K-POP新人アイドルグループ・ブランド評判 TOP10入り “全員日本人” 5人組K-POPガールズグループ・ UNICODE 日本デビュー記念お披露目ライブイベント開催!

「夢は東京ドームでのライブ」

“全員日本人”で構成された話題沸騰の5人組K-POPガールズグループ・UNICODE(ユニコード)が22日、都内で日本デビューを記念したお披露目ライブイベントを開催した。

UNICODEは、2023年4月にABEMAで公開された日本最大規模のオンラインオーディション「PROJECT K(プロジェクト ケイ)」で選抜されたメンバーを含む5人組ガールズグループ。MIO(ミオ)、HANA(ハナ)、ERIN(エリン)、SOO-AH(スア)、YURA(ユラ)の5人全員が日本人で構成されており、全員が韓国語を話せることも特徴だ。特にリーダーのERINはTOPIK(韓国語能力試験)で最上級の6級を取得するほど流暢だ。

韓国では、2月からYouTubeチャンネル「ALL THE K-POP」の「UNICODE ON&OFF」でデビューまでの過程を公開し注目を集めていた中、満を持して4月17日にアルバム「HELLO WORLD:CODE J EP.1」でデビュー。デビュー直後から「SHOW CHAMPION」や「MUSIC BANK」など数々の人気音楽番組に出演しており、K-POPアイドルの評判ランキングを発表しているBRIKOREA(韓国企業評判研究所ブランド評判指数)による2024年6月K-POP新人アイドルグループ・ブランド評判では、ILLITやBABYMONSTERと並びTOP10にランクインした現在話題沸騰のK-POP第5世代ガールズグループだ。 

【ALL THE K-POP】

UNICODE ON&OFF

ライブイベントでは、日本デビュー曲となる「振り向いて(Let me Love)」や「呼んで(Blur」など5曲のパフォーマンスを披露。

「振り向いて(Let me Love)」では片思いの照れた気持ちを表現した“テレテレダンス”、「呼んで(Blur)」では振り向いて欲しい気持ちを表現した“フリフリダンス”を、鍛え抜かれたダンススキルで披露し会場に集まった多くの観客を魅了した。

エリンは「日本でイベントを行う度に多くのファンの方が駆けつけて頂きいつも見守ってくれているのでとても心強いです。」と韓国語で挨拶した後、自身で和訳をすると集まったファンから大きな歓声が上がった。

日本デビューの心境を聞かれたユラは「韓国でデビューしてまだ2ヶ月ほどですが、日本でもデビューすることができてとても光栄です。日本の方でまだ知ってもらえていない方もたくさんいらっしゃると思うので、UNICODEの存在をたくさん知っていただけるように頑張ります。」と意気込みを語った。

スアは「目標は、街を歩いている時やテレビを見ている時に『あ、UNICODEの曲だ』とたくさんの方に知ってもらえることです。一緒に成長過程を見守っていただけると嬉しいです。」とファンに呼びかけた。

また、日本で今食べたいものを聞かれたミオは、「のり弁が食べたいです。ほっともっとさんの!」と答え、会場の笑いを誘った。

今後の目標についてハナは「K-POPアイドルを目指すきっかけとなったTWICEさんのように、東京ドームでライブができるグループを目指したい。」と語った。

 

UNICODEプロデューサーのイ・ホヨン氏は「僕を信じて付いて来てください!」と観客に向けてアピールした。

7月23日(火)にシングル「HELLO WORLD」で日本デビューするUNICODEの今後の動向に注目だ。

【セットリスト】

  1. Let me Love
  2. Blur
  3. Spring in my 20th
  4. 振り向いて(Let me Love)
  5. 呼んで(Blur)

【UNICODEメンバー概要】

※メンバー年齢非公表

MIO(ミオ)

【アー写】MIO(ミオ)

HANA(ハナ)

【アー写】HANA(ハナ) 

ERIN(エリン)

【アー写】ERIN(エリン)

SOO-AH(スア)

【アー写】SOO-AH(スア)

YURA(ユラ)

【アー写】YURA(ユラ) 

 

小池・蓮舫・全裸ポスター。東京都知事選「罰ゲーム感」の正体 わが国首都の「4大論点」をなぜメディアは報じないのか?

来月7日投開票の東京都知事選で「ポスター掲示板ジャック」が問題化している。報道では売名目的の候補乱立も一因とされ、SNSでは「有権者の政治への無関心に対する天罰」「これではまるで罰ゲームだ」の声も。だが、米国在住作家の冷泉彰彦氏によれば、この「罰ゲーム感」は選挙制度の欠陥や民度の低さが招いたものではない。有力候補やメディアが、首都東京の「本当の論点」から逃げていることが最大の原因だ。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:東京都知事選の論点整理

都知事選「ほぼ全裸」ポスター問題を解決する方法

東京都知事選が告示されました。とりあえずの話題は、56名という候補が乱立していることです。同一政党から複数出馬して、ポスター掲示板をジャックするとか、わいせつな図画をポスターに使うなど、「売名行為としての立候補」が問題になっている点で、主要メディアもこの話をかなり取り上げています。

この問題ですが、都民の政治的無関心に対する「天罰」だとか「罰ゲーム」という言い方が流行しています。その一方で、「大人のバカッター」だとか、「曖昧なゾーンを利用して人を不快にさせると、結局は自由を束縛してしまう」のが問題だというような議論もあります。

これに関しては、単刀直入に2点申し上げておきたいと思います。

まず人を不快にするポスターの問題ですが、わいせつな内容あり、違法なサイトへの誘導ありという具合で、全くやりたい放題です。この調子では、政見放送などは目も当てられない内容になるかもしれません。

ですが、これを警視庁が取り締まるのであれば、選挙における表現の自由は破壊されてしまいます。演説の内容が激しくなると「弁士注意」だとか言って官憲が介入していた明治初期だとか、自由主義でも逮捕するという狂った30年代などの再現です。

もちろん、選挙という空間を悪用して社会を混乱させるのは避けなくてはなりません。ですが、警視庁が勝手に見解を決めて実力行使をするのはダメです。

これを避けるためには、公安委員会と選管が対等な立場で主導し、有権者のランダム代表などが参加する中立委員会でも作って、ポスターや政見放送における公序良俗の確保をすべきです。具体的には、その中立委員会が裁定して、これを裁判所が確認するという牽制も必要でしょう。

警視庁が登場して、公職選挙法とは別に迷惑防止条例などを振りかざし、選挙運動に介入するというのは、その介入の中身にいくら正当性があっても、公職選挙法の精神に照らして不適切です。もしかしたら、バカッター候補の中には、公職選挙法に守られた民主主義を破壊するような意図を持った工作員も混じっているかもしれません。

だとしたら、「まんまと民主主義が破壊されてしまう」そのぐらいの危機感を持って臨むべきと思います。

都知事選のカオス状態は、有力候補の「公約の的外れ」が原因

もう1点、今回の都知事選においてバカッター候補が乱立し、そして異常に注目が集まる原因は、制度が緩いからではありません。また供託金が安いからでもありません。都民が政治的に無関心だからでもありません。

また、この都知事選のカオス状態については、仮に日本において直接選挙で大統領を選ぶようになった場合のシミュレーションになっているという解説があります。これも有権者を適当にディスって分かったような気になっているだけであり、無責任な言論ということでは変わりません。

そうではなくて、本当は争点とすべき東京都の課題が、有力候補によって正当に取り上げられていない、ここに問題があります。行われるべき議論が行われていないというのが、選挙が白けて、バカッター候補ばかりが注目される真因だと考えるべきと思います。

では、何を議論すべきなのか、以降はその論点を提示してみたいと思います。

五輪はテロ組織の格好のターゲット。パリオリンピックでテロの標的となりうる国の名

7月26日に幕を開けるパリ五輪。国際情勢は近年にないほどの緊張状態となっていますが、「平和の祭典」は全17日間の日程を無事に乗り切ることができるのでしょうか。安全保障や危機管理に詳しいアッズーリさんは今回、これまでの五輪の会期中に発生した事件を振り返るとともに、今夏のオリンピックで想定されるテロについて考察。その標的となりうる国、さらに国家ぐるみでテロを企てる可能性のある国の具体名を挙げています。

かつてはイスラエル選手ら11名殺害事件も。パリ五輪でテロは大丈夫か

ドイツでは現在、サッカーの欧州ナンバー1を決めるEURO2024が行われており、各試合は各国のサポーターでほぼ満員御礼となり、日本でもサッカーファンは眠れない夜を過ごしている。しかし、サッカースタジアムの外ではテロを警戒する治安部隊が厳重な警備体制を敷き、非常に緊張感が漂っている。最近もアフガニスタンを拠点とするイスラム国ホラサン州のメンバーとみられる男が逮捕されている。

そして、EURO2024の終わりと同時に開催されるのがパリ五輪だが、パリ五輪においてテロは潜在的ではなく現実的なリスクだろう。治安当局がテロ対策を怠れば、テロは高い確率で考えられよう。過去を振り返っても、オリンピックはテロ組織の格好のターゲットになってきた。

1972年のミュンヘン五輪では9月5日、パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村のイスラエル宿舎を襲撃し、人質を獲って立て籠り、イスラエル選手ら11名が殺害された。1996年アトランタ五輪では7月27日、アトランタの五輪百周年記念公園で仕掛けられた爆弾が爆発し、1名死亡、100人以上が負傷し、白人至上主義の男が逮捕された。2008年の北京五輪の時には、中国からの分離独立を掲げ、新疆ウイグル自治区を拠点とする東トルキスタンイスラム運動の活動が活発化し、雲南省昆明市では16人が死傷するバス連続爆破事件が発生した。

2012年のロンドン五輪では幸いにもテロは発生しなかったが、スペイン・ジブラルタルでは五輪をパブリックビューイングしていた人々を狙ったテロ未遂事件が発覚し、チェチェン人2人、トルコ人1人が逮捕された。2014年のソチ五輪でもロシア当局が厳重な警備体制を敷いたことからテロは起こらなかったが、その直前には南部ボルゴグラードなどで繰り返しテロ事件が発生し、ロシア南部のイスラム過激派の活動が活発化した。2016年のリオデジャネイロ五輪でも開催期間中テロは起こらなかったが、イスラム国の過激思想の影響を受けたとされる地元の若者らが逮捕され、イスラム国のメンバーと連絡をとり、テロを計画していたとされるレバノン系ブラジル人がオリンピック開幕直前に逮捕された。

中島聡さん、パワポな私はダメですか?スライド資料をMarkdownで高速作成する方法。GitHubでバージョン管理も楽勝だ

ビジネスの現場についてまわるスライド資料。PowerPointやKeynoteで作成されたものがほとんどですが、「その提案資料はもう古いから、新しいファイルを探してくれる?」と上司に言われたり、「おじさん同士が握手してる…

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日本の未来はまだ明るい?低賃金・増税・汚職まみれでも「まともで豊かな成熟期」に向かっていると言える理由

高度経済成長期を経て、現在「成熟期」にあるとされる日本。今後はかつてのような「急成長」が期待できないのは当然ですが、国としてこのまま静かに沈んでいくのは必然なのでしょうか。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、これからの日本を「豊かな成熟期の国」にするための手立てを考察。ルクセンブルクをはじめとする「成功している成熟国家」の特徴を上げ、我が国も彼らに学ぶべきとの見解を記しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:成熟期日本の未来は、確定的に暗いのか?

成熟期日本の未来は、確定的に暗いのか?

私が長期予測を当て続けている理由は、【 国家ライフサイクル理論 】を使っているからです。

たとえば、2005年に発売した一冊目の本『ボロボロになった覇権国家アメリカ』は、「アメリカ発の危機が起こって、アメリカは没落する」という内容でした。2008年、実際にアメリカ発「100年に1度の大不況」が起こり、「アメリカ一極時代」が終わりました。

同じ本の中で中国については、「2008~2010年にかけて危機が起こるが、短期間で克服し、さらに成長を続ける」「2020年くらいまで高成長を続ける」という内容で、いずれもそうなりました。

ちなみに2005年といえば、巷で「北京オリンピック、上海万博後、中国バブルははじけ、経済危機が起こり、中国共産党政権は崩壊する」という「中国崩壊論」が流行っていたころです。私は、「そうはならないだろう」と予測し、そうなりました。

国家ライフサイクル理論とは

ところで国家ライフサイクル理論とは何でしょうか?私が20年ぐらい前に考えた理論ですが。

  • 移行期(混乱期)→成長期(前期)→成長期(後期)→成熟期→衰退期

と進んでいきます。

移行期混乱期

移行期=混乱期です。前の体制から新しい体制に移行するので、混乱期でもあるのです。幕末から明治維新、第2次大戦終戦後などをイメージすればわかりやすいでしょう。

移行期から成長期に進むためには、二つの条件が必要です。

一つは、政権が安定すること。たとえば、旧幕府軍と新政府軍の戦いが終わり、明治新政府の支配権が確立した。

二つ目は、新政府がまともな経済政策をすること。1949年、中華人民共和国が成立しました。毛沢東の独裁で、政権は安定していました。しかし彼は、究極の経済音痴だった。それで、中国の成長期は、鄧小平が実権を握り、まともな経済政策をはじめた1978年末まで遅れました。

成長期前期

安い賃金水準で安い製品を生産することで急成長していきます。日本でいえば、1950年代、1960年代でしょう。

成長期後期

安くて良質の製品を生産できるようになります。しかし、賃金水準はどんどん上がり、世界市場における競争力が落ちていきます。それで、成長が鈍化していきます。企業は、安い労働力を求め、外国に逃げるようになっていきます。日本でいえば、1970年代、1980年代でしょう。

成熟期

国民はそこそこ豊かですが、低成長の時代です。

衰退期

ゆっくり、あるいは急速に衰退していきます。

成熟期、衰退期の国民は、いわゆる3K労働をしません。それで、3K移民を大量に受け入れ、「自国民が嫌がる仕事は、外国人に安くやってもらおう」と「差別的移民政策」を推進していきます。

この「差別的政策」が、国家を衰退させることが多いのです。

値上げは3段階で。行列のできる年商10億円のラーメン屋が仕掛けた“1杯1千円の壁”超えは成功したか

ラーメン業界に古より伝わるという「1,000円の壁」。読んで字のごとく1杯1,000円は超えられないという意味合いの言葉ですが、人件費や食材、光熱費の高騰により苦戦を強いられているラーメン店も多いのが現状です。そんな中にあって、「1,000円の壁超え」にチャレンジする人気店を取り上げているのは、外食・フードデリバリーコンサルタントの堀部太一さん。堀部さんは自身のメルマガ『飲食・デリバリー企業向け/業績アップメルマガ』で今回、年商10億円を超えるというラーメン店が取り組んだ3つのステップを紹介しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ラーメン1,000円の壁を超えてどうなった?

ラーメン1,000円の壁を超えてどうなった?

飲食店の「壁」問題。本当にそんな壁があるのか?とも思いますが、

  • ラーメン1,000円の壁
  • 宴会5,000円の壁

とかはよく言われるやつですね。

特に目下影響が大きいのはラーメン1,000円の壁。国民食で日常食であるからこそ、価格によりシビアなのは事実。

今日はラーメンのご支援先の取り組みを基に、この辺りを考えてみようと思います。

■事業概要

ラーメンで10億円超のご支援先。各店舗人気でランチは全店舗必ず行列。人気店ですね。

価格的にはかなりお得。基本的には1,000円未満で組んでいました。

■原価の高騰

理論原価率は28%でしたが各種コストプッシュで理論的に33%までもの高騰。値上げは不可避という状況。

その為、段階を踏んで対策をしました。

■Step1)アイテムパワーを見て対策

ランチはお得なセットが「7アイテム」ありました。ランチ売上構成比率の大半がここなので、ここを対策できれば数字の回復は確実。

その為、7アイテムのうち「4アイテム」を1,000円超え、「3アイテム」を1,000円未満に変更しました。

1,000円未満が選べる楽しさのある「3アイテム」なら、影響がないだろうという仮説でした。

結果。

ここは完全に仮説通り。全く何の影響もなく客単価が上がったので売上アップ。もちろん原価率も改善し、33%→31%にまで改善。

ただコスパが良いポジションもあったので、即座に次の値上げをするのはストップ。

一旦半年間これで走り続ける事にし、今の価格の定着を狙いました。

■Step2)値上げの本丸対策

次が本丸です。7アイテムのうち入口商品を「1アイテム」だけ作り、それは1,000円未満の価格に設定。

他の「6アイテム」は1,000円超えです。これがどうなるか!?が勝負でした。

結果。

  • 最初の2ヶ月 :影響なし
  • 次の3~5ヶ月 :売上増ながら客数に影響あり
  • 6ヶ月以降  :影響なし

このような感じでした。

値上げは告知する必要はなし。この前提なので、最初の2ヶ月は「知らなかった」事もあり全くもって影響はありませんでした。

しかし。

次の3~5ヶ月目辺りが悩んだ部分。単価が伸びているので売上自体は好調。

しかし、既存店客数が若干のマイナスでした。これだと次の値上げはできません。

ただ別に飛び道具はないので、徹底してQSCの改善に取り組む事に。

ただふわっとしたQSCではなく、定量的に捉えられるものを設定し、毎週その数字を追い続ける事に。

その結果、6ヶ月目以降に客数もプラスに!これは正直ほっとしました。

原価率も33%→31%→28%まで改善しました。

この記事の著者・堀部太一さんのメルマガ

映画『オッペンハイマー』が話題も辛口評論家が「観るのをためらう」理由

アメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーが原爆を開発する過程と、その後の彼の苦悩や苦難を描いた映画『オッペンハイマー』は、アカデミー賞で7部門を受賞し、日本でも3月に公開されてロングランとなっています。今回、メルマガ『佐高信の筆刀両断』で評論家の佐高信さんは、学生時代に潜り込んだという「オッペンハイマー事件」に関する講義の内容と、「科学の没価値性」に逃げ込めず苦悩するオッペンハイマーの言葉を紹介。未だ映画を観ていない心情についても記しています。

オッペンハイマー事件

アカデミー賞を受けた映画で話題になっている「原爆の父」オッペンハイマーの名を知ったのは1966年、大学4年になったばかりの5月だった。いまから60年近く前である。

盗聴に行っていた学習院大学の教室で、哲学者の久野収は、ハイナー・キップハルト著、岩淵達治訳の『オッペンハイマー事件―水爆・国家・人間』(雪華社)を素材に、科学者は価値とは無縁ではありえない、と強調した。「科学の没価性というのは、裏返せば、どんな価値とも野合する科学の娼婦理論だ」とまで久野は言った。

マックス・ウェーバーの説く価値自由論の恐さをこの事件が示している。『オッペンハイマー事件―水爆・国家・人間』を読んで、私は背筋が凍えていくような感触にとらわれたが、そんなこともあって映画はまだ見ていない。

昔から変わることなく、漫画などでは、科学者を捕まえてきて、脅迫しながら、何かを造らせることがある。その時、科学者は没価値性をもって良心の痛みを消すことができるのか。

劇作家の手によってドラマ化された『オッペンハイマー事件』の登場人物は、オッペンハイマーの他、アメリカ原子力委員会の機密を保持するための法務担当のロッブ、ローランダー、そしてオッペンハイマーの弁護人ギャスリン、マークス、証人として、警視のバッシュ、かつての高官ランズディル、物理学者のテラー、ベーテ、グリッブス、ラービなどである。副題は「良心と忠誠との調書」。

現代の苦悩を弱い個人で引き受けねばならなかったオッペンハイマーの言葉を2つほど書き抜くと―

「ヒロシマへの原爆投下は政治的な決定で、私の決定したことではありません」

「私は自分の仕事を果たしただけです」

日本の代表的な物理学者の湯川秀樹や朝永振一郎、そして武谷三男らは特に戦後、ストップ原爆の平和運動に携ったが、彼らがアメリカに生まれていたら、オッペンハイマーの悲劇を体験しなかったとは言えないかもしれない。

「戦争は野暮の骨頂」と断定する美輪明宏は、原爆の実験場にされた長崎の生まれだが、「私はアングロサクソンって大嫌いなんです。もともと海賊ですからね。英国とアメリカの歴史は、他人の土地を乗っ取って殺人して、略奪して。ろくでもない奴らですよ。悪魔ですよ。よく世界のポリスなんて言ってられる」と吐き棄てた。

「軍が支配すると、その国が亡びます。後先の考えもなしに、ただ根性、根性、根性。神風が吹くなんて、馬鹿なことを言って。奴らが日本を破滅に導いたんです」

降伏もせずに戦争を続けた大日本帝国が原爆投下を招いたわけだが、原爆投下はまぎれもなくジェノサイドだった。

この記事の著者・佐高信さんのメルマガ

image by: Rokas Tenys / shutterstock.com

読み手が抱くワクワク感。なぜ文筆家は個人サイトの情報発信は“ランダム”の方がいいと考えるか

SNSによる発信よりも深くそしてより正確に自身の考えや意見、各種作品に対する感想等を伝えることが可能なブログなどの個人サイト。そんなサイトの情報発信においては、「ランダム」であることがいいと文筆家の倉下忠憲さんは断言します。倉下さんは自身のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で今回、そう判断する理由を詳しく解説。さらになぜランダムな情報発信が、2020年までのWebでは存在感を消していたのかについて考察しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ブログはランダムがいい

ブログはランダムがいい

うちあわせCast第百五十三回でブログのランダムさについて語りました。

第百五十三回:Tak.さんとハイパーテキストについて 作成者:うちあわせCast

「ブログ」というと、少し幅が狭くなるので、ここでは「個人サイト」(Personal Web Site)という呼び方にしておきましょう。

個人サイトはランダムでいい。あるいは、ランダムがいい。

この点について考えていきましょう。

■乱雑さ

まず考えたいのは「ランダム」です。ここでのランダムは何を意味しているのか。

一つは、「系統立てられていない」という意味でしょう。

たとえばすべての記事が料理のレシピの記事だったとしたら、おそらく次の記事も料理のレシピだと想定されるでしょう。精度の高い予想ができます。これはランダムではありません。

一方で、ランダムであれば料理のレシピの次に日記の記事があり、その次に詩が出てくるかもしれません。そうしたサイトは次どんな記事が更新されるのかを高い精度で予想するのは難しいでしょう。

これがランダムさの一つ目です。

■ある範囲内

もう一つは、「カオスではない」という意味があります。

フライパンのお勧め記事があり、その次に美容器具のお勧めがあり、その次に政治的に過激な主張の本のお勧めがあって、さらに大ヒット映画のDVDのお勧めがある。

すべて「お勧め」という点では共通していますが、受け手としては「自分は何を受け取っているのだろうか」という混乱が生じるでしょう。コンテキストが統一されていないからです。

舞台裏を明かせば、こういうサイトはそのときもっともアフィリエイト効率が良い商品を紹介しているだけなので、その事情を知っていれば「精度の高い予想」はできるでしょうが、普通の読者には関係ない事情であり、カオスになっていると判断されるでしょう。

こうなってしまうと、読み物として好ましいものとは言えなくなります。だから、系統立ってはいないけど、カオスまでには至っていない、というところが「ランダム」ということの二つ目の意味です。

この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ

aiko洗脳で記者が思い出す、吹石一恵の情報戦と福山雅治の冷徹な一面…結婚はポシャる寸前だった!? 緊迫の舞台裏

人気歌手・aikoさん(48)の事務所に約1億円の損害を与えたとして、会社法違反(特別背任)の罪に問われている元取締役の裁判。証人として出廷したaikoさんの「すべてにおいて洗脳されていました」との証言が注目を集めています。この騒動を見た芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんの胸に去来するのは、今から13年前のあの洗脳事件。女性占い師、中島知子さん、吹石一恵さん、そして福山雅治さんの当時を振り返ります。

aiko「洗脳騒動」で、吹石一恵と福山雅治を連想してしまうワケ

SNSで芸能ニュースを目的もなく見ていたら、元人気お笑いコンビ『オセロ』中島知子の近況を伝える記事に目が止まりました。

松嶋尚美と中島知子の人気コンビが絶好調の頃は“オセロの黒い方”と呼ばれ、2005年度の大河ドラマ『義経』にも出演、2008年には蜷川実花が撮影したヌード写真も話題になった中島、現在は大分県別府市に移住し、ローカル局でのレギュラー番組も多数持ち、ここ数年は全国放送にも出演するようになっているようです。

私の脳裏に蘇る中島は、今から13年程前のザワついた冬の日々です。

テレビのワイドショーでは連日、女性占い師に洗脳されたと言われていた中島の動向が面白おかしく取り上げられていました。

これに思わぬとばっちりを受けてしまったのが福山雅治と吹石一恵の熱愛発覚報道でした。

当時を少し振り返ってみましょう。

2011年、中島と連絡が取れなくなった所属事務所が突然無期限の活動休止を発表し、心配した母親が自宅に様子を見に行くも反応が無かったため、警察沙汰になったのです。

これで判明したのが、同じマンション内に部屋を借りていた福山雅治の大ファンでもあり、“私は福山の内縁の妻”と主張する女性占い師と中島の同居生活でした。

同年7月、『週刊文春』がこの占い師であり霊能師の女性に中島が洗脳されている旨の記事を掲載しました。

この騒動で芸能マスコミは、24時間体制で中島の自宅マンションを張り込んでいたのですが、そこに突如現れたのが吹石一恵だったのです。

「叱らない、怒らない」に傾きすぎた子どもの“弊害”が身に染みる。現役小学校教師かく語りき

叱る、怒る、ほめる。子どもの教育をするうえで、きちんと大人が考えなければいけない問題です。メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは、今回オンラインでの話し合いで気づいた、この3つの要素の使い方について語っています。

ほめる時、叱る時、怒る時

先の日曜日早朝にあった「学級づくり修養会HOPE」オンラインでの気付き。

叱るとほめるを分析する、というのが今回のテーマだった。みんなで話し合っている中で、様々な気付きがあったのでシェアする。

まず前提として、叱るとほめるは、表現こそ違うが同根である。相手が「良くなる」ことを願い、ねらって行われるべきものである。

これらがないと、社会的な経験のない子どもたちは何が良くて何が悪いのか判断がつかない。だから、両方必要ということになる。つまりこれらの行為は、そのまま価値観の形成につながる。

叱るだけでなく、怒ることがある。しかしこれは、多くの先人が「怒ったら負け」「怒らないことが人格向上」と言っているし、医学の面からも「怒ると脳内から興奮物質が出て、有毒」という話もある。

つまり、何があっても怒らない方がいいのだ、というのが早合点な結論であった。ここが、今回の話合いで、根本的に間違っていた点だと気付いた。

個人の人生として見た時は、断然怒らない方がいい。悠々自適に暮らしていく中で、怒ることは害悪でしかない。聖人君子や仙人のような、澄み切った気持ちで暮らすのが幸せだろう。周りの人にとっても、そのような人は有難い存在である。全くその通りである。

しかし、これがこと教える立場となれば、話が違う。先の述べたように「学校の先生」は、子どもにとって、外の社会の入り口、大人のロールモデルである。その大人を見て、社会を学ぶ。特に、自分が直接関わる、立場や年齢がずっと上の人との接し方を学ぶ。

(ちなみに、横の関係はクラスメイトや友人から学ぶ。ちょっとした上下のある人間関係は先輩後輩から学ぶ。)