『高野孟のTHE JOURNAL』第163号(2014年12月22日号)
自公合わせて3分の2を越える議席を維持する大勝を果たして、安倍晋三首相とその取り巻きはさぞや意気軒昂、これで来年9月には自民党総裁再選を確実にして、さあその先は本丸の改憲だ!と、突撃喇叭を吹かんばかりに燃え上がっているのかと思いきや、どうもそうではないらしい。
●アベノミクスは成功という嘘
元々安倍に批判的な自民党中堅が言うには「表向きはもちろん快活にしていますが、アベノミクスはすでに失敗しているのに『巧く行っている。この道しかない』と嘘を言って選挙を打ったわけですから。有権者の大半は『巧く行っている』と信じてはいないけれども、野党から別の選択肢が示されているわけでもなし、『仕方ない、もう少し安倍にやらせてみるか』という感じで投票してくれただけで、ガラス細工のような見せかけの大勝ですよ。これでもし、3月期決算に向かって景気指標がさらに悪化し、株価操作も限界に達する中で円安だけがさらに進行して庶民生活を直撃するという中で4月統一地方選を迎えるということになると、もうその時点で安倍はアウトかもしれないでしょう。少なくとも党内の領袖クラスは、さあこれで安倍の長期政権は間違いないから盛り立てていこうなどとは誰も思っておらず、むしろ逆で、いつコケるかも分からないから常在戦場で準備を怠りないようにという心境でしょう」。
アベノミクスは成功しつつあるという嘘が、どこで誰の目にも明らかなようにバレるか。早ければ来春だというのが、安倍の前に立ちふさがる壁の第1である。
●辺野古基地建設の行き詰まり
今年1月の名護市長選、9月の名護市議選、11月の沖縄県知事選、そして今回総選挙での沖縄全4区と、自民党が完膚なきまでに敗退したことの衝撃は大きい。安倍は口では「辺野古移設が唯一の解決策」と強がりを言っているが、内心はどうしたらいいのか分からなくて怯えている。その言葉通りに本格工事を強行すれば、オール県民の命懸けの抵抗に遭って流血の事態を招くのは必至で、そうなればさすがの米国政府も「安倍、頑張れ」とは言えなくなり、それどころか安倍の責任を厳しく問い詰めてくることになるだろう。
佐賀空港へのオスプレイ移駐という菅義偉官房長官苦心の策も、辺野古基地完成までの暫定措置というならまだしも、辺野古を断念して常駐化させるというのでは、漁協はじめ佐賀県民の承認を得られる見通しはない。とすると「県外」の候補地探しを一から始めることになって、安倍は“鳩山化”する。
他方、翁長雄志知事はワシントンに県の事務所を置いて米政府・議会やマスコミへの独自外交を進めることを公約していて、「単なる世論調査とかではなく、14年の4つの選挙を通じて県民はこれだけ明確な意思を示している。民主主義のご本家である米国はどうしてこれを尊重しないのか」と説得して歩くだろう。すでに、SACOの辺野古移転合意の張本人であるジョゼフ・ナイ元国防次官補(ハーバード大学教授)はじめ知日派の大物が「辺野古は無理だ」と言い出しており、またオリバー・ストーン監督、ノーム・チョムスキーMIT 名誉教授ら米国中心の著名人29人が連名で14年1月に呼びかけた「辺野古基地建設中止」の共同声明は世界中で1万人を大きく超える賛同者の署名を集めており、何かきっかけが1つでもあれば、かつてない国際世論の燃え広がりが起きるだろう。
本筋は、これを機会に米国と強力に再交渉して、在沖海兵隊を「国外」すなわちグアムかハワイかカリフォルニアに撤退させることだが安倍にそんな発想も交渉力もない。この難問が来年早々から降りかかってくるのが、安倍にとっての第2の壁である。
●集団的自衛権の法制化
安倍は、集団的自衛権を解禁するという事実上の解釈改憲を閣議決定だけで押し通すという暴挙についても、この総選挙で国民の合意を得られたと強弁しているが、それは無茶な話で、その問題だけとればいかなる世論調査でも6~7割の人びとは反対するか疑問を持っている。
5月連休明けからの通常国会後半では、これに関連する法制の整備が最大の焦点となるが、法制化となると、安倍がかつて記者会見で赤子を抱いた若いお母さんが米艦に乗せられて韓国から脱出しようとしている絵をパネルにして「この人たちを自衛隊が助けられなくていいのか!」とアジったような、専ら情緒に訴える稚拙な手法は通用せず、本当のところ安倍がどういう具体的な対米軍事協力を実現しようとしているのかについて米国との間の真剣な摺り合わせが必要になるし、また国際法、安保条約、日本国憲法、自衛隊法など既存国内法の厳密な解釈による高度の法体系の構築も必要になる。これは相当難しい話で、安倍とその周辺の知的能力でやりきれるかどうかはかなり疑問である。
もちろん彼らが自分でやるのではなく官僚任せにするのだが、主導権を握っている対米従属派の外務官僚の観念論と、実戦に命を賭ける防衛省の制服組の現実論との間の裂け目は覆いがたいものがあるし、また内閣法制局も組織の存亡を賭けて譲るべきでないところは譲るまいとするだろう。さらに、先の閣議決定に至るまでは何とか辻褄を合わせて同調した公明党も、総選挙で議席を増やして、これまで以上にブレーキ役を果たして存在感を示そうとするだろう。安倍にそれらをまとめきれる力があるのかどうかということである。
加えて、米国の知日派の中には、安倍とその周辺に対して、「歴史修正主義者」つまり大東亜戦争肯定論に立脚して戦前型の自立した軍事国家をめざす軍国主義復活への傾きがあると見て、彼らが集団的自衛権の解禁に熱心なのは、対米協力に名を借りて海外での武力行使に道を開き実績を積もうとする隠れた魂胆があるのではないか、という警戒感が生まれている。
3分の2超の与党といってもおいそれとはいかないのが集団的自衛権で、それが安倍の第3の壁である。
●TPPでは大妥協を迫られる?
TPP もおそらく春までには決着を迫られる課題である。オバマとしては、レイムダック呼ばわりされかねない最後の2年間に、意地でも決着して歴史に名を留めたいことの1つがTPP であり、日本に対して重要農産物の関税を含めてしゃにむに妥協を求めてくるだろう。
これと関連して、安倍が「構造改革」の目玉に位置づけている「農協潰し」のための農協法改正案が通常国会に上程される。農協が莫大な農業補助金の受け皿となって特権的利益を貪ってきたのは事実として、それを改革するには、民主党政権が試みたように、実際に生産を担う農民に中抜きで支援が届くようにする戸別所得保障はじめ直接支払い制度への転換を通じて農協の意識改革を促すのが有効な政策手段であって、農協を敵視して農協法を変えて全中の権限を上から解体するようなことをすれば、「協同組合」理念に基づく世界的な運動の歴史を全否定し、角を矯(た)めて牛を殺すことになるのは目に見えている。
TPP での対米妥協と農協潰しという粗暴なやり方では、日本農業の基盤がますます破壊され、ついには自民党に対する農民の絶望的な一揆を招くことになろう。春までにその流れがはっきりと目に見えてくれば、統一地方選への影響は大きい。これが第4の壁である。
●川内原発再稼働という挑発
鹿児島県薩摩川内市の川内原発の再稼働は、原子力規制委員会の書類上での設備・機器への「合格」だけを根拠に(だからと言って「安全」を保証する訳ではないと規制委自身も公言しているのに)、事故が起きれば惨事に陥るに決まっている周辺自治体の不安を黙殺し、火山学会の火山噴火への備えを求める忠告を無視し、30キロ圏内の避難計画さえもおざなりのまま、年明け早々、遅くとも2月までにゴー・サインが出されることになる。これを突破口となる「再稼働モデル」として、高浜はじめ他の原発の再稼働や大間原発の建設再開が次々に進む。これに対しては前回総選挙での自民党の公約「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」はどこへ行ってしまったのかという脱原発の世論が盛り上がることになろう。
他方では、トヨタが全世界に先行して水素カー「ミライ」の発売に踏み切り、首都圏はじめ各地での水素ステーションの建設も予想を超えた勢いで動き出して「水素社会実現」の呼び声があちこちから上がっている。実は安倍政権が4月に策定した「エネルギー基本計画」でも「水素社会実現」が1章を設けてきちんと描かれていて、それ自体はまことに結構なことなのだが、不思議なのは、水素社会の実現が早まれば早まるほど脱石油・天然ガスのみならず脱原発が可能になるのだというダイナミズムが同計画ではまったく位置づけられていないことである。
たぶん安倍の頭の中では、水素はいろいろある新エネルギーの一種としてしか認識されていないのだと推測されるが、そうではなくて、水素社会の実現とは、日本の経済社会のエネルギー供給体系の基本が中央集権的な「電力ベース」から地産地消・自給自足的な「水素ベース」に根本的・原理的に転換し、従って中央集権的エネ供給の象徴ともいうべき原発は真っ先に不要となることを意味している。このことは、安倍だけではなく多くの人がさっぱり理解していないことだが、実際にトヨタが突破口を開いたことで水素社会とは何かという議論が急速に進み、「なあんだ、原発なんていらないじゃないか」という認識が広がるにちがいない。
無理やりの原発再稼働への反発が、第5の壁となる。
●永田町のご町内レベルでも
今回の発作的な解散・総選挙の最初の動機は、女性2閣僚のスキャンダルをもみ消そうというにあったわけで、これ以上のトラブルはご免だということで選挙後の内閣改造も見送られた。しかしそれで済むのかどうかは疑問で、その象徴が、選挙後に発覚した小渕優子事務所のハードディスク破壊工作である。
小渕の政治資金不正疑惑で地検特捜部が10月に元秘書で前中之条町町長の折田謙一郎自宅や後援会事務所を捜索する前に、会計記録を保存した複数のパソコンのハードディスクを、ご丁寧にもドリルなどの工具を用いて穴を開けて破壊していたというのだが、疑惑のきっかけとなった後援会の歌舞伎ご招待の経費であるとか、小渕の顔入りラベルのワインを配ったとかいう話であれば、記載ミスだとか認識不足だとか言って謝れば済むはずで、証拠隠滅を図らなければならないようなことではない。折田は、父=小渕恵三首相の時代の実力秘書で、八ッ場ダム建設に関わる地元土建業者の利害調整の陰のドンと言われて来た。全くの推測だが、総事業費4600億円とも言われる国費を注いで無用の巨大ダムを作るという汚い仕事を父娘2代の政治家の裏で取り仕切ってきたとすれば、それはもう到底、地検には見せられないデータがいくらでもあるはずで、ハードディスクを破壊したくなるのも分かる。
これに限らず、自民党には多数を得ての慢心と緩みがあり、検察には小沢事件や村井事件の失敗で地検解体の寸前まで追い込まれた恥辱と焦燥がある中で、どんなスキャンダルが飛び出してくるかは予測の限りではない。第6の壁。
政権内部では、公明党の存在が厄介である。上述のように、集団的自衛権の閣議決定に至る過程では、同党は、与党の立場に留まりたい一心で、詭弁に近い理屈を弄してまで自民党に同調したが、この選挙で自民党はマスコミからは「圧勝」とか「大勝」とかの賛辞を得たものの議席は減らしていて、逆に議席を伸ばした公明党と合わせて何とか3分の2超を確保したにすぎず、これまで以上に公明党の言い分に配慮せざるを得なくなった。
しかも、安倍の主張に近い次世代の党はほとんど壊滅し、維新も、安倍と連携可能な橋本系が力を失って、民主党との連携を志向する江田系が主導権を握ったことによって、自民党は「文句を言うなら連立を解消して次世代や維新と組んでもいいんだよ」と公明党に揺さぶりをかけることが難しくなった。第7の壁。
●自動的に安倍再選とはならない?
さて、このように今後半年ほどの間にも、いろいろな壁があって、どこで安倍が頭をぶつけてもおかしくない情勢なので、この選挙に勝ったから自動的に来年9月の自民党総裁選で再選されるとは限らなくなってきた。いずれかの壁に頭をぶつけて脳震盪を起こし9月まで政治生命が届かないということもあり得るし、何とか届いたとしても、谷垣禎一幹事長や石破茂地方創生相の挑戦に耐えうるだけの力が残っているのかどうか。これが第8の壁である。
『高野孟のTHE JOURNAL』第163号(2014年12月22日号)
著者/高野孟(ジャーナリスト)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊。2002年に早稲田大学客員教授に就任。05年にインターネットニュースサイト《ざ・こもんず》を開設。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
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