【動画】600m超える鉄塔頂上の電球の取り替え作業が怖すぎ

ビルの窓の清掃作業や高い鉄塔での高所作業のような危険が伴う作業は、動画でみても足がすくんでしまうほどの高さだ。

こちらの動画でも鉄塔での高所作業を行なっているのだが・・・

(高所恐怖症の人は閲覧注意。)

 

 

こちらの動画には、高さがなんと1999フィート(約609メートル)もの高さのテレビ塔の頂上にある、航空障害灯に使われる電球の交換作業の様子が収められている。

エレベーターから降りた時点ですでに雲の遥か上。しかも足元に足場はなくエレベーターに沿って上下に伸びるハシゴしかない・・・

常人ならば怖くてエレベーターからハシゴに移ることすらできないだろう。

作業員は二つのカラビナを交互にハシゴにかけて安全を確保しながら昇っていく。

そしてハシゴが終わるとさらに上に向かう電柱のようなものが。

それにもカラビナを引っ掛けるのだが、横にずらしたらすぐ取れてしまう形なので半分命がけだ。

辿り着いた頂上にはカバーに包まれた電球がある。この場所の上には当然何もなく、下を見下ろすと怖くて動けなくなりそう!

彼ら作業員は、初めてこの作業をした時どんな心境だったのだろうか・・・!

 
(※↓詳しくはコチラへ)
参照・画像出典:YouTube(Engineering)
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)

 

記事提供ViRATES

自信のない販売員のいる店に客がわざわざ足を運ばない納得の理由

接客は丁寧に。どの業界であっても基本となることですが、販売員によっては丁寧にやっているつもりの「へりくだり」が卑屈になってしまう場合もあるようです。それによって顧客が嫌な思いをする場合も多いそうで、決してやってはいけないものについて、接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、自身の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』でその理由を記しています。

丁寧と卑屈

接客で、お客様に丁寧に接すること。これは、どんな商売でも変わらずに求められることではないでしょうか。

「丁寧」の対義語は、「粗略」とか「ぞんざい」という言葉になるわけですが、これらには、やり方や取り扱いがいい加減という意味があり、それを接客でやっていると、必ずお客様に不快な思いをさせてしまいます。だから、どんなお客様が相手でも、丁寧な接し方は求められるはずです。

ですがごく稀に、一見、丁寧なようで、実は全くそうではない販売員を見かけることがあります。それは、「卑屈」な態度を取ってしまう販売員です。

「卑屈」という言葉には、「自分を賤しめて、服従・妥協しようとする、意気地のない態度」「いじけて、必定以上に自分を卑しめること」のような意味があります。「謙虚」に近いのですが、似て非なるもので、異様なほど、自分を蔑んでみたり(自虐)、やたらと劣等感に苛まれているようなワードを連発するようなことですね。

接客の中では、「いえいえ、私なんて全然ダメですから…」「どうせ自分なんて、これしかできませんから」みたいな言葉を放ってしまいます。その影響で、とても自信なさげに見えてしまうのも、卑屈な人の典型です。

本人は、へりくだって、丁寧な対応をしているつもりなのかもしれませんが、この「卑屈」な接し方というのは、ものすごく気分が悪くなります。さも、いじめられているかのような雰囲気を出されてしまうので、嫌な思いをしてしまうのです。

実際、ちょっとしたことで、やたらとヘコヘコとしてしまうなんて販売員は少なくないのですが、それは、別に丁寧でもなんでもなくて、ただ卑屈なだけなんですね。それで、気持ちよく接客を受けられたと思うお客様なんて、いやしません。

今年一年の反省に。自分がやっていることが本物か見極める方法

今、自分がやっていることは「本物」なのか、あるいは「一流」なのか。それを見極めるにはどうしたら良いのでしょうか? そんな疑問を持つ方のために、そのシンプルな見分け方の方法について、無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役教師でもある松尾英明さんが自身のメルマガの中で紹介しています。

本物は、皆に福を分かつ

師の野口芳宏先生からの学び。次の言葉を教えていただいた。

本物は、皆に福を分かつ

解説不要なほどシンプルで、納得の言葉である。逆にいえば、皆に福を分けないようなものは、本物とは言えないということである。

ここ数回で伝えてきた内容を総括するような言葉である。本物の人物なら、周りの人を幸せにする。一流は本物であるから、皆を幸せにしているはずである。広く世に貢献しているから一流なのである。

今、自分が一所懸命にがんばっていることを考える。それは、皆に福を分かつ結果になっているか。それを基準に考えれば、それが本物かどうかわかる。

人を騙して儲けたり得したりすることは、偽物である誇大広告や嘘も同様。人を不幸にするからである。

人を感動させるサービスや品物は、本物である。サプライズや温かな態度、誠実な謝罪も同様。人を幸せにしているからである。

SNSの投稿などでも、これを基準に見ることができる。それが皆に福を「シェア」するためのものなのか。それとも、単に投稿者が「いいね!」といってもらって、自己顕示欲を満たすためだけのものなのか。この違いは月とすっぽんどころか、天と地、フロッピーディスクとクラウドぐらい違う。

少女の「サンタはいるの?」に答えた新聞記者の歴史に残る名文

クリスマスムードが街を包むニューヨークでは、祈りや願いのコトバを目にする機会が多くなると伝えてくれるのは、『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』の著者でNYに住む、りばてぃさん。「思い」の詰まったコトバに接し、夢や希望や理想を自分の頭の中で自由に思い描くのがクリスマスの意義の一つと思考します。そして、120年以上前の少女の質問に答えた新聞記者の歴史に残る名文を紹介してくれました。

「思い」が世の中をつくる

(1)メイシーズの信じるキャンペーン

ニューヨークで最もクリスマスの雰囲気たっぷりなのが、老舗デパート「メイシーズ」(Macy’s)のニューヨーク本店。ここは、アメリカ人なら、誰でも知ってる映画『34丁目の奇跡』の舞台にもなっている。

『34丁目の奇跡』は、もう半世紀以上も前の1947年に初めて公開された映画だけど、米国では、今でもこの時期になると必ずテレビで放送され続けている名作クリスマス映画だ。

ネタバレにならない程度に簡単に説明すると、この映画では、サンタクロースがいると信じる子ども達から届いた大量のお手紙が、ある奇跡を起こす。

そんなわけで、メイシーズでは、数年前から、毎年、この時期、お店の外壁、店内、その他いたるところに『Believe』(信じる)という一文字を掲げ、ホリデー・シーズンの特別セール・キャンペーンを大々的に行うようになった。

『Believe』(信じる)

それは、「サンタさんはいるんだ」と信じようと呼びかけるキャンペーンでもある。

ご参考
●『Believe』だらけのクリスマス前のMacy’sニューヨーク本店

(2)万国共通の人間の特徴

メイシーズの『Believe』だけじゃない。この時期、ニューヨークでは、『Pray』(祈る)とか、『Hope』『Wish』(願う)とか、『Dream』(夢見る)などのようなコトバを、街角のあちこちで、とても頻繁に見かけるようになる。

日本でも、新年を迎えると、多くの方々がお寺や神社に初詣に出かけて、神様に何かをお祈りしたり、お願いしたりするが、どうやらこういう感じで、神様に祈ったり、お願いするという行動は、万国共通のようだ。

世界中から多種多様な文化や価値観を持つ多様な人種や民族が集まっているニューヨークでも、年末から新年にかけてこの時期になると、

『Believe』(信じる)

『Pray』(祈る)

『Hope』や『Wish』(願う)

『Dream』(夢見る)

…といった感じのコトバを見かける機会はグッと増える。たぶん、世界のどの国にも、何かしらの神様がいらっしゃって、宗教や信仰のようなものが存在している、ということなのだろう。

科学の進んだ21世紀の現代社会では、いくらどんなに神様に祈ったり、願ったりしたところで、それだけじゃ、思いが実現するわけがないと、たぶん、多くの人々は理屈のうえでは十分に分かっている。

でも、それにも関わらず、結局のところ人間は、こういう1年の終わりとか、新年を迎えるというような何かの節目のタイミングになると、神様(または神様的な何か)に、信じたり、祈ったり、願ったりする

比較的、宗教心が薄いと言われることの多い日本人でさえ、お正月になると、ものすごく大勢の方々が初詣に出かけて何かしらの祈願をしているわけで、例えば、キリスト教の影響が強い欧米諸国では、さらにもっとこの傾向が強くなるのも当たり前なのだろう。うーむ。実に、興味深い現象だ。

(3)「思い」がなければはじまらない

で、ニューヨークの街角で、どーんと大きく掲げられた『Believe』(信じる)のようなコトバを頻繁に見かけながら、ふと、よくよく考えてみると、こういうのって、大事なことかも?とか思えてきたりもする。

だって、例えば、美味しいと評判のラーメン屋さんのラーメンも、お洒落で可愛いファッション・アイテムも、歴史に残る名曲や名画とか、クールでかっこいい最新デジタル機器、その他、今では欠かすことのできない発明や発見のすべて、さらには、社会制度や国家といったものですら、この世の中にあるものの大半は、よくよく考えてみると、これまで人類の歴史の中で、どこかで誰かが抱いた「思い」によって生みだされ、作り上げられ、発展してきたものばっかり、と言えるからだ。ひょっとすると、誰の「思い」もないのに存在しているものなんで、この世の中にないかもしれない。

ソフトバンク最高技術責任者が漏らした「ファーウェイ排除」への本音

先日もお伝えした、アメリカ政府による「ファーウェイ排除」の動き。結局ソフトバンクは、同社製品の採用を断念する形となりました。ケータイ/スマートフォンジャーナリストの石川温さんは、今回ソフトバンクの最高技術責任者である宮川潤一氏を取材。当事者が語った「排除」に至るまでの経緯や、それに対する本音などを、自身のメルマガ『石川温の「スマホ業界新聞」』で紹介しています。

基地局ベンダーは、キャリアのネットワークから情報を抜けるのか━━「4Gと5Gでは違う」と語る、ソフトバンク宮川潤一CTO

事態の収束が見えないファーウェイ問題。アメリカがファーウェイ製通信機器の安全性を疑問視し、日本などに政府調達しないように通達。日本はまんまと同調した格好だ。

ただ、日本政府としては民間には具体的なメーカー名を列挙して、調達しないように圧力をかけるのは難しい。しかし、5Gの免許申請においては「機器メーカー名を記載しろ」という条件があるようで、免許を欲しいキャリアとすれば、そこに中国メーカー名を記入するのは躊躇せざるを得ない。結果として、5Gの機器調達から中国メーカーは排除されることになりそうだ。

今回の騒動で気になったのが「そもそも、ファーウェイはキャリアに納入している機器から情報を抜き出せるのか」という点だ。キャリアがネットワークを管理しているのだから、そうした怪しい動きはキャリア側で把握できるのではないか、と思うのだ。

ソフトバンクの宮川潤一CTOによれば「4Gと5Gでは基地局の仕組みが違う5Gでは基地局側で情報を処理する仕組みがあり得る。MEC(Mobile Edge Computing、基地局などにサーバーを置いて、超低遅延で処理する仕組み)になると、サーバーが基地局に近い場所におかれるようになる。そういう意味では米国政府の懸念も理解できる

一方、4Gはコア側で暗号化したデータをトンネルのようにデータ転送しているので、普通の考え方からすると、(データの抜き取りは)難しいのではないか。少なくとも私の能力ではできません。いろんな人がいるので断言はできないが、4Gと5Gでは相当、違うという認識だ」という。

ちなみに、基地局ベンダー関係者に話を聞いたところ「無線部分や伝送路などは暗号化されているので、かなり難しいのではないか。ただ、途中、ルーターを経由することになるのだが、その際には一度、暗号化が解かれる状態になるため、そこでは(情報が抜き出せる)可能性はゼロではない」という。

となると、5Gの場合、基地局近くのMECにより、ルーターなどがあった場合に情報が抜き取られる可能性があり得るかもしれないということのようだ。

となると、5Gの機器設備選定の際には、やはり中国メーカーは外すべきという発想にならざるを得ないのか。

ただ、宮川さんの「ファーウェイはコストも安く、技術的には先の世代を見ている」という発言を聞いてしまうと、やはり、ソフトバンクとしてはファーウェイを継続して採用していきたいんだなという、断腸の思いが伝わってくる。

「ウルトラギガモンスター+」のような料金プランも、ファーウェイのMassive MIMOなどの技術があったからこそ導入できたわけで、アメリカに同調し、安易にファーウェイを外すことが日本のモバイル業界にとって健全なことなのか。もうちょっと時間をかけて、議論しても良いのではないだろうか。

池田教授「将来、魚の活き造りは食べられなくなるかもしれない」

突然ですが、魚は痛みを感じていると思いますか?もし痛みの感覚があるのなら、漁業のあり方に倫理的な問題が生じる可能性は否定できないと、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの生物学者・池田清彦先生が、ご自身のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』で指摘しています。日本の代表的な食文化の一つにも影響が及ぶかもしれないこの問題、生物学としてだけでなく一緒に考えてみませんか?

自分が感じる痛み以外の存在証明は困難

オーストラリアのシドニーに1993年から1994年にかけて約1年間住んでいたことがある。生物多様性の研究という名目で、ほぼ毎日虫採りと魚釣りをしていた。採った昆虫は、標本にするために毒瓶に放り込んで殺し、釣った魚は、小さいタイなどはリリースして(魚種によっては一定の大きさ以下の個体はリリースしなければならないことが、法律で決まっていたのだ)、それ以外の食べられる魚は食べていたのだが、気になったのは、昆虫や魚は痛みを感じるのか、ということであった。

昆虫も魚も命に関わるような状況を避ける。どちらも捕えようとすれば逃げるし、毒瓶に入れた昆虫はもがくし、釣り針にかかった魚は暴れる。外部の刺激に対して反応していることは確かである。但し、人間のような表情がないので、痛みや苦しさを感じているのかどうか、類推することが難しい。痛みは典型的なクオリアなので、内観によってしか察知することが出来ず、他者の痛みを自分のクオリアとして感じることは不可能である。

独我論的に言えば、この世界に存在するのは自分の痛みだけで、他者の痛みは存在しないと考えることもできる。例えば、精巧に作られたアンドロイドを考えてみよう。このアンドロイドは、表面にある限度以上の力がくわえられると、顔をしかめて痛いと叫ぶようにプログラムされている。しかし、このアンドロイドは、私と同じような痛みのクオリアを感じているかと問われれば、私を含めて大方の人は否と答えるだろう。同様に私以外の人は実はアンドロイドと同じで、痛みというクオリアを持っていないという考えを完璧に論破するのは、他者のクオリアを感じることができない以上原理的には難しい

とはいっても、生物学的に言えば、クオリアも脳で感じているに違いないので、脳の構造が同じであれば、私と同じ構造の脳は私と同じクオリアを感じると考えていけない理由はない。哺乳類は脳の構造が基本的にヒトと同じなので、おそらく痛みを感じるであろうし、昆虫は脳の構造がかなり違うので、我々と同じようなタイプのクオリアを持っているかどうかは疑わしい。魚は脊椎動物という点では人間に近いが、終脳(ヒトの大脳)の発達が悪く、ヒトと同じようなクオリアを持つかは微妙である。

在NY18年で身に沁みた、日本人社長の「自分はナニ人?」感覚

日本を離れてニューヨークで暮らし始めて丸18年になり「ある種のコンプレックスを抱くようになってきた」と語るのは、米国の邦字紙「WEEKLY Biz」CEOでメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者である高橋克明さん。こういった変化は、アメリカ国内で日本人同士が出会ったときに聞く「どちらから?」という問いに対する答えにも現れるようです。 

在米日本人のコンプレックス

アメリカ暮らしが長くなると、ある種のコンプレックスが生まれてきます。僕はまだ在米18年ですが、30年、40年、50年選手の諸先輩方も周囲には少なくありません。アメリカ生まれでない限り、彼らはみんなどこかで、言葉にはできない、負い目ではありませんが、劣等感と言いませんが、何かを心に抱えている人も少なくありません。長く海外で暮らした日本人、独特のものです。

もう、常識的にも、社会的にも、日本には帰れない。だからと言って、どこまでいっても、アメリカ人にはなれない。日本人でも、アメリカ人でもなく、「自分は一体ナニ人なんだろうって時々思うんだよねー」。そう言うのは、在米39年の知り合いの不動産屋の社長さんです。「なにか、帰る場所っていうのが、どこにもないんじゃないかって錯覚に陥る時もあるんだよね…」と彼は続けました。

27歳まで日本で暮らし、まだ在米18年の僕は、仕事がら日本の文化に触れることも多々あり、お客さんも90%日本人で、英語も苦手で、日本出張も多いので、いいことなのかどうかわかりませんが、自分が確実に日本人だと実感はできます。30年、40年選手の、彼らの中には「日本には怖くて住めないね」と自虐的に笑う人も少なくありません。

それに対し、渡米して1~2年の我が社の新入社員は、日々、ニューヨークが楽しそう。世界一エキサイティングな街で起こる、日常の何気ないことまで、あるいは、そこで今、生活している自分自身に対しても、心からエンジョイしているように見えます。中には「昨日、アメリカ人から差別されました」と、自身が受けた人種差別案件すら、日本にいる知り合いの同世代では経験できないことだと、嬉しそうに報告してくる社員までいます。5年後には、その笑顔は確実に消えていることだけは容易に想像できます。ちゃんとムカつくことができる。

確かに、渡米当初、僕もそうだった気がします。

儲からない業界に転職しても給料はちっとも上がらない明確な理由

給料の金額は一体何で決まるのでしょうか? 無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者で、学歴やコネが無くても年収1000万円になれるスキルをセミナー等で多くの人に伝えている佐藤しょ~おんさんは自身のメルマガで「業種による儲かり具合で給料は大きく違う」「会社選びに当たってはその点を最も重視すべし」と力説しています。

これからの会社選び

みなさんがもらっている給料って、みなさんの努力や実績だけで決まっているわけじゃないんですよね。案外知られていませんが。

私はサラリーマン時代にコンサルみたいな感じで、色々な会社に常駐して仕事をしていたので、それなりに多くの業種の内側を見てきたのですが、そこでまざまざと見せつけられたのが、業種による儲かり具合の極端な違いなんです

職種って、○○部とか○○課のようにどこの会社にでもあるような分け方をするのですが、作業や業務としては似たようなことをするんです。情シスなら情シスの仕事、経理なら経理の仕事、人事なら人事の仕事という感じで、ここに極端な違いはないわけですよ。あるとしたら会社特有の文化だったり、プロセスだったり、お作法だったりでね。

それなのに、つまり同じような仕事をしているはずなのに、彼らがもらっている給料には、びっくりするような違いがあるんです。他所の業種を知らない人にはピンと来ないと思いますけど。

スキルも、経験も、業務の見識も非常に高くて、安心して仕事を任せられるなぁ、という現場のリーダーAさんが年収450万で、同じ職種で、彼に比べればガクッと劣った仕事ぶりを見せてくれるBさんの年収が750万とかってことは良くあるんです。というか、これくらい差が出るのは当たり前なんですよね。

こういう話をすると、仕事が出来る人が450万で、それよりも劣る人が750万っておかしいと思います!と突っかかって来る人がいるんですけど、こういう人にはちょっと考えて欲しいんですよ。なんで同じ仕事をしているのに、こんな差が生まれてしまうのか?をね。

このリアルな事実を知ると、会社選びってメチャメチャ大事だと分かりますし、その会社選びよりも重要なモノがあるということにも気付くんです

この違いは端的にいえば、業種の違いなんです。同じ情シスの仕事でも、流通系の業種、旅行業という業種、外資証券という業種、ネット系のベンチャーでは、年収は全く変わって来るんです。その違いがどこから来るのかというと、

  • その業界、会社がどれくらい儲かっているか

という一点なんです。

一番大きな土台は、業種でして、まずここで儲かる業界というのがあるわけです。例えば、儲かる業種で言えば、商社とか、製薬とか、テレビとか、ちょっと前なら銀行とか保険ね。そういう業界のなかで、会社ごとの優劣があるという感じなんですよ

だから会社選びは、まずは会社ではなくて、業種、業界からやらなきゃならないの。儲からない業界に進んだら、最大手の1社か2社以外は全然儲かりませんから。それはつまり、いくら働いても、いくら頑張っても、いくらあなたが実績を出してもなかなか年収は上がっていかないということです。

職種の良いところは、業界が変わっても似たような、同じような仕事を続けられることで、ある職種で専門性を高められれば、業種をチェンジさせることで、年収がグッと上がる可能性があるところなんです。ところがみなさん、なぜだか同じ業種、業界の会社に転職しようとするんですね。それが儲かっているのなら良いんですけど、例えば流通とか介護のような、あまり儲かっていない業界を選んでしまったら、年収なんて上がりませんよ。