なぜ「高学歴の社員」ばかり集めても企業は成功しないのか?

高偏差値の大学を卒業したものの、いざ実社会に出てみると自信をなくしてしまうという人は少なくないようです。今回の無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では著者の浅井良一さんが、『ビリギャル』を慶応大学に合格させた学習塾塾長の話から、答えのない実社会で高い成果を上げる人間になるにはどうすればよいのかということについて語っています。

唯一の意味ある強み

うまい先生

ドラッカーはこのように言います。

「“マネジメントのリーダーシップ”なくしては、生産資源は資源にとどまり、生産はなされない。彼らの能力と仕事ぶりだけが、事業に成功さらに事業の存続を左右する。『マネジメントこそ、企業が持ちうる唯一の意味ある強み』である」

ということで、すべてはマネジメントに委ねられます。そして、加えて「最も希少な資源は人材である」と続きます。ということで「“人材”のマネジメントこそが、事業に成功さらに事業の存続を左右する唯一の強みである」となると解されます。このことは、自分一人で仕事を行っていても“考え方”は同じです。

NHKのテレビ番組で、偏差値30(下位2%)のビリギャルを偏差値70(上位2%)にまで押し上げ、みごと慶応合格させた学習塾塾長の示唆に富んだ話が紹介されていました。その人物とは坪田信貴さんなのですが、このような思いがけないことを言っています。

「大学までの勉強では、頭が良い悪いなどない。究極的に言うと、東大に行くことは誰でもできる」

なぜならば

「大学受験の勉強には“答えがある”からだ」

と。そこで、人の親なら思わずつぶやかされてしまうんですが「この先生に、我が子を預ずけることができれば、万々歳だ」と。子供を一流の大学に合格させるには、一にも二もなく「うまい先生を見つけ出して、その先生にすがるにしくはない」と。やはり、東進ハイスクールの林修先生は大正解なのではないかと。

大麻で逮捕の永山絢斗、最悪だった業界内の評判と地元・板橋での“素行”。兄・瑛太の「七光り」も大失態で『東リベ2』ピンチ

警視庁は16日未明、俳優の永山絢斗容疑者(34)を大麻取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕したと発表した。容疑の認否については明らかになっていない。各社の報道によると、永山容疑者は東京・自由が丘の自宅マンションで大麻を所持していた疑いがもたれている。永山容疑者は公開中の映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編―運命―』に主要キャラの「場地圭介」役で出演しており、続編の『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編―決戦―』が30日に公開を控えている。本作の上映について、この逮捕の影響が心配されているようだが、そもそも永山容疑者の「素行」については以前より悪い評判が出回っていたようだ。一体どんな素顔を持っていたのだろうか?

業界内の評判は最低最悪

今回の逮捕について、以前から永山容疑者を知る芸能関係者はこう明かす。

「とにかく態度が悪いというのは有名でしたよ。マスコミ業界の中での評判は最悪でしたね」

この関係者は、映画やドラマの撮影で見せた永山容疑者の目に余る態度についても語ってくれた。

「こう言っちゃなんですけど、あまり演技が上手くないくせに脚本に文句をつけたり、撮影現場で見かけたときは横柄な態度ばかりとっていましたね」

元々は実兄であり俳優の永山瑛太(40)からの紹介で、大物プロデューサーに見出されたという永山絢斗容疑者。しかし、そんな恩のある大物Pに対しても当初から楯突いたりと、問題行動をとっていたようだ。

「彼(絢斗容疑者)は、兄・瑛太の<七光り>であることを理解していないんです。そんな兄にコンプレックスを抱きながらも、自分の方が才能も演技も上だという驕りがあったんじゃないでしょうか」(同関係者)

地元・板橋では「喧嘩っ早い」ことで有名

業界内の評判が最悪な永山容疑者だが、俳優としてデビューする以前の様子はどうだったのだろうか。出身地の板橋区時代を知る人物は「素行の悪さは昔から」だと明かしてくれた。

「彼は地元でも喧嘩っ早いことで有名でしたし、口も悪いんです。まあ、お兄さんの瑛太さんもプライベートでは口が悪いんですけどね」

永山容疑者らの実家は板橋区高島平で焼肉店を営んでいたが、経営不振と持病に悩んでいた父親が2011年2月に自殺している(享年55歳)。父親は離婚後、男手ひとつでのちに俳優となる息子たち(竜弥、瑛太、絢斗)を育てていたという。

「亡くなったお父さんも、永山容疑者の素行の悪さには手を焼いていたようです。今ごろ天国で、今回の逮捕について誰よりも悲しがっているのではないでしょうか」(同)

手塚治虫が描いた、疾走する“駅馬車”。晩年の代表作『ミッドナイト』から感じた芳香と咆哮

今も「漫画の神様」 と呼ばれて愛され続けている漫画家・手塚治虫が1986年から87年にかけて『週刊少年チャンピオン』で連載していた晩年の代表作品『ミッドナイト』。無免許のタクシー運転手を主人公に、その車に乗り合わせる客たちの悲喜交々の人生を描く名作ですが、単行本に未収録となった11作品や最終回で重要な役として登場するブラック・ジャック出演回3話分を収録した『ミッドナイト ロストエピソード』(立東舎)が6月16日に刊行されました。この作品を通じて、晩年の手塚治虫は何を描こうとしていたのでしょうか。漫画原作者で、元漫画編集者の本多八十二さんが「駅馬車形式」という手法を軸に、手塚治虫がこの作品で「本当に描きたかったもの」について考察しています。

手塚治虫が操った「駅馬車」

ひとつの空間を舞台に複数の人物のドラマを描く物語の手法をグランド・ホテル形式というそうで、それに類似したものとして駅馬車形式というものもあるらしい。ホテルより駅馬車のほうが空間としては狭い。そしてタクシーはもっと狭い。密である。

かつて誰だったか、世の中で一番あらゆる階層、身分、職業の人々がひとつの場所に集まるのが運転免許センターだと述べた気がするが、タクシーの車内もまた、さまざまな事情を抱えた者どもがいっときを過ごす。運転士と乗客との一期一会の縁と、対峙。そんなタクシーという装置を題材にし、手塚治虫の『ミッドナイト』が1986年に週刊少年チャンピオンで連載開始された。テレビドラマ『ナイトライダー』が1982年(日本での放送は1984年)、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が1985年だったことを考えると、カスタマイズされたスペシャル・カーを主人公が乗りこなす活劇は、当時の大きな趨勢の一つだったのかもしれない。

破竹の勢いで手塚治虫復刻シリーズを刊行中の立東舎から、このたび『ミッドナイト ロストエピソード』が発売された。今回も企画編集の濱田髙志による念入りな調査と手塚プロダクションの全面協力のもと、連載当時の扉絵の全話分が収録され、さらに本作品の幻のプロトタイプ『ドライブラー』の現存する総ての原稿が掲載されることとなった。そして本書の一番の存在価値は、これまでの単行本で未収録だった回が一堂に集められたこと。これを通読することで本作品の全体像が初めて見渡せるわけで、熱心な読者にとっても待望の刊行といえるのではないだろうか。

未収録回を目にして再考した「駅馬車形式」という表現

じつは拙稿筆者は前職で、過去数度復刊された本作品の、ある一回分の復刻担当を担ったことがあり、その当時も味わい深く読んだ記憶があるが、今回本書のゲラで未収録回を併せて目にすることができ、手塚が駅馬車形式を使って当時何を表現しようとしたのか、もう一度考え直してみる機会を得た。

ウィキペディアの受け売りになるが、駅馬車形式というのは演劇評論家の菅井幸雄が著書『演劇の伝統と現代』(未来社、1969年)で述べた概念とのこと。1939年に公開されたジョン・ウェイン主演のアメリカ西部劇映画『駅馬車』が元になっている。ちなみにこの映画は赤塚不二夫が大きな影響を受け漫画家になるきっかけとなった作品とのこと。さらに言えば、『駅馬車』のジョン・フォード監督はこの映画についてモーパッサンの短編小説『脂肪の塊』(1880年)から影響を受けたと語っていることから、この物語形式のルーツはかなり旧く遡ることができる。

『ミッドナイト』はホテルや馬車のように、居合わせたり乗り合わせるといった同時進行の群像劇ではないものの、タクシーという限られたスペースで不運、危機、ロマンス、因果関係、対比、日常との落差、逃避、復讐などのドラマが繰り広げられていく作品なので、やはりいにしえからのオーソドックススタイルである駅馬車形式の系譜を踏まえていると感じた。毎回異なる旅客がそれぞれの問題を抱えて主人公のタクシーへ乗り込むという設定は、長期週刊連載の案出しという過酷な環境の中で、手塚と担当編集者にとっても盤石なアイデアと思われただろうと想像する。

自身の姿を重ねて描いた漫画家像

編集者といえば、本書収録のACT.20に、ツクバ大学教養学部卒の編集者が児童文学界隈を志したにもかかわらず漫画雑誌に配属となり、子どもマンガの運び屋に……こんな仕事辞めたい! と主人公に愚痴るシーンがあり、拙稿筆者のかつての上長にも数人、そのような人物像が被る教育大卒だったりする元手塚番が居たなあ、と思い起こした。漫画の中で、たかがマンガなんて、という倒錯を描き、漫画への軽視と弾圧に抗議しているようにもみえる。もっと言えば、このエピソードで原稿を一枚一枚入稿する漫画家の姿は手塚治虫そのものでもあるのだろう。現実の手塚はそのさらに一段上をいっていて、連載回の最終ページから描き上げて担当者に渡すことで、時間切れ校了下版となって途中までの形で雑誌に掲載されてしまうことを阻止したという伝説があるが、おそらくそういう攻防も深夜におこなわれていたものと思われる。偏見であるが、漫画家は、そして大ヒット漫画家は、ジョジョの先生など稀有な御仁を除いて、おおむね超夜型で、編集者も夜なべでそれに付き合う例の枚挙にいとまがない。そういう漫画製作現場の、いってみれば卑近な息遣いのようなものが、本作品のそこかしこからあふれ出ているような気がしてならない。

それにしても、当時の歴代担当編集者は口が滑っても手塚の面前でそのような愚痴は漏らさなかっただろうから、おおかた巡り巡った噂として手塚の耳に入ったといったたぐいの話なのだろうけれど、それを原稿に描いてその原稿を編集者が受け取り入稿する、というのもまた捻じれた関係性がうかがえて少し愉しく、少し切ない。

安倍シンパ発狂。岸田が「LGBT法案」で維新と国民案を丸のみした訳

6月13日に衆議院の本会議で可決され、今国会での成立が確実視される「LGBT理解増進法案」。十分な議論がなされたとは言い難いのが現状ですが、なぜ岸田首相は法案の成立を急ぐのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、そのウラ事情を解説。法案に乗り気ではなかった首相の方針を一変させた「内政干渉」の存在を明かしています。

【関連】「同性愛は精神疾患」と書いた冊子まで配布。LGBT法案成立を強烈に嫌悪する保守系団体の名称

岸田政権の前のめり。賛成派も反対派も納得できないLGBT法案が衆院通過したウラ事情

「安倍さんがいたら、こんなことはさせなかった」。保守派界隈から怨嗟の声が聞こえる。

衆議院解散のタイミングをうかがう岸田首相は、他党の案を丸のみしてまで、与党のLGBT法案を修正させ、6月9日の衆議院内閣委員会と13日の本会議での可決にもちこんだ。今国会での成立は間違いなさそうだ。

「この法律ができたら、トランスジェンダー女性が女性用トイレや女湯に入るのを拒めなくなる」というのが、表向き、保守派が反対する主な理由だ。この意見に煽られて、不安を訴える女性が増えてきたのも確かだろう。

当初は、与党案で突き進むかまえだった。しかし、総選挙を意識し、女性の離反を恐れる岸田首相は修正へと方針を変えた。

日本維新の会と国民民主党が提出した法案は、与党案に比べると、いくらか「女性の安全」に配慮した内容だった。岸田首相の指示を受けた萩生田政調会長は、委員会採決前日の8日になって維新の馬場伸幸代表に「何とか協力してもらえないか」と修正協議をもちかけた。

馬場氏は「われわれの案が中心でなければ協力は一切できない」と条件をつけたうえで話に応じ、翌朝にかけて徹夜の修正作業を進めた。

「性的少数者への理解増進」という目的が掲げられた議員立法のこの法案。もともとは超党派の議員連盟が2021年にまとめたものだが、自民党保守派の中から「訴訟が多発する社会になりかねない」などと異論が続出し、法案提出が見送られた経緯がある。

だが、世界の趨勢からして、法案を棚晒しにしておくわけにはいかない。

EU加盟国の全てや、カナダ、アメリカ(一部の州)などの先進国では、LGBTの差別を禁止する法律が制定されている。G7のなかで、そのような法律がないのは日本だけだ。

このため、自民、公明両党は今年の5月18日に与党案として法案を提出した。超党派案の「差別は許されない」との文言を「不当な差別はあってはならない」と変更し、「性自認」を「性同一性」に置き換えたのが主な修正点だ。

立憲、共産、社民の三党はそのまま超党派議連の法案を、日本維新の会と国民民主党は独自案を提出した。

だが、与党案が自民党内ですんなり了承されたかというと、そうではない。5月12日に党本部で開かれた「性的マイノリティに関する特命委員会と内閣第1部会の合同会議」は大揺れだったのだ。

法案の条文審査ということで、計28人が意見を述べ、うち半数を超える15人が反対した。普通ならおさまりがつかない状態だ。ところが、特命委の幹事長を務める新藤義孝政調会長代行が議論の打ち切りと部会長への一任を提案したことから紛糾した。

「反対が多いのに『一任』はあり得ない」「法案提出ありきで期限を区切っているのではないか」との声が相次ぎ、憤慨した保守系議員らが新藤氏に詰め寄る場面もあったが、強引な形で部会長一任が決まった。

この記事の著者・新恭さんのメルマガ

都内で男性が暴行被害に。日本でも牙を向き始めた中国「秘密警察」のやりたい放題

中国政府は全否定の姿勢を崩さないものの、世界各国での存在に疑いの余地がない中国の秘密警察機関。先日、そんな組織による東京都内での暴力活動が発覚し、地上波のニュース番組が報じる騒ぎとなっています。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、他国でも暗躍する中国秘密警察の実態と、英国政府の毅然とした対応を紹介。さらに日本政府に対しては、事が大きくなる前に手を打つべきとの警告を発しています。

【関連】日本に潜む習近平の手先。いつか必ず牙をむく「中国秘密警察」が監視する“対象”

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2023年6月14日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

東京都内で暴力沙汰。明らかになった中国秘密警察の凶暴性

“都内などで脅迫や暴行受けた”中国の民主活動家が独自証言 “中国の秘密警察”日本で活動か その実態は?

本メルマガでも何度か取り上げましたが、最近、中国の秘密警察についてのニュースが日本の主要メディアで頻繁に報じられ、その実態が少しずつ明らかになってきました。53カ国102カ所あると言われている中国の世界に散らばる秘密警察が、活動を活発化させているということでしょう。

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今や、中国で政府や公安に目を付けられた中国人は、世界各地に逃亡しています。その多くは、人権活動家や政府批判をした反体制の人々であり、そうした人々が世中国政府の存在を脅かさないよう世界各地に拠点を持つ秘密警察が目を光らせているわけです。

冒頭のニュースでは、都内で働く中国人の民主活動家の男性が、都内で暴漢に襲われ脅されたと告発しています。一度は車に連れ込もうとされ、もう一度は横道に連れ込まれてスパイ活動をするよう脅され、断ると、別の日に道を歩いていて、突然、頭からビニール袋をかぶせられて叩かれ、みだりに口を開かないよう脅されたとのことです。

また、文春オンラインでは、『中国「秘密警察」日本での設立と活動の証拠写真を入手』と題した記事が配信されています。記者による独自取材の記事で、とても具体的に地名や人名などが記載されています。この記事によれば、東京の秋葉原にも中国福建省福州市の海外派出所があるそうです。

中国「秘密警察」日本での設立と活動の証拠写真を入手

5月15日も、以下のような報道がありました。

モンゴルに滞在していた中国・内モンゴル自治区出身の著名作家ラムジャブ・ボルジギン氏を拘束し、中国に連れ戻したと伝えた。米国に拠点を置く人権団体「南モンゴル人権情報センター」の情報としている。事実なら、「海外警察」と呼ばれる出先機関を巡って、国際社会で批判が強まる中国警察の活動への懸念がさらに強まりそうだ。

 

同センターは、ボルジギン氏が首都ウランバートルで、車両2台に分乗した中国の警察当局者4人に拘束されたとしている。人権団体関係者の間では、陸路で中国に連れ戻され、現在は自治区のシリンホトにいるとの見方が出ている。

モンゴル滞在の著名作家、中国「海外警察」が拘束か…当局者4人に陸路で連れ戻される

この記事の著者・黄文雄さんのメルマガ

東京から移住する地として京都は「非推奨」、大阪は「結構あり」なワケ

東京がちょっと嫌になって移住を考えていると聞けば、地方や海外に移り住むイメージが強いですが、住むのはやっぱり日本の都会がいいという人も中にはいます。大阪と京都を比べたらどちらが移住に適しているのでしょうか。『永江一石の「何でも質問&何でも回答」メルマガ』著者で人気コンサルの永江さんは、「地方の田舎に移住するのは止める」としたうえで、京都よりは大阪を推奨。その理由を明らかにしています。

関西に引っ越したい友人へのアドバイス

Question

shitumon

いつもVoicyで勉強になっています。いまは東京にいて、今年か来年に大阪か京都に移住しようとしているアラフォー友人(妻子あり)がいます。私は関西で働いているためアドバイスを求められました。

彼は今は人材系会社で自社メディア運営を担当していて、プランナー(?)として独立しようとしています。移住の理由を聞くと、東京の一極集中や過密にイライラする、都知事をはじめとした自治体の動きが悪すぎて不安と行き詰まりが嫌なので場所ごと心機一転したいそうです。

ただ、住むのは都会が良いらしく、大阪&京都か福岡にしぼって、万博とカジノができる大阪が良いと思っているらしいです。本人は北関東出身です。知らない土地で独立するのは問題ないのかと聞けば「出張でよくいくけど関西はおもしろい。すでに自分個人と契約している顧客は何人かいて、オンラインでやれるからOK。東京へいく必要があれば新幹線を使う」と言っていました。

私としては別にアドバイスもなく「移るならお子さんが小学校に入る前がいいね」とか「大阪なら南部より北部の方が住みやすいだろう」程度のことしか言えません。こういった場合へのアドバイスを、永江さんならどうされるでしょうか?止めたりしますでしょうか。

永江さんからの回答

東京から地方の田舎に住むと言ったら止めますが、大阪に移り住むのは十分あると思います。

東京からわざわざ閉鎖的で衰退している地方に行ってもメリットは皆無なので、田舎に行くのはすすめません。京都も、高齢者にバラ撒いて子供に配らず、道路工事も代金が支払えなくなって途中で止めるくらいに財政破綻寸前なので避けた方が良いですが、大阪なら良いと思います。

大阪は東京よりは小規模ですが首都圏で利便性も良い割に、家賃など諸経費が東京と比べてとても安いです。新築の3LDKのマンションでも3,000万円台で買えるそうですし(未確認)、賃貸も安く、生活費が安く済みます。昔はそこら中に浮浪者がいてタイヤを燃やしたりしていた西成も、今や観光ガイドまで配られるほどに変わり、教育の無償化は高校と公立大学にまで及びます。

行ってみると分かりますが、大阪は維新が生み出した変化と今後への期待感が高く、将来はもっと発展するというマインドの高揚が感じられます。こうしたマインドの変化によって、出生率も向上するとわたしは予想しています。前回の大阪都構想は高齢者の反対で可決しませんでしたが、もう数年で高齢者は選挙に行かなくなるので、今後よりダイナミックな変化も起こる可能性もあります。

明るい展望が持てる今の大阪への移住は結構ありだと思いますね。

この記事の著者・永江一石さんのメルマガ

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難民をモノ扱い。管理という言葉を含んだ「入管法」という名称で判るニッポン国の発想

国連の難民条約に加入していながら、世界でも極端に難民の受け入れ数が少ない日本。6月9日には参院本会議で入管法改正案が成立しましたが、識者はこの動きをどう見たのでしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」学長の引地達也さんが、「入管法」という名称に注目。その上で政府に対して、管理ではなくケアの発想での法整備を提案しています。

「管理」の名のもとに議論される入管法と難民の悲劇

外国人の収容や送還のルールを定める入管難民法の改正案が9日、成立した。

大きな改正点は「難民認定申請が3回目以降で強制送還を可能にした」「ウクライナなど紛争地から逃れてきた人にも難民に準じた在留資格を与える『補完的保護』制度を創設」「在留資格のない人を収容している施設に代わり監理人の監督下で生活する『監理措置』の新設」。

特に強制送還に関する改正は、立憲民主党などの野党が日本の難民認定率の低さを指摘し、本国で生命が脅かされる保護するべき難民が送り返されてしまう、との懸念を示した。

政府の説明で懸念が払拭されることなく、結局混乱の中で強行採決の様相となった。

難民や外国人に対する私たちの認識が問われるこの議論だが、そもそも「入管法」という名称から、日本が排他的に外国人を捉え、管理しようとする精神性がうかがい知れ、それは「共生社会」とは遠いことも示しているようにも思える。

いわゆる「入管法」の正式名称は「出入国管理及び難民認定法」で、第一条の目的はこう記す。

出入国管理及び難民認定法は、本邦に入国し、又は本邦から出国する全ての人の出入国及び本邦に在留する全ての外国人の在留の公正な管理を図るとともに、難民の認定手続を整備することを目的とする。

今回の改正案に関しては法務省管轄の出入国在留管理庁のホームページにその意義をこう記載している。

外国人を日本の社会に適正に受け入れ、日本人と外国人が互いに尊重し、安全・安心に暮らせる共生社会を実現することは非常に重要ですが、どんな人でも入国・在留が認められるわけではありません。

この書き出しは、現状をネガティブに捉え、性悪説に基づいた管理の必要性が前提の印象がある。

出入国在留管理庁の英語表記はImmigration Services Agency of Japanで、そこには「管理」はない。

日本では名称通り、「管理」が優先され、結果として出入国する人、難民になるような人を管理対象としてモノ扱いする傾向への懸念は拭えない。

改正法では強制送還を可能にした手続きにも注目が集まった一方で、監理措置制度の創設には「管理」の発想が漂う。ウクライナからの要支援者への対応として、その印象は共生社会の実現のような融和的にもみえるが、人を監視する制度であることを確認したい。

この記事の著者・引地達也さんのメルマガ

法律を見れば判る。「正社員は1日8時間労働」が限界ギリギリなワケ

就職活動が実を結び「正社員」の座を手にしたものの、どうにも職場が合わないというケース、よく耳にするものです。そんな時、どのような選択をするのが正解と言えるのでしょうか。今回のメルマガ『バク@精神科医の医者バカ話』では、現役の精神科医で内科医としての実績を持つバク先生が、そもそも「一日8時間労働」という正社員の条件が「人間が安心して働ける時間ではない」と指摘。その上で、どうしても働き続けることが厳しいと感じている人へのアドバイスを記しています。

正社員って大変!なるのも辞めるのもどうすんねん問題への個人的意見

皆さんこんにちはバク@精神科医です。今年は多忙なため書籍出版のお話は頂いていたもののお断りして、本業に集中しようとしております。(まぐまぐは書いてますが)

さて今回はこんな感じで「自分のキャパで仕事の量を調整できるなら調整した方がええんちゃうんかな」という話をお届けしようと思います。

仕事は与えられるものという概念

多くの人はサラリーマンとしてお仕事をされているのでは無いでしょうか。自営業と書く人はなんだか特別な存在!な感じを抱いている方もおられるかもしれません。しかしこの働き方は実は最近発生した文化です。

「え!?」と思われそうですが私の母方の祖父を見ても(父方は歯科医なので置いといて)、「福岡から祖母と駆け落ちをして関西まで逃げ(ドラマチックやな)、その後駄菓子屋などを起業し2、3回潰し、ある時たまたま知り合いで[土地を売りたい人]と[土地を買いたい人]が居たため仲介したときに貰った仲介料が駄菓子を売ってる場合じゃねえ!という金額だったために「これからは土地の売買やでぇ!」と不動産会社を設立し、その後バブルに乗って大躍進、おじの代でバブル崩壊&内部の様々な腐敗(家族経営ってこういうのあって怖いですね)、そして色々な事件により廃業」と昔の人は割と自力で起業して成功したり失敗したりしていました。

日本で「サラリーマン」という会社に雇われて給与を貰い労働力を提供する、という働き方が出現したのは1920年代頃と言われており100年程度しか歴史が無いことがわかります。いや、100年は長いだろ!と思われるかもしれませんが、98歳の人からしたらまだ周りには自営業の人の割合の方が多かった時代というとそんな昔じゃ無い感じしませんか?

この記事の著者・バク@精神科医さんのメルマガ

小売店が生き残るためには何をすればいい?「卸掛率」引き上げ問題“3つの対策”

前回前々回の記事で小売店の三重苦について語ってきた無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』の著者で経営コンサルタントの梅本泰則さん。今回も同様に小売店が現在悩んでいる「卸掛率」の上昇についての対策を紹介しています。小売店がこの厳しい時代を生き抜くためにはどうすれば良いのでしょうか?

小売店の三重苦(卸掛率編)

1.問屋さんからの申し入れ

前回は、小売店さんが三重苦と感じていることの一つ、「品切れと納期遅れ」の問題をとりあげました。

【関連】「大量生産」は過去の話。カタログに載る商品を生産しないメーカーの事情

前々回は「値上げ」の問題でした。

【関連】原材料の値上げで「三重苦」の窮地に立たされる小売店の未来はどうなるのか?

そして、今回は小売店さんの三つめの苦労、「卸掛率の上昇」を取り上げます。

コロナ禍の影響でしょうか、問屋さんから卸掛率を引き上げて欲しいという依頼が小売店さんに来ているそうです。一方では、問屋さんはメーカーさんから仕入掛率のアップを持ちかけられていることでしょう。

原材料も高騰しているでしょうし、為替も急騰しています。おそらく、メーカーさんは小売価格のアップだけでは原価の上昇分を吸収出来ないことでしょう。そのため、メーカーさんは問屋さんへの納入掛率を引き上げているかもしれません。

そうなると、問屋さんの利益が削られますので、小売店さんへの卸掛率引き上げを申し入れることになります。その気持ちはよく分かりますが、小売店さんにとっては大きな問題です。

「小売価格の値上げ」や「品切れ・納期遅れ」とは、少し問題が違います。卸掛率が上がれば、小売店さんの利益が確実にとれなくなってしまいます。

たとえば、問屋さんからの卸掛率が定価の65%ならば、定価で売った時の粗利益率は35%です。これが、卸掛率67%に引き上げられたら、粗利益率は33%になってしまいます。2%の粗利益分をお客様に負担してくれとはなかなか言えません。困りましたね。

この問題に対して、小売店さんはどんな手を打ったらいいでしょう。

犯罪の匂いがしない街・浦安市で起きた「連続放火事件」で変わってしまったもの

悪質ドライバーや放火犯…身近に潜む犯罪を目の当たりにしてしまったメルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』の著者で一級建築士及びマンション管理士の廣田信子さん。今までは安全で犯罪の匂いもしなかった街が、どのように変化していったのかについて紹介しています。

放火犯の罪」は街の根本を変えるほど大きい。地元・浦安のマンション連続放火事件で感じたこと

こんにちは! 廣田信子です。

近年、危険な悪質ドライバーに対する恐怖から、車にドライブレコーダーが急速につくようになり、事故や恐怖の映像を目にすることが増えました。

災害時の映像もスマホの撮影画像が当たり前になっています。

人通りがあるところは、どんなところにも防犯カメラが設置されるようになり、防犯カメラの映像を追い掛けると犯人が分かるようになりました。

マンションも意識しないところで、防犯カメラの設置が当たり前になってきています。

それでも目が行き届かない場所があります。

私の暮らす浦安市では、マンションの自転車置き場から火が出る火災が続きました。

小さな火災ですぐ消し止められましたが、自転車置き場に防犯カメラがなかったところが狙われました。

今は止まっているのですが、警察は、犯人を特定できているのかどうかわかりません。

それで、私たちの中にまた起こるのではという恐怖の気持ちが消えません。

その直後から、どの自転車置き場にも防犯カメラがしっかり設置されました。

URの賃貸マンションが対象となったため、URは、さらに警備員を配置しています。

私のマンションも分譲と賃貸がいっしょになっているので、警備会社の方が自転車置き場の前に24時間います。

防犯カメラだけではダメなのでしょう。犯人を見かけても、危ないので追い掛けてはいけないのですが、この中で犯行に及ぼうという気持ちにはならないでしょう。

早朝の散歩のときに、立ちっぱなしでいる警備の高齢の方々に「本当にご苦労様です」と思わず声を掛けますが、たいへんなことです。

緑が豊かで、犯罪の匂いがしない地域です。

散歩ついでにゴミを集めるボランティアの人がいて、ゴミ一つ落ちていない地域です。

URは、自由に敷地内に入れるしくみになっていて、そこが、浦安市の街の好きなところです。

その街での放火騒ぎです。このまま、犯人がつかまらないと、この警備体制がずっと続くのかと思うと、ちょっと気が滅入ります。

安全な街に住みたいと思うのは当然ですが、安全は自分たちで守らなければならないことを知ってしまいました。

こうして、自分たちで防犯体制をつくることが当たり前になってくるのかなと、少し寂しい気持ちで思います。

時代が足元から変わろうとしています。

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