中国「一帯一路」10周年で“つまみ食い報道”しかできない日本メディアの限界

10月17日から北京で開催される「『一帯一路』国際フォーラム」を前に、日本でも中国大使館が「一帯一路」に関するフォーラムを実施しました。この巨大な経済圏構想が10周年を迎えての動きですが、日本メディアはイタリアの離脱の可能性や「債務の罠」などネガティブな話題を伝えるだけ。こうした姿勢を“つまみ食い報道”と指摘するのは、多くの中国関連書を執筆している拓殖大学の富坂聰教授です。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、「罠」の例とされるスリランカの港のケースを紹介。当事国のスリランカの反応が抜け落ちた日本の報道に苦言を呈しています。

中国「一帯一路」10周年で見えてくる「つまみ食い報道」しかできない日本の残念な実態

まずは先週書いた中国の米中首脳会談に向けた動きだ。やはり中国が環境を整え始めたとの見立ては間違っていなかったようだ。ロイター通信は10月12日、「米、中国の安保会合に出席へ 軍・防衛対話回復の兆し」と報じた。さらに半導体の対中輸出規制をめぐっては、「TSMC、米が対中半導体規制の適用除外延長=台湾経済相」(ロイター=2023年10月13日)という動きを記事にしている。

韓国政府が数日前、「サムスン電子とSKハイニックスは今後も米政府への特別な許可申請なしで中国の半導体工場向けに米国製半導体製造装置を供給することが無期限に可能になった」と発表したことを受けた動きだ。

バイデン政権は高性能な半導体に関し、「さらに厳しい対中輸出制限を考えている」とも伝えられるが、米中会談を前に一息つける雰囲気を作ったことは間違いない。

そして、目下の話題は「一帯一路」だ。「一帯一路」とは習近平国家主席が2013年に打ち出した広域経済圏構想である。同年9月にカザフスタンで「シルクロード経済ベルト」構想を、続く10月にインドネシアで「21世紀海上シルクロード」構想を打ち出した。

今年は10周年にあたり、10月17日と18日の2日間、北京では「『一帯一路』国際フォーラム」が開催される。日本では駐日中国大使館などが主催するフォーラムが13日に行われた。

「一帯一路」は、日本の多くのメディアが「巨大」と表現しているように、中国からユーラシア大陸をまたぐ膨大な国と地域を中心にスタートした経済圏構想だ。いまでは中国から西ヨーロッパを越え、アフリカ大陸や中南米までを巻き込んで広がり続けている。一朝一夕で手に負える規模ではない。

本記事のタイトルでは「つまみ食い」が「残念」だと書いたが、そうならざるを得ないことも理解できる。ただ問題は、そうであればそのことを率直に認めた報道であるべきなのにそうはなっていないことだ。

メディアにありがちな話だが、批判すべき問題を摘出することで、「仕事をした」気持ちになる習性が頭をもたげてしまい、結果的に全体像を大きく歪めてしまっているのだ。巨大なプロジェクト群であれば問題はつきものだが、その一つが「一帯一路」全体の性格を決定してしまうことには慎重であるべきだ。

代表例は「債務の罠」というレッテルだ。いまや「一帯一路」を語るうえで欠かせないキーワードで、おそらく多くの日本人は「一帯一路」と聞いて最初に思い浮かべるワードだろう。「債務の罠」とは、中国が無理な貸し付けをして返済が滞れば対象国から建設したインフラを取上げてしまうことを指す。実例としてメディアで頻出するのがスリランカのハンバントタ港である。メディアは「借金の免除と引き換えに港の運営権を中国側に99年間譲渡した」と書く。

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砂漠を放浪、秘書から弁護士へ、大の恩人だった議員の死…。波瀾万丈の元明石市長・泉房穂さんが「何でもOK!」と思えるようになったワケ

元明石市長で現在さまざまなメディアに登場し活躍している泉房穂さん。そんな泉さんの有料メールマガジン『泉房穂の「何でもOK!」』が、去る10月6日に創刊されました。前回、パチンコ屋さんで働いていた過去などについておうかがいしたインタビューの第三弾をお届けいたします。『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』など次々と出版される本などが話題になっている、いま最も日本国民の期待を背負っている人物泉房穂さんは、どのようにして政治の世界に入っていったのでしょうか? 

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【第一回】元明石市長の泉房穂さんが「燃やしてまえ」発言の炎上騒動を、今になって「ありがたい」と思うワケ
【第二回】元明石市長の泉房穂さんがNHKを辞めテレ朝に転職するまで「パチンコ屋」で働いていた理由

東大を「退学」して“放浪の旅”へ

泉房穂(以下、泉):実は東大時代、学部長と喧嘩してしまって退学届を出して放浪の旅に出かけていたことがあるんですよ。バックひとつだけ持ってインドに行ったんですけど、ガンジス川で亡くなった人を燃やす様子を目の当たりにして「達観」してしまって。当時いろいろ挫折感に苛まれていたから、日本に帰りたくなくなっていたんです。これからどこへ行こうかなと思って靴を投げたら、靴が西を向いたので「ほな、西に行こか」と、インドから西に向かったんですよ。でも時計も地図も持っていなかったから路頭に迷ってしまって。あとから分かったんですが、タクラマカン砂漠で路頭に迷っていたことが分かりました(笑)。

──地図も持たずにインド旅行するのも凄いのですが、そのまま西へ向かって砂漠で路頭に迷うというのも、またハードな旅ですね。

:何も持たずに砂漠に突入するという、今じゃ考えられませんよね。どないしよう、このまま生きて帰れないんじゃないかと。仕方ないから乗合バスを乗り継いで、村から村へ移動し続けました。気がつくとイランに入っていて、これはテヘランまで行かないとしゃあないなと「テヘラン、テヘラン!」言うてたら、テヘランそこからむちゃくちゃ遠かったんですよ(笑)。そこから4〜5日かかってテヘランにたどり着きました、寝袋ひとつで。しかし生命力あるよね(笑)。とにかく日本へ帰ろうと思って、そこからギリシアまで抜けて、そこから格安チケットで帰国しました。

──日本に帰国後、そのまま東大は退学してしまったんでしょうか?

:ところが、喧嘩した学部長が退学届を受理せずに、そのまま保留で「預かり」という形にしてくれていたんです。それも知らずに、東京の家を引き払って明石に帰っていたんですが、半年くらい経って実家に電話がかかってきて「泉くん、今何してる?」って。「いや、自分はもう学校辞めたんで、地元で学習塾を作って生活します」って言ったら、「泉くん帰ってきなさい。退学届は受理していない、まだ君には仕事が残っているんだ。恥ずかしいかもしれないけど帰ってきなさい」と。その言葉に感動して涙を流して、東大に戻りました。東大は結局5年かかって卒業して、NHKに就職したんです。そこから、パチンコ屋のモップ掛けを経てテレビ朝日に入るわけです(笑)。

──そして、いよいよ政治の世界に入るわけですね。

人生の恩人・石井紘基さんとの出会い、そして弁護士へ

:高田馬場駅前にある芳林堂書店で、石井紘基さん(衆院議員、2002年没)の本と出会ったんです。その本に感動して石井さんに手紙を書いたら、本人から返事が来て「会いたい」って手紙に書いてありました。すぐに会いに行ったら「泉くん、選挙を手伝ってほしい」と。「あなたには、私なんかより他にもっと立派な人がいるんじゃないですか」と言ったら「一緒にやってくれる人はいないんだ」と。その場で「分かりました」って即答しました。仕事を辞めて、石井紘基さんの秘書として1年間一緒に選挙活動をすることになったわけです。

──秘書として選挙活動をすることになったのが、政治の世界に入ったきっかけだったんですね。

:ところが1年後の選挙で当選させることができなくて謝ったんです。「あなたを当選させることができなくてすみません、次はあなたを絶対に通します」と言ったら、「君をこれ以上引っ張り込むわけにはいかない。泉くん、騙されたと思って司法試験を受けなさい」と。きちんと社会というものを学んで、君がいつか立候補したときに落ちても大丈夫なようにしておきなさい、と言ってくれたんです。そこで急遽、司法試験の勉強をはじめました。そして、石井さんのおかげで弁護士になることができたんです。

──なかなか言えない言葉ですよね。自分の秘書を辞めさせて、司法試験を受けろと。泉さんの将来まで気づかって弁護士の道を勧めたわけですね。

:当時、僕は26歳くらいだったんですが、いみじくも石井さんから「君はいずれ40歳くらいで政治家になるから急ぐな。必ず周りから声がかかる、その時を待て」と。その後、僕が39歳の時に、石井さんは自宅前で政治団体の男に殺害されてしまいました。その後、周囲から元秘書だった僕に立候補を勧める声があがって、本当に40歳で出馬して衆院議員選挙で初当選しました。自分でも信じられませんが、尊敬している議員の秘書になり、その人の勧めで弁護士になり、その方が亡くなって、自分が議員に当選するという経験をしました。

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──本当に、人生何が起きるか分かりませんね。映画やドラマのようなお話だと思いました。

:それこそ、創刊したメルマガの名前じゃないけど「何でもOK!」という考え方になったのは、こうした普通ではない人生経験を積んできたからですね。職業は転々としているし、人生いろいろあったけど、根っこの部分は変わっていないんです。世のため人のために何かしたい、これは昔から同じですね。ここまで来たら、もう何でもかかってこいと。「何でもOK!」だと。

──まさに、波乱万丈の人生を経験してきた泉さんだからこそ説得力がある言葉ですね。

泉さんが有料メルマガをはじめたワケ

──さて、今回『泉房穂の「何でもOK!」』という有料メルマガを創刊したきっかけは何だったのでしょうか?

:そこはやっぱり「可能性を広げたいから」ですね。47歳で明石市長になった2011年当時、世の中的にはTwitter(現X)がすでに広まっていたんですが、まずは市長として明石市を変えることが優先だったので、あえてSNSには手をつけなかったんです。明石市長として10年かけて、もうやるべきことは十分やったと自分では思ったので、「優しい社会を明石から」という目標を「明石から全国に広げる」に舵を切ることにしました。他の自治体や国でも、明石ができたんだから同じことができる、と横展開を始めたんですね。そこで2021年の12月21日の「明石市旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」の可決を見届けて、ここから「炎上しても構わない」とTwitterを始めることにしたんです。

それまではSNSで「発信」は一切してこなかったんですね、一方的に叩かれていただけで(笑)。これからは自分から「真意」を伝えていこうと思っています。市長を辞めるまではTwitterだけだったんですが、もっと幅を広げようと、今度は人生2周目のスタートである還暦の誕生日にYouTubeを始めました。そして今度は、どんな質問でも打ち返す有料メルマガをスタートしようと決めて創刊したんです。

──Twitter、YouTubeを始めるにはそれぞれに「思い」があったんですね。そして、新しい可能性としての有料メルマガがスタートしました。

:メルマガでは、もっと密な関係、濃い関係の中で、新しい出会いや新しい関係性に期待しています。有料が良い悪いというわけではなくて、お金を取るから良い面もあると思うんです。閉じた空間、閉じたネットワークの中でできることにも意味があると思っています。このメルマガはQ&A形式だから、今から読者とのキャッチボールが楽しみですね。新しいことが好きだし、困難が好きなので「どんなボール球を投げられても打ち返したるぞ」と(笑)。逆にいろいろなボールを投げてもらった方が、僕も気づくことがあると思うんです。

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いま話題の「大阪万博」について

──では、最後に今の世の中で気になるニュースについてお聞きしてもよろしいでしょうか。いろいろ物議をかもしている大阪・関西万博についてどう思われますか?

:もう後戻りはできないんでしょうけど、率直に言って「いつの時代やねん!」という感想ですね。かつてのような高度経済成長期の時代に大型イベントに向けて国威発揚、そしてインフラ整備をやろうという手法はあったと思うんです。1970年の大阪万博に合わせる形で山陽新幹線が通ったときは感動しましたよ。右肩上がりの時代であれば大型イベントは一定程度の効果はあると思いますが、もうインフラ整備もだいたい終わっていて、経済も右肩下がりの状況ですから、大型イベントは時代に合っていないと思いますね。気分も盛り上がらないし、費用ばかりがふくらんで、そこに投入される税金は国民が負担することになる。しかも万博で作った箱は潰すしかない。作って潰すために税金を使うことになるのは分かっているじゃないですか。

──たしかに万博は一過性の大型イベントですから、何も残らなくなりますよね。あるのは国民の負担ばかりで。

:そのことに国民が冷めているんだと思いますよ。それでも、マスコミが一緒になって盛り上げようと感動ドラマを作ってますけど、大手メディアはすべて協賛スポンサー、つまり一味ですから。なので「必ず成功」と報道される。要はモノを作ってお金もらって、壊してお金もらうことが目的だから「万博を開催する」ことが彼らにとっての「成功」なんですよ。客が来るとか来ないとか、国民みんなが喜ぶとか関係ないわけです。維新が子育てや教育に力入れるのは賛成やけど、古い政治を踏襲しているやり方を続けていることについては残念ですね。

メルマガ『泉房穂の「何でもOK!」』への意気込み

──では最後に、メルマガをこれから読まれる読者のみなさま、そしてこの記事を読まれているネットユーザーの皆様へメルマガへの意気込みをお願いいたします。

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:タイトル通り「何でもOK」ですから、どんな質問でも投げてもらったら、ちゃんと打ち返します。どうぞお気遣いなく、どんな失礼な質問でも大丈夫です(笑)。今回は有料メルマガですから、有料の元はとってほしいと思います。自分もきちんと答えますから、気づきとか発見とか勇気とか、金額以上のメリットを得てほしいと思います。いつも「言いたいこと言ってる」と思われているんですけど実は嘘で、市長時代は言いたいことの1割、TwitterやYouTubeで3割、今回のメルマガで5割はいきたいなと。これ以上の割合で本音を言ってしまうと社会生活ができなくなってしまうから、そこはご勘弁ください(笑)。

──炎上していた市長時代の5倍も「本音」が聞けるということで、大変楽しみにしています。本日はありがとうございました。


波乱万丈、疾風怒濤の泉房穂さんのインタビューはここまで。切れ味鋭い泉節が毎号楽しめる有料メールマガジン『泉房穂の「何でもOK!」』では、皆様からのご質問をお待ちしております。メルマガにご登録のうえ、泉房穂さんとの質問・回答のキャッチボールをお楽しみください。

● 質問受付⇒ https://forms.gle/op3py2t41jzykeDv8

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image by: MAG2 NEWS編集部

自称保守派が「分裂」の大ゲンカ。日本保守党・百田尚樹 vs 安倍信者・小川榮太郎が勃発した理由

10月17日に開催され、大盛況のうちに幕を閉じたと伝えられる日本保守党の「結党の集い」。作家の百田尚樹氏が率いる同党に「安倍シンパ」と呼ばれた保守派が結集すると思われましたが、どうやら事はそこまで簡単な話ではなかったようです。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、漫画家・小林よしのりさん主宰の「ゴー宣道場」参加者としても知られる作家の泉美木蘭さんが、ここに来て勃発した自称保守派による分裂劇を詳しく紹介しています。

ネトウヨ可視化の日本保守党と安倍真理教、飽きぬ自称保守の大分裂劇

共同通信が今月14、15日に電話で行った世論調査によれば、岸田内閣の支持率は32%で、発足以来最低を記録したらしい。内閣支持層の中で、積極的支持が弱まっている傾向が見え、自民党そのものの支持率も下がっていることから、「衆院解散どころではない」と嘆くベテラン議員もいるという。

そんななか、アンチ自民党の集結する日本保守党は、意気揚々。

ネット募集で4.5万人を超える「日本を愛する」党員が集まり、まもなく結党記念パーティーが開催されるようだ。初の「ネトウヨの可視化」である。

前回レポートした百田尚樹と有本香出演の「ABEMA Prime」は、本編が245万回再生、切り抜き動画が100万回再生されている。話の内容や正誤がどうであっても、再生数が稼げるという一点さえあれば、ABEMA、ニコニコなどの動画配信サイトは推したがるから、しばらくネット上での祭りは続くだろう。

月刊「Hanada」11月号では、「私たちは、日本保守党を応援します!」という特集が組まれ、自称保守界隈の著名人たちが党への期待を寄稿している。

幻冬舎の見城徹は「動かぬ霧の中を、出航の刻は来た」と詩人ランボーの一節を引用して賛美、作家の井沢元彦は日本保守党への「援護射撃」を宣言。

元海上保安官の一色正春は「あの花田さんが、こうも熱心に応援するというのはいままでにない」と、「Hanada」編集長への信頼を担保に政党への期待を寄せた。

私のなかでは「あの花田」と言えば、皇族方を病気に追い込んでもバッシングしまくるわ、自民党に大量購入してもらえるとなれば、嘘八百の安倍晋三擁護本をバカスカ出版するわ、統一協会と結託してでも雑誌の売上を確保しようとするわ、ただただ「銭になるか否か」だけが編集方針の国賊老人というイメージしかないが、ずいぶん解釈が違うらしい。

産経新聞に識者としてたびたび登場する島田洋一は、百田と有本をなぜかレーガンに例え、「両氏は偉大な発信力で知られたレーガン同様、歴史を作り得る明るい勝負師だ」と爆裂プッシュ。

さらに、界隈で“百田尚樹の妹分”と呼ばれているイスラム研究者の飯山陽は、8月末にタイのバンコクに1週間ほど滞在した際、「市内を歩いていただけで複数の日本人から『百田さんの政党、応援してますよ!』と声をかけられた」と書いている。

それ、どんなウソ?

一体どんなバンコクの歩き方をしたのだろう?

バンコクには、ネトウヨ日本人が密集して暮らすネトウヨタウンがあるのか?
そもそも飯山陽という女性は、道を歩いているだけで複数の他人から声をかけられるほどの著名人なのか?

以前からずっと思っていたことだが、自称保守の人々は、仲間を超絶誇大に持ち上げて、モーレツに賛美の限りを尽くす達人だ。

私だってサービス精神から話を盛る鉄人だし、知人の良い作品や活動は、うまく褒めたいと思いながら文章を考えるが、この寄稿文集を読んでいると、さすがに恥ずかしくなるというか、やりすぎて信憑性を低下させているだけというか、むしろ一周回って茶化しているのではないかとさえ思えてくる。

その界隈でのコネを最大限重要視して生きていたり、「自分も賛美されたい」という気持ちが強すぎたりすると、他人の持ち上げ方が過剰になってしまうように思う。人の振り見て我が振り直す機会にしたい、そう思った。

この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ

セクハラも宗教も説明せず。議長は辞めても辞職せぬ細田博之という老害●●メガネの大罪

旧統一教会との不適切な関係やセクハラ疑惑などが浮上するも、これまで一度として記者たちからの質問にまともな答えを返してこなかった細田博之衆院議長。そんな自民党の重鎮が13日にようやく開いた記者会見ですが、その内容は到底国民が納得できるものではありませんでした。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、ラジオ番組に寄せられた細田氏を批判するリスナーの声を紹介するとともに、13日の会見を「ジャニーズ事務所の記者会見よりも遥かに悪質」と一刀両断。さらに国民に対しては、自民党が有権者を騙すために進めている「減税詐欺」への注意を喚起しています。

どっちにしても●●。増税と老害のダブル●●メガネに騙される国民

政権与党の閣僚、ことに歴代の自民党政権の首相は、国会で野党から追及されると、ついつい意味不明な答弁をしてしまいがちですが、突出して多かったのが安倍晋三首相(当時)でした。彼のトンチンカンな発言は枚挙に暇がありませんでしたが、特に統一教会の壺…じゃなくて、あたしの笑いのツボだったのが、多くの人の記憶に新しいと思いますが、2020年1月28日の衆院予算委員会での答弁でした。

今も疑惑はウヤムヤになったままですが、安倍事務所が地元の有権者に「桜を見る会」の参加者募集の案内が郵送していた問題について、日本共産党の宮本徹議員から「募集していることはいつから知っていたのか」と質問された安倍首相は、次のように答弁したのです。

「私は(参加者を)幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」

これを受けて、ツイッターではアッと言う間に「#募ってはいるが募集はしていない」というハッシュタグがトレンド1位となり、「●●はしているが●●はしていない」という大喜利大会が始まってしまったのです。サスガは、年末に「今年一年を漢字一字で表わすと?」と記者から聞かれ、「責任!」と漢字二字で答えた安倍首相だけのことはあります。

で、どうしてこんな3年以上も前の懐かしい話を持ち出したのかと言うと、今回、この「募ってはいるが募集はしていない」という斬新な安倍ギャグをホーフツとさせるニュータイプが、アムロ・レイやシャア・アズナブルの如く、ジャジャーンと登場してしまったからです。それは、次のギャグです。

「議長は辞めるが議員は辞めない」

そう、体調不良を理由に衆院議長の辞任を発表したのに、その舌の根も乾かないうちに、元気マンマンなので衆院議員は続けると宣言した自民党の細田博之衆院議長(79)です。自民党の萩生田光一政調会長と並び、長年にわたって安倍首相と統一教会との伝書鳩(連絡係)をつとめて来た上に、深夜に女性記者を呼び出すなどのセクハラ疑惑も満載なのに、いっさい説明責任を果たさず、これまで逃げ続けて来た姑息な人物です。

そして、満を持して行なわれた10月13日(金)の記者会見は、参加者は記者クラブ加盟の1社1人のみ、時間は30分と限定されるなど、様々な制約が設けられました。実際は50分ほどに延長されましたが、「NGリスト」で特定の記者の質問を排除したジャニーズ事務所の記者会見よりも遥かに悪質で、まさに「13日の金曜日」となってしまったのです。

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仲村トオルと「人気女優」の“籠城事件”が蘇った一枚のモノクローム写真

1995年に女優の鷲尾いさ子と結婚し、今も「エビオス」などのCMやテレビ・映画で活躍する俳優、仲村トオル。40歳以上には「ビーバップ・ハイスクール」「あぶない刑事」でおなじみですが、人気絶頂時の当時、彼が結婚前に交際していた「ある人気女優」とのスクープを狙っていたのが芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さん。もう少しでスクープが、という過去の「苦い思い出」を語ります。

28年前のモノクロ写真が蘇らせる、ある人気女優と仲村トオル“籠城事件”

今や人気作品には絶対に欠かせない存在になっている仲村トオル。

『FRIDAY DIGITAL』が掲載した写真に目が釘付けになってしまいました。

結婚会見の写真が5点と、仲村が運転する車の後部座席から降り、ドアを閉めた瞬間の鷲尾いさ子の写真が1点…時代を感じさせるこのモノクロームなカットは、ほぼほぼ同じ角度で何度となく私の肉眼で目撃していたシーンでもあったからです。

車内が見えないように黒いフィルムを貼ったこの国産車が何周したでしょうか、2人の住む住宅街をグルグル回り目の前に現れた時に、「来た来た! 逃すなよ!」と若いカメラマンを鼓舞させた自分が突然現実に戻ってきたような感覚を覚えました。

当時は“さすが売れっ子役者は乗る車も違うねぇ…”と思っていた気がするのですが、今こうして見てみると“あれ…こんなんだっけ”と感じます。

記事では当時の仲村の恋愛事情にも触れていますが、私の見立ては鷲尾ではなく、ある作品で共演した女優との結婚でした。

これは芸能取材をする側の勝手な憶測と論理からですが、取材対象との因縁が深ければ深い程、取材を抜きにしたときは知らず知らずのうちにそのタレントを応援してしまっているケースが少なくないのです。

被害者が加害者に対して好意的な感情を抱くストックホルム症候群という心理障害がありますが、敵対していたとしても相手と同じ時間を多く過ごすうちに、相手に感情移入してしまうのかもしれません。

逆に言えば、長期間取材を続けてきた対象者がどうしても好きになれない人物だったりしたら、そのタレントの非常に近い立場の人間も同じような感情を抱きつつ、仕事だと割り切って一緒にいるしかないと我慢しているんだろうな…とも感じます。

これは決して、あの有名な歌舞伎役者を指しての発言ではありませんので…。

私が仲村の結婚相手と見立てていた人気女優の取材で、深く印象に残っているのは彼女のマンションでの“籠城事件”です。

仲村がこの女優のマンションに人知れず(私以外は)忍び込んだまでは良かったのですが、そのマンションから出てくる姿を捉えようと私や応援で呼んだ同僚記者、カメラマンたちが全ての出口を押さえ、袋のネズミにしたのです。

おそらく仲村なりこの女優も、周りで起きている不穏な空気を感じ取ったのでしょう、彼等は実に半日以上に渡って全く動きを見せませんでした。

「これから仕事があるのにどうしよう、外に出れば必ず撮られてしまうし」
「事務所とマネージャーに相談して助けてもらおうか」
「そんなことしたら、何社も集まる大事になってしまう」

2人の室内での会話が聞こえてくるようでした。

テスラと戦っても日本のトヨタに勝ち目なし。既存の自動車メーカーが太刀打ちできないワケ

EVシフトにおいて大きく遅れをとった日本の自動車メーカー。先行するテスラに追いつき追い越すのは極めて困難になっているようです。テスラのどこが優位で、トヨタを始めとする既存メーカーのどこが足りないのでしょうか。メルマガ『週刊 Life is beautiful』著者で、Windows95を設計した日本人として知られる中島聡さんが詳しく解説。まもなく発表されるテスラの安価なEV「モデル2」が市場投入されれば、カローラ、プリウスなどの看板車種も影響は免れないと予想しています。

テスラと戦っても既存の自動車メーカーに勝ち目はない

先日、知り合いのエンジニアと「Tesla vs. 既存の自動車メーカー」の話になったのですが、話せば話すほど、既存の自動車メーカーには勝ち目がないように思えて来ます。

既存の自動車メーカーの問題点は、

  • EVシフトに乗り遅れてしまった
  • 経営陣がソフトウェアのことを理解していない
  • 電池の調達が困難
  • ディーラー・ネットワークが足枷になっている
  • 電気自動車を売れば売るほど利益が減る構造になっている
  • 充電インフラを持っていない

などが指摘されていますが、それは「症状」であり、根っこはもっと深いところにあります。その根っことは、Teslaが長年に渡って莫大な先行投資を行ってきた「仕込み」にあります。

  • 電池のギガファクトリー
  • 自動車のギガファクトリー
  • 充電ネットワーク
  • 自動運転用のAI半導体
  • 自動運転用のAIソフトウェアチーム
  • 自動運転AIの学習に不可欠な莫大な映像データ

これらのすべての点において、Teslaは既存の自動車メーカーの数年先を走っており、これが大きな差別化要因になっているのです。実際、充電ネットワークに関しては既に諦めてTeslaのネットワークに便乗するメーカーが増えています。

トヨタ自動車は、ようやく重い腰を上げて、Teslaと同じギガキャストを採用した工場を作り始めていますが、そこが生産を開始するのは2024年以降になります。電池に関しては、全固定電池に賭けているようですが、実用化の目処はまだ立っていません。

自動運転用の半導体に関して言えば、既存の自動車メーカーは、NvidiaやQualcommから数千ドルするチップを購入する選択肢しかなく、結果として、Teslaのように全車に必要なハードを搭載した上で、ソフトウェア・オプションとして自動運転を提供するのは非常に困難です(チップの製造原価はとても低いので、自社製チップを持つTeslaは、全車に搭載することが可能なのです)。

この記事の著者・中島聡さんのメルマガ

増税●●メガネ岸田首相、所信演説で「減税」表明は法人税のこと? スーパー視察で「物価高を認識」の今さら感、選挙対策バレバレ&百田氏率いる日本保守党台頭で始まった自民崩壊カウントダウン

「まだ何も決まっていない」と同義なのではないか。時事通信は17日、岸田首相が23日に行う所信演説で、減税への意欲を表明する見込みであると報じた。

この報道に対し多くの国民がネット上で反応。「自民公明のいつもの選挙前の媚売り」「騙されてはいけません。ステルス増税を企んでいる」「本当に批判に弱い。ブレすぎ」といった声があふれる事態となっている。そもそも「増税●●メガネ」とまで揶揄される岸田首相の、いったいどの口が「減税」などとのたまうというのだろうか。

「やりたいけれどできるかな?」“方針”ではなく“意欲”の意味

このニュースを報じたのは政権への忖度が見え隠れする記者クラブ所属の時事通信社ということも、ネット上で批判が飛び交うに至った理由の一つだろう。以下のポストはほんの一例だ。



首相が表明するのは「方針」ではなくあくまで「意欲」。つまりは「やる気(=意欲)はあるがまだ何も決まっていない」状態が“忖度メディア”によって伝えられていることを、多くの国民が見破っているのだ。

「ずっと寝てたのか」スーパー視察後に発した首相の言葉にツッコミ殺到

岸田首相といえば16日に東京都江東区のスーパーで、肉や魚といった生鮮食品売り場を視察した後、「確かに価格が上がっている」と述べたと報じられた。

しかしこれにも「日本で一番最後に物価高に気付いたの?寝てたの?」「そもそもわざわざ視察に行かないと物価高が認識できないなんて一体どれだけボンクラなんだ」等々、非難の声が殺到する事態となってしまった。

保守論客からも皮肉をポストされる有り様に

「減税意欲」報道についてはX(旧Twitter)上で識者や野党議員、ネットユーザーらから厳しいポストが次々とアップされた。



挙げ句は保守派の論客からも皮肉を書き込まれるという惨状だ。


百田尚樹氏率いる日本保守党に大敗か

折しもこの報道がなされた17日、作家の百田尚樹氏を中心とした日本保守党の「結党の集い」が催されその盛況ぶりが伝えられた。彼らが着実に勢力を伸ばしつつある中にあって、自民党が自称保守派から見捨てられ、選挙で大敗を喫することも十分に有り得る状況だ。「自民崩壊」のカウントダウンが始まったと見ても差し支えはないようだ。

最後に増税●●メガネ首相に問いたい。いったいどの税に対して減税の意欲を抱いておられるのか。まさかの「法人税」ではないことを祈りたい。

Amazon創業者も。米富裕層がこぞって「不老長寿」の研究企業に出資している現状

秦の始皇帝をはじめ、多くの権力者たちが求め続けてきた不老長寿の霊薬。そんな薬の研究開発が今、アメリカで盛んになされていることをご存知でしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、アマゾンの創業者ら富裕層がこぞって投資する米国の老化研究の現状を紹介。その上で、かような取り組みの是非について自身が思うところを記しています。

プロフィール河合薫かわいかおる
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

何歳まで生きたいですか?米で関心が高まる不老長寿研究

今回は近年、アメリカで関心が高まっている不老長寿研究を取り上げます。

日本は世界で最も早く「超高齢社会」に突入しましたが、米国でも高齢化率は急速に高まっていて、2035年までに65歳以上の年齢層が初めて未成年者(18歳未満)を上回ると予測されています。

日本の総人口の約0.06%が100歳以上とされていますが、米国では0.03%。日本の100歳以上の人数は、9万2,139人。米国は9万7,914人。日本の2.6倍の人口を誇るとはいえ、高齢化対策は急務になっているのです。

そんな中、2021年にNature Aging誌に、老化そのものをターゲットにした薬を用い、老化を遅らせることで、経済に大きなプラスの影響を与える可能性があるとの論文が掲載されました。

つまり、ポイントはただ単に寿命を伸ばすだけではないってこと。認知症などを伴う老化のプロセスそのものを遅らせることで、長く働く人が増え、長く消費する人々も増える。いい薬が見つかれば、経済は回る!100歳過ぎても元気でいられる!もっともっと経済は回る!120歳まで生きられちゃう!バンザイ!!!というのです。

注目を集めているのが、糖尿病の治療薬として1995年に承認されている「メトホルミン」です。メトホルミンに抗老化作用があるとされ、マウスを使った実験では、寿命を延ばすことが確認されています。

また、糖尿病患者=メトホルミンを服用するグループと、糖尿病ではない人=メトホルミンを服用してないグループとの比較では、生存率が向上することが観察研究で確認されています。これはメトホルミンが人間の老化を遅らせる役割を果たしている裏付けになるそうです。

たった一回の、しかも観察実験で?との疑念もありますが、歳をとっても老いないという摩訶不思議が近い将来実現するかも…しれません。

もちろん薬を用いるわけですから、本当に効果があるかどうかは臨床実験を繰り返し行うことが不可欠です。それでも不老長寿を願う人は多く、金のある富裕層ほど「早く薬を!」とスタートアップ企業に投資しているとかで、「長生きする金持ちが増える!」との懸念も出てきているとか。…アメリカっぽいですよね。

この記事の著者・河合薫さんのメルマガ

87歳の現役医師がたどり着いた「医師と患者は戦友」という考え方

87歳でいまだ現役という医師の帯津良一さんは、日本におけるホリスティック医学の第一人者です。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、ホリスティック医学とはどういうものなのか、長年人の生死に関わり続けた帯津医師がどうやってその考えに至ったのかについて紹介しています。

幸福な生き方と死に方。87歳の現在も医療現場に立ち続ける帯津三敬病院名誉院長・帯津良一氏の言葉

日本におけるホリスティック医学の第一人者であり、87歳の現在も医療現場に立ち続ける帯津三敬病院名誉院長・帯津良一氏。

ホスピス医としてこれまで約4000名の患者を看取る一方、病に拘らず支援を必要とする人々の担い手の育成に尽力するめぐみ在宅クリニック院長・小澤竹俊氏。

長年、人間の生と死を見つめ続けてきた医師お二人は人生の幸福についてどのように考えておられるのでしょうか?
『致知』最新号に掲載されている「幸福な生き方と死に方」より、帯津氏のお話の一部をご紹介します。

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お恥ずかしい話ですが、外科医時代の私は、患者さんは壊れた機械、医師は優秀な修理工という感覚でした。

ところがホリスティック医学は医師と患者さんが二人で戦略を練り上げるので対等な関係になる。

戦友ですから凶弾に倒れた時には必ず見送りました。

患者さんが亡くなると、病棟から私に連絡が入る。枕元に座ってしばらく旅立ちを見送るわけですが、不思議なことに患者さんの顔が皆よくなるんですよ。

早い人で一、二分、遅い人でも一時間くらいすると素晴らしい顔になる。

なぜだろうと考えていて、やはりこの世でのお務めが終わって故郷に帰る安堵の表情だと思ったんです。

そのように考えると、人間を丸ごと見るホリスティック医学は少し狭すぎる。

免疫学の多田富雄先生は「自然界は場の階層から成る。素粒子から虚空までの階層を成している」

とおっしゃっていますが、人間という階層だけ見ていてはいけないんですね。

つまり、がんに対して人間より一つ下の階層である臓器のみを取り扱う西洋医学では手を焼くことが多い。

そうすると人間という階層を取り扱うホリスティック医学が重要になるわけですが、階層は上下全部繋がっているわけだから、空間的、時間的に人間だけ、この世だけを見ていてはいけない、死後の世界をも視野に入れた医療でなくてはいけない。そのことに気づかされたんです。

ある講演で「医療は治したり癒やしたりするのは方便で、患者さんに寄り添うことが何よりも大事です」

という話をしたところ、あるお坊さんからこう言われました。

「先生、その話はよく分かります。ただ、私が見ているとドクターやナースで患者さんの命に寄り添っている方はいません。

死を命の終わりではなく命のプロセスの一つとして考えると、死の向こう側が見えてくる。
その時に命に寄り添うことができるのではないでしょうか」と。

患者さんに本当に寄り添うとはどういうことかを模索していましたから、このひと言にはドキッとしましたね。

以来、死後の世界を含めて人間を丸ごと見る「大ホリスティック医学」を提唱するようになりました。

私はこれがホリスティック医学の究極だと思っています。

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饅頭が美味しい有名和菓子店が「二度目の復活」を果たした画期的な“秘策”

個人商店の閉店、その大きな原因に「店主の高齢化」、そして「後継者の不在」があります。しかし、そんな宿命ともいえる問題に対して、光明となるかもしれない「ひとつの取り組み」が話題となっています。今回のメルマガ『繁盛戦略企画塾・『心のマーケティング』講座』の著者、佐藤きよあきさんが、老舗の事業継承の画期的な事例を紹介しています。

企業が個人商店の事業を継承した「片原饅頭志満屋本店」の事例は老舗復活の秘策となるか?

日本全国、いろんな地域に、いろんな名物があり、人びとに愛され続けているお店があります。

しかし、老舗と呼ばれるお店であっても、店主の高齢化や後継者不在の問題は避けることができず、惜しまれながらも閉店してしまうことはあります。

これは宿命とも言えることなので、どうすることもできません。

と、誰もが思っているのですが、いま、ひと筋の光が見えてきました。

「事業継承」への取り組みです。

支援団体が各地に設立され、意欲ある人と会社・お店の仲介を行っています。

非常に有意義な活動なのですが、ある程度の規模がある中小企業が中心であって、個人商店の参加は皆無だと言っても良いでしょう。

「閉店させるのは寂しいけど、わざわざ継いでもらうほどの店ではない」と考える店主が多いからです。

しかし、地域の人びとにとっては、財産と言っても良いお店であり、できることなら、存続して欲しいと願っています。

そんな寂しい状況を解決する手法の事例が現れました。

群馬県前橋市。1832年創業の和菓子店「片原饅頭志満屋本店」。

イースト菌を使わず、温度管理に手間が掛かる、生きた菌「米麹」を使った酒種饅頭「片原饅頭」を製造・販売していました。

しかし、長年地域の人に愛されてきましたが、1996年、164年続いた歴史に幕を下ろしました。

過酷な労働や職人の高齢化により、事業継承が困難となり、やむなく閉店することとなったのです。

ところが数年後、片原饅頭をぜひ復活させたいと名乗り出た人がおり、元職人頭の助けを借りて、饅頭の製造・販売を開始しました。

ただし、当初は片原饅頭を名乗らず、「ふくまんじゅう」という名で販売しました、

これは、誰もが知る昔の味になっていない、という思いがあったからです。

そこから研究を重ね、2010年、復活できたことを確信し、「片原饅頭復元」と名づけ、販売を開始しました。

地元の人も喜び、これからも食べられると安心しました。

しかし、またもや2020年、閉店を余儀なくされたのです。