国が作り上げたウソの脅威。元防衛相も認めた「島嶼防衛論」の無理筋

先日掲載の「日本は侵略などされない。脅威を捏造し『防衛費倍増』する国民ダマシ」では、中国や北朝鮮が日本に上陸侵攻してくることなどあるはずがないことを論理的に解説した、ジャーナリストの高野孟さん。高野さんは今回もメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、岸田政権が防衛費倍増の根拠とする「日本が直面している脅威」が国や自衛隊により作り上げられたものであることを、後に防衛大臣となる森本敏氏との過去の対談記事等を引きながら証明しています。

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※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2022年12月19日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

日本が直面している「脅威」とは?/「K半島事態対処計画」の信じられないほどの虚妄性

先週号の末尾で述べたように、冷戦の終わりを受けて日本でも、旧ソ連を筆頭に北朝鮮、中国の旧共産圏諸国(自衛隊の符牒でZ・Y・X)を仮想敵と設定しその“脅威”に日米韓(同A・B・C)の軍事同盟で立ち向かうというそれまでの安保の基本構想を抜本的に見直そうとする知的な試みが広がり始めたものの、折悪しく北朝鮮が核不拡散条約(NPT)を脱退して核・ミサイル開発に走ることを宣言、それに激怒した米クリントン大統領が一時は寧辺核施設を空爆で破壊し金正日を爆殺ないし斬首する作戦を決意する事態が生じ、たちまち旧ソ連に代わって北朝鮮が諸悪の根源であるかの時代の空気が出来上がった。その時期に自衛隊の統合幕僚会議が密かに練り上げたのが「K半島事態対処計画」である。

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空想力の産物

同計画の内容を詳しく紹介した半田滋『自衛隊vs北朝鮮』(新潮新書、03年刊)によると、当時の自衛隊が想定した北朝鮮の日本侵攻シナリオは

  1. 航空侵攻
  2. 弾道ミサイルによる攻撃、
  3. 正規軍の特殊部隊(ゲリラ・コマンドウ)による上陸攻撃
  4. 海上交通路妨害

の4つ。いずれも、空想力を精一杯拡張して「もしかしたらこんなことも起きるかもしれない」と並べてみたという体のもので、実際には、その時すでに米軍の核を含む攻撃に晒され米韓合同軍との地上戦も始まっているであろう危機の真っ最中に、直接の交戦国ではない(米軍基地を提供し自衛隊が後方支援を担当する間接の対米支援国ではあるが)日本に対し、1機の航空機はおろか1人の兵員さえ差し向ける必要などある訳がなく、また仮にあったとしてもそのゆとりがある訳がない。

約30年後の今日では、北のミサイル開発が進展し、総数700~1,000発のうち300~450発は日本に撃つのに丁度いいノドン級準中距離ミサイル(射程1,000~3,000kmに対し平壌~東京間は1,300km)と推定されるので、2.のミサイル攻撃が主な脅威シナリオとなるのだろうが、同計画策定の頃はほとんど重視されていなかった。それよりも、当時の自衛隊がそう信じ、また“脅威”の切迫感を世論に訴える手段としてメディアを通じて色々な形でバラ撒かれたのはむしろ3.で、それは「北朝鮮や韓国の一般の人々が難民となって大量に日本に雪崩れ込み、それに混じって武装したゲリラが上陸して騒乱を起こす」といったストーリー。新聞では読売と日経が特におどろおどろしい彩色を施してこれを繰り返し報道したと記憶する。

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タダの人になりたくない。岸田内閣「使い捨て」を目論む勢力の正体

倍増する防衛費の一部財源を、増税により賄うとした岸田首相。最新の各社世論調査では最低支持率の更新が相次ぐなど、内閣に対する国民の反発は大きなものとなっています。このような現状について、「岸田内閣は“使い捨て”というムードも漂ってきた」とするのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんはメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、誰が現政権の使い捨てを目論んでいるのかを解説するとともに、少数の例外を除き我が国の歴代首相がそのような扱いを受ける根本原因を考察した上で、2つの解決策を提示しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年12月20日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

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岸田氏はフジサンケイですら支持率37%。総理大臣は使い捨てで良いのか?

12月8日、岸田首相総理は防衛費の倍増のための財源として約1兆円を増税で調達するための検討を進めるなどと言い出しました。ただでさえ、宗教団体の問題で支持率が超低空飛行となっている政権ですが、更に厳しい状況と言えます。

もっとも、支持層の岩盤まで掘られてしまうと、それ以上は下がりませんから、居直って政権運営をしているという感じもありますが、それでも、異常な事態です。

驚いたのは、保守系のフジサンケイGである、FNNの世論調査です。調査は12月17・18日の両日実施ということですから、最新です。その結果、

岸田内閣を「支持する」は、11月より1.6ポイント減って、37.0%、「支持しない」は57.5%

岸田首相は、防衛費を大幅に増額する方針を決めたが、これを「評価する」は45.8%、「評価しない」は48.3%で評価が分かれた。

一方、防衛費増額のための増税を決めたことを「評価する」は25.6%で、「評価しない」が69.5%だった。

旧統一教会をめぐる問題では、岸田首相の対応を「評価する」は35.2%で、「評価しない」が54.3%だった。

フジサンケイですから、故安倍晋三氏の「防衛費増額は国債でオッケー」という「遺言?」が念頭にあるとか、複雑な事情もあるのかもしれません。ですが、支持率の37%はかなり厳しいですし、防衛費増税への反対が70%というのは、かなりショッキングです。

こうなると、菅政権の汚染水問題での判断と同じように、内閣と引き換えに政策を通す、つまり岸田内閣は「使い捨て」というムードも漂ってきました。

では、岸田内閣を「使い捨て」にするような「誰か絶対的に偉い人」というのが具体的な人物としているのかというと、いないわけです。2F氏でもないし、麻生さんでもないし、参院自民党がそこまで偉いわけでもありません。

漠然とした党の組織というものがあり、今は「4月の地方選で負けるとタダの人になるのでイヤ」というムードが地方に強かったりして、そうしたムードの全体が「キングメーカー的な権力」を漠然と形成して、内閣を「使い捨て」にしようとしている、そんな感じです。

つまり国策とか国家意思というものも、実は漠然としていて非常に曖昧なのかもしれません。これは、防衛装備が充実しているとかしないとか、言う以前のかなり怖い状況です。

日本の場合は、負ける戦争を選択して国民を極限的な苦痛に追い詰めた経験から、政府に権限を与えると自分の生命が脅かされるという感覚が長く続きました。そこに多少の真理はあるにしても、やはり現在の「国家の意思が内閣を使い捨てにしている」状況というのは異様です。タコが自分の足を食べているうちに、全てが無になってしまうようなアナーキーなナンセンスを感じるからです。

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「大雪のEV車は命に関わる」を再確認?日本人がガソリン車を買いたくなる理由

23日の夜から25日のクリスマスには寒波が襲うという日本列島。19日も、新潟県柏崎市の国道8号で「大雪」による22kmもの渋滞が報告された。そこで心配になるのが「大雪の中のEV車の安全性」だ。ネット上には「冬のEV車は死ぬ」という極論もあれば、「年々改良されているEVは安全」という声もある。一体どっちが本当なのか? ひとつひとつ検証していこう。

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雪国でEV車は使えない? 実際にEV車に乗る人の意見は?

雪国スウェーデンに移住し、EV「HONDA e」が愛車というYouTuber「スウェーデン移住チャンネル」さんが、「電気自動車の落とし穴」について紹介している。

移住チャンネルさんによると、最大の落とし穴は「カタログに表示されている走行距離と実際の距離との乖離」だという。

市街地、郊外、高速道路の各走行モードを平均的な使用時間配分で構成した国際的な走行モード「WLTCモード」では259kmだが、100%充電された状態で表示されたのは126kmという距離。エアコンのヒーターをオンした状態で暖房のスイッチを切ると、192kmになる。それでもカタログの値よりかなり低いが、それは外気温が-3℃だからだった。

EVでは、冷えれば冷えるほどリチウムイオンバッテリーの性能が低下するので、バッテリーの消耗も激しくなる。これがまだ-3℃だからいいが、さらに冷え込むともっとEV車のバッテリーの消耗は激しくなる。

移住チャンネルさんは、EV車を購入するときには「住んでいる地域が冬場どれだけ冷えるか」、「その気温によってどれだけ走行距離が下がるか」を把握しておくべきだと訴えていた。 

「EV車は安全だ 」「いやガソリン車の方が安全」意見が真っ二つ

ネット上の「反EV派」の意見では、「ガソリン車はエンジンの排熱を暖房に利用できるが、EV車は再利用するための熱源がないのでより電力が必要になる」「ガソリン車の場合は自衛隊が出動し、ガソリンを配布することでガス欠を回避することができる」というものがあった。たしかに、現在バッテリー切れになったEV車は全てレッカー車で運ぶことになる。

大雪で大渋滞となった国道8号線では、約800台もの自動車が渋滞に巻き込まれたと確認されているが、もし800台全てがEV車になっていたら、充電用のバッテリーもレッカー車も間に合わず、反EV派からは「凍死者が出る可能性が高い」という意見が多く出ている。

モータリングライターの藤田竜太氏の記事によると、最新のEVはヒートポンプ方式の暖房になっているので、電費は大幅に改善されているという。

この記事では、JAFが日産のリーフを使っておこなったテストで、バッテリー残量70%からスタートし、外気温-8.1℃でエアコンを25℃に設定したところ、約10時間弱で残量10%になったという。

藤田氏は、リーフより性能がアップした「リーフe+」であれば、

「満充電ならヒーターを入れっぱなしでも60時間、バッテリー残量が半分でも30時間はヒーターを使い続けることが出来る」

と言い、さらにEV車なら車のスイッチを切り、

「ヒートシーターだけなら100Wぐらいしか使わないので、バッテリー残量が30kWhだとしても300時間、ハンドルヒーターその他と合せ200W消費しても、150時間は耐えられる」

と語っている。

たしかに、ガソリン車でガスを排気するマフラーが雪に埋まると一酸化炭素中毒になる危険があり、ネットには「ガソリン車の方が危ない」という意見もあるにはある。

しかし、「EVの方が安全」という意見には少し無理がある。

ネット上には、「大雪のときEVでバッテリー切れが起きると、渋滞の解消は不可能になり、死者さえも出てしまう」「これからカーボンニュートラルで全車EVとか考え直した方がいい」「雪が降る地域でのEV車は危険ですね」といった意見が大多数を占めているようだ。

不法移民が殺到か。「タイトル42」の解除で炙り出される米国の闇

12月21日に失効が予定されていたものの、その2日前に米連邦最高裁が暫定的継続の判断を示した移民流入制限措置「タイトル42」。この措置が撤廃された場合、米国社会はどのような影響を受けるのでしょうか。今回のメルマガ『在米14年&起業家兼大学教授・大澤裕の『なぜか日本で報道されない海外の怖い報道』ポイント解説』で著者の大澤先生が、ワシントンポスト掲載の記事を紹介しつつ詳しく解説しています。

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「タイトル42」が解除される日。深刻な米国の不法移民問題

今回は、このメルマガでずっと追いかけている米国の不法移民問題です。

タイトル42が3日後、12月21日に解除されるのです。

タイトル42とは、77年前に制定された公衆衛生法の条項です。

伝染病を持つ可能性のある国の人のアメリカ入国を阻止することができるというものです。相当に古い法律なのですが、この法律を理由にトランプは2020年3月から不法移民を追い返すように指示していたのです。

それでバイデン政権になってから急増している不法移民の侵入が防がれていた面があります。そのタイトル42がいよいよ解除されます。

以下、ワシントンポスト電子版12月16日版からの抜粋要約です。

米国控訴裁判所の判決により、国境での強制退去は12月21日に終了する方向

 

サリバン連邦地裁判事は禁止令には公衆衛生上の利点がほとんど証明されていないとしてタイトル42を12月21日に終了させる。

 

訴訟を起こしていた移民の擁護者たちはこの判決に歓呼した。

 

「タイトル42は公衆衛生法であり、国境管理の手段ではないので、終了しなければならない」と米国自由人権協会の弁護士は言う。

 

この決定は、トランプ政権が始めたタイトル42が、最高裁が介入しない限り、12月21日に終了することを意味する。

 

今回の判決は、弁明の機会もなく追放された亡命希望者に国境を完全に開放することを目指す移民擁護派にとって勝利となる。

 

しかし、国土安全保障省は市や町を圧倒する可能性のある移民の流入を管理するために逼迫している。

解説

このタイトル42は法制度方面からの不法移民流入の大きな壁となっていました。

以前は不法移民が国境で捕まっても、その場で難民申請することによって米国側に釈放される事があったのです(キャッチアンドリリース制度)。彼らが難民申請の審査を受けに裁判所に出頭することはほぼなく、そのまま米国内に隠れてしまいます。

このタイトル42は難民申請を許さずにその場でコロナの危険性を理由に追い返してしまうのです。トランプらしい強引な手法です。

タイトル42が廃止されて正式な国外追放の審理となると移民裁判所で数カ月から数年かかることがあり、いったん移民が国内に入国すると、当局が彼らを見つけて排除することは困難になるのです。

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黒田日銀の緩和縮小で円急騰&株急落、今後の投資シナリオは?長期金利上限0.5%に引き上げ、市場との対話失敗で投資家に不信感も

日銀は20日の金融政策決定会合で、長期金利の変動幅をプラスマイナス0.5%程度に変更すると発表。市場では実質的な利上げと受け止められ、緩和縮小への懸念から急速な円高・株安が進行しました。
これを踏まえて本記事では、2023年夏頃までのマーケットシナリオを、米国CFA協会認定証券アナリストで、メルマガ『馬渕治好の週刊「世界経済・市場花だより」』を発行中の馬渕治好さんが解説します。

日銀による突然の政策変更はサプライズ

日銀は金融政策決定会合を、12/19(月)~12/20(火)に開催していましたが、2日目の本日、10年国債利回りの誘導(いわゆる「イールドカーブ・コントロール」)範囲を、これまでのマイナス0.25%~0.25%から、マイナス0.5%~0.5%に拡大することを、発表しました。

今まで10年国債利回りに上昇圧力がかかってきており、それを日銀は買いオペにより抑えつけてきましたので、上記のように利回りの変動範囲を広げれば、自然に10年国債利回りは上がります。つまり、実際には金利引き上げ策だと言えます。

一方で日銀は、長期国債の買い入れ金額を、これまでの月間7.3兆円から9兆円程度に増額し、0.5%の利回り水準では強固に買い入れる方針も表明しており、当面0.5%以上の10年国債利回りを容認しない姿勢も示しました。

こうした日銀の突然の政策変更は、前号の定例メールマガジンで述べたように、筆者はまったく予想することができておらず、市場参加者にとっても驚きだと思います。

特に驚きを呼んでいるのは、実質の利上げ策である、ということより、「なぜ今、突然に、なのか?」という点でしょう。

為替相場を意識しているのであれば、1ドル150円程度までの大幅な円安が進み、円買い介入を行なっていた時期だったら理解はできますが、やや円高方向への振り戻りが生じている今、急いで長期金利の位置を上げないといけないとは思えません。

物価指標も、確かに全国消費者物価前年比が10月分で3.7%上昇(生鮮食品を除くと同月は前年比3.6%上昇)と、日銀の目標である2%を超えてきてはいますが、諸外国と比べて、あわてて景気を冷やしてまで物価を抑えなければならないような物価高騰とは考えにくいです。

投資家に不信感を抱かせる結果に

今回の突然の日銀の動きがもたらしたものは、投資家の不信感、不安感ばかりになったのではないでしょうか。

それはともかく、今後の市場動向について冷静に考えると、10年国債利回りが0.25%幅持ち上がったところで、日本の景気や企業収益に激烈なダメージが生じるとは、見込みにくいです。

目先は日本の株価も円相場も心理的な波乱が続くとは思いますが、日が経てば一旦市況は落ち着きをみせ、その後は中長期シナリオで最初から筆者が予想していたような流れになってくるのではないでしょうか(元々、2023年半ばに向けて、日本株安・円高を予想していましたし)。

現時点で、中長期シナリオを変更する考えはありません。

習近平政権をイライラさせる米の「言行不一致」は2023年も続くのか?

2023年の年明け早々にも中国を訪問するアメリカのブリンケン国務長官。12月11日と12日には次官級の事前協議が行われ、中国側はその内容を評価するコメントを発表しました。しかし、額面通りに受け取れないと解説するのは、多くの中国関連書を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんです。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、バイデン政権が今回の事前協議の前後にも中国への対抗を意図した言動を繰り返し、習政権を苛立たせる「言行不一致」が続いていると指摘。アメリカ・アフリカ会議で米国が表明した投資強化も、アフリカ諸国に響くかは疑問とする理由を伝えています。

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アメリカ・アフリカ会議でバイデン政権は第三世界の勢力図を塗り替えられるのか

先週も書いたように、中国の都市部では新型コロナウイルス感染症(=コロナ)が凄まじい勢いで拡大し、街から人影が消え、多くの学校が休校になった。

習近平が「ゼロコロナ(=動的ゼロコロナ政策)にこだわり経済を犠牲にしている」と半ば嘲笑し、反ゼロコロナで声を上げた若者を持ち上げたメディアは、そのロジックがいかにいい加減で、身勝手なものだったかを思い知ったのではないだろうか。

習政権が恐れてきた「中国の国情」というものが、まさにこれなのだ。コロナが弱毒化したと見切り、対策緩和に踏み切ったものの、ここから先は大きな賭けだ。果たしてどうなることか。

さて、今回はコロナの話題ではない。米中関係に目を向けたい。目下の注目は、2023年の年明け早々にも実現するとされているアントニー・ブリンケン米国務長官の訪中である。その前提の話し合いのため、2022年12月11日と12日の2日間、訪中したダニエル・J・クリテンブリンク国務次官補(東アジア・太平洋担当)と国家安全保障会議(NSC)のローラ・ローゼンバーガー上級部長(中国・台湾担当)が謝鋒外交副部長(外務次官)と会談した。場所は、河北省廊坊市だ。

国務省はこれに先立ち、今回の話し合いについて、「先の首脳会談を踏まえた検討状況を確認し、両国間の競争を責任を持って管理し、協力できる可能性がある分野を探る」(10日)と発表していた。

会談終了後の会見で、中国外交部の汪文斌報道官は、「バリ島での中米首脳会談での共通認識の実行、中米関係の指導原則に関する協議の推進、台湾問題など双方関係における重要かつ敏感な問題の適切な処理、各レベルでの交流と関連分野における協力の強化について踏み込んだ意思疎通を行うとともに、関心を共有する国際・地域問題について幅広く意見を交換した」と説明。協議は「率直で、深く、建設的だった」と評価をした。

だが、これを額面通り受け止めるわけにはいかない。というのも中国側はずっとアメリカとの会談において、会談の中身よりもその後の言動をより重視しているからだ。このメルマガでも書いてきたように習政権は、バイデン政権の「言行不一致」に苛立ちを募らせてきたのだ。

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中国の民主化に光。在日中国人から見たゼロコロナ「白紙革命」という希望

中国では、新型コロナウイルスの感染拡大から3年が経過し、若者たちが率先して「白紙革命」を起こしました。今回のメルマガ『黄文葦の日中楽話』では、2000年に来日し現在は日本に帰化されている中国出身の作家・黄文葦さんが、その革命について詳しく解説。白紙革命がもたらした民主主義の力とはどのようなものだったのでしょうか。

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コロナと民主主義の曙光

19年前、当方が書いた修士論文のテーマは『中国マスメディアにおける批判力の「量」と「質」』。主にSARS報道を例として、中国マスメディアの姿勢を分析した。数ヶ月間、当方がSARS報道を研究していた。広東地方のメディアがかつて情報公開に消極的な当局の姿勢を批判した。当時、政府が情報隠蔽をした…。

残念ながら、十数年に経っても、コロナ初期、政府の隠蔽の体質が変わっていなかったようだが、コロナの感染拡大から3年、つい中国の若者たちが率先して「白紙革命」を起こし、全国封鎖の状況を変えてきたことが、確かに慰めである。コロナと民主主義は、これからの中国研究の重要なテーマであるかもしれない。

今年11月、大勢の一般の中国人が街頭に出て、中国の新型コロナ流行時の高圧的な封鎖や、中国全体の弾圧に不満を表明したのである。ただし、「言いたいことが言えない」ので、多くの人が白い紙を掲げていた。それが「白紙革命」の由来だ。

警察は多くのデモ参加者を拘束し、人々が集まりそうな場所を封鎖したが、それでも中国政府は世論に屈することを余儀なくされた。12月7日、「ゼロコロナ政策」の緩和を明確に発表した。中国指導部は抗議活動を認めない一方で、自らの判断で行動しているように見せかけ、国民を弾圧してきたコロナ政策の過酷な制限の多くを終了させた。

隔離はより短期間に、より対象を絞って行われるようになり、コロナに陽性反応を示した軽症者は、隔離に連れて行かれるのではなく、自宅で過ごすことができるようになる。PCR検査は、ほとんどの公的な場では、もはや定期的に必要なものではない。症状を隠せないように規制されていた風邪薬やインフルエンザの薬が、再び買えるようになる。

「白紙革命」は、一定の効果を発揮した。中国人はようやく、権力に声を届けるという民主主義の力を味わったのである。もちろん、政府の対応は、独裁を終わらせたいという大きな願いに応えるものではなかった。独裁体制が続いており、街頭抗議行動で拘束された人たちは、今も拘束されているだろう。状況は依然として芳しくない。

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「愛国」ではなく「愛アベ」が増えすぎた結果、日本の保守が変わってしまった

誰かのファンになると視点が狭まって周りが見えなくなってしまう─。芸能人に対しても、政治家に対しても、一個人に対してもよくあることだと思います。現役医師の和田秀樹さんが今回、自身のメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』で語ったのは『愛アベ』になってしまった保守派たちのお話です。

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保守論壇の一員が語る「保守の変質」

安倍元首相の大ファンの方のFacebookの記事が私のもとによく届く。

その人は私の編集者で昔の同志と思っていたので、いろいろとコメントを書いてお送りするが、まったく通じないようだ。

安倍氏が圧倒的に雇用を改善させたので、若者の支持が厚いとも書いている。

いろいろな統計をみると確かに失業率は下がっているが、民主党政権だってその前の自民党政権より失業率が下がっている。

そして民主党政権時代は一人当たりのGDPにしても、最低賃金にしても韓国を圧倒していたが、アベ政権末期くらいからそれがおおむね並び、現在は抜かれてしまった。

いちばんの問題は、失業率が下がり、人手不足と言われているのに、賃金がさっぱり伸びないことだ。

経済学の原則としては人手不足が起これば賃金が上がる。実際、オーストラリアでは清掃職員が月収70万円くらいもらっている。ところがアベ政権は移民法を作って外国人を入れることで人手不足なのに給料が上がらない政策を断行した。

この記事の主はそれでも圧倒的な雇用の改善により、若者の支持が厚いと言っている。

日本も30年不況で安い給料でも雇われるだけましと思う若者が増えているのだろうか?そんなことでは消費不況は改善しないし、日本は外国から安い国と思われてしまう。

ついでにいうと、失業率を改善させるためには役場の窓口が残酷になって生活保護を門前払いにするのがいちばん有効だ。悪い条件でも飢え死にするよりましと思って働くから失業率が改善する。失業率がゼロに近いのに賃金が上がらない国というのは、たいがいそういうメカニズムだ。それでも働き口があるといって喜ぶとしたら先進国とは言えない。

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現代版にリメイクされた『うる星やつら』の舞台は、なぜ「昭和」のままなのか?

昭和の時代にアニメ化されていた『うる星やつら』が、現在リメイクされて放送されているのはご存知でしょうか?しかし、リメイクされたというのに、舞台は「昭和」のまま。これはなぜなのか、心理学者・富田隆さんのメルマガ『富田隆のお気楽心理学』の中で語っています。

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リメイク版『うる星やつら』の制作者たちはなぜ敢えて「昭和」という舞台設定を変えなかったのか?

貴方様はテレビアニメなどはご覧になりますでしょうか?

今、高橋留美子さん原作の『うる星やつら』がリメイクされ放送されています。作画技術の進歩などに合わせて、多少は今風にアレンジしている面があるとはいえ、基本的に原作の雰囲気に忠実な仕上がりになっています。

高橋さんの漫画の原作が1980年(昭和55年)、最初にテレビアニメ化されたシリーズの放送が1981年から1986年(昭和61年)のことですから、『うる星やつら』は完全に「昭和」の物語です。ですから、今回のリメイク版、つまり「令和版」も舞台背景は昭和に設定されています。

部屋に置かれたテレビ受像機も角が丸いブラウン管型ですし、家庭用の電話は黒電話、もちろん、ケータイなんぞ影も形もありません。街並みや高校の教室なども「昭和」ですし、高校生の主人公、諸星あたるが両親と暮らしている木造二階建て家屋(物語の中で何度も破壊されますが、いつの間にか直っています)の雰囲気も「昭和」そのものです。この点、テレビアニメの『サザエさん』一家が暮らす家が「平屋(ひらや:一階建て)」で、経済高度成長期「以前」の雰囲気を醸し出しつつあるものの、放映の時代に合わせて少しずつ変化して、いつの間にか現代の話のようになっているのとは違います。

令和版『うる星やつら』の場合は、バブル期(1986-1991年)直前の明るく開放的な人々の生活がほぼ忠実に描かれています。

なぜ制作者たちは敢えて「昭和」という舞台設定を変えなかったのか?

この物語は、高校生の「諸星あたる」、というよりは宇宙人の「ラムちゃん」を中心に展開するハチャメチャなSFコメディーであるわけですが、「SFだから、時代背景は関係ないだろう」などと考えたとしたら、文化というものの本質を見誤ることになります。この物語を構成する基本的なプロットや物語の中で生じる葛藤などが「昭和」の時代背景を前提にしなければ成立しないからです。

つまり、SFであろうが妖怪物語であろうが、推理ものやアクションものであろうが、大衆に支持されたヒット作品は一様に「その時代」を反映しているのです。それは、こうした作品がポピュラーな「大衆文化(ポップカルチャー)」に属しているからということが理由ではありません。いわゆる「芸術」と呼ばれるものを含めて、あらゆる領域の文化的遺産が、多かれ少なかれ生み出された「時代」と「地域文化」を反映するものだからです。

確かに、優れた文化芸術作品には時代や地域文化を超えた「普遍的な要素」も含まれています。ですから、普遍的な面を多く内包した作品は、時空を超えて愛され称賛されるわけです。しかし、そうした作品であっても、それらもまた時代や地域文化の「衣(ころも)」を纏っています。たとえ、それが古代の女神像であり裸体の彫刻であったとしても、実は彼女もまたそうした「衣」を纏っているのです。

この現実を時代や文化による「限定」とみるか「豊かさ」とみるかは、受け止める側である鑑賞者の「教養(広い意味での)」と「精神の自由度」にかかっているのではないでしょうか。

ですから、「ラムちゃん」たちが繰り広げる物語は、最早「古典」となっているのです。

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