選挙までは2万円台死守の日銀砲「忖度相場」を砕く米国の無慈悲

一時は2万円の大台割り込みも必至かと見られた日経平均株価ですが、6月2週以降は大きく崩れることなく「小康状態」を保っているかのようにも見受けられます。この状況を「日銀による参院選前の2万円割れ回避という首相への忖度の結果」とするのは、メルマガ『国際戦略コラム有料版』著者の津田慶治さん。さらに津田さんは、選挙後安倍政権はトランプ大統領から容赦ない「日米通商交渉の成果」を求められることも避けられないと記しています。

目覚ましい成果が必要に

米トランプ大統領は、大統領選挙前に成果が欲しく米中貿易戦争での成果がないので、メキシコからの移民問題での成果獲得を目指して、関税UPの圧力を使用した。メキシコは米側の要求も了承して協議は成立したが、そこに目覚ましい成果を望むトランプ大統領がいる。今後を検討しよう。

日米株価

NYダウは、2018年10月3日26,951ドルで過去最高株価であるが、12月26日21,712ドルと暴落したが、その後は上昇して4月23日26,695ドルになったが、米中貿易戦争激化とメキシコ移民問題が出て6月3日24,680ドルまで下げた。その後、雇用統計が悪くパウエル議長発言で利下げ観測が出て、6月7日25,983ドルまで戻している。FRBの今年3回利上げ確率が上昇して、市場はそれを織り込みに行っている

日経平均株価も、同様に2018年10月2日24,448円になり、12月26日18,948円と暴落し、4月24日22,362円に上昇したが、米中米墨貿易戦争で6月4日20,289円まで下落した。米国で利下げ観測が出たことと、PBRが1倍割れ寸前で自律反発が出たこと、選挙前であり積極的な日銀のETF買いなどで6月7日20,884円になっている。しかし、米国ほどには戻していない

トランプ大統領は、再選の選挙に向けて成果が必要であり、特に中西部の激戦区でバイデン候補の方が支持率が高いことで、激戦区の労働者の支持が必要になっている。

前回の選挙で公約した保護貿易化や移民の排斥、ドル安などで、職を増やし賃金を上げることが、支持増には必要とトランプ大統領は思っているが、まだ十分具体的成果が出ていない。バイデン候補は、そこを突いてきている。

このため、早く具体的な成果が必要になってきたようである。中国との貿易戦争は、全面対決ムードになり、解決には長期間が必要であり、日本ドイツなどの自動車輸入減の成果が必要になっている。心配していた方向に来ている。

それと、突然のトランプ大統領のツイートで、市場は大きく動かされている。このことで、市場は安定的に推移できないことになる。メキシコの不法移民対応に不満で関税UPとのツイートで、世界は知ることになるなど、今後も大きく振らされることになる。

しかし、どうも、トランプ大統領は、株価が26,500ドル以上になると、対外的な強硬策が出てきて株価を下げ、株価が25,200ドル以下になると、株価を上げる方向に動くようである。今回は、大統領配下のPPT(緊急経済対策会議)が動き、雇用統計が悪いことでパウエルFRB議長を説得して、年内複数回の利下げ方向に向け、株価を上げたようだ。株価をよく制御しているようだがそんなにうまくいくのか疑問である。

日本でも、参院選挙が迫り2万円割れにしないように安倍首相に忖度して、日銀も積極的な市場介入している。日米通商交渉も参院選挙前には決着しないで、その後にトランプ大統領が望む成果を出す方向で、協議を開くようである。どちらにしてもトランプ大統領は、具体的な目覚ましい成果が必要であり、日本に対しても、自動車の輸出制限などの目覚ましい成果を求めてくることは確かである。

なぜ「iTunes終了、ダウンロード配信も終了」と誤解されたのか?

先日開催された、アップルの開発者会議「WWDC 2019」。「Mac Pro」の新型やiPad専用OS「iPadOS」の発表など充実の内容でしたが、なかでも大いに話題となったのが「iTunes終了」でした。今年も現地で取材にあたったケータイ/スマートフォンジャーナリストの石川温さんは、そんな大盛り上がりだった「WWDC」の模様を、自身のメルマガ『石川温の「スマホ業界新聞」』にてさっそくレポート。くわえて、iTunes終了によって生まれた、「ダウンロード配信終了」という“勘違い”がいかにして生まれたのかという、その背景にも迫っています。

世界に勘違いをもたらせた「ダウンロード配信終了」報道━━「iTunes」はなくなるが「iTunes Store」は残る

6月3日(現地時間)より、アメリカ・カルフォルニア州サンノゼでアップルの開発者向け会議「WWDC」が開催された。2時間を超える基調講演では、tvOS、iOS、iPadOS、watchOS、macOSなどのアップデートが語られたほか、Mac Proの新製品も披露されるなど、かなり濃い内容であった。

そんななか、日本では「iTunesがなくなる」という点が注目を浴びていたようだ。一部では「iTunesがなくなり、ダウンロード時代が終焉を迎える。アップルはストリーミング配信にシフトする」と報道。これに引っ張られる形で、他のメディアも「ダウンロード配信が終了する」と報じた。

しかし、実際はiTunesのアプリがなくなるだけで、ダウンロード配信機能は残る。また、ユーザーが購入した楽曲データやリッピングしたデータもそのまま「Apple Music」アプリに継続される。

では、新しい「Apple Music」アプリで楽曲を購入するにはどうしたらいいのか。筆者はWWDCの会場で、新しい「Apple Music」アプリの挙動を確認することができた。アプリは、どちらかといえばiPhoneのミュージュクアプリに近く、Apple Musicのおすすめ楽曲が全面的に表示されるデザインとなっている。

ここ最近、Apple Musicでも著名なアーティストの楽曲を聞けるようにはなってきたが、一方で、いまだにストリーミングサービスに配信していないアーティストも多い。そうした楽曲を聴くには、ダウンロードサービスから購入する必要がある。新しい「Apple Music」アプリでは、画面上部のメニューの中から、「iTunes Store」という項目を選んで、そこから購入、ダウンロードすることになる。

つまり、macOS Catalinaから、iTunesというアプリはなくなるが「iTunes Store」は残り続けることになる。すなわち「iTunes」という単語が全くなくなると思いきや、微妙に生存するというわけだ。

今回、「ダウンロード配信時代が終焉する」という間違った報道は日本のみならず、世界中に広まったようだ。基調講演で「ダウンロード販売は継続する」とひとことでも触れていれば、こんなことにはならなかったのに。

いずれにしても、秋にリリースとなるmacOS Catalinaが一般に広まれば、そうした誤解もすんなりと解けることだろう。

理科の「氷が溶けると何になる?」に小学生が記した柔らか回答

学校教育における「試験」には決まった答えがしっかりと用意されているものですが、当然ながら社会に出ると答えは一つではないどころか、そもそも答えのないシーンにも遭遇することすらあります。今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、子供の多様な考え方や発想を阻害してしまう画一的な教育について疑問を呈しています。

その答えは絶対ですか?

突然ですが、ここで問題です!「1+1=の答えは何でしょうか。「なに当たり前のことを聞いているの!」「答えは“2”に決まっているじゃないか!」と怒られてしまいそうですね。算数では「2」が正解ですが、ここでの答えは2ではありません。「そんなわけないだろう!!」という声が聞こえてきそうですね。

答えは、漢字の」です。なぜかというと、「1+1=」には、縦棒が3本横棒が3本ありそれを組み合わせると」になります。この問題と答えは、私が、子どもの頃に、友達から問題を出されて、私も「2」と答えて、まんまと引っかかった問題で、いまだに記憶に残っています。

私たちは、普段の日常生活においても、「1+1=2」というような答え方を習慣としているように思います。与えられた問題、課題に対して、適正適切的確な答えが常に1つあると思ってしまいがちです。そのために、学校や職場などでも、唯一絶対の答えを探し回り、見つけようとしてしまいます。

これまでは一般的に、「唯一絶対の答えは必ずある」という前提のもと、そのような答えを早く、間違いなく、正確に出した人を評価されてきたように思います。多かれ少なかれ学校の勉強においては、表面的な問題質問等に対して表面的な答えを出していくという練習を繰り返してきたように思います。

そこでは、「答えは常に1つ」という前提があるので、答えをわざわざ、自分が考えて創り出す必要はありませんでした。

そして、「自分はこうだと思う答えをいくら論理的に理路整然と説明しても模範解答と違っていたら×バツ)になってしまいます。

こういったことを端的に表す一例として、弊誌でも以前取り上げましたが、理科のテストで、「氷が溶けると( )になるという問題が出されました。その問題に、ある北国の小学生が「(春)」と答えました。正解は(水)であり(春)は不正解になったというエピソードがあります。

私たちがこれまで経験してきた経済社会環境は大きく変化する中において、これまで経験したことがないような経済社会環境が、非常に複雑化多様化した時代となっていますね。

こういった時代背景の中で、子どもたちが、「よい学校、よい会社」に入るだけの問題ばかりを解いていると、正しい答えはただ1つ、他はすべて間違いと考えて、視野が狭くなってしまうのではないでしょうか。

まさに、複雑化多様化した経済社会環境に対応することが難しくなると言えるのでしょうね。

大人になると時間が過ぎるのが速く、子供の時間は長くて遅い理由

大人になるほど時間が経つのが速く感じられるのは「トキメキがなくなったから~」と、おかっぱ頭にピンクの服の5才児が言っているのを聞きました。しかし、メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんはもう少し考えてみたようです。そして、子どもの「ワクワクドキドキ」と、大人の「ワクワクドキドキ」では、性質に違いがあることに気づいたのです。すなわち、楽しいものだけを選択する大人と、未知のものすべてに立ち向かう子供の違い。そう考えると、今日1日を必死に生きてぐっすり眠る子供をより愛おしく思えると結んでいます。

体感時間のこと

年を取るほどに時間が経つのが速く感じられると言う。自分もあっと言う間の1年を毎年のように体感している。

これを心理学あるいは児童心理学的に説明すれば、大人になればなるほど未経験のことをしたり未知のものを見たりする機会が減って行くために情動記憶の平板化が起こってしまうからだと言う。簡単に言えば、毎日が代わり映えしなくなるからということである。

なるほど納得できる。確かに日々の生活の中に子供の時ほどにはワクワクドキドキは見当たらない。今仮に、上記のことを体感時間経過の第一則とする。

一方、理論物理学者のアインシュタインは時間の相対性を説明するのに「ストーブの上に手を置いている1分間は1時間にも感じられ、美女と同席している1時間は1分間ほどにしか感じられないだろう」といった比喩を使っている。これを一般化すると、つらい時間は長く感じられ楽しい時間は短く感じられる、ということである。

なるほど納得できる。同じ時間でも快と不快では随分と経過速度に違いがあるような気がする。今仮に、上記のことを体感時間経過の第二則とする。

ここであることに気付く。体感時間経過の第一則と第二則はともに納得できるものでありながら、矛盾するのである。第一則によれば、ワクワクドキドキすれば体感時間は遅くなる。第二則によれば、美女と同席すれば、つまりワクワクドキドキすれば体感時間は速くなる。これは一体どういうことであろうか。

ここで何とか第一則と第二則を矛盾なく説明できるような統一理論ができないものであろうか。これは難しいことである。何せ、矛盾とは言いつつもどちらもリアルな体験に基づいて首肯できるものだからである。

ただ一つだけ糸口があるとすればワクワクドキドキというキーワードである。例えば、同じワクワクドキドキでも子供のそれと大人のそれでは性質が違うと考えてみたらどうであろうか。

どういう訳だか我々大人は、「子供」「ワクワクドキドキ」この二つの言葉が並ぶと短絡的に楽しいものと思ってしまう。

とは言え、日々自分の知見が更新されて行くということは、日々自分の知見を更新させて行かなければならないということでもあるからそれなりに骨が折れるに違いない。子供にしてみれば「ワクワクドキドキ」することは存外苦役なのかもしれないのである。つらければ体感時間経過は遅くなる。

一方、大人の「ワクワクドキドキ」はそれを快と知った上でのことである。楽しければ体感時間経過は速くなる。統一理論の完成である。

父親に「世界をまたにかけろ」と言われ続けた少年はどうなったか

自分が伝えたい思いや理念などを言葉にした際、相手があまりに無反応であったり薄い反応しか見せない場合、伝えること自体をやめてしまいたくなる気分に陥りがちです。しかし、今回の無料メルマガ『起業教育のススメ~子供たちに起業スピリッツを!』では著者の石丸智信さんが、そんな状況であっても諦めず伝えることの重要さを、とある作家さんの講演内容を紹介しつつ記しています。

想いの言葉は種になっている

私たちは、これまでの経験などの中で、親や先生、先輩、上司、同僚など、色々な方から様々な助言などを受けてきていると思います。その助言に対して、私たちはどのような反応をしてきたでしょうか。

以前、『賢者の書』や『手紙屋』などの著者である喜多川泰氏の講演会を聴講する機会がありました。その講演の中で、「素直じゃないからといって…」というテーマがありました。そのテーマでは、親や先生など大人が言ったことに対する子どもたちの反応についての内容があり、とても印象に残っています。

本号では、その内容を踏まえて、個人としての想いや組織の理念などを伝え続けることについて考察していきたいと思います。

講演会の中で、喜多川氏は、ご自身も小さい頃は、父親の言葉に対して「無反応だった」とお話されていました。そして、父親と食事をしていると、父親から「世界をまたにかけろ!」とよく言われたそうです。

私たちが小学生ぐらいの頃に、もし、父親などの大人から同じ言葉を投げかけられたら、どのような反応していたでしょうか。「はぁ~~?」といった顔つきになり、なかなか返す言葉もなかったのではないでしょうか。目をキラキラさせて、「そうだよね、世界をまたにかけるよ」などとは思わないのではないでしょうか。

喜多川少年もその言葉に対して、左から右へといった具合に反応せずに無反応だったと振り返っていました。

では、もし立場が逆だったらどうでしょうか。

子どもたちに対して、私たち大人が、喜多川氏の父親のように、自分たちの想いなどを語ったとします。その想いなどに対して、子どもたちから反応がなかったとしたら、どのように思うでしょうか。

きっと、「聞いているのか、いないのかわからない」「素直に聞いてくれない」とか、この無反応が繰り返されると、「言ってもしょうがないから言うのをやめてしまおう」なんて思ったりしないでしょうか。反対に、子どもたちから笑顔でうなずかれたりすると、反応があったとうれしくなったりしますね。

心理カウンセラーが断言、「怖さを克服したら行動する」は間違い

日常の生活で、何かを「怖い」と感じる事はあるでしょうか。もし、家庭や職場の人間関係の中で自分は攻撃を受けていると感じることが多々あるなら、そこには認知の歪みがあるのかも知れません。今回の無料メルマガ『東北NO1メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』では著者で心理カウンセラーの吉田こうじさんが、恐怖の感情を軽減させるのに有効な助言を記してくださっています。

「怖さを克服したら行動する」は間違い

理想の自分にならないと、親から認めてもらえないという恐怖。親の期待に応え続けることでしか、自分の身の安全を確保できないという恐怖…。でも、その期待は理不尽なまでに高すぎる…。期待にちょっとでも応えられないと全力で自分を責めてしまう…。

これは辛いです。

強い劣等感は、こうした「恐怖感」が土台になっているようです。厄介なことに、「根深い恐怖がベースにあると他者との関係性において何かと攻撃されたと受け取りがちです。根深い恐怖感が、「私は常に攻撃されている」という認知の歪みを生み出してしまうんです。

ですから、人から嫌われるということも人から攻撃されていると思っていたりするんです。認知に「攻撃フィルター」がかかっているので、そういうふうに現実を体験しちゃうんですね。

これは苦しいですよね~。自分が物事をどんなふうに認知しているかなんて自分自身ではなかなか気づけませんからね。「絶対にこうなはず!」と断定しちゃうのが認知ですから~。だからこそ、勇気を振り絞って、本音で語り合える友達づくりをする必要があると僕は思ってます。

お化け屋敷を経験したり、ホラー映画を見たりすると、途端に暗闇がとっても怖くなったりします。でも、暗い闇が怖い怖いと言っていては、現実世界を生きていけません。なので、勇気を出して暗闇にちょっとずつ足を踏み出してみるというのが大切だと思っています。

とっても大切なことをお話ししますね。「怖さを克服したら行動する」じゃないです。「怖いまま行動するうちに怖さがなくなる」んです。ここを勘違いしているせいで、ずっともがいている人のなんと多いことか…(チコちゃん風)。怖いのはしょうがないんです。それは現実を生きている証拠です。できるところからでいいんです。

「昨日よりも今日は、この部分が前進できた」
「昨日よりも今日、この部分が成長した」

そんな一日を日々積み重ねていきましょう。

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なぜ、イエローハット創始者は苦行のような日々を耐えられたのか

1961年に創業したイエローハットを、日本を代表する優良企業に育て上げた鍵山秀三郎氏。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな鍵山氏の最新刊から「日々体験する様々なことを我慢する、耐える」ことの大切さを紹介しています。

成功に至るまでには、3段階がある

平成6年の刊行以来、続々と版を重ね、現在までに、実に30刷を数える『凡事徹底』。イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が40余年にわたり積み重ねてきた掃除を通して、「平凡を非凡に努めること」が説かれた本書は、10万部を超えるベストセラーとなりました。

このたび、刊行されるその続篇『続・凡事徹底』は、鍵山氏が行った3つの珠玉の講演をまとめたものです。本書の第2章に収録されている講話の中から、その一部をご紹介します。

日々の試練に耐えることは宗教的苦行より価値がある

人から不可能だと言われるような常識外れのことに挑戦しようとすると、必ずいろんな壁が立ちはだかります。

ドイツの哲学者、ショーペンハウエルは、何事かをやり始めて成功するまでには3段階あると言っています。

第1段階は笑い者になる嘲笑される。第2段階は激しい反対抵抗を受ける。その過程を経て、第3段階にして成功を遂げることができるというのです。

確かに私もそうした経験をたくさんしてまいりました。創業当初は、十分な労働環境を整えることができませんでした。それでも社員たちには、何とか心を荒ませずに働いてほしい一心で、せめて身の回りの環境を美しくしようと考えて職場の掃除を始めました。

その活動はたった一人で始めたことであり、誰に命じたものでもないのですが、10年を過ぎた頃から一人、二人と手伝うようになり、やがて会社の枠を超えて全国に広まり、いまでは北京、台湾、ルーマニア、イタリアなど、海外にまで広まっています

ところが掃除を始めた頃には、「そんなことしかできないのか」と散々馬鹿にされ、嘲笑されました。企業研究で当社を訪れたある有名大学の先生からはあなたは社長を替わったほうがいいですよ」とまで言われる始末でした。

私は、ショーペンハウエルのような偉大な哲学者でさえ嘲笑や抵抗に遭うのであれば、自分のような凡人がそういう目に遭うのは当たり前だと考え、それに耐えて今日を築いてまいりました。いまは耐えることの大切さを深く実感しておりますし、嘲笑や抵抗に耐えられる忍耐心が自分に備わっていたことを、本当に幸せに思っております。

ドラゴン桜の指南役が断言、育てにくい子のほうが見込みがある

最近は「考える力」の大切さが叫ばれるようになりました。しかし、従来型の押し付け教育に慣れてしまっている人はどうすれば良いか…戸惑ってしまいますよね。今回の無料メルマガ『親力で決まる子供の将来』では、著者で漫画『ドラゴン桜』の指南役としても知られる親野智可等さんが、考える力とは何かを論じるとともに、その育て方について解説しています。

「自分で考える力」は幼児期に育つ

幼児期にしっかりと「考える力」の土台を育てておきましょう。

今の時代は先行きが不透明な激動の時代であり同時に情報が多すぎる時代でもあります。子どもたちが大人になる頃には、さらにそれが加速するはずです。そのような時代をたくましく生き抜くためには自分で考える力が大切です

自分で考える力といってもいろいろな次元がありますが、中でも大切なのは「自分は何をやりたいのかを自分で考える力そのやり方を自分で考える力」の2つです。これが本当の自立であり、言い換えると自己実現力です。

やりたいことをやる楽しさを一番味わえるのが幼児期

この力がないと、変化の激しい時代の中で多すぎる情報に流されて、自分らしい生き方ができなくなってしまいます。現在でも、自分は何をやりたいのかよくわからないという大人がたくさんいるのですから。

そして、この自己実現力の土台は幼児期から育てていく必要があります。なぜなら、幼児期こそが、自分がやりたいと思ったことをどんどんやっていく楽しさを一番よく味わえる時期だからです。

子どもの「考える力」を伸ばすために大切なこと

わが子が、好きなこと、やりたいことを見つけて、自信をもって前に進めるように、今、親としてできることをしましょう。

「やりたい」と言ったことをたくさんさせる

幼児期には、子ども自身がやりたがることをどんどんやらせることが大切です。絵を描きたい子にはどんどん描かせる。お人形遊びが好きならそれをたっぷりやらせる。自動支払機にカードを入れたがったら入れさせる。人に迷惑をかけたり危険だったりしない限りにおいてどんどんやらせましょう

それによってはじめて、「自分は何をやりたいのかを自分で考える力」と「そのやり方を自分で考える力」がつくのです。確かに「親や先生に言われたことはできる。でも、特に自分がやりたいことはない」という子は育てやすいでしょう。でも、それを優先してしまうと、先の2つの力は身につきません

実は、「言われたことはできないけれど、自分がやりたいことはどんどんやれる」という、育てにくい子のほうが見込みがあるとも言えるのです

現役30年のアナウンサーが伝授「5G時代の見せながら話す技術」

人前で話すあらゆるシーンに役立つプロの技を伝えてくれるメルマガ『話し方を磨く刺激的なひと言』の著者で、アナウンサー歴30年の熊谷章洋さん。今回は、来たる5G時代に求められる能力として、「目の前にあるものを見せながら魅力的に伝える技術」をわかりやすく教えてくれました。プレゼンの機会が多いビジネスマンや動画コンテンツでインフルエンサーを目指す人は必読です。

見えない状態のものを説明する技術

次世代通信技術、5Gの実用化が目前に迫り、私たちに求められる話し方も、変わってくるのではないか、という話題を先日の記事でお伝えしましたね。
情報を発信するにしても、受信するにしても、動画を見て理解することが普通になる、また、相互の通信においては、まるで同じものを見て同じ体験をしているような感覚で、話をすることになるのではないでしょうか。

つまりポイントは、見えているものをどう話すか?「見せながら話す」という点です。見えるということが話の前提になるわけですから、当然、不要になる種類の話もありますし、逆に必要になることも出てきます。

ではまず、ちょっと考えてくださいね。例えば、いま目の前にある花のことを、いまここにいない人に伝えるとしましょう。それが「見えない状態の通信」で、その花がどんなものかわかってもらうために、最も効率的な表現は、どんなものでしょうか?

その答えは…アジサイです、ひまわりです…などと、花の名前を言うことです。なーんだ!ですよね。ものの定義がそのまま、そのものを最もよく言い表す効率的な表現になり得ます。そして名前は、ものの定義の最もシンプルな形です。

ただし、その名前とイメージが繋がって、共通認識になっている場合に限ります。通信の相手の人数が少なければ、共通認識の範囲が狭まるのに対し、その範囲が広く、不特定多数の状態であれば、共通認識は常識と同義になります。

簡単に言うと、その花がネモフィラだったとして、通信相手が全員ネモフィラを知っていると、こちらも認識していれば、ネモフィラという名前を言えば済みますが、全員知っているかどうかは微妙…であれば、名前を言うだけでは説明が足りないことになりますよね。
これはものの名前に限ったことではなく、相手次第で、専門用語や、カタカナ語や、マニアックな話、内輪話をどの程度使っていいかが変わってくるのと、同じことです。