新型肺炎で国内初の死者。医師や20代男性も感染にネット動揺の声

新型コロナウイルスに感染した神奈川県に住む80代の女性が13日、死亡したことがわかったとNHK産経新聞などが報じた。新型コロナウイルスの感染者が死亡するのは国内で初めて、中国以外の国で3人目となる。


渡航歴、外国人との接触なし

厚生労働省によると、女性は先月22日に体調不良になり、今月1日に肺炎と診断され、入院。しかしこのとき新型コロナウイルスによる肺炎と診断されていなかった。そして12日に症状が悪化し、13日に死亡。新型コロナウイルスに感染しているという検査結果が出たのは、女性が亡くなった後だった。

死亡した女性に渡航歴はなく、感染経路を調査中とのこと。また、この女性の義理の息子で、東京都内に住む70代のタクシー運転手の男性も感染が確認された。男性が発熱したのは先月29日。女性同様、発症する前の14日以内で中国・湖北省と浙江省への渡航歴がなく、「外国人の客を乗せたこともない」と話している。ふだんからマスクを着用して常務しており、発熱以降は自宅で療養し、勤務はしていなかったという。男性は妻と2人暮らしだった。

千葉県20代会社員の男性も感染

千葉県内に住む20代の会社員の男性も新型コロナウイルスに感染。男性は今月2日、発熱。熱が上がったため6日にかけて千葉県内の2つの医療機関を受診したという。今月10日に別の医療機関を受診し、肺炎を起こしていると判明。13日にコロナウイルスの検査が行なわれ、感染が確認されたとしている。この男性も海外への渡航歴はなく、肺炎患者との明確な接触も確認されていないとのこと。現時点では、男性の妻や子ども、同僚に症状は出ていないという。

習近平の誤算。新型肺炎の大流行で決定的になった世界の中国離れ

WHOにより「COVID-19」と名付けられた新型コロナウイルス感染症。その蔓延速度は衰えを見せず、中国だけでも患者数は6万人にも上っています。すでにサプライチェーンにも影響が出始めていますが、この先どのような推移を辿るのでしょうか。台湾出身の評論家・黄文雄さんは今回、自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、中国と貿易関係を強めるリスクを強調するとともに、「世界の中国離れは加速する」と断言しています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2020年2月12日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【台湾・中国】次々現れる「中国との関係を見直すべき」のサイン

10年を迎えるECFAの行方

台湾は馬英九政権時代の2010年6月に、中国との間で「海峡両岸経済協力枠組協定(ECFA)」という経済協定を結びましたが、これが今年で10年を迎え、終了するかどうかという議論が台湾で起こっています。

このECFAは二国間の関税引き下げと自由貿易を目的とする自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)に相当する、台湾と中国のあいだの協定です。すでに「アーリーハーベスト」(本妥結に至る前段階で、先行して限られた物品について関税の低減)対象品目」として、台湾側は267品目、中国側539品目の関税がゼロとなっています。

サービス貿易についても自由化を目指して、台湾は研究開発や銀行など9業種、中国は病院、銀行、保険などのサービス11業種が開放されています。同時に2012年8月には、投資の保護や利便性の向上を目指した「両岸投資保障および促進協定」や、知的財産権や金融、電子商取引などの分野での経済協力をうたう「両岸税関協力関係」を結んでします。

ただし、両国でサービス分野での市場開放を進めようという「両岸サービス貿易協定」については、2013年6月に締結したものの、台湾の市場が奪われることに危惧を抱いた台湾学生たちが猛反発して立法院を占拠、協定締結は白紙に戻ったことは、記憶に新しいところでしょう。こうした馬英九および国民党の中国接近姿勢に批判が集まり、2016年には民進党への政権交代が起こったわけです。

さて、この中国とのECFAですが、「海峡両岸物品貿易協定」の交渉が中断していることから、優遇を享受できる範囲はアーリーハーベスト品目のみに限られており、ジェトロによれば、2018年の台湾の中国からの輸入額は、538億ドルですが、うちアーリーハーベスト品目の輸入額は59億ドル、減免された関税額は9,100万ドルしかありません。

また、中国からの輸入額に占めるアーリーハーベスト品目の構成比は11.0%にとどまるとのことです。

台湾にとって中国は最大の輸出先(構成比:28.8%、2018年実績)、輸入先(18.8%、同)という数字に比べて、貿易全体への影響は限定的です。

問題は、今回の新型肺炎の流行で実際に起っていることですが、中国に拠点を置いたり、中国からの輸入に頼っていると、部品の確保が難しくなり、製品を作成することができなくなる可能性があります。

安倍官邸が「禁じ手」を使ってまで検事総長にしたがる男の正体

1月31日に政府が閣議決定した、黒川弘務検事長の半年の定年延長を巡り、与野党が対立しています。なぜ官邸は、違法性まで指摘されたこのような禁じ手を使うに至ったのでしょうか。元全国紙社会部記者の新 恭さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で今回、黒川氏の過去の「功績」を紹介するとともに、政府の魂胆を白日の下に晒しています。

官邸はなぜ黒川弘務氏を検事総長にしたいのか

安倍首相はいつごろ、このアイデアを思いついたのだろうか。誰かに吹き込まれたとしても、悪知恵が過ぎる。

検察のナンバー2、黒川弘務・東京高検検事長を、半年だけの定年延長で、ちょうどそのころ退任時期を迎える稲田伸夫・検事総長の後釜に据えようという魂胆。

「桜を見る会」の問題点が国会で指摘され、ジャーナリストや弁護士ら約50人が昨年11月20日、東京地検に告発状を提出したこと、他の弁護士グループも告発の準備を進めていること、なにより、安倍首相自身が違法性を自覚していることが、少なくともこの人事になにがしかの影響を与えているように思える。

7年にもわたり、幹部官僚人事を思うがままに動かした安倍官邸は、あたかも霞が関全体を掌中に収めたかのごとくふるまっている。だが、安倍首相に気がかりな点がないとはいえない。“忖度”とやらの横行とともに、人事権の乱用への反発心もまた、各府省の中にはくすぶっている。“裸の王様”と揶揄される安倍首相でも、そのくらいのことを察するのは容易だろう。

とりわけ検察は、建前上、政治からの独立性が求められる。検察が本気になって腐敗を暴き出せば、いかに政権側に指揮権発動という伝家の宝刀があろうとも、メディアを味方につけて政権を転覆させることも可能である。

このところの問題は、その検察が安倍政権の中枢部から数々の腐敗ネタがこぼれ落ちているのを知りながら、厄介な内部力学が働いて拾おうとしなかったことであるが、それゆえにこそ現場の検事たちには、不満のマグマがたまりにたまっている。

官邸への忖度の中心にいたのが、まさに、今回の異常人事で検事総長の座が目の前にちらついているであろう黒川弘務・東京高検検事長なのである。

黒川氏といえば、検察というより、法務省官僚の印象が強い。若いころは地方検察庁で検事の仕事をしたが、その後の大半は、法務省の大臣官房か、刑事局に在籍し、大臣官房長を経て2016年9月、法務事務次官となり、19年1月に東京高検検事長に就任している。

実は黒川氏の法務事務次官就任は、官邸のごり押しによるもので、当時、法務・検察内部に立った波風はかなりのものだったらしい。法務事務次官には黒川氏と同期の林眞琴氏が就くというのが既定路線だったのだが、官邸はこの人事案を拒否し、官房長だった黒川氏を充てるよう要求した。

なぜ官邸は黒川氏なのかというと、さかのぼれば長い話になる。小沢一郎氏を陥れようとした陸山会事件にまで触れなければならないからだ。つまるところ、黒川氏は小沢潰しを画策した麻生政権時代から、検察と政治の間を小器用に立ち回ってきたといえるだろう。

後援会観劇ツアーで有権者を買収した小渕優子・元経産大臣、URへの口利きで現金を受け取った甘利明・元経済再生担当大臣。明白な証拠がそろっているこの二人の事件を潰したのは、当時の黒川官房長だったといわれる。

東京地検特捜部が政界の捜査に入ろうとするさい、法務省に、なぜかお伺いを立てることになっている。表向きは特捜が暴走することがないよう、ということだが、実際には政権の怒りを買うような捜査を避けたがる法務省幹部の保身に起因している。

特捜がお伺いを立てる窓口が官房長というわけで、意外に官房長は威張りやすい。一説によると、小渕、甘利の両事件ともに、黒川氏が突き返したらしい。もちろん、黒川氏はぬかりなく菅官房長官あたりに“手柄”を報告しただろう。

特捜の検事たちはたいそう悔しがったというが、官邸にしてみれば、黒川氏を法務・検察の中枢に置いておくメリットは計り知れないわけである。官房長から事務次官に黒川氏が昇格したのは、甘利氏の不起訴が決まって数か月後のことだった。

日本も新型肺炎の感染国扱い。NZの小学校で今、起きていること

新型肺炎を巡っては、中国政府の初動の遅れ等を非難する声も上がっていますが、グローバル目線では隣国の日本も危険視され始めているようです。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、「NZの一部では日本が新型肺炎の汚染国扱いされている」という現地在住の読者からのメールを紹介するとともに、日本政府の対応の甘さを指摘しています。

日本は中国と同じ【感染国扱い】になりつつある

先日の「カネ目当てと習近平への忖度で新型肺炎を蔓延させた安倍政権の愚」でご紹介したニュージーランド在住の読者さんから、追加のメールが届きました。非常に興味深い内容ですので、ご紹介させていただきます。

先日は拙い文章をご紹介いただき、ありがとうございました。ちょうど、北野さんにメールを出したすぐあと、中国で今回の新型肺炎を報告した眼科医の方が亡くなりました。その後、いろいろ記事を読みますが、本当にこんなことが日本で起こっているのか?…と信じがたいニュースを目にします。

 

“疑い”ぬぐえぬ患者 対応苦慮
(※ 北野註 ↑↑↑ 必読です)

 

空港職員の方が新型肺炎ウィルスに似た症状を呈しているのに武漢にいっていない…という理由で検査がされない…というのです。優先順位をつけなければならないのは分かります。でも、先日もお伝えした通り、私が成田を発った1月22日現在、武漢行の直行は出ていました。その時、マスクをしていた空港職員はごく一部です。昨日は中国が「エアゾル感染(空気感染ではないけれど、お話ししただけで感染する可能性がある)する」と認めているのです。空港職員は優先順位を高くすべきなのではないでしょうか?

 

オークランドでは一部の小学校で、「日本は新型肺炎の汚染国扱いで、帰国後2週間、出席を停止すること。また、日本から帰ってきた家族がいる場合も同等のこと」という処置がされています。今のところ、全体的な動きではないものの、今後の日本国内の感染の拡大によっては全部の学校に広がる可能性も否めません。これは小さなことかもしれませんが、うちの子供たちは日本語の補習校に通っていますが現地の学校の敷地をお借りしている状態で、今後このことが原因で「出て行ってほしい」といわれる可能性もあるのではないかと危惧します。

 

今、中国経済はダウンしていますが、日本も感染国になれば、当然同じ道を歩む可能性が高いと思います。それ以上に心配なのは日本にいる家族友人たちのことです。国内感染が拡大するということは、内外の日本人にとって死活問題です。

 

日本国内はすでに中国の状態は対岸の火事ではなくなってきています。ここ1~2週間で、日本が中国のような状態になるのか、否かが決まると思います。日本の政府高官の方々に、是非とも感染の可能性のある人の範囲を広げて検査をしてくださるよう、願ってやみません。

 

ちびたちの母

ちびたちの母さんからのメール、およびご紹介された記事からわかることが二つあります。一つは、日本では新型コロナウィールスに感染している人でも、見つからないケースが山ほどある可能性。

新型コロナウイルスの検査を行う対象について、厚生労働省は37度5分以上の発熱と肺炎を疑わせる呼吸器症状があり、2週間以内に武漢市を含む湖北省への渡航歴があるか、湖北省に滞在した人と濃厚接触した人まで含めるよう広げました。

(NHKニュースウェブ 2月6日)

検査の対象条件は、

  • 37度5分以上の発熱
  • 肺炎を疑わせる呼吸器症状

これは、いいでしょう。しかし、その後がつらい。

  • 2週間以内に武漢市を含む湖北省への渡航歴がある
  • 湖北省に滞在した人と濃厚接触した人

この2点にあてはまらない感染者は、山ほどいるのではないでしょうか?それで、

患者の男性は、外国人旅行客と接触する機会もあるため、医師は、新型コロナウイルスへの感染の疑いもあるとして、検査ができないか、今月3日に保健所に問い合わせましたが、国が定める検査対象にはあたらないとして、対応を断られたということです。診療所の河内文雄医師は、「経過が通常の肺炎とは異なり、勤務環境からも新型コロナウイルスへの感染の疑いがあると判断したが、保健所は『武漢や湖北省との接点がない』との一点張りで対応してくれなかった。こうしたケースは多くあると思われ、放置していたら、今後、感染が拡大するのではないかと心配している」と話していました。

新型コロナウィールスが流行っていること。もちろん日本政府に責任はありません。しかし、日本国内で感染者が増加していること。これは、間違いなく政府の対応が遅すぎる、甘すぎるからで、「人災」といってもいいでしょう。

兄弟で窃盗も。元ボクシング日本王者が幼少期に受けた壮絶な虐待

普通の人ならば簡単に心が折れてしまうような理不尽な出来事…。真の強さとは、そんな逆境を乗り越えたからこそ体得できるものなのかもしれません。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、日本ライト級元王者の坂本博之氏が「自らの原点」とする、幼少期の壮絶な体験を語っています。

日本ライト級元王者、壮絶な幼少期を語る

メキシコ五輪銀メダリストの君原健二氏、日本ライト級元王者で、プロボクサーだった坂本博之氏。ともに日本人に広く知られる一流スポーツ選手ですが、栄冠を手にするまでには辛い幼少期に始まる様々な人生の山坂を超えていく歩みがありました。

お二人に共通するのは逆境を受け入れて、自身の成長の糧にしてこられたことです。坂本氏には、原点となる幼少期のご体験をお話しいただきました。

虐待を受けたから分かることがある

僕の子供の頃のお話をさせていただきますと、物心つく前に両親が離婚しましてね。僕と一つ違いの弟は母親に引き取られました。ところが、母親は働くのに必死、子供にご飯を食べさせてあげることができないというので乳児院にお世話になるんです。

僕が小学校に入るくらいの頃、一度は母が引き取りにきてくれるのですが、母の置かれた状況は相変わらずで、僕たち兄弟はある知人宅に預けられるんです。この知人宅で僕たちは「なんで大人はこげなことをするんやろう」と思うような出来事を味わうわけです。

食べ盛りの僕たちでしたが、与えられる食事は学校給食の一食のみ。学校がある日は、残り物をランドセルに入れて夜にこっそり食べたりできたからまだいいです。土日は近くの川に行って釣りをしているおじさんに魚を分けてもらったり、自分たちでザリガニを捕まえたりしていました。それを火で炙って飢えを凌ぐんです。水がもったいないからとトイレも使わせてもらえず、近くの公園で用を足しました。

ある時、駄菓子屋に並ぶ肉まんが食べたくて食べたくて。でもお金がありませんから弟と二人、持てるだけ持って走って逃げたことがあるんです。道に落として砂がついた肉まんを公園のベンチで貪るようにして食べました。

「こんなこと絶対にやっちゃいけない。でも、これは生きるためだ」

と自分にも弟にも言い聞かせました。

そういう生活を半年ほど続けていたからでしょうか、弟は学校に行く途中に栄養失調で倒れ、僕も拒食症になり給食すら受けつけなくなってしまったんです。学校の先生が異変に気づいて知人から引き離し、僕たちは和白青松園で保護されるようになりました。

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西郷隆盛も惜しんだ非業の死。「明治維新の指導者」の指導者とは

幕末から明治維新という、日本史上有数の激動の時代。そんな時代に相反する二つの勢力のどちらとも交流し、信頼を得た藤田東湖という人物が水戸藩に存在しました。維新を成した志士たちの指導者・東湖の影響力とはどのようなものだったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では作家の童門冬二さんが、志士達の言葉を拾いながらその人物像に迫っています。

明治維新の指導者の指導者 藤田東湖

幕末維新の指導者たちに、多大な影響を与えた人物がいます。水戸藩士の藤田東湖です。明治維新の震源地は水戸であり、その震源地のマグマとまで称された藤田東湖の人物像に童門先生が迫ります。

「新代表的日本人」 童門冬二(作家)

幕末維新を語る人は、必ず、「明治維新の震源地は水戸だ」という。同時に、「にもかかわらず、水戸では藩内抗争が激しくて、ふたつに分裂した派が相殺作用をおこない、あたら人材を全部失ってしまった。そのため、明治新政府が実現しても、トップクラスにポストを占める人物がほとんどいなかった」といわれる。それによって、水戸藩の役割がどこかで終わったような見方をする人もいる。しかしそれは事実とはまったく違う。

たとえ明治新政府に水戸藩から高級官僚が出現しなくても、水戸の主張は日本全国に渡って、脈々と生き続けたのだ。そして、その維新の震源地である水戸の地底にドッカと腰を据えて、まるでマグマのような役割を果たしていたのが藤田東湖である。

藤田東湖は、安政2(1855)年10月2日の江戸大地震で、圧死した。それも、いったんは家から飛び出し命は助かったのだが、母親がまだ家の中に残っていることを知ってふたたびとって返し、落ちてくる梁を自分のからだで受け、母親を救ったために死んだ。愛情の深い人間だった東湖らしい最期だった。この地震では東湖の同志だった戸田蓬軒も死んだ。

この悲報を受けた薩摩藩の西郷隆盛は、鹿児島の大久保利通に対し次のような手紙を書いた。

この2日の大地震は、前古未曾有にて、(あなたと)同様に、杖とも柱とも頼んできた水戸の藤田、戸田の両雄も、黄泉とならせられ候始末、いかにも痛烈の至り、何ごともこれきりと深く悲しんでおります。お察しください。

また、開国論者で有名な肥後熊本の学者横井小楠も、

自分の考えも、藤田先生がご生存であれば、一度は見てご指導を仰ぎたいと思っておりましたのに、このたびのこ落命は、実に力を落としました。こうなっては、いったい誰に向かって自分の考えを告げればいいのか、本当に心寂しく思います。

さらに、東湖と大激論をし、絶交状態にあった開明派の佐久間象山は、

東湖が死んだ。いまかれの書いた本を読んでいて、いろいろな思い出にひたっている。すべて明日のことのようだ。しかし東湖はもういない。大きく息をついて涙を流し放しにしている。

と嘆いている。

ひとことでいえば、藤田東湖の影響はそれほど大きかった。かれと接触し、影響を受けた幕末維新の人物には、学者、大名、各藩の有力藩士、幕臣など幅が広い。最右翼から最左翼にまでまたがっている。当時の思想でいえば、「尊皇穰夷派」と、「佐幕開国派」の二潮流の指導者たちがすべて入っている。

こういう幅広い人々との交流を見ていると、藤田東湖は単なる尊皇壌夷論者ではない。佐幕開国派から見ても、「藤田東湖先生の言説には、耳を傾けなければいけない点がある。単なる尊皇撰夷論を唱えているのではない。奥行きが深い」という感じ方をさせていたのだ。

たしかに、水戸藩から明治新政府への参加者は少なかったが、こう見てくると藤田東湖は、「明治維新実現の指導者になった人々の指導者」だったといっていい。別ないい方をすれば、「他人に大きな影響を与える人に大きな影響を与えた存在」ということができる。

東湖と交流した人々は、それぞれの立場で自分の思想や行動の拡散作用をおこなった。思想や行動の「核」となった。その「核となった人々」は、すべて藤田東湖の影響を受けている。となれば、藤田東湖は、「幕末維新の核となった人々の核」であったといえるだろう。

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ビジネス書の感想が「知ってるけど役に立たない」ではヤバいワケ

多くのサラリーマンの方は、ビジネス書を読みさまざまな知識を得ていると思われますが、ではその知識を生かし、さらに一歩先まで進めているでしょうか。今回の無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』では著者で現役弁護士の谷原誠さんが、トライ・アンド・エラーの重要性と、その先にある「自己実現の快楽」について解説しています。

苦難の壁のどちら側?

こんにちは。弁護士の谷原誠です。

私は、質問力や交渉術等のビジネスノウハウの本を多数書いています。10万部に達しているものもあるので、読んでいただいた方も多いと思います。

このようなビジネス書を読む目的は、どのようなものでしょうか。ビジネス書を読んで、「へー。知らなかった」と思うと、知的好奇心が満足します。実は、そこで止まっている人が多数だと思います。そこから、更に、「身につける段階」へと進んでいる人は少数でしょう。

たとえば、質問力の本を読んだとします。新しい知識もあれば、すでに知っている知識もあるでしょう。しかし、知識があるだけでは、日常生活に活かすことはできません。実際に使ってみて、反応を確認し、成功したり、失敗したりすることが必要です。そして、普段の生活の中で、常に質問の仕方を意識していることが必要です。そこまでしないと、質問力を向上させることはできないわけです。

この場合、何らかの成功体験があると、続けやすくなります。しかし、常に成功することはありません。うまく成果が出ないことが続くことも多いでしょう。その時、「やっぱり使えないや」と諦めると、その時点で、質問力の向上がストップします。そして、他の質問力の本に手を出したりします。そして、「ああ、このテクニックはもう知っている。役に立たなかったな」などと思ってしまうのです。

これは、自分が質問力を身につけられなかったことを正当化し、自尊心を守るための思考です。だから、何らかのビジネスノウハウを見つけようとして、ビジネス書を読み、「ああ、知っているよ。でも、役に立たないな」と思ったとしたら、それは、自分の成長を妨害する危険信号だということです。自分が実践していないことを示す信号だからです。

ゲームのように、楽しんでステップアップしていければ楽しいのですが、現実社会は、そうはいきません。何らかの力を身につけるためには、精神的な苦痛を乗り越えていかないといけない、ということです。

実は、そのような苦痛を乗り越えた先には、「自己実現の快楽」があります。他人からの高い評価もあります。そこでは、自己正当化するよりも、はるかに自尊心を満足させることができます。

知識を得た満足で自尊心を満足させ、後は自己正当化で自尊が傷つくのを回避するか、さらにその先に進み、自己実現の快楽を得て十分に自尊心を満足させるか、その間には、高い「苦難の壁」があります。あなたは、苦難の壁のどちら側に立っているでしょうか?

もし、質問力の道に進もうと考えたら、以下の本を参考にしてください。

人生を変える「質問力」の教え』(WAVE出版)

今日は、ここまで。

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長く着るならこんなふうに。お気に入りニット、手入れの「正解」

立春を過ぎたとはいえまだまだ寒い日もあり、ニットを着る機会も多いかと思います。そのニット、とても暖かで着心地もいい反面、お手入れには手間がかかるものですが…。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、お気に入りのニットを長く楽しむための「着方やケアのコツ」を伝授してくださっています。

ジャマなモコモコ

さて、本日はこの時期に気になるモコモコのお話。

今年は暖冬ですね。厚手のコートやニットなんていらないくらい。あ、ぜんぜん話が違うんですが(って、まだ本題になってないのに脱線…)、日本では厚手のニットが売れなくなっているんですよね。

室内がそれほど暖かくない場合には、コートを脱いだときにも寒いので、厚手ニットが必要なんです。でも最近は室内が暖かいでしょ。そうすると、コートを脱いだとき厚手ニットだと暑すぎるんですよね。つまり、ニットの厚さは室内が暖かいかどうかにかかっていると。

あ、いや、今日の話にはあんまり関係がないんですけどね( ̄∇ ̄)

で、そのニットの話。

ニットはどんなふうにケアしていますか?洗っている?ブラシをかける?何もしない?あ、何もしないのはケアしているって言わないか(*゚∀゚*)

ニットは、なるべく

  • 洗わないようにするのが結局正解

なんですよね。どれほど気をつけて洗っても、どうしても縮んだり傷んだりしてしまうからです。なので、ニットに対しては、洗わなくていいように

  • できるだけ汚さないように着る

ことが大事なんです。まあ、洗うのは衣替えで片付ける直前の1回。あとは、よほど汚れたときの1回くらいですね。

私、気に入ったニットって、そればっかり着ちゃうんですよ。なので、ヨゴレが溜まりやすい。なんとなくうっすら汚れてきたのが分かるのでつい洗ってしまうんですが、ダメなんですよね~。

よほど汚れるって、だから、なにかこぼしたとか転んで泥が着いたとかですよ。これ以外の場合、違うケアでなんとかするんです。それが

  • 毛玉を取る

なんです。ドロもカフンもダニのフンも、みーんなコイツがガッチリ掴んでくれちゃっているらしいんです。なんとなく分かる気がしますよね。ブラシをかけるとヨゴレが掻き出されるわけですが、ブラシをかけずにいるとヨゴレがそのまま定着して毛糸と一緒にダンゴ状になるわけですよ。ウゲゲ。

毛玉を取る場合には

  • 必ず毛玉取り機(?)を使う

ことです。ダメなのが、ハサミ。ニットの糸自体を切ってしまって

  • 穴を開けてしまうことが多い

からです。いや、むしったりするのは、もっとダメですよ。毛糸がひっぱられてしまうからです。

また、毛玉取り機は、

  • 小さめのものを

使う方がいいそうです。大きい方が1度にたくさんとれて便利な気がするけど、小さいものの方がキレイに確実に取れるらしい。

ちなみに、毛玉自体をできにくくする

  • 着方が

あるそうです。コートはゆったりめで裏地付きを選ぶ、バッグが直接ニットに当たらないようにする、などだそうです。言われてみれば、そりゃそーだ。なにかと擦れることで毛玉ができるんだから、擦れないようにすればいいわけですよ。

お気に入りのニット。ちょっとだけ毛玉に気をつけて長く楽しみたいですね。

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人にボールを当てていいのか。帰国子女が理解できぬ日本の遊び

ドッジボールは、単純なルールやさまざまな人数に対応できる柔軟さもあって、子どもが気軽に楽しめる球技として親しまれています。しかし現役教師の松尾英明さんは、ある帰国子女の問いかけからドッジボールに疑問を抱くようになったといいます。そんな松尾さんが今回、無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、「ドッジボールは教育上是か非か」を考察します。

ドッジボールは是か非か

「丁寧」や「穏やか」「思いやり」といったことについて。

突然だが、読者の皆様は、ドッジボールを好きだろうか。私は、子ども時代からずっと好きだった。すばしこい上に、投げる力が強く、バシバシ当てることができたからである。

さて、ここに「強者の理論」が入っている。どんどん当てられるから楽しい。これは、ごく一部の子どもであり、学級の10%程度である。多くは、「時々投げるチャンスが来ることがある」という程度である。または「当たりたくないからずっと外野」という超消極的参加の子どももいる。

実際に学級担任を長年やってきて、ドッジボールは休み時間の定番遊びの一つであった。

しかしである。

体育で行ったことは、ほとんどない(ほとんど、というのは、遊びの応用に使えるように、王様ドッジなどの方法を単発で教えたことがある)。なぜかというと、この運動に次の運動への発展性がないからである。「ゴール型」「ネット型」「ベースボール型」のいずれにも当てはまらない。「動く人間を的にして当てる」という運動が、ドッジボール以外にないからである。

よくよく考えると、これは、狩猟に似た遊びである。逃げる獲物を狙いすまして撃ち落とす。古来から世界各国で行われている辺り、人間が本能的に好む遊びであると思われる。

しかしながら、これを学校教育で行うべきかというと、甚だ疑問である。学校で育てるべきは「本能」ではなく、「思いやり」や「丁寧さ」という社会で生きる力である。ドッジボールで育つ力は、はっきりいって、真逆である。

最近は、これを電子空間上で行う取り組みも出てきた。実際のボールが当たる訳ではないので、身体的な痛さがないのがいい。ただ、人間を的にするという基本は同じである。ゲームとしては有り得ると思うが、体育としていいかどうかは、正直まだわからない。ただ、間違いなく一つの新しいエンターテインメントにはなりそうである。

そういう中での譲り合いを学ばせる、という意図も、あるにはある。しかし、実際は、強者が弱者に譲るだけで、他の学習のような学び合いにはならないというのが実際である。

実はこれを考えたきっかけは、外国の学校で学んできた子どもたちが「何なのこれは?」と言ったということを聞いたのがきっかけである。やったことがなかったらしい。そして、「なぜ人にボールを当てていいのか」が理解できなかったらしい(他のことでは、明らかにダメな行為であるので、ある意味当然である)。

小学生のドッジボールは是か非か。最近、ここに色々な説が入ってきているようで、なかなかホットな話題である。私は単純に自分が好きだからやっていたが、ここ数年は考えさせられている。とりあえず、今はやらずに考えておこうかというところである。

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なぜ、理科の先生より国語の先生のほうがとっつきやすいのか?

初対面の人とでも難なく会話を成立させてしまうような「人付き合いスキル」は、身につけようと思ってもなかなか会得できるものではありません。そんな能力を「一種の才能」とするのは、現役科学者のくられさん。くられさんは今回、自身の無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』で、「人付き合いスキル」と、その真逆の位置に存在するスキルであると考える「教養」のどちらを身につけている方が、人生を送る上で得なのかを考察しています。

人生に必要なのは教養なのか人付き合いスキルなのか?

理系文系と学問をわざわざ分けているのは日本ぐらいなものですが、今回は、別にそうした文理の学業の話ではなく、世間的に文系スキルなどと言われがちなコミュニケーションスキルについてです。

まあ、本当に文化系学部の研究者からすれば死ねという感想しかなさそうだが、それはさておき。

人付き合いをそつなくこなす力…自分はこれを「人付き合いスキル」と呼んでいますが、これも一種の才能で、どんだけ身につけようとしても挙動不審の怪しくキモい動きにしかならない人もいるし、自分ができてると思い込んで自称モテを振りかざす痛いヤツになったりと諸々あります。

この、人とそつなくうまく会話をこなす、初対面の人とも楽しく話を盛り上げることができる…そういったトークスキル、人の気持ちを先読みして良い感じに寄り添う感じを演出する、中には相手の思考を誘導するなどなど、「人付き合いスキル」もなかなか多彩です。

この「人付き合いスキル」は、知恵や知識、情報、そうしたものを冷静に判断し知恵と経験を合わせ合理的に物事を考える「教養」というものと真逆の位置に存在するスキルなのではないかと自分はこっそり思っています。

もちろん何の根拠もなくて、長い人付き合い、いろんな人を見てきての経験則でしかないのですが、「人付き合いスキル」と「教養」は同居が困難なもので、故に「教養」にガン振りした学者の類いの人種は人間付き合い自体が基本的に苦手なのではないかと、そう思うわけです。

自分も人付き合いが好きかと言われると…実はあまり好きではありませんが、おそらく得意な部類です。故に「人付き合いスキル」のおかげでたいして強くない「教養」を誤魔化していられるのではないかと自己分析しています。うわ、やだ、死にたい。

理系馬鹿という言葉がありますが、例えば法律の専門家で人語をまともに介せない人もいますし、文学にのめり込みすぎて人の形を失ってしまった人もいるわけで、さまざまな専門知識にガン振りしすぎたおかげで、人間性に難ありとか、ちょっと付き合いにくい的に扱われるのは皆さんも記憶にあるでしょう。

身近な例だと、理科の先生は国語の先生より風変わりな人が多い…的な(笑)。

「人付き合いスキル」と「教養」どっちが強いのでしょう、どっちが得なのでしょう?

これも語弊しかなくて完全に独断と偏見による自分の感想なのですが、臆せず言うと「人付き合いスキル」のほうが社会的には強者になりやすいと思います。

「教養」はこの世の理を自分で理解して、それを改変する力さえ持つわけで、科学という魔法を使ってルールを書き換えることさえできて、実際に銃などの兵器などで物理的に物事を思ったように運ぶことができる。これが「教養」の魔かなと思います。

「人付き合いスキル」はどうでしょう?自分のできないことは全部口八丁手八丁で人任せにできれば、自分の努力は必要なく、すべて他人任せで回すことさえできるのが「人付き合いスキル」の魔の部分でしょう。

この二つの属性、社会が小さく人が少なければ「教養」の圧倒勝利なのですが、社会が複雑であり人間が圧倒的に多くなると「人付き合いスキル」が圧倒的勝利になります。

というのも、「教養」を武器とする人もそのまま使ってしまえばいいからです。

それゆえ「人付き合いスキル」はぶっちゃけこれだけで人生が乗り切れてしまうほど強い才能や武器(教養ゼロだけど上り詰めたお笑い芸人とかいるくらい)ではあるが、やはり教養があることで乗り切れる局面生き残れる可能性、なにより欺されない強さが身につくので、なにごとにもバランスが必要ですね…というクッソ地味でオチもつかない話になっていくのです(笑)。

「人付き合いスキル」に全振りできるのはもはや才能なので、もし、自分にそれがあるな…という人はそれにガン振りしてみてもいいかもしれません。

もっとも、自分は理を食み実を積み生きることが「楽しい」ので損であっても「教養」を大事に生きたいなぁ…と思ってます。

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