なぜ韓国人男子学生は日韓サッカーで自国選手にブーイングしたか

スポーツの祭典「アジア大会2018」で日本に次いでメダル獲得数3位の健闘をみせた韓国ですが、実は成績の善し悪しによって「兵役」が免除されることを巡って国民の間で常に賛否両論があるようです。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では著者で韓国在住歴30年の日本人著者が、韓国内のバス内で目の当たりにしたサッカー決勝戦の鑑賞の様子を例にあげ、韓国国民の根底に渦巻く「兵役問題」の深刻さを伝えています。

兵役免除

アジア大会が終わった。日本は綜合で中国についで2位というよき成績だった。韓国は日本についで3位。

こういう順位付けは筆者としては非常に嫌いなのだが、世の中がみなそういう流れなので、いたしかたなくそれに従う。日本が何位であろうと韓国が何位であろうとどうでもいいことだけれど、今回ここで取り上げようとするのは、韓国の兵役免除問題である。これは日本では全く実感のない問題なのだけれど、韓国ではある意味死活問題といったニュアンスがあるくらい非常にナーバスでシビアな問題なのだ。

特に問題になっているのが韓国の野球チームそしてサッカー。メダル圏にはいると兵役が免除されるという規定だと思っていたら、金大中氏(DJと約すこともある)のときは、16強に入れば兵役を免除してやるぞと壮行式のとき選手たちと握手する場でそこれこそ「思いつき」で決めたという話も伝わっている。

16強であれば兵役免除の時代もあったみたいだけれど、今回は金メダルであれば免除という規定のようだ。野球もサッカーも決勝戦が二つとも日本だった。そして二つとも韓国が勝ち、金メダルを取った

筆者はちょうど9月1日(土)、釜山に行く用事がありその帰りにバスの中で韓日戦を見ることになった。学生たちと同じバスだった。ゼロゼロで迎えた延長前半。イ・スンウの一蹴りで均衡が崩れる。続いてすぐにファンがヘディングで入れる。2対0。このときは、バスの中の女子学生からは歓喜の黄色い声。ところが男子学生からは歓喜の声もある中でブーイングも聞こえる

どうしたことかとそばの学生に聞いたら「これで彼らは兵役を免除されるんですよ」と憤懣やるかたなしといった風情で教えてくれるではないか。そうなんか。金を取れば、まだ兵隊へ行ってない連中は免除の恵みに浸ることができるのか。ソン・フンミン選手などがその話題の中心だった。本人だけじゃなく所属のプロチームも嬉しがることはあろうけど、ここ韓国の地では、それほど「拍手が聞こえてこないという現実があり筆者としてはかなり驚くことになる。

韓国が点を入れ勝ってくれれば(韓国の学生らが)うれしいのは当然だが兵役のことが頭にちらついた瞬間、彼らの表情は雲がさしたようにどんよりとしたものになるのだった。国会でもこのことが問題になっていて、ある国会議員は、防弾少年団バンタンソニョンダンのほうをむしろ兵役免除したほうがいいんじゃないかという国民の声もあるんだと口から泡を飛ばしていた。

簡単なのに美味くて、感嘆。絶品とろ〜り餡かけカツ丼レシピ

とろーりとした餡かけ料理に目がない方もカツ丼が大好きな方も今回のレシピは必見! 無料メルマガ『おひとりさんが健幸的に食べるシンプル調理の和風レシピ!』の著者でプロの料理人・gatugatu佐藤さんが今回伝授してくださるのは、市販のカツを使って作る絶品あんかけカツ丼。有名店の味を自宅で楽しめる秘蔵レシピです。

一口カツのガッツリ餡かけ! かつ丼

gatugatu佐藤です。今回は、「餡かけ料理、大好きな方のためのカツ丼」を伝授します。餡かけ料理と聞くだけで、顔がにやけてしまうあなたは、必ず今回の「カツ丼」を マスターして下さい。このカツ丼を食べると、にやけた顔が満面の笑みに変わります。

このカツ丼……豚カツを玉ねぎの入った出し汁で焚いて溶き卵をぶちまける、平凡な定番カツ丼ではありません。一口カツを熱々ごはんにガンッ! とのせます。そして……簡単! 8:1:1の割合のニラ入りとろ~り和風あん”をこしらえ、お玉でその餡をカツの上から、ドロドロドロ~っとたっぷりぶっかけます。カツが餡まみれです。キッチンの蛍光灯の光が餡にあたるとなんとも言えないテカリが出て、いっそう食欲を沸きたてます。

どうですか? じわじわ出てきましたか? ヨダレが……最後におろしショウガを餡の上にのせて混ぜながら食べます。

食べ方にもこだわりがあり、あなたが日本人であっても箸など使っては駄目です! カレースプーンみたいなでっかいスプーンで、ごはんとカツと餡を重ねてすくい上げ、大口をあけて豪快に頬張って食います。上品に箸なんかで食ったらおそらく40%味が減少します。岡山で有名なカツ丼屋さんのおすすめカツ丼をそのまま丸パクリしました。

和風あんは、8:1:1の割合で作れる私の「オリジナル餡」です。私も餡かけ料理大好人間なので、「餡かけカツ丼」が出来上がった瞬間にでかいスプーンで口にかきこんで下品に食ってやりました。油っこい一口豚カツに餡がまったり絡んであっさりで食えました。

これ、実は初めおろしショウガ無しで食ったのですが、生姜を入れた方がさらに美味しくなるはず感じ、しょうがを入れて食べる方法に改良しました。予想通り、最後まで胸焼けせず完食できました。改良を加えたのでレシピの画像におろし生姜がのってませんが……。

この「餡かけかつ丼」、「作り方伝授します!」と、大袈裟にいうほど難しい料理ではありません。今回の「一口カツ」は、市販のレンジでチンで食えるやつかお惣菜の豚カツを買ってきて使います。なので、ご飯炊いて、カツを“チン”して「餡」作ってぶっかけるだけ。晩めしガッツリ食いたいけど2品も3品も料理作るの面倒な時に作って頂きたい「カツ丼」です。あなたにも簡単に作れます。詳しいレシピ説明します!

お返事とご返事。ビジネスと日常で使い分けがあるって本当?

子どもが敬語を使おうとして「お」や「ご」をつけ、妙な二重敬語になってしまう場合があります。今回の無料メルマガ『神垣あゆみメールマガジン ~仕事Beginのメール作法~』では著者の神垣さんが、「実は謙譲語は使用場面によって変化するので大人でも使いこなすのは難しい」とし、メールでありがちな誤った例をあげ、シチュエーションに合わせた使い分け基準を詳しく解説しています。

丁寧も行き過ぎると不自然

敬語に敬語を重ねた二重敬語。案外、気づかず使っているものです。たとえば、「○○○になる」に尊敬の「れる」「られるを付けてしまうパターン

  • おっしゃられる  ⇒ おっしゃる
  • 召しあがられる  ⇒ 召しあがる
  • おいでになられる ⇒ おいでになる いらっしゃる
  • ご覧になられる  ⇒ ご覧になる 見られる
  • お帰りになられる ⇒ お帰りになる 帰られる

丁寧に書こうとして、却って丁寧すぎて不自然に映ってしまうので要注意。敬語が重複すると、単純に聞きづらい、読みづらいものです。

「お」は和語に、「ご」は漢語に

二重敬語としては、やたらと」「」をつけるのもNG。「おごちそうさま」は「ご」で十分丁寧なのに、さらに「お」まで付けてしまっている二重敬語の例。

は和語(訓で読まれる語)に、「は漢語(音で読まれる語)に付けるのが原則。外来語にも「お」「ご」はつけません。例えば…

 ご馳走  お手洗い 
× おビール おトイレ

「ご返事」と「お返事」

最近、使い方に疑問を持ったのが「ご返事お返事」です。メールの返信に私はずっと「お返事」を使っていました。けれど、年長者からのメールに「ご返事ありがとうございます」とあり、それが何人か続いたので疑問に思い、調べてみたところ…。

謙譲語の「の使い分けの基準として、訓読みの和語の前につくのが「お」、音読みの漢語の前につくのが「ご」。このルールにのっとると、「返事をする」の謙譲語は「ご返事いたします」となることを知りました。

私は「お返事」のほうが語呂がいいような気がしていたのですが、ビジネスメールではご返事」とするほうが多いようです。幼児に「お返事は?」と聞くのと同様、「お返事」にはニュアンスとして普段使いの言葉の色合いが強いのかもしれませんね。

違いを知って使い分け

必ずしも、漢語には「ご」、和語には「お」というルールどおりではない言葉もあります。漢語でもをつける例としては、「お礼状」「お加減」「お時間」。和語でもをつける例では、「ご入り用」「ごゆっくり」などです。

時代とともに言葉の使い方も変化していきます。「ご返事」という改まった言い方も、次第に「お返事」というカジュアルな言い方に変わっていくのかもしれません。ですが、違いを知り、その場に応じて使い分けることは必要と感じています。

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TRFのダンサーSAMが今あえて綴る、自伝的な「今までとこれから」

1990年代、日本を席巻した音楽ダンスユニットTRFの中心メンバーで、ダンス界のレジェンドとも言えるSAMさんが今年6月、有料メルマガ『TRF SAM 「メルマガでしか言えない、年齢に勝つトレーニングの話」』を創刊しました。今回、そのメルマガの中から、SAMさん自身の言葉で「自伝的」に綴られた「今までとこれから」を特別に公開いたします。これまであまり語られることのなかった裏話から、SAMさんの「意外な素顔」が見えてきますよ。

SAMがあえて語る、今までとこれから

ここでは、ダンサー・SAMとしての今までとこれからを自伝的に語ります。ダンサーの道を切り開きながら40年以上踊り続けてこられた秘訣について、感じてもらえたらと思います。

ダンスとの出会いはディスコだった

記念すべき第1号のメルマガなので、まず、そもそもなんで僕がダンサーになったのかっていうところからお話していこうかと。

ダンスに興味を持ったのは高1のときでした。1977年ごろ、サタデーナイトフィーバーが流行ってたころだと思うんですけど。ちょうど1970年代ってディスコブームで、クラスメイトにお兄さんが六本木のディスコで働いてる奴がいたんです。で、そいつが教室でよく踊るんですよ。それが面白くてカッコよくて、みんなでディスコ行ってみようぜってなりました。

初めてディスコに入ったときの衝撃は忘れられないですね。白いスーツの男性がフロアに出たら、ワッてサークルができて、その真ん中でめちゃくちゃカッコよく踊ってるんですよ。誰もが見入ってて、僕も後ろから見てて「ああなりたい!」って強烈に思いました。

それで週明け学校行ったら、「こんな感じだった」って見よう見まねでみんなで踊って。教えてくれる人もいないし教室はもちろんビデオもないし。「もっとうまくなりたい」と思ったらディスコ行ってマネするしかなかったんですね。それからディスコにどっぷり通うようになりました。高3になるころには歌舞伎町では結構有名になってました、、、(笑)

「ダンスで食べていけるようになろう」と決意

僕の実家は、医者の家系で学生の時は親も厳しくて、ディスコ行き始めのころは「友達の家に泊まる」とか適当なこと言ってなんとか通ってました(笑)。

70年代の都内にはほんとにいろんなディスコがあったんですけど、僕がよく行ってたのは新宿の「ブラックシープ」とか「カンタベリーハウス」のシンデレラ館とか。でもそのうち親にバレて、「友達の家になんて泊まってないでしょ、どこで何やってんの」って怒られることになるんですけど(笑)。

当時、どこのディスコにも、チームを組んでダンスショーをやるような人たちがたくさんいて。それが本当にカッコよくて、ディスコでできた仲間たちと「オレらもああなりてーな」って憧れてました。でもそういう人たちは、昼間は喫茶店のウェイターやってたり、電気屋さんで働いてたり、別に仕事があって、いわゆる“プロ”のダンサーじゃなかったんですよね。10代の僕たちは、「なんであんなにカッコいいのにダンスで食っていかないんだろう」って不思議でした。

それもまあ当然というか、当時、ディスコでやるようなソウルとかファンクとかのストリート系ダンスの価値って、全然世間に浸透してなかったんですよね。当時ダンスで食ってる人って、ジャズダンサーとかクラシックバレエダンサーとか、あとは社交ダンスの先生とか、そういう人たちだけで、ディスコダンスで生計を立ててる人はゼロだった。それで、「だったらオレらが第1号になってやろうぜ」って。「これだけカッコいいダンスなんだから、絶対もっと知られるべきだ。世の中に僕たちのダンスを広めていこうぜ」って毎晩語り合ってたんです。

ただ人前で踊るしか道がなかった

で、プロのディスコダンサーになろうと決意したのはいいんですが、進むべき“道”みたいなものは全く見えてませんでした(>_<)(笑)

ともかく「自分たちのダンスを人目につくところで踊っていくしかない」って必死でしたね。

それでいろいろなディスコでひたすら踊っていたら、「全国ディスコ協会」っていうプロのダンスチームを抱える協会のトップからスカウトされたんです。そのときちょうど高3だったので、卒業と同時にそのチームの練習に参加し始めました。それまでは我流のダンスを仲間内でやってたんですけど、そこで初めてちゃんとしたダンスっていうのを学んで、ちょっとプロっぽくなってきて。でもまだダンスで生計立てるには全然で、ディスコでウェイターのバイトをやりながらステージにも立つみたいな感じでした。

その後紆余曲折を経てTRFに入って、様々な曲がヒットしたことで、ようやく世間一般に「ストリート系ダンサー」っていう存在が認知され始めた感じがあったんですが…この続きはまた次号からにしようと思います。

最近はテレビに出てるアーティストの大半がバックダンサーをつけていたり、歌って踊れるアーティストが大人気だったりします。昔はストリートダンスを学びたければディスコに通うしかなかったけど、今はダンス教室もたくさんあるし、講師もたくさんいます。2012年には中学校の体育の授業でダンスが必修科目になったりと、本当、僕らが10代20代のころには考えられなかったことばっかりですね。

僕はずっと「ダンスのカッコよさをもっとたくさんの人に知ってもらいたい」っていう気持ちだけで踊ってきたので、それが今のダンス文化に繋がってるんなら本望ですね(`_´)ゞ

 

「50まで踊ってようぜ」から「死ぬまで踊ろうぜ」へ

冒頭でも書いた通り、僕らの10代20代の頃って「何歳まで踊れるかな」「50代になっても絶対踊ってようぜ」みたいなこと言い合ってたんですけど、それってその時に50代60代で踊ってる人がいなかったからなんですよね。50になっても踊ってられるかな?って疑問だったというか、想像できなかったからこそ、「オレたちが第1号になろうぜ」って決意しあっていたというか。当時の「50歳」のイメージってもっとおっさんっていう感じだったので。

そして今、宣言通りというか、無事50を過ぎても現役で踊れているわけで。最近「何歳まで踊るんですか?」とか聞かれることも増えてきましたけど、別にもう年齢とか関係なくて。このまま踊れる限り踊ろうと思ってます。人前で披露するかどうかは別の話ですけど、70代、80代になってもやめるつもりは一切ないし、「死ぬまで踊ろうぜ」みたいなスタンスでいるので。ライフワークっていうか、体が動く限りは多分ずっと踊っていくと思います。

今の時代って、世の中全体に「年齢に負けなくていい」みたいな空気が広がりつつあると思うんですよね。アスリートだって、昔は「ある程度の歳になったらもう使い物にならないから引退」みたいな風潮もありましたけど、今は50近くでバリバリ現役で活躍してる選手とかたくさんいる。サッカーのキング・カズも51だけど、彼も第一線でやっています。

そういう前例があると、「僕らもまだまだいけるじゃん」って空気が出て来る。それがすごくいいなと思っていて。

僕は、50とか60から新しいこと始めるとかっていうのも全然ありだと思う。昔はハナから「この歳じゃ無理だ」って片付けちゃってたことに、トライできるようになった人が増えてると思っています。そのための体のメンテナンス、コンディショニング的なことの知識もどんどん広がっている。だから読者のみなさんも、年齢に負けずに、「生涯現役」で好きなことに打ち込んでいてほしいと思います。

辛酸なめ子が見た、ヒマラヤ聖者への「ガチ!」な生インタビュー

米国の邦字紙「NEWYORK BIZ」CEOでメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者であるニューヨーク在住の高橋克明さんが去る8月16日、東京・日比谷のイベントホールでトークショー&公開インタビューを開催しました。このイベントの「公開インタビュー」のお相手とは、なんとメルマガ『ヒマラヤ聖者ヨグマタ相川圭子の「本当の自分に出会う旅」』を発行するヨガのヒマラヤ大聖者、ヨグマタ相川圭子さんでした。世界に2人しかいないヒマラヤ聖者の一人に、今まで1000人を超える著名人にインタビューしてきた高橋さんが挑む「ガチ!」なイベント。そんな当日の様子を、漫画家・コラムニストとして活躍し、著書『次元上昇日記』などスピリチュアル系の世界でも暗躍中の辛酸なめ子さんが詳しくレポートしてくれました。

辛酸なめ子、公開「ガチ!」を見て魂が次元上昇思考に…

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お盆の気だるさを吹き飛ばすような、まぐまぐ主催のイベントが開催されました。NYの邦字新聞NEWYORK BIZ発行人高橋克明さんと、ヒマラヤ聖者ヨグマタ相川圭子さん(※1)のトークイベントです。

会場の日比谷コンベンションセンターは満員でした。まず、高橋さんの女性ファンがすごくて「LOVE」「指して!」などと書かれたジャニーズコンサートで見るようなうちわを振ったりしていて驚きました。新聞紙発行人の男性でここまでアイドル的な人気の方は見たことありません。

でも登場した高橋さんを見てなんとなく納得しました。前髪サラサラで優しい語り口調。NYで成功したい的なギラギラ感がほとんどないです。「NEWYORK BIZ」紙では、高橋さんが一流の人ばかり1000人にインタビューしたコラムガチ!が大人気だそうで、一流のヴァイブスを吸収してきた自信が漂っているようです。

前半は高橋さんが数々の一流の人と会ってきて感じた共通点について話されました。さきほどのファンの方々も一言一言にうなずいていて心酔している感が。笑いを交えた楽しいトークで進行していきます。

まず、一流の人の共通点は、

人の話を聞かない人ばっかりだった」ということだそうです。

「自分の信じたことが他の人の価値観に変えられない人」 なので、自分のしっかりした意見を持っていて人に合わせません。中村勘三郎さんやいきなりステーキの社長、渡辺直美さんなどは「確固たる自分」を持っているそうです。

続いての共通点は、

ある意味ネガティブシンキング

「引き寄せの法則」とかいってポジティブシンキングが奉られていますが、一流の人ほど短期的に自分の欠点を見つめたり緊張したりネガティブになることもあるそうです。例えば、自分は才能がないと言うベッカムとか、公演前は一睡もできない蜷川幸雄、コンサート前にふるえが止まらない和田アキ子、など。でも最終的に本番が始まったらこなしてしまうのが一流人だそうです。

一流の人は才能にあぐらをかかず謙虚なのかもしれません。

すぐに時間が来て、予定していた10個の法則のうち2個しか紹介できなかったそうですが、あとは今後出る著作で読んでほしいとのことでした。最後も笑いに包まれ、トークの腕は確かです。

NYで成功した高橋さんとヨグマタ相川圭子さんの異種トーク

後半は公開ガチ!インタビューついにヨグマタさんが登場です。先ほどまでのざわざわした空気が沈静化したように感じられる中、赤い服を着たヨグマタさんと高橋さんが登場。「オーラが優しい」と、高橋さんは何か感じられているようでした。

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まずはヨガと出会ったきっかけについて。体が弱くていろいろ研究しているうちにヨガを知ったヨグマタさん。スポーツは競争なので苦手だそうですが、ヨガなら一人でできると思った、とおっしゃいます。競争が当たり前の社会に生きている一般人とは発想が違います。今は運動としてのヨガはどれだけ難易度の高いポーズができるか競い合っている現実もありますが……。

ヨガを習得し、ヨガ教室をデパートで展開していたヨグマタさん。一見、成功して安泰のようですが「経済的に成功しようっていうより伝えたい広めたい気持ちがあった」そうです。ここで、当時の貴重なレオタード写真も。

そしてヒマラヤ聖者パイロットババジ(※2)に出会いヨガ教室を他の人に任せて単身ヒマラヤへ。標高5000メートルの土地で修行に励まれます。

パイロットババジはすばらしい花が咲いているとか言ってたけど、修行で目を閉じるので景色を見そびれちゃったんで」

とヒマラヤンジョークをまじえるヨグマタさん。命の危険がある過酷な環境だったことを感じさせません。私など呼吸法ができていない一般人がヒマラヤに行ったら別の花畑を見そうですが……。

「最終的にはすごいところまで行かれた」と、悟りを得たことについて高橋さんが触れると、

「たぶんがんばりやだから」と、ヨグマタさん。がんばりやという言葉ではとても言い表せない偉業です。

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「体験されてる時に 肉体的に死ぬかもって思われたことは?」という高橋さんの質問は、「一流の人ほどネガティブシンキングになることがある」という法則にもとづいていたのかもしれません。

それに対するヨグマタさんの答えは、

平穏なんですね純粋な意識になっていくプロセスには何の恐れもない全部純粋になる。私たちはもともと純粋なんです 。そこにかえっていくのが瞑想。アートマン、魂と一体になります。セルフリアライゼーション。真我一如になるのが究極のサマディのステージです」と淡々とおっしゃいました。

聖者はポジティブシンキングやネガティブシンキングを超えているというか、シンキング自体ないのかもしれません新たな境地です。

 講演の最後には質疑応答タイムが。さすが、まぐまぐの購読者さん、質問も深い内容でした。

ひとりの女性が「俗世間に生きて悟りを開かれましたが、今後輪廻のさざなみに戻られることはあるんでしょうか?」と質問。

ヨグマタさんは「究極の状態に行ったのでもうそういう輪廻のさざなみの世界には行かないです。みなさんを幸せにするのが私の目的です」と、お答えに。なんと今、肉体で存在しているヨグマタさんは今回が最後で、来世になったらお会いできないのです。かなり淋しいですが、今世出会えた奇跡に感謝するしかありません。

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静かな感動の余韻に浸った講演会。しかし明日からはまた俗世間の波にもまれる日々が。今日のお話でしばらく生きる力がわいてきたようです。

文/辛酸なめ子

 

1: ヨグマタ相川圭子とは

インド政府公認の「シッダーマスター(ヒマラヤ大聖者)」の称号を授与された、現在会うことのできる世界でたった2人のマスターのうちの1人。日本全国で研修や講習会を開催するほか、現在パイロットババとともに世界平和運動を展開しており、国連でのスピーチや世界各地で講演をおこなうなど精力的に活動している。現在、メルマガ『ヒマラヤ聖者ヨグマタ相川圭子の「本当の自分に出会う旅」』を発行

2: パイロットババジとは

ヨグマタの兄弟弟子にあたる人物で、インド空軍の戦闘機操縦士の職を捨てて出家しマスターとなった異色の経歴を持つヒマラヤ聖者。インドでは「現代の仏陀」と呼ばれ、人々の尊敬を集めている。ヨグマタと並んで世界で会うことのできる「シッダーマスター」の1人

北海道で震度7、M6.7の地震発生。崖崩れなどで死者42名に

2018年9月6日03時08分ごろ、北海道胆振地方中東部を震源とした深さ40kmマグニチュード6.7の地震が発生した。北海道安平町では震度6強、厚真町鹿沼で震度7を観測。この地震による津波の心配はない。そのほかの地域に関する情報は、気象庁のHPへ

揺れは広範囲に渡っており、震源地周辺の各地で住宅の倒壊、崖崩れ、液状化現象などが起きている。道庁のある札幌市内でも被害が出ているという。北海道新聞などによると、政府の話として、現在わかっているだけで10日9時現在、死者は42名、また300名以上の負傷者が出ているとしている。

厚真町では、大規模な崖崩れが発生。少なくとも5棟の建物が倒壊しているという通報があり、中に人が取り残されている可能性がある。被災者の救助に向けて千歳基地から航空自衛隊の救難隊が被災地域に展開しているという。

また、各メディアの報道によると、道内全域の約295万戸で停電が発生した。この原因は、地震の影響で道内すべての火力発電所が運転を停止したためで、北海道電力の話として、今後は水力発電に切り替えて復旧を目指しているという。

時事通信社などによると、北海道電力が広範囲に影響を及ぼした停電の復旧を急いでいるとして、7日午後6時までに約169万戸で電力供給が再開されたという。8日午前0時までに約8割に相当する約240万戸の復旧を目指しているとしている。

気象庁は今回の地震を受けた会見で「揺れの強かった地域では家屋の倒壊や土砂災害などの危険性が高まっているおそれがある。今後1週間程度は最大震度6強程度の地震に十分注意してほしい」と呼びかけた。(随時更新)

Twitterの投稿

 

※各ツイートに関しては、Twitterの埋め込み機能を利用しております。

image by: 気象庁

産経を締め出した中国が「日本政府はメディアを教育せよ」の笑止

先日、産経新聞による王毅外相と日本人外務事務次官の会談冒頭取材を拒否した中国政府。これに抗議した日本政府に対し中国外務省が「日本は自国メディアを教育せよ」と反発したことが物議を醸しています。台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、中国が自国に対して批判的なメディアを排除するのは当然としその理由を述べるとともに、近い将来、他国メディアに「中国に併合されることの幸せ」を報じさせる日が来るとの持論を記しています。

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2018年9月4日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【中国】メディアの教育を日本政府に要求するが、人民の教育もできない中国

中国、本紙の代表取材拒否 日本人記者会がボイコット

中国政府は、8月29日に北京で行われた王毅外相と秋葉剛男外務事務次官の会談に際し、産経新聞の会談冒頭取材を拒否しました。これを受けて、北京駐在の新聞・通信社で構成する日本人記者会は、特定のメディアが取材拒否をされることは看過できないと、会談冒頭取材をボイコットするに至りました。

当然、日本政府も産経新聞排除を中国側に抗議しましたが、中国外交部の華春瑩報道官はこれを非難した上で、「日本政府は自国メディアを教育し制限しないといけない」と述べました。

産経排除への抗議に反発=日本政府は「メディア教育」を-中国外務省

この中国政府の産経新聞取材拒否と、日本メディアの取材ボイコットは、台湾でも大きく報じられました。台湾メディアの「民報」によれば、産経新聞は会談の冒頭取材について、くじ引きで会場での取材資格を得たものの、中国外交部が「中国と親しくない」(不夠親中)、「中国の意図に沿わない」(不符合黨意)という理由で、産経新聞の取材をNGにしたとしています。

北京封殺日本《産經新聞》不親中/20多家日媒集體抗議拒採訪

「民報」は、華春瑩報道官は物事の本質をぼかしているうえに、中国政府の態度はかなり傲慢だと批判しています。

もともと日本と中国は、事前に取材人数を制限することで合意しており、そのためくじ引きの制度が導入されているそうですが、しかし、中国の意図に沿わない報道をするメディアが閉め出されるのであれば、許可されるメディアは「中国の意図に沿ったメディア」ということになります。

かつて日本のメディアと中国政府の間には、日中記者交換協定というものが交わされました。これは1964年に結ばれ、その後、1968年に新たな内容で締結し直されたものですが、その内容を簡単にいえば、「中国を敵視しない」「二つの中国をつくる陰謀に加担しない」「日中国交正常化を妨げない」という「政治三原則」が掲げられ、これを守らなければ中国に記者を常駐できなくなるというものです。

そのため、中国にとって批判的なことを書いたことで、中国当局に逮捕されたり、中国から強制退去させられた新聞社や通信社が続出しました。また、中国から取材・報道ビザが下りないといったことも頻発したのです。

学歴や収入よりも「幸福感」を左右する要素が判明、意外な調査結果に

収入や学歴などよりも、「自己決定度」が幸福感に大きな影響を与えていることが、神戸大学の研究により明らかになりました。健康社会学者の河合薫さんは、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』の中でこの研究結果を詳しく紹介するとともに、誰にも忖度せず、また押し付けられもしない選択がしづらい状況に置かれている我々現代人が、自分を信じて本来の意味での「選択の自由」を取り戻せば、ギスギスした社会の空気も和らぐのではないかと記しています。

※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2018年9月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

選択の自由と幸福感

「所得、学歴よりも『自己決定が幸福感に強い影響を与えている」ことが神戸大学の西村和雄特命教授らが実施した、2万人に対するアンケート調査で明らかになりました。

かなり昔から所得水準と幸福度が必ずしも関係しないことは、国内外の調査で分かっていましたが、「何が」「どの程度」影響しているかは未だ明確ではありませんでした。

そこで神戸大のチームは、「所得」「学歴」「進学や就職などにおける選択の自由を示す自己決定」「健康」「人間関係」──の5項目に関する選択式の質問を設けて、統計的に分析したのです。

その結果、

  • 自己決定は健康や人間関係に次いで幸福感に影響を与えていた
  • 自己決定は所得と比較すると、約1.4倍強い影響があった
  • 学歴は統計的に有意な結果が出なかった

などがわかりました。さらに、調査では「35~40歳の幸福感が他の年齢比べて低いこともわかったそうです。

研究チームは結果について、

自己決定で進路を決定した人は、自らの判断で努力し、目的を達成する可能性が高くなる。また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなる。こういった達成感や自尊心が、幸福感を高めることにつながっていると考えられる。

とコメントしています。

自己決定――。すなわち「選択の自由」は、健康社会学では「裁量権」、あるいは「ローカスオブコントロール」と呼ばれています。

これは「選択の自由がある自分が思えることを意味し、どんなに選択肢があっても「正解」が暗黙裡に決められていたり、「忖度しなければならない環境」では意味をなしません。あくまでも「私が決めていい。自分に決める自由がある」と思えることが肝心なのです。

こういった感覚を持つことができると、それだけでやる気が高まります。職務満足感や人生の満足度を高め、寿命にまで影響することがこれまで多くの調査で示されてきました。

たとえば、英ロンドン大学が1967年から継続して行っている疫学研究、通称「ホワイト・ホール・スタディ」では、裁量権のあるトップは、裁量権のない一般社員と比べて死亡率が4倍も低いことがわかりました。喫煙率、高血圧、血清コレステロール値、血糖値など、寿命に影響するリスク因子のすべて加味しても、結果は変わりませんでした。

また、一説には動物園の動物の寿命が野生の動物より短いのも、「選択の自由」がないからだという指摘もあります(この件には賛否両論あり)。

知る人ぞ知る京都。落ち着いて参拝できる世界遺産、宇治上神社へ

数多くの名高い旧跡が点在する京都ですが、訪日海外観光客効果もあり「ブランドスポット」はどこも大混雑で、京都嵐山に至ってはもはやすれ違いもできない程です。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者で京都通の英 学(はなぶさ がく)さんが、穴場なのに実はすごい、そんな名所の一つ宇治上神社の魅力を紹介しています。

宇治上神社

今回は世界遺産に登録されているものの、あまり知られていない宇治上神社について簡単にご案内します。

宇治上神社は平等院の鎮守社として長く崇拝をされてきた神社です。平等院鳳凰堂の阿弥陀坐像のほぼ正面に宇治川を挟んで建てられています。正式名称は「宇治離宮明神」で明治維新後に宇治上神社と宇治神社に分かれました。「離宮明神」は醍醐天皇が平等院を訪れた折りに与えた神位と伝わります。

宇治神社は参道を右に宇治上神社は左に朱塗りの鳥居が見えてきます。鳥居をくぐると正面に拝殿が見えてきます。拝殿の前には円錐の盛り砂が盛られています。清めの砂と呼ばれているものです。神様の依り代となるもので神社を清める役割があります。正月など祀りごとの時にこの砂をまいてお祓いします。

kyoto20180905-1image by: 京都フリー写真素材

この拝殿の建築様式は平安時代の遺構です。当時の貴族の邸宅の様式を今に伝えています。神社の拝殿が平安時代の貴族の邸宅の建築様式なのはとても珍しいことです。

屋根は海を吹く風のように美しい「縋破風すがるはふ)」といいさざなみのような形をしています。本殿の内部は拝観はできませんが、一間社流造り(いっけんしゃながれつくり)となっています。左右の社殿が大きく、中央が小さい珍しい形なので注目して見てみてください。

中には応神天皇仁徳天皇菟道稚郎子うじのわきいらつこの三人の神様が祀られています。菟道稚郎子は応神天皇の跡継ぎとして皇太子となった人物です。菟道稚郎子は、学問の神として信仰されていることから、学業成就、受験合格祈願をする参拝客が後を絶ちません。

掲題にある手水舎からは桐原水きりはらすいが湧き出ています(飲めません)。宇治では唯一の名水となっていますが、残念ながら飲料不可です。ただ宇治に湧き出す他の水は枯れてしまったことを考えると、この場所はやはりパワーがあるのでしょう。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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小松菜奈の「F難しいですよね」に菅田将暉が共感。新CM公開インタビュー

「niko and ...(ニコアンド)」は9月6日(木)より、ブランドアンバサダーを務める菅田将暉(すだ・まさき)さんと小松菜奈(こまつ・なな)さんが出演する、であうにあうMOVIE『カケル』を公開します。菅田さんバージョンや小松さんバージョンなど複数種類あるTVCMも、同日より放送を開始しました。

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ストーリー

駆け出しの漫画原作者・高木(菅田さん)と、同じく駆け出しの漫画作画家・春野(小松さん)。初めての打合せで、春野の画が魂から描かれたものではないと感じた高木は、春野の本気を引き出すために、驚きの行動に出ます。お互いをさらけ出し、才能を刺激し合うことで、熱い思いのこもった最高の漫画を二人で作り上げていきます。

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最初はお互いにぶつかり合っている二人が、ストーリーが進むにつれて、お互いに理解しあい、二人だからこそ作れる最高の作品を作り上げていく、まさに“であうにあう”の思想を表現したストーリーとなっています。

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また、今回のであうにあうMOVIEのタイトル『カケル』は、高木が原作を「書ける」、春野が漫画を「描ける」、筆が「駆ける」、漫画主人公が「翔ける」、そして高木と春野の全く異なる個性の掛け算「×」といった、様々な「カケル」のシーンがあることから付けられました。

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原稿が風で舞ってしまうハプニングが、そのまま本編に!?

2018年の春から、「niko and ...(ニコアンド)」のブランドアンバサダーを務める菅田さんと小松さん。撮影スタッフともすっかり顔なじみの様子で、撮影は和やかにスタートしました。そんな終始笑いの絶えない現場でしたが、菅田さんも小松さんも、納得のいくまで台詞のニュアンスを監督と相談するなど、その真剣さが伝わる程良い緊張感もありました。

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屋上での撮影では、小松さんが菅田さんに手渡した原稿が風で舞ってしまうハプニングも起こりましたが、菅田さんがすかさず俊敏にキャッチ。思わず笑ってしまう、お二人の自然な笑顔がとても素敵で、その様子はそのまま本編に使用されました。

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「F難しいでしよね」菅田さん・小松さんインタビュー

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Q.撮影の感想を教えてください。

小松さん:最初緊張しちゃって…。緊張してるの分かった?(菅田さんに訊く)

菅田さん:うん。でも僕も緊張しましたよ。

小松さん:今までと違う短編映画みたいな、空気・撮り方だったので「この作品がどうなっていくんだろうなぁ」というのを想像しながら撮影していました。自分で、筆で描くシーンとかも、ドキドキしたんですけど、監督(の指示)が的確なので、やりやすかったです。良い現場でした。

菅田さん:スゴイ楽しいです。フルバージョン見たら分かるとは思うんですけど、世界観がどうなっているのかなぁと。気持ちの流れとスピード感が、勢いあって良いなと思います。

Q.今回の見どころを教えてください。

菅田さん:(登場人物が)仕事でやる上では、自分の気持ちは抑えてやっていかなきゃいけないということに慣れていたと思うんですよね。そんな中、一回そういう(仕事モード)のは置いて、“もう好きなものでやってみないか!? ”みたいな瞬間があるシーンには、これは良い“瞬間”だなぁと思いました。こういう仕事の仕方できたらいいなぁと。

小松さん:そうですね。(登場人物のような)お互いがお互いを気付かせ合うような関係性って、すごく良い関係だなって。はっきりと言えて、(その言葉に)気付かされる、という情景が映像になったらどんな風に見えてくるのかなと。(菅田さんと)別々の撮影もあり、菅田君はどうやって演じてるのかなとか、どういう空気感なのかなとか考えながら演じたので、(出来あがった映像が)すごく楽しみです。

Q.ムービーの二人は“駆け出し”という設定ですが、お二人がデビュー当時の自分に、言葉をかけるならどんな言葉ですか?

菅田さん:毎日一杯一杯だったなぁ。やること、出会う人、景色も全部、情報多くて。「落ち着け」って、とりあえずは言いたい感じがしますね。

小松さん:好奇心とか挑戦する心は今でも大事だなって思うので、恥ずかしいとかじゃなくて、「当たって砕けろ精神で行け!」って言いたいです。

ムービーの二人は漫画を完成させることに夢中になってますが、今、お二人が夢中になってることはありますか?

小松さん:今、ギターをやっていて。指が押さえられるようになったりとか、すごく楽しいなと思ってるんですけど、F(のコード)が難しいんですよね。ここで挫折する人が多いらしいので負けたくなくて、頑張ってます。ギター抱えて寝ちゃったりしてるときもあります。

菅田さん:F難しいよね。僕よりもすぐ上手くなるだろうっていう集中力をいま感じましたね。んーん。ギターは常に(夢中ですけど)…

小松さん:料理とかしないの?

菅田さん:料理ね!Twitter見てて『とうもろこしご飯の季節ですね』ってあって、「んー。そうですね」って思って、それでやりました。

であうにあうMOVIE『カケル』

<本編>URL : https://youtu.be/4t6r2kI0RCM

<メイキング>URL : https://youtu.be/jskMAfGI13w

「niko and ...(ニコアンド)」キャンペーンサイト
URL : http://www.nikoand.jp/campaign/2018AW/

情報:株式会社アダストリア