市川猿之助は入院先で「死にたい!」と錯乱も…残る“証拠隠滅”の謎

6月27日、歌舞伎役者の市川猿之助(本名、喜熨斗孝彦=きのし・たかひこ)容疑者(47)が、母親への自殺ほう助の疑いで逮捕されました。事件の謎はいまだに多く、父・市川段四郎さんの死亡に関して、何かしらの容疑で再逮捕の可能性を報じるメディアもあります。芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんは、“憑依型”の役者だった猿之助容疑者の才能を惜しみつつ、今後、警察がどこまで真実に迫る事ができるのかを注視しています。

週刊誌が“再逮捕”の可能性を報じる

ドラマファン…特に“役者・市川猿之助”ファンにとっては何とも悲しいニュースが飛び込んできました。

実母に対する自殺ほう助容疑で逮捕された市川猿之助こと喜熨斗孝彦容疑者が出演した『鎌倉殿の13人』他8作品を、『NHKオンデマンド』が7月1日23時59分で終了すると発表したのです。

どんな理由があれ、実母を手に掛けるという行為は許されるものではないでしょう。

そんな犯罪者の顔は見たくない…という気持ちも十分理解できますが、個人的に私は何とも複雑な心境です。

『鎌倉殿~』の、行動力はあるものの乱暴者で無学な謎の怪僧・文覚ともう永久的に会えないのか…と思うと、胸の中から何か甘酸っぱいものが込み上げてきます。

毎週欠かさず観ていた名作が、記憶からフェードアウトしてしまうのは本当に残念でなりません。

もしかしたらNHKも、ファンミーティングであんなに盛り上がった作品ですから、続編とかSPとかの構想も考えていたのかもしれません…皮肉にも配信停止を予想して注文が殺到していたといわれるDVD・Blu-rayも、今は再入荷の見込みが立っていないといいます。

『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』(テレビ朝日/東宝)には総理大臣役で出演していた猿之助ですが、こちらは代役で撮り直すことが決まっているものの、“猿之助の代役”に役者が決まらず、総理大臣を女性にしたり、脚本自体を書き直して取り直すプランも出ているそうです。

しかし取り直すとすれば、主演の天海祐希他のスケジュールも押さえなければいけなくなるわけですから、ほぼほぼお蔵入りゾーンに突入しているような状態でしょうね。

他にも『テレビ東京』は出演部分をカットした『カンブリア宮殿』を『テレ東BIZ』で配信する事にしたり、『TBS』では『半沢直樹』の配信を停止か継続か検討中だといいます。

“作品に罪はない”とか“有料配信なら観たいと思う人が観るだけ。それを提供する側が停止してしまうのは違うと思う”等の意見も多々聞かれますが、いずれにせよ猿之助出演作品に関わった全ての関係者は今、てんてこ舞い状態でしょう。

さて、喜熨斗容疑者の逮捕を受けて『女性セブン』と『FRIDAY』は立て続けに“再逮捕”の可能性を報じています。

 

取り調べで、両親の死因に繋がる薬物やビニール袋、コップまでを秘密裏に処分していたことが判明した喜熨斗容疑者。

家族会議で自分が後始末をすることになったと話しているそうですが、何故自宅ではなく“自宅近くのごみ集積所”に持って行く必要があったのか…。

御両親が亡くなってしまった今、御両親が遺した文章や映像が見つからない限り“死人に口なし”です。

そこまでして何かを隠したいのかはわかりませんが、猿之助が一流の歌舞伎役者であり、一流の演者だったことは紛れもない事実です。

“憑依型”の役者であることは前出した、観ている側に鳥肌さえ立たすような芝居を見れば一目瞭然ですし、もしかしたら取調室にいる“役者・市川猿之助”を、“喜熨斗孝彦容疑者”がどこからか傍観しているような感覚さえ持っているかもしれません。

“殺人容疑をかけられている良家の子息”を演じている猿之助を楽しんで見ている喜熨斗容疑者が…。

 

サッカーでボールコントロールの巧みさよりも必要な才能は何か?

足でボールを扱うため「ミスのスポーツ」とも言われるサッカー。それだけにトラップ、ドリブル、リフティングなどのボールコントロールが上手い選手は才能があると称賛されます。しかし、その才能だけでサッカー選手として成功するとは限らないと考えるのは、サッカーの悩みを改善する動画(谷田部真之助.net)で活躍するサッカー家庭教師の谷田部さんです。今回のメルマガ『サッカー家庭教師:谷田部のブログでは書けない話』では、客観視や継続など、輝く才能を身に付け磨くための前提となる「才能」の大切さを伝えています。

サッカーで「才能が無い」とはどういうことなのか?

谷田部です。サッカーの才能が無い。いうのは簡単ですが、果たしてサッカーの才能とはどういったものなのか。才能あふれる。天才少年。という言葉もSNSなどやテレビというメディア内でも数多く見ます。

はたして、そうした才能の見極めはできるのか?否か。今日はそうした「才能」について書いていこうと思います。

ボールタッチが上手い。は才能か?

サッカーにおいて、才能というのはボールタッチが上手い。リフティングが上手い。ドリブルが上手い。という子に賞賛として浴びせられているように思います。特に低学年や小さいうちは、このような基準が顕著に見られます。とは言っても結局は素人的な判断が非常に多いのですが…。

確かにボールコントロールというのも才能の一つです。それでもそれだけでサッカーの才能がある。とは言えないのが難しいところです。下手すればボールコントロールやリフティングが上手い。を極めるとフリースタイルというリフティングの芸を披露するパフォーマンス集団的な方が向いていることもあるからです。

そしてはっきり言います。ゴールデンエイジとかガン無視でOKです。大人になってもボールタッチはいくらでも上手くなりますw

客観的に自分を見ることができる

サッカーを続ける限り、上記したボールタッチ系もそうですが、バランス感覚。ということが必須です。客観的にサッカーという競技と自分自身を見て何が秀でていて何が足りないのか?客観的に見た上で分析し、戦略を練っていく。このような能力も才能の一つだと思います。

これは習慣化とテクニックで補えるものと考えられます。ただ、当たり前に上手。と言われる子はこうしたことを自然と行なっています。

正しく自分の限界を超えていく

これも客観的に見た上での一つになると思いますが、正しく、自分の限界を越える。要するにきついことも受け入れて乗り越えていくこと。

ちょうど良い、居心地の良い環境に甘んじない。ということ。これを自分自身に課す。というのは大人でも難しいことです。日々を修行の一環と置き換えて自分自身の限界を薄皮一枚超えていくこと。これを継続していけること。習慣化を作り上げること。これも才能の一つと言えます。

とにかく継続

とにかく、しぶとく諦めることなく、繰り返し繰り返し正しく反復すること。これもできない時にはとても辛い時間が続きます。人間、自分ができない時を直視することほどつらいことはありません。

しかし、これを我慢強く続けることができるか。続ける習慣を上手に作る。環境を作る。正しく努力を継続できることも必要な才能。だと思います。

谷田部の考える「サッカーの才能がある」について

上記した才能の部分はいわばあるのは前提でのお話ですが──
(『サッカー家庭教師:谷田部のブログでは書けない話』2023年6月14日号より一部抜粋。続きはご登録の上、2023年6月のバックナンバーをお求めください)

この記事の著者・谷田部真之助さんのメルマガ

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美しいビブラフォンの調べに酔いしれて。あなたは幻の作曲家・平岡精二を知っているか?

貴方は、作曲家・平岡精二(ひらおか・せいじ)の名前をご存知だろうか?聞いたことがない人でも、彼の作曲した音楽を聴けばピンとくるに違いない。なぜなら、彼が遺した音楽は今も多くの人の記憶に刻まれているものばかりだからだ。まずは、この曲をお聴きいただこう。

2017年に亡くなった、あの「ドレミの歌」の作詞ならびに歌唱者でおなじみの歌手・ペギー葉山による「学生時代」である。今もCMなどに使用されているので、ご存じの方も多いはずだ。この曲の作詞・作曲を担当したのが、作曲家でビブラフォン奏者の平岡精二(1931-1990)である。

一方、ジャズのビブラフォン奏者としての平岡は、こちらの動画を聴けば理解できるのではないだろうか。

しかし、私たちは「平岡精二」という名前を今までほとんど目にしたことがない。そんな平岡の作品を2枚組のCDにまとめた初の作品集が今年春に発売された。今までベールに包まれていた天才作曲家の偉業が、初めて一つのCDパッケージにまとめられたことになる。

では、今まであまり語られることのなかった作曲家・平岡精二とは一体どんな人物だったのだろうか? その謎を解くには、まず彼の生い立ちを紐解かねばならない。それは、山あり谷ありの人生を送った音楽家の「波乱万丈」の物語であった。

 天才作曲家の波乱万丈人生

ここで平岡の生い立ちをご紹介しよう。平岡精二は1931年8月13日、東京・麻布生まれ。徳川家の家臣に遡ると言われる名家に生まれた彼は、幼いときから父にピアノの手ほどきを受け、世界的な木琴奏者の叔父・平岡養一には木琴を、和声学を池内友次郎に師事している。13歳でNHKからクラシック木琴独奏者としてデビュー。しかし、叔父からクラシックよりもジャズの才能があると見込まれて背中を押され、方向転換する。

戦後、青山学院高等部在学中に浜口庫之助、犬丸一郎、益田貞信らとハワイアン・バンド「村上一徳とサーフライダース(のちのスウィング・サーフライダース)」に参加し、プロ入りを果たした。大学卒業後、1956年には自己のカルテットを結成。のちに宮川泰らとともにクインテットに改編し人気を得た。

1960年には東芝と専属契約を結び、メンバーを入れ替えて、帝国ホテルのディナー・ルームに腰を落ち着けて、洗練された純度の高いディナー・ミュージックに打ち込むようになる。

その後もメンバーの変動を繰り返し、規模の拡大・縮小を重ねながらジャズ・ヴィブラフォンの第一人者として人気を博すようになる。また、歌謡曲の作詩・作曲にも才能を発揮し、旗照夫「あいつ」、ペギー葉山「学生時代」「爪」などのヒット曲を発表。母校である青山学院大学校歌も手掛けている。1965年5月からはフジテレビの朝のワイド番組「小川宏ショー」の専属バンドとしてお茶の間に登場し、5年間のレギュラーを果たした。

しかし1970年の秋に突然バンドを解散、自身の会社「平岡プロダクション」も閉鎖して単身ハワイへと渡った。現地のホテルでバンドに加わり演奏を続けていたが、体の不調により、翌年4月には帰国。このとき平岡は、不眠解消のために酒量が増え、アルコール依存症で手が震えるほどの状態だったという。その彼を支えたのが、ハワイで再会した幼馴染の女性であり、帰国後に2人は結婚。しかし1年後に離婚し、その頃から平岡は不安神経症という奇病に罹って「再起不能」とまで言われ、完全に表舞台から姿を消した。

ところが1976年、銀座ヤマハホールで開催されたリサイタル「平岡精二リサイタル’76/まだやってます41才!」で奇蹟のカムバックを果たし、以降、創作・演奏活動に復帰。1981年には自作自演アルバム『平岡精二より愛をこめて』を制作・発表した(演奏:平岡精二クインテットとフレッシュ・ノーブル)。

1990年3月22日に永眠、享年58歳。音楽に生き、しかし音楽を辞め、そして再び音楽に返り咲く、「還暦」にも届かなかった太くて短い波乱万丈の人生だった。 (参考文献:ビクター・トレジャー・アーカイヴス『平岡精二ビクター・イヤーズ』ライナーノーツより)

在宅看護のプロフェッショナルが伝えたい「自主逝」のすすめ

日本で初めて訪問看護専門の組織を作った看護師・村松静子さん。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな村松さんインタビュー記事の一部を紹介しています。彼女の言葉から学ぶ幸せな最期を迎えるヒントとは?

一人ひとりが自分自身で人生を選択する時代へ ~「自主逝」のすすめ~

日本で初めて看護師として「独立開業」を果たし、在宅看護という道なき道を切り開いてきた村松静子さん(在宅看護研究センターLLP代表)。

これまで数千人に上る依頼者の生と死に向き合い続ける中で、2011年にフローレンス・ナイチンゲール記章を受章されました。村松さんのお話に、幸せな最期を迎えるヒントを学びます。

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2011年には、よりよい在宅看護を求めて認定協会を立ち上げ、「メッセンジャーナース」の取り組みも始めました。

自分の意思が周囲にうまく伝わらない患者さんの代わりに、医師やケアマネジャー、在宅医などと連携し、ご本人の希望を叶えるために動くのがメッセンジャーナースです。

この活動は、いまでは36都道府県に広がり、約130名のメッセンジャーナースが患者さんと医療関係者の懸け橋となっています。

そして、これまでの在宅看護の体験から浮かんできたのが「自主逝(じしゅせい)」という言葉です。

これは私の造語ですが、誰かの指示ではなく自分の意思で死と向き合い、最期まで自分で行動しながら逝くことを意味しています。

人は皆「死」というものに直面した時、それまで経験したことのないやり切れなさや孤独感を味わい、感情のコントロールができなくなります。

しかし最期に辿り着く答えは共通しています。「せめて最期は私らしく逝きたい」ということです。

ただ、自分の希望を叶えて逝くことができる人は、ほんの僅かなのがいまの日本の現実です。

確かに医学は進歩しましたが、命を引き延ばすだけで、かえって本人や家族の苦しみを募らせてしまうことがあります。

「最期は家で」と願っていたのに、治療効果を期待してその時期を逃してしまうこともあります。それを当たり前として受け入れてしまっては、決して自分らしい逝き方はできません。

この21世紀は、誰かに従ったり、管理されて生きるのではなく、一人ひとりが自分自身で人生を選択し、楽しみ、努力し、死とも向き合い、最期まで自分らしく生きていく時代なのではないでしょうか。

ですから、最期を迎える時に自分はどのような場所で逝きたいのか、誰に傍にいてほしいのか、元気なうちからイメージし、家族ともしっかり話し合っていてほしいのです。

人生の最期まで自分らしく生きられるかどうかは、病気の種類や程度ではなく、その人の意思次第なのです。

※ 本記事は『致知』2019年12月号 特集「精進する」より一部を抜粋・編集したものです

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なぜ、メシをチンタラ食べる人間は「大事な場面」で役に立たないのか

仕事や動きの遅い人に対して「マイペースな人」と指摘する例がありますが、「マイペース」の意味はその名の通り「自分のペース」ということ。では、その自分のペースをどれくらいの速度にしていくべきか?今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょうおんさんは、ハイスピードマイペースを目指すべきと、速いペースで動く大切さを語ります。

ハイスピードマイペースを目指す

マイペースという単語には、なぜだか「他の人よりも遅い」というイメージがありますよね。

「あの人、いつもマイペースだから」というセリフには、他の人よりも時間が掛かるとか、ゆっくりやっているというニュアンスが含まれるじゃないですか。

本来、マイペースとは「私にとっての巡航速度」という意味しかないんですよ。どこにも遅いとか、ゆっくりという意味はありません。それがいつの間にかノロノロやっていることの意味になってしまったんですね。

逆のパターンもあって、自分はとっととサクサク進めたいのに、周りの人間の動きが遅いから、そちらに合わせてしまうということもありますよね。私は喋りも早口なんですが、手を動かす速度もかなり速くて、同じような作業を複数の人間とやったら、私が一番早く終わることが多いんですよ。

そんな人間にとって、周りに合わせてゆっくりやらなきゃならないという状態はかなり苦痛です。

で、我々はどちらの方向を目指すべきなのかというと、これはもう

● 他の人よりも速いペースで動く

方なんですよ。極力巡航速度を高めていく、むしろ自分の極限の巡航速度がどれくらいなのか、それをどうやったら速めることができるのかを考えるべきなんです

例えば、メシを食うのでも、仕事が出来る人ってメチャメチャ早食いの人が多いんですよ。これが高級フレンチのような時間を使って楽しむ場合は別ですよ。だから私は「食事」と書かずに「メシ」って書いたんですからね。

仕事の合間に食べるメシをチンタラ時間を掛けて食べている人で、仕事がキレている人に会ったことはありません。5人で一緒に食べに行って、4人が食べ終わって、お茶も飲み終わっているのに、まだトロトロ食べている人がいたりするんですよ。

私はこういう人については、大事な場面で起用しない、ちょっとヤバめの人リストに追加しますね。なぜならば、大事な場面って、速度が要求されることが多いからです。急に手直しをしなきゃならなくなるとか、土壇場で変更が入ったとか、最後まで仕様が煮詰まらず、その結果手を動かせる時間がメチャメチャ短くなってしまった、なんてことが当たり前のように起こるんです。

その時に、

■ 私はこのペースでないとパフォーマンスを出せませんから

なんて言う人がいたら良い迷惑になるわけですよ。

そういう時こそ、その人の巡航速度の速さが効いてくるわけです。そして仕事が出来る人って、そういう時にしっかり状況にアジャストできる余力を持っているんです。

そのような人になるために、普段からあらゆることの巡航速度を高める、たとえメシを食う、トイレに行くみたいなことでも、スピードを上げることを考える、同じ作業でもどうしたらより早く完了させられるのかを考える、そういう人であるべきなんです。

巡航速度というのは、最高速度とは違うのです。中古の軽自動車でも高速道路で、ベンツと同じように時速100キロで走れるわけです。でも余裕とか疲れ方は全然違うんです。それはベンツが150キロとか200キロの巡航速度でも耐えられるように作られているからなんです。

最高速度は一瞬の話で、これはその時の根性とか、環境で乗り切れることもあるんです。ところが巡航速度はその人の持つ実力そのものなので、簡単には上がらないんです。だから日頃からこれを意識しておく必要があるんです。

 

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都心にネズミが大量発生は「地震の前兆」の可能性も?首都直下大地震は近いのか

28日、産経新聞が「東京の繁華街でネズミの大群相次ぐ コロナ明けと相関」という記事を報じました。都心の繁華街で、ゴミ置き場にてネズミの大群の目撃が相次ぎ、SNSに動画が投稿されているとしています。コロナ禍が一段落して飲食店などに活気が戻ってきたこととの関連性を指摘する声が上がっているという記事でしたが、「ある懸念」を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。それは「地震発生の前兆」です。古来より、大きな地震の発生前には動物たちの動きに変化があらわれると言われていることはご存知の通り。例えば、古くから言い伝えられているのが「水槽のナマズが騒ぐ」「カラスの鳴き声がいつもより多い」「ネズミが大移動する」といったもの。一体、東京都心の周辺で何が起きているのでしょうか?

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地震発生の前兆「宏観異常現象」とは何か?

地震の発生前に「前兆」とも言える現象が起こることを「宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)」(大きな地震の前触れとして発生ないし知覚されうると言われている、生物的、地質的、物理的異常現象とされるもの)と言います。

こうした動植物の異変と地震を結びつける言い伝えや俗信は日本全国にあり、実際に研究をおこなっている大学や研究機関も少なくありません。

「ナマズが騒ぐと地震が起きる」の由来

日本ではナマズと地震の関係が古くから注目されています。日本中で言い伝えられている俗信や迷信などを集めた鈴木棠三・著『日本俗信辞典 動・植物編』(1982、角川書店)を紐解くと、「鯰(なまず)」の項に、以下のような記述がありました。以下にある安政二年の地震とは、「安政江戸地震」と呼ばれる1855年10月2日(現在の11月11日)発生の江戸直下を震源とするM7クラスの巨大地震のことです。

『安政見聞誌』の上巻に、安政二年の江戸の大地震の際、ナマズの騒ぐのを見て地震の来るを知り、難をのがれた男の話が見えている。一説に、ナマズは地震前の地電流に敏感に反応し騒ぐのではないかといわれる。ナマズが多くとれる時は地震ありと、ひげにあぶくの生ずる時は地震近し、ともいう。

やはり江戸の時代から「ナマズが騒ぐと地震が近い」という俗信が信じられていたようです。江戸時代には大ナマズが地下で暴れることで大地震を起こすという民間信仰があり、安政の地震以降にナマズが大暴れする様子を描いた「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれる多色刷りの浮世絵が多く残されました。地震だけでなく、当時の世相を皮肉ったものや、幕府への不満なども込められているため江戸幕府が禁止したという過去もあります。

現在でも、公共機関などが地震に関するパンフレットなどを作成する際に「ナマズ」のイラストをあしらっていることがよくあります。日本国内では今も昔も「ナマズ」が地震前兆のシンボルになっているというわけですが、ここに出てくる聞き慣れない『安政見聞誌』(あんせいけんもんし)とは何の書物でしょうか。国立公文書館のHPによると以下のような解説が出ています。

文明開化の世相を描いた『安愚楽鍋(あぐらなべ)』などの著者として知られる仮名垣魯文(かながきろぶん)(1829―94)が著した安政江戸地震のルポルタージュ。震災の年に脱稿し、安政年間に刊行されました。全3冊。絵師は歌川国芳(うたがわくによし)ほか。内容は『安政見聞録』よりはるかに豊かで、江戸各地の被害状況はもとより、新吉原で穴蔵に避難した遊女が全員焼死した話や地震の前兆(鯰(なまず)の異変、磁石が磁気を失ったこと)など、災害時の心得や地震予知に関する貴重な情報が記載されています。

江戸時代の安政3年に発生した地震にも、当時の被害状況などを記録するルポルタージュが出版されていたことに驚きました。さて、この『安政見聞誌』ですが、上記を見ればナマズ以外にも重要な「宏観異常現象」に関する記述があることが分かります。「磁石が磁気を失った」という部分です。

広末涼子をオトした男・鳥羽周作を仕事と人生に行き詰まった30代男たちが崇拝するワケ

泥沼化する女優・広末涼子(42)の不倫騒動でもっとも被害を被ったのは、広末の不倫相手であるフレンチレストラン「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)かもしれない。騒動以前、“料理界の革命児”とも称された鳥羽氏は多くの企業や自治体とコラボする超売れっ子。NHK「きょうの料理」に出演したことで知名度も獲得し、地元・埼玉県戸田市の「PR大使」に就任するといった料理人の枠を超えた活躍も見せていた。ところが、28日の『文春オンライン』では、騒動により「仕事もお金もほぼなくなった」と激白。また先ほど、自身のTwitterで「sio株式会社」の社長退任を発表した。不倫を認めた後の謝罪文に「ゼロから料理に向き合いたい」としたが、過去の“豚肉を切った包丁を洗わずに野菜を切る”動画(現在は削除)が炎上し、シェフとしての道も「前途多難」だと話す関係者もいる。広末の夫、キャンドル・ジュン氏が会見で、鳥羽氏の「不誠実な対応」を暴露したのも起因し、完全に世間の嫌われ者になってしまった形だ。

シンプルに「すげぇ男」鳥羽周作

だが、そんな鳥羽氏は“崇拝”する声もある。都内のIT企業に勤務する30歳の男性はこう言う。

「最初、文春に載っていた広末さんとの2ショットを見たときから、鳥羽さんが気になる存在でした。一体なぜ、こんな熊みたいな人が広末さんと不倫できるんだろう?と不思議だったんです」

多くのメディアにも出演していた鳥羽氏だが、この男性は報道されるまで存在を知らなかったらしい。それもあり、かなりの衝撃を受けたのだ。

「気になって色々と調べたら、Jリーグの練習生で小学校の先生をして、32歳で料理に道に……とあって、シンプルに〈すげぇな〉って思ったんです。自分は新卒からずっと同じ会社にいますけど、正直仕事に飽きてます。でも、〈もう30歳だし我慢するしかない〉と年齢を理由に他の道を模索してこなかった。鳥羽さんの存在を知って、後2年後からスタートしてもその世界で一流の人間になれる可能性もあるんだなと勇気が湧きました」

もう一度、シェフとしてやり直してもらいたい

鳥羽氏への“思い”を熱く語る男性は「もう一度、シェフとして頑張ってほしい」と続ける。

「こんな時代だから、メディアとかに出るのは難しいのかもしれません。そして、社長も辞めてこれから本当に厳しい道になる、ということは第三者が見てもわかりますが、シェフとしてもう一度やり直してもらいたい。後、更新が止まっているYouTubeも再スタートしてほしいですね。地道に地道に、頑張ってほしいと心から思います。〈あなたを応援している人もいる〉と伝えたいです」

旅のお供になる小さめの時刻表。鉄道好きが2社を比較した結果

鉄道好きの間では重宝するB6判時刻表。旅のおともにもってこいのサイズなのですが、現在はJTBと交通新聞社から発行されています。今回の鉄道・軌道系無料メルマガ『Magazine de Station』では、著者のM.Gさんが、 その2社の時刻表を比較しています。

B6判時刻表のちょっとした考察

「青春18きっぷ」の旅に欠かせないのが「冊子の時刻表」です。

スマホと違って(ものが紙である以上当たり前だといえば当たり前なのですが)「バッテリー上がり」を起こさない、という点もありますが、「列車の前後関係を調べられる」というのもあります。

例えば東海道線で「熱海発島田行き列車から乗り継ぐ豊橋行き列車が興津発だった」というケースの場合、ウェブの乗り継ぎ検索だと「島田駅までそのまま行ってしまって興津から来る豊橋行きを待つ」というような結果が出ることがあり得ます。

この点冊子だと「乗り継ぐ列車は興津発か…それなら島田駅で乗り換えるより興津駅で乗り換えた方が座れるかもしれない」とわかりますからね。

ところで冊子の時刻表で形態に適したB6判サイズの時刻表が交通新聞社・JTBパブリッシングともども出ています。

交通新聞社のは月刊の「コンパス時刻表」、JTBパブリッシングのは季刊の「JTB小さな時刻表」がそれなのですが、両方見比べたから言えることとしては

1.「コンパス~」の方が比較的字が大きい

「JTB小さな~」の方は月刊の(B5判・つまり少年ジャンプなどとほぼ同じ大きさの)「JTB時刻表」を縮小コピーしたんじゃないかと思えるくらい字が小さいんですね。

2.「JTB小さな~」の方が「コンパス~」に比べて(一番奥の方にある)「私鉄やJRバス、観光地の路線」などが充実している

「コンパス~」だと私鉄に関しては「有料特急の情報」しか出てませんので、どちらかというと「JRの路線と『国鉄及びJRから第三セクターになった路線』のみで充分だという人向き」ではないかということは否めませんね。

なお嘗ては「コンパス~」と同じ交通新聞社からB6変型判の「小型全国時刻表」が出ていましたが2021年8月号を以て休刊となりました。

では、この辺で(^^)/~~~

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サーカスを大人向けにした『シルク・ドゥ・ソレイユ』成功の戦略

日本でも来日するたびに話題となるシルク・ドゥ・ソレイユ。老若男女問わず魅了するその理由はどこにあるのでしょうか。Google、マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員などを経て、現在はIT批評家として活躍されているメルマガ『尾原のアフターデジタル時代の成長論』の著者・尾原和啓さんは今回、ビジネス的にシルク・ドゥ・ソレイユを分析し、自分の感覚を持ち続けることの重要さを語っています。

シルク・ドゥ・ソレイユが人を魅了する3つのステップと日常で持ち続ける4つの習慣

人はなぜサーカスに魅せられるのか。「人がクリエイティブでいられる3つの刺激と4つの習慣」という話をしたいと思います。

尾原、年末年始はラスベガスの「CES(世界最大のテックショー)」での取材と、日経さん主催の講演がありました。そのあと日本に入って、年始にいろいろな新しい仕込みをして、昨日シンガポールに戻ってまいりました。

僕はシンガポールにいて家族は日本にいるので、海外旅行で現地集合という、ちょっと不思議なタイプの家族旅行をしました。家族でラスベガスに集合できたのは、6年ぶりかな?ラスベガスといえばナイトショーが非常に有名です。新作もいろいろ出ているので、「どこに一緒に行くかなぁ?」というので西野さんとかにも相談したんですけど、何のかんの言ってシルク・ドゥ・ソレイユの『O(オー)』を見に行ってきました。

やっぱりよかったなぁと。「人を魅了するサーカスの中で、僕は何を見つけていくのかな?」ということで、原体験を深掘りしたのでご紹介します。

シルク・ドゥ・ソレイユ『O(オー)』

そもそもシルク・ドゥ・ソレイユは、「サーカスを大人向けに再開発してみるとどうなるんだろう?」というので始まったもので、『O』はシンクロナイズドスイミングの各国のチャンピオンなど、プロのアスリートの方が出演しています。

『O』はぜひ見ていただきたいんですけど、ある時は舞台がプールになって、8メートルくらいの高さからの高飛び込みがあったり、舞台から地上が生まれ、そこでアクロバティックなことをしたり。そんな変幻自在の舞台の中ですばらしいのが、サーカスとしてのメインアクトの裏側に「ストーリーテリングとしてのキャラクター」が動いていて、舞台装置としても、アスリートの方々が踊りや何かをし続けていることです。

立体的にすべての空間の中に、統一性がある。何かは常に動き続けているんだけど、それぞれに何らかのリンクがあることで、僕らの心に差し迫ってくるものがある。『O』は僕自身も5回くらい見ていますし、西野さんも、「本当に何度見ても総合芸術としてすごい」という話をしていました。

この記事の著者・尾原和啓さんのメルマガ