金剛門と呼ばれる石門が、南東には金剛山の海金剛が望まれる。
湖の中ほどに青松の茂る臥牛島が浮かび、その付近に四仙亭址、舞仙台などの遺跡があり、周辺の峰々が鏡のような水面に映える湖の眺めは見事なもので、天気に恵まれたこともあって多くの観光客が我先にと言わんばかりにシャッ
ターをきっていた。
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三日浦の名前の由来は、昔ある王が日帰りの予定で遊びに来たが、その絶景に魅せられて3日間も留まったという。私もしばしこの絶景に見とれていたが、売店でアルコールを売っているのを思い出し、売店に行ってマッコリとスルメ
だったかつまみを買って見晴らしのいいところで一杯やろうとしたら、次の観光コースに移動するというので、歩きながらマッコリを飲んだ。この時は3本も買ったが、2本は日本に持ち帰り今も資料室にある。
三日浦に行く途中にはさびれた農村もあり、バスの中から写真を撮ろうとしたが、私の行動は監視されているようでカメラを隠しながらむずむずとしていた。
金剛山観光では案内のパンフレットに
「北朝鮮兵が監視しているので不可能であるが、観光地区や道路を外部と隔てている金網を越えてはならない。これは北朝鮮一般住民も同じである。せっかく金剛山に行きながら現地の住民との触れ合いがまったく得られないという、観光として非常に大きな問題を抱えている。また、観光中に決められたコースを外れることも禁止されているが、この点は金剛山の自然保護の観点から、また軍事境界線に近いという事情で場所によっては地雷が埋設されているため、理解不能の規制ではない」
とあったが、正直に言って日が暮れてからホテルの外を出歩くということは考えもしなかった。
しかし、安全なはずの観光で事件は起きた。
2008年7月11日に韓国人の女性観光客(当時53歳)が早朝、1人で散歩に出かけて知らずに軍事保護区域に入り、兵士が停止するよう呼び掛けたものの逃走したため、警告射撃をした後に発砲したという。
この事件については不可解な点が多い。
北朝鮮側は被殺者が軍事地域を侵犯したと主張したが、韓国政府の真相究明を拒否したため、被害者が実際に軍事地域を侵犯したのかは明らかにされていない。
マスコミと家族の証言によれば、被害者が歩いていた当該箇所は、軍事地域と近接した地点であったにもかかわらず、比較的型崩れ鉄条網以外は何も設置されておらず、軍事地域なのか、民間人地域なのかを区分しがたい状況にあった
とのこと。北朝鮮兵が射撃直前被害者に警告したという北朝鮮側の主張も確認されてはいない。
遺体を解剖した医師は、北朝鮮兵が無防備の状態の民間人たる被害者を背後から狙い撃ちした可能性が高いと発表した。
この事件をきっかけに南北関係が一気に冷却していった。
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