アニメ「一休さん」から謎を解く。昔は違っていた「母」の発音

古代、日本人は文字を持っていませんでした。そのため、大昔の日本列島に住んでいた祖先たちがどんな言葉を話していたのか確かなことはわかりません。しかし、それ故に想像する楽しさもあると言えるのかもしれません。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、室町時代の「なぞなぞ」の答えが、現代の発音とは矛盾することから、日本語のハ行音の変化の過程について、さまざまな角度から検証し、興味深い考察を重ねています。

『P』のこと

子供の頃、アニメの『一休さん』でこんななぞなぞが出て来た。「爺(じじ)は一度も会わず、婆(ばば)は二度会うものなーんだ」。答えは「唇」である。「zizi」の発音では一度も合わない唇が「baba」では「b」の発音をする時に二度合う。子供ながらに「これは良問だ」と思い、大人になるまでずっと記憶していた。

しかし、この問題はパロディであった。大学の時に『後奈良院御撰何曾(ごならいんごせんなぞ)』(1516年)の存在を知った時に分かったのである。この謎解きばかりを集めた室町時代の資料には「母には二度会ひたれど、父には一度も会はず」という謎があり、その答えとして「くちびる」というのが併せて書かれている。

現代の我々からしてみれば「haha」と発音しようが「chichi」と発音しようが、唇が合わないことに変わりはない訳だから、この謎は解けない。しかし、室町時代にまで遡れば「ハ」の音は両唇が合うことで発せられるものであったことをこの謎解きは示している。因みに、両唇が合う子音としては[p][b][Φ](=フの子音)[m]などがある。

ほぼ同時代の資料であるキリシタン版の『平家物語』は『Feiqe no monogatari(平家の物語)』とタイトルされているから、当時のハ行の音はヨーロッパ人には[f]に近い音として聞こえていた筈である。つまり、ハ行音は[Φ]の音であり「ハハ」は「ΦaΦa」と二度唇を合わせることで発音されていたであろうことがわかるのである。

では、この両唇摩擦音[Φ]はどこまで遡れるのであろうか。ここで一気に奈良時代、即ち『古事記』『日本書紀』『万葉集』の頃まで戻ってみることにする。一部の金石文を除けば、この『記紀万葉』こそが最古の日本語資料と言ってもいい。逆に言えば、ここが日本語を体系的に捉えられる遡上限界である。この時代のハ行音はどうだったのだろうか。

軍事アナリストが苦言。重くて使いにくい『防衛白書』の意味不明

防衛省や自衛隊のあり方について、さまざまな角度から提言を行ない、気になることがあれば歯に衣着せずにズバリ進言する軍事アナリストの小川和久さん。主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で今回苦言の対象となったのは、令和2年版の『防衛白書』。しかも、その内容に関してではなく、紙質や判型、文字の大きさといった書籍、冊子としての使い勝手の悪さについて鋭く批評しています。

ソ連のノルマ制を想起させる重たい防衛白書

今年も『令和2年版 防衛白書 日本の防衛』(写真右)が届きました。

news-10

毎年、防衛省が送ってくれるもので、以前は白書の担当者からヒアリングを受けていた時期もあります。そんなことで、私としてはおろそかにできない防衛白書ですが、それにしても重い! 上質紙を使ったA4判(縦297ミリ、横210ミリ)で、これは写真集や美術書に使われるサイズです。厚さは17ミリもあり、実に597ページという重厚長大な書籍に仕上がっています。

私が両足首につけている鉛のアンクルウエイト(片側1キログラム)と比べても、1キロを優に超えているでしょう。まさか、防弾板にも使えるようにしたというのではないでしょうね(笑)。

そこで、防衛省・自衛隊への国民の信頼がさらに増すことを願う立場から、ちょっと苦言を。何のために、これほど重くするのか。重いうえにソフトカバーなので、使いにくいことこのうえない。しかも読みにくい。フォントの大きさなどを適切なものにし、読者の目に入りやすくする工夫が足りません。

兵器などの写真こそ多いものの、見てくれの良さだけを、それも自己満足的に追い求めているとしか感じられません。外国に向けて虚勢を張ろうというのでしょうか。それとも、他省庁に対して?この重さのことを考えていたら、旧ソ連が崩壊した原因についての小話が頭に浮かびました。

ソ連のオフィスにあるスチール製のデスクは、大人4人でなければ運ぶことができないほど重い。それは、ソ連の労働を律してきたノルマ制が重量を基準にしているからだ。重いデスクを作れば、1人で持ち上げられる重さのデスクの4倍のノルマを達成したことになる。自然、ソ連中が重量物だらけになる。

わが日本国の防衛白書に限って、そんな馬鹿なことはないと思いますが、読者、つまり国民の立場から編集する必要があることは間違いありません。北朝鮮が弾道ミサイル・テポドン1号を発射した翌年、平成11(1999)年版の防衛白書はA5判(写真下、縦210ミリ、横148ミリ)。496頁の学術書のサイズです。それが平成12年版あたりから大判になり、めくりにくくなりました。

news-11

表紙もセンスが疑われることが少なくありません。人気の書道家に毛筆で『日本の防衛』と書かせてみたり、写真を下敷きにしたデザインに変えたり、ふらふらして一貫性がありません。

ちなみに、手許にあった米国の1985会計年度の『国防報告』(写真下)はキャスパー・ワインバーガー国防長官の時のものですが、濃紺に金文字、国防総省の紋章をあしらったスマートなデザインです。しかも、上質紙を使わず、写真も使っていないので、とても軽い。まだ手書きだった時代のこと、扱いやすくて原稿を書くときに重宝したのを思い出します。

news-12

別に米国と張り合う必要はないのですが、同じ税金の使い道なら、もう少し国民を意識した編集(デザインを含めた)にしてもらいたいと思います。

私が質問したかぎりでは、防衛白書の存在を知っている大学生はゼロ。もちろん、開いたこともありません。官僚を輩出している東大法学部、ジャーナリスト志望者が多い早稲田大学あたりでも、非常に限られた数の学生しか、防衛白書を知らないと思います。こんなところにも、日本の安全保障面の課題、つまり国民との親和性の問題がのぞいているのです。(小川和久)

image by: Shutterstock.com

貰った相手がまた店に足を運びたくなるサンキューレターの書き方

ショッピングした店から届くサンキューレターに「気の利いたメッセージ」が添えられていたら、思わずまた足を運びたくなるものですよね。しかし…、逆もまた然り。「二度目はないかな~」と思わせてしまうようなレターにしてしまっては元も子もありません。今回の無料メルマガ『販売力向上講座メールマガジン』では接客販売コンサルタント&トレーナーの坂本りゅういちさんが、サンキューレターを書く際の重要なポイントを紹介しています。

サンキューレターはどう書く?

そういえば先日、あるお店からサンキューレターをもらいました。サンクスレターとか、サンキューDMとか色々呼び方はあると思いますが、要は、お礼状のことですね。購入してくれたお客様に、メッセージを送り、次の来店につなげようというアレです。その店はアパレルショップでしたが、久しくもらっていなかったような、すごく丁寧な内容のレターで、思わず読み込んでしまいました。

さて、皆さんのお店ではサンキューレターを出すことはありますでしょうか?店や会社によって全く考え方が異なることでもありますので、使う・使わないの議論は今回は避けておきますが、サンキューレターの書き方について、改めて考えてみたいと思います。

私も今までに何度となく書いてきましたが、サンキューレターを書く際に絶対に外せないポイントは、やはりパーソナルな情報ではないでしょうか。

例えば、購入してくれたお客様に対して、「お買い上げいただいた〇〇がよくお似合いでしたので~」のように、そのお客様が買ってくれたものや、話題に上がったようなことを入れ込むことで、形式的ではない、そのお客様のためだけのメッセージになります。ですから、パーソナルな情報が入っているかどうかは、とても大事なポイントです。

しかしここで、1つ考えておくべきことがあります。それは、本当にお客様が望んでいるニーズに合致した内容かどうかということです。

先日レターを送ってくれた方の文面には、こういう内容が書いてありました。そこではスーツを購入したのですが、「〇〇のスーツは明るいお色味ですので、これからの時期にも使いやすいと思います」といった内容とは別に、「また坂本様にご紹介したい新作のスーツが入荷しておりますので、ぜひご来店ください」的なことが書いてあったのです。

確かにスーツは買っているので、決しておかしな文章ではありません。ただ気になるのは、私がスーツを着ることが滅多にないということです。実は接客を受けている中で、

  • スーツを着ることはほとんどない
  • 普段はジャケパンが多い
  • 今回はたまたま必要になったのでスーツを探している

ということに関しては、話をしていました。販売員の方も、その旨は理解してくれていて接客が進んでいたように記憶しているのですが、そうであるならば、レターの文面には、「普段はスーツを着る機会がないということでしたが」といった前置きや、「普段にも使いやすいジャケットが入荷」のような文章があると、私もすんなり落ちるように感じたのです。

お客様の求めているもの、つまりニーズがどういうものかによって、文面に工夫がないと違和感を感じてしまったり、「ちゃんと話を聞いてくれていたのかな?」と感じてしまう可能性があるということですね。そういう意味で、パーソナルな情報を書くなら、ニーズが何だったかをもう一度思い返しながら書く必要があると考えています。これは決して批判したいわけではなくて、自分だったらこう書くかなという話です。

サンキューレターを書く際には、他にもポイントがたくさんありますから、ぜひ色々と考えてみてください。

今日の質問です。

  • サンキューレターを書く際のポイントにはどんなものがありますか?

image by: Shutterstock.com

 

扶養されていた妻が死亡したら、夫と子に遺族年金は給付されるか

女性が受け取るものというイメージが強い遺族年金ですが、現在では男性側も貰いやすくなっていることをご存知でしょうか。とは言えその仕組みはなかなか理解が難しい場合も。そこで、今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では著者のhirokiさんが、どのような場合に「扶養されていた妻」の遺族年金が発生し夫や子が受け取ることができるのか、事例を挙げつつ詳しく解説しています。

扶養されていた妻が死亡したのに遺族給付は夫や子に発生するのか

遺族年金が発生する時は「死亡時点で亡くなった人に生計を維持されていた」という条件があります。その文言を見ると養われていた人が遺族となった場合が対象となるような気がしますよね。だから、サラリーマンや公務員の扶養に入ってるような人が万が一死亡した場合は遺族年金は発生しないと思ってしまう。例えばサラリーマンの夫の扶養に入っていた妻が死亡したら夫には遺族年金は出ないのではないかと。

この場合本当に夫には遺族年金なんて貰えないかというと、そうではないです。年金で言うところの「生計を維持されていた」というのは、遺族年金を請求しようという人の前年の収入が850万円未満(または前年所得が655.5万円未満。一時的な所得は除く)で、生計を同じくしていた(住民票が同じだったとか同居していたとか)という意味。これに当てはまれば請求は可能。ちなみに遺族年金には結婚していなければならないという条件は無く、事実婚も認められる。

だから、もし被扶養者だった妻が亡くなってもサラリーマンや公務員の夫が上記の条件に当てはまるなら遺族年金は貰える可能性は普通にある。可能性は普通にあるという表現にしたのは、いくつか他に制度的な条件もあるから死亡者の年金記録や、残された家族が誰なのかとか見る必要がある。今回はそういう点を見ていきます。

ところで、遺族年金というのは男性には厳しくて、女性が貰うものだっていう認識が強いですが今の時代は非正規雇用が急激に増えて給料が厳しいというのは男女ほぼ関係なくなってきましたよね。共働きも珍しくはなくなった。だから、そういう点も踏まえて遺族年金は平成26年度からは男性側も貰いやすくはなりました。

特に父子家庭という方も当然いるわけですが、平成26331日までの制度は父子家庭には遺族年金は支給されなかった。貰うとすれば18歳年度末未満の子にはなりますが、同居してる親(この場合は父親)がいると国民年金から支給される子の遺族基礎年金に関しては停止されてしまう(遺族厚生年金は停止されない)。面倒見てくれる親がいるんだから子には年金支給しなくていいよねって理由で。あと、遺族厚生年金に関しては妻の死亡時点で夫が55歳未満だったらそもそも貰う権利が無い。

このようにいろいろと面倒くさい話が出てきますので、一例を見ていきましょう^^

1.昭和50214日生まれの女性(今は45歳)

(令和2年版)何年生まれ何歳かを瞬時に判断する方法!
絶対マスターしておきたい年金加入月数の数え方

20歳になる平成72月はタイ人だったが、平成156月に日本に居住するようになった。平成156月から平成179月までの28ヵ月間は国民年金に強制加入となる。平成15年中にサラリーマンの男性と婚姻(当時妻自身に年収130万円以上の収入があったから扶養には入れず)。

ところで、外国籍の人は昭和561231日までは国民年金に加入する事は不可だったが、昭和571月からは外国籍の人も国民年金に加入できるようになった。平成1710月から厚生年金に加入して、平成225月までの56ヶ月間働く。なお、この間の平均給与(平均標準報酬額)は30万円とします。

平成226月からはサラリーマンの専業主婦として国民年金第3号被保険者になり、令和24月中に亡くなる(年金記録は令和23月までの118ヵ月となる)。収入はあったが、年収は40万円ほどだった。

ところで、在職してる時に日本国籍を取得済みだった。日本国籍を取得すると平成72月から平成155月までの100ヶ月間のタイ在住期間はカラ期間になる。この死亡した妻の年金記録を整理すると、カラ期間100ヵ月、国民年金第1号被保険者28ヵ月、厚年期間56ヵ月、国民年金第3号被保険者期間118ヵ月の総合302ヶ月間。

さて、妻死亡時に残された家族は夫57歳(年収は800万円ほどで、死亡した妻とは同居だった)と子は17歳と16歳。この家族に遺族年金は給付されるのか。

またマスクもティッシュもない状況になったら何で代用すべき?

マスクだけでなく、一時は店頭からティッシュやトイレットペーパーまでもが消え、焦りを感じた方は少なくないと思います。もしかしたらこのタイミングで、「すべてものがあるのが当たり前」という考え方を改めたほうがいいのかもしれません。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、使い捨ての紙モノ不足を「手間と時間で補う方法」を紹介しています。

リターナブル

さて、本日は新型コロナに関連したお話。

新型コロナに関連して、

  • 殺菌グッズ
  • マスク
  • トイレットペーパー
  • ティッシュ
  • キッチンペーパー

などなどが売れまくっているようです。まあ、買い占め・転売も横行していて、本当に必要な人たちに行き渡らないだなんて、世も末だなと感じますね(`´

現在、日本の家庭では日用品が

  • 布モノから紙モノへ

へ移行してきています。それは、布モノは

  • 洗って乾かして収納してまた使う

ことを予定しているため、手間と時間がかかりました。それはすなわち

  • 家事の増大

を意味しています。なので、時短や効率化のためには、布モノを減らして使い捨ての紙モノにしていくのがイイわけですよね。

ところで、この方法には暗黙の前提がありました。それは

  • 紙モノ商品が、いつでも潤沢に手に入る

という前提です。なにせ使い捨てですからね。ケチケチ使わなくてはならないようでは、このやり方はワークしませんから。ティッシュなんて、一日何枚使ったか覚えていないでしょ?

ところが、今回の新型コロナでは、この前提が

  • 脆くも崩れた

んです。マスクなどはほぼ店頭から消え、トイレットペーパー・ティッシュなども品薄になりましたよね。必要なときに潤沢に入手できなくなったんです。

うーん、まあ、紙モノの使い捨ては、限られた先進国ならではの効率化方法だなと今さらながらに感じさせられましたね。

こうなれば、仕方ない( ̄ ̄) モノの欠乏を手間と時間で補うしかないんです。すなわち

  • 紙モノを布モノに置き換える

わけです。

ティッシュは

  • 家の中では古Tシャツのウェス
  • 外出先ではハンカチ

で代用が利きます。ハンカチはもちろん洗って使えます。ウェスはボロさの程度に依りますが、これも洗って使えるでしょう。

キッチンペーパーは

  • 布巾

ですね。布巾をキチンと消毒するのは結構タイヘンなのでワタシ的にはなんとか最後まで今までのやり方を通したいところです。

まあ、もっともこれらはメーカーに在庫も十分あり、生産能力にも問題ないので、早晩品薄状態は解消されるはずです。

マスクについては

  • ガーゼマスクの作り方

がネットに公開されましたね。しかも政府もマスクの転売を禁止しましたし、そろそろ店頭に出回ってくるころなのではないかと期待しています。ウチなんか、東京や大阪に出張に行くと、あっという間に10枚近く使っちゃうんですよ。そろそろ在庫が心配になってきてるんですよね。困るわ

使い捨てがダメなら、お家にあるもので代用を。臨機応変に切り替えたいですね。

image by: Shutterstock.com

槇原敬之に懲役2年、執行猶予3年の有罪判決。早期の音楽活動再開も

覚せい剤や危険ドラッグを所持したとして、覚せい剤取締法違反罪などに問われた歌手の槇原敬之被告(51)の判決が本日午前11時過ぎに下され、東京地裁は懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。21日に行われた初公判では、槇原被告は起訴内容を認めていて、検察側は懲役2年を求刑していた。

槇原敬之被告の裁判で判決下る

今回が2度目の逮捕となった槇原被告。1999年に逮捕された際には、懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けている。弁護側は前回と同じように、執行猶予付きの判決を求めていた。

槇原被告の容疑は使用ではなく、覚せい剤や危険ドラッグの所持。

  1. 2018年3月と4月、東京港区のマンションで、約64.2mlの危険ドラッグ「ラッシュ」と覚せい剤約0.083グラムを所持
  2. 2020年2月、渋谷区の自宅でラッシュ約3.5ミリリットルを所持

今年2月に逮捕した後に槇原被告の尿検査を実施したが、違法薬物は検出されておらず、槇原被告本人も「ここ数年使っていません」と主張していた。

判決は執行猶予付き

ポイントは前回の裁判から20年が経過していること。検察側は「有罪判決を受けたにもかかわらず、使用を繰り返した」としているものの、その証拠はなく、今回の裁判は争点は所持のみだ。

槇原被告のかつてのパートナーとされる個人事務所元代表の男性も、1999年に共犯として逮捕。そして、2018年3月に再犯として所持・使用の容疑で起訴されたものの、2018年6月に懲役2年、執行猶予3年の判決を受けるにとどまっている。男性の場合は使用の容疑もあったため、槇原被告はそれよりも軽い容疑ということになるため、有罪判決が出た場合でも執行猶予付きとなる可能性が高かった。

早期の音楽活動復帰の可能性も

執行猶予付きの有罪判決となったため、しばらくは活動を自粛すると思われるが、早期に音楽活動を再開させることになるかもしれない。

というのも、3月に発売を予定していたセルフカバーアルバム「Bespoke」はすでに完成済みで発売を待つばかり。槇原被告の個人事務所はレコードレーベルも併設しているため、他の会社が介在することなく、自らの判断で決めることができる。数億円とも言われる損失額が出ただけに、早く発売して、穴埋めをしたいところだろう。

どんなときも私たちの心を包んでくれる槇原敬之の歌。その歌声が遠く遠くならないように、ファンをもう悲しませることなんてしないでほしい。

image by : StreetVJ / Shutterstock.com

先の大戦前夜に酷似。米中が加速させる分断と「一触即発」の危機

先日掲載の「在日米軍司令官『日本を助ける』尖閣支援を明言。中国をけん制」等の記事でもお伝えしているとおり、習近平政権による露骨な海洋進出に対して一歩も引かぬ姿勢を鮮明にするアメリカ。両大国による世界の分断は加速する一方ですが、その先には何が待ち受けているのでしょうか。元国連紛争調停官で国際交渉人の島田久仁彦さんは今回、自身のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』で、「世界は一触即発の危機に近づいてきている」として、そう判断せざるを得ない理由を記しています。

 

米中冷戦が加速させる世界の分断

新型コロナウイルス感染拡大が世界に広がるにつれ、世界の分断が明確かつ不可逆的な様相を帯びてきました。

【中国の覇権国としての台頭】、【トランプ政権の誕生による『自国ファースト』の明確化と世界への波及】、【Brexitと欧州の統合の弱まり】、【トルコ・エルドアン大統領による米ロを両天秤にかけた“帝国復活”のためのギャンブル】、【シリア“内戦”を巡る欧米諸国と中東諸国の思惑】、【米・イラン関係の緊張の高まり】、そして【米中貿易“戦争”の激化】など、COVID-19の世界的パンデミックによる影響以前にも、国際秩序の分断とブロック化の兆しはありました。

しかし、COVID-19が猛威を振るい、世界中でモノと人の移動が制限され、それは物理的な分断のみならず、心理的な分断を加速させました。そして地政学的な思考が国際社会に再興し、今、米中を軸としたブロック化を顕在化しています。

そのきっかけは、新型コロナウイルス感染拡大の影響への対応に追われる諸国を尻目に、いち早くコロナ禍から抜け出した中国が仕掛けた欧米による支配への挑戦でしょう。2019年初めから加速させたOne China, One Asia政策はコロナの背後で本格実施され、中国はアジア全域で同時進行的に強硬姿勢の徹底に打って出ます。

その典型例は、【香港国家安全維持法の制定】【南シナ海での領有権主張の名言と南沙諸島海域の軍事化】【尖閣諸島海域への連日の侵入と空母・遼寧を筆頭とした攻撃群投入による日米同盟への威嚇】【欧州諸国の統合への横槍(マスク外交などでの中東欧諸国への支援と南欧諸国への接近)】といった具合にいくつでも並べることが出来ます。

中国がこのような動きに出た当初は、各国ともコロナとの闘いに追われて中国に行動の自由を与えてしまった感がありますが、香港国家安全維持法の制定を巡る騒動を機に徐々に対中包囲網が築かれ、今では程度の強弱はあるのでunified actions against China blockとはなっていませんが、対立が各方面で鮮明化してきています。

特に米中間のやりとりを見ると、もうお互いに振り上げた拳を下げることが出来る状態にはなく、対立と言動のエスカレーションが加速し、それにそれぞれのブロックに付く諸国が振り回されている状況です。日英欧豪NZそして東南アジア諸国は完全にその影響下にあると言えるでしょう。

オセアニアの両国(豪州とニュージーランド)は、香港国家安全維持法の制定を機に、アメリカの対中強硬策に乗っかり、中国批判を強め、自国経済の中国への過度の依存からの脱却を図ろうとしています。「一国二制度」の維持を条件に香港政府に与えていた諸々の特恵待遇を停止し、「香港の中国化」を前に次々と犯罪人引き渡し条約の一方的な停止を宣言しています。特に豪州については、アメリカ政府と歩調を合わせ、南シナ海における中国の領有権主張に対しても「完全な国際法違反」と糾弾し、中国との対決姿勢を強めていますが、中国からの報復措置に直面し、国内世論を分けるような議論の真っ最中です。

中国としては、報道ベースでみれば「批判に対して真っ向から反論」というように一見、受動的に対応しているように見えますが、実際には【意に関せず】という姿勢を見せたいのか、逆に強硬姿勢および報復措置をエスカレートさせています。例えば、報道されていませんが、7月30日、香港国家安全維持法ベースで初の外国籍の逮捕者が出ましたが、まだ情報が錯綜してはいますが、どうも英国人とオーストラリア人だったようで、両国に対する揺さぶりをかけている模様です。

 

バイデン氏が米次期大統領になれば、中国がさらにつけ上がる理由

トランプ米大統領が自身のツイッターで大統領選挙の延期に言及しましたが、アメリカという大国の舵を次に取るのは民主党のバイデン前副大統領という見方が強まっています。そこで重要となってくるのが、バイデン氏の対中政策。混迷を極めるほど米中の対立が深刻化する中、もしバイデン氏が次期大統領になった場合、どのように進めていくのでしょうか?米国在住作家の冷泉彰彦さんは、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、バイデン氏の対中政策について言及。二国間の交通整理ができるかどうか不安が残ると語っています。

不安が残るバイデン政権の対中政策(読者の方の質問より)

バイデンの政権構想はここへ来て少しずつ内容を公開するようになってきています。特に内政については7月8日に発表された「バイデン=サンダース・タスクフォース」の政策協定でかなり具体的になりました。

環境フレンドリーな経済に寄せるし、それはオバマ時代に戻すというレベルではなく、最終的な排出ガスゼロを実現できる中期構想を伴うものにする、協定ではそうした方針が各論とともに示されました。かといって「排出ガス削減を実現してしまっている」という「コロナ危機の現在」を凍結するというような経済無視の暴論では「ない」内容になっていました。

つまり実現可能な範囲であるが、その中では「相当に左」という内容です。一方で、民主党の党内左右両派が激しく対立していた「医療保険制度改革」においては、左派がやや譲った格好です。具体的には「民間の医療保険、雇用にリンクした福利厚生としての医療保険は残す」として、その一方で「個人加入のオバマケアは政府を単一支払い者とした公的保険(パブリックオプション)とする」という線でまとまっています。

これは実現可能な政策の中では「現在、そしてオバマ時代よりは左」ですが、「サンダース派の主張よりは相当に現実寄り」となっています。もしかすると、サンダースやAOC(アレクサンドリア・オカシオコルテス議員)との交渉にあたってバイデン側は、この2つを一括して取引をしたのかもしれません。

いずれにしても、この合意を受けてバーニー・サンダースは「これでバイデン政権は、FDR(「ニューディール」を遂行したフランクリン・デラノ・ルーズベルト)以来最も左派(プログレッシブ)な政権になる」と喝采を送っています。

またこの政策合意と同じ時期に、この合意とは別に「富裕層への徹底的な増税」を主張したことで、AOCは共和党の議員から侮辱的な暴言を吐かれていますが、これを徹底的に論破して撃退、その様子は広く拡散して政治家として大いに追加のポイントを稼いだ格好です。

そんなわけで、内政の方針としては、かなり左派が主導権に食い込んでいる中で、下手をすると財政規律が大破綻する危険もある一方で、当面の選挙ということでは、左右両派の連携は恐らく相当程度に行けるのかもしれない、そんな空気となって来ました。少なくとも2016年の失敗を繰り返さないということについては、民主党全体に相当な反省があり、またその結果としての政策合意が実現したと評価できます。

森友問題で自殺の赤木さん妻が明かす、責任者がつい漏らした本心

学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)が自殺した問題を巡り、赤木さんの妻雅子さんが、佐川宣寿元国税庁長官と国に約1億1000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が15日、大阪地裁で開かれました。「真実が知りたい」ただその一心で臨んだ雅子さん。第三者による客観公正な調査を求めるものの、安倍首相や麻生財務大臣に応じる気配は全くありません。元全国紙社会部記者で、メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者である新 恭さんが、この口頭弁論の様子を詳細にレポート。文書を改ざんしてまで、責任を免れようとする不誠実な安倍官邸と保身官僚たちの裏を暴いていきます。

財務省森友報告書の責任者が明かした公文書改ざんの真相

公文書改ざんを押しつけられた夫は自殺し、財務省、官邸の関係者たちは、責任をとることなく、のうのうと生きている……

森友学園問題で自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫氏の妻、雅子さんは、7月15日、国と佐川宣寿・元財務省理財局長を訴えた裁判の第1回口頭弁論で陳述し、無念の思いをぶちまけた。

「夫は改ざんしたことを犯罪と受け止め、国民の皆さんに死んでお詫びすることにしたんだと思います。安倍首相は自分の発言と改ざんには関係があることを認め、真相解明に協力して欲しい。安倍首相、麻生大臣、私は真実が知りたいです」

いまだに明らかになっていない真相。国はすべてを知っているはずなのに、核心部分をぼかし、2018年6月4日「決裁文書改ざん調査報告書」なる財務省の内部調査結果を公表して、お茶を濁した。

報告書をまとめた責任者は、当時の財務省秘書課長、伊東豊氏(金融庁監督局審議官)だ。省内の職員や官邸出向組のほか、OBも含めてヒアリングをしており、事実関係を最も知り得る立場にあった。

赤木雅子さんは、裁判開始と時期を合わせて出版した「私は真実が知りたい」(相澤冬樹・元NHK記者との共著)において、伊東氏から直接聞いた証言を公開している。調査報告書では安倍首相の国会発言と文書改ざんの関係を明確にしていないが、雅子さんに対しては本心を漏らしていたのだ。

その内容にふれる前に、報告書ではどのように書かれていたかを確認しておこう。以下は、そのポイントとなる部分だ。

◇17年2月17日の衆議院予算委員会で内閣総理大臣から、本人や妻がこの国有地払い下げに一切関わっていないことは明確にしたい旨の答弁があった。

◇17年2月24日の衆院予算委員会で、本省理財局長は「売買契約に至るまでの近畿財務局と森友学園との交渉記録というのはございませんでした」「面会等の記録につきましては残っていないということでございます」と答弁した。

◇本省理財局の総務課長から国有財産審理室長および近畿財務局の管財部長に対し、総理夫人の名前が入った書類の存否について確認がなされた。…理財局長はそうした記載のある文書を外に出すべきではなく、最低限の記載とすべきであると反応した。具体的な指示はなかったものの、総務課長と国有財産審理室長は決裁文書の公表を求められる場合に備えて記載を直す必要があると認識した。

つまりこういうことだろう。「妻と私が関係していたら議員も総理もやめる」という安倍首相発言のあと、近畿財務局と森友学園との交渉記録などを野党に求められた佐川局長は「記録は一切残っていない」と答弁した。

総理夫人の名が記された書類があるかどうか確認したら、あることが判明した。佐川局長は「記載のある文書を外に出すべきではなく、最低限の記載とすべきである」と省内で語り、それを聞いた総務課長らは決裁文書の書き換えが必要だと認識した。

コロナのおかげ。TVプロデューサーが悟った、自分に正直な生き方

新型コロナウイルスの感染拡大が続き不安な日々が世界中で続いていますが、テレワークの急速な発達など、私たちの生活に大きな変化をもたらしたことも事実です。そんなコロナ禍が与えてくれた「恩寵」について語っているのが、TVプロデューサーとして「からくりTV」「金スマ」などを企画制作した、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん。角田さんは自身のメルマガ『角田陽一郎のメルマガDIVERSE』の中で、コロナを機に「なるようにしかならない」と悟った心境を明かし、コロナ後の生き方について持論を展開しています。

コロナと恩寵

本当ならば先週末にはオリンピックが始まっているはずでした。しかし、今やこの生活が本当の現実なわけです。とてもこんな事態に及ぶとはほんの半年前までは思ってもいなかった、その事実に愕然と呆然と唖然としますね。

一方で、こんな(今までの想像していた)未来と、違う未来に向かおうとしている世界に、なんていうかうまく言えないのですが、なんかワクワクしている自分もいるのです。うーん、ワクワクというのとは違うかな? ドキドキかな?

でも、そんな予想できない未来に、というかそもそも未来は予想できないわけですから、そんな想像もつかない未来に、むしろ想いを馳せるって時に、ある種の想像がつく範囲内で予想外に一喜一憂するくらいなら、むしろ全くの想定範囲を超えた未来に、自分の残りの人生を投入するってのも、なんかドキドキするわけです。どうせ人生は一度きりですしね。

でもそれと同時に、その一度きりをどう使うか? なんて、実はどうでもいいような気もしているわけです。どうでもいいだと、ぶっきらぼうすぎるなら、なるようにしかならないと、たかをくくるしかないんだと思っているわけです。で、この心境になったのも、実はこのコロナ禍のおかげなんだと実は思っています。いままではいい意味でも悪い意味でも、もっといろんなことを細部まで考えていたような気がします。なんか他人の目を気にしているというか、結果にコミットしているというか、目的があって、その目的を遂行するために日々着実に生きているというか。

でもそんな、なんていうか生きるためのプレッシャーみたいなものを多かれ少なかれ皆持っているんだと思うんですけど、そんなプレッシャー自体が意味のないものなんじゃないか? むしろ生きている時には不必要なものなんじゃないか? ってそんなことを思うようになりました。

まあ、今回も行きつ戻りつ、漠然とした文章ですが、でもそんな文章でいいやって思いで書きますので、まあお付き合いください。

決めることのプレッシャー

何かを決めるって行為は何なのでしょうか?

人は何かを決める時に、多かれ少なかれプレッシャーを感じますよね。何かを決めるとは、何かを判断するってことです。ということは、プレッシャーというのは、つまりこの自分の判断する行為に深く関係しているんだと思うわけです。

では、なぜそんな判断をする時に、人はプレッシャーを感じるのでしょうか?

まず第一の理由は、その判断で、正しい方向に行きたいからってことですよね。判断を間違うのが怖いわけです。

その判断が正しい方向を指し示せているかなんて、とても心もとないわけです。なので不安を感じます。その不安を喚起する力をプレッシャーと呼んでいるわけですよね。

でもこういう風に考えると、そんなことでプレッシャーを感じるのは今や全くもってナンセンスなんだって同時に思うわけです。だって、さっきも述べたように、未来に向かって、もうどんな判断をしたって、そんな自分の判断では想像できない方向に世界は向かってしまうかもしれないわけですから、つまりその判断で(仮に)間違えた方向に行ったとしても、それはもう仕方がないことだったりするわけです。そう思うと、僕はこのコロナ禍で、ある意味、判断をすることから来るプレッシャーからむしろ解放されたっていうことなのかもしれません。

このプレッシャーからの解放を、このコロナ禍で(僕は)感じているから、そんな不確かな未来にむしろワクワク(ドキドキ)できるようになったとも言えるわけです。これは、ある意味おかしな感覚ですが、世界がより不確かになったので、判断の不確かなことが自分のせいではなくなって、肩の力が抜けて気が楽になったってことなんでしょうか? 今この文章を書いていて、気付きました。きっとそうなんですね。やはり自分の頭の中の漠然とした想いを、ロゴス(言葉)にしてみるということは、意味のあることなんですね。このからくりが見えたわけで、自分がこの文章を書いていて、少なくともより頭の中がクリアになりました。

そして、プレッシャーのもう一つの原因は、それは他人の目が気になるからですよね。自分の選んだ判断が、自分の中では納得していても、ちょっと周りの人に相談してみると、家族だったり、恋人だったり、会社の人だったり、なんならSNS上の反響とか、そんな他人のリアクションが気になって気になって仕方がないわけです。なので、そんな他人の目を気にして、人は判断をしなければいけないことが、とてもプレッシャーを生むんだと思うのです。これはある意味一つ目の原因より強い場合が多々あります。特に社会や組織で何かを決めなくてはいけない立場の人は、自分の想いよりも他人の目の方がキツかったりするんだと思うわけです。

でもこれは、致し方ないことです。だって人は一人では生きていけないから。他人の力がないと生きられないからです。つまり、その人が判断を間違えると、そんな他人の集合体である組織や社会の信用を失うってことを意味するからです。このプレッシャーは半端ない力です。そして大部分の悩みはそんな信用を失うことへのプレッシャーなんだと思います。

では、そんな二つ目のプレッシャーに対して僕たちはどうすればいいのでしょうか?