連休に読む。人生を何度でもイメージ上で繰り返せる、5冊の良書

人生は選択の連続で、一度のミスが後々まで響き続けるという「悲劇」もままあるものです。そのような状況を回避するために、私たちはどんな手を打てばいいのでしょうか。今回の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』では著者の佐藤しょ~おんさんが、「他の人の指した手を勉強して、悪手の数を減らす必要がある」として人物伝や評伝を読むことを勧めるとともに、5冊の良書を紹介しています。

人生は一度しかないから

人生の難しさって、あらゆる局面を1回こっきりしか体験できないところにあると思うんですよ。囲碁や将棋だと、勝負が付いた後に感想戦といってもう一度並べ直して、お互いにどの手が良かったのか、その時に何を考えていたのかなんてことを検討しあうんです。それによって悪手が分かったりして、それが次戦に繋がるわけですね。

人生ではこれがないんです。御破算で願いましては、ということがないから、常に一度だけの勝負になってしまうから難しいんです。

もしみなさんがもう一度高校生に戻れたとしたら、第一志望だった大学にすんなり合格するんじゃないですかね。勉強のやり方とか、時間の大切さとか、受験が人生にどう影響するかなんてことを、既に身を以て体験しているわけで、そこでやり直せたら今度は本気になれますよね。

同じことは結婚生活でもいえるわけです。あそこであんな失敗をしなければ、こんな状態にならなかったのに…。

子育ても同様で、あの時のボタンの掛け違いが、今のヤバい状況を作っているのか…と気付いた時にはもう遅いわけです。

サラリーマンとしての人生だって、あの時の悪手が出世を遠ざけることになろうとは…と、後悔していることのひとつやふたつ、誰にだってあるものです。

そんな後悔をしたくなければ、どうしたら良いんでしょうかね。

これは自分以外の人の人生を横目で観察して、そこで起こる失敗や成功を自分の人生に擬えて、同じような失敗をしないようにする。同様に、他者を観察してその人が上手くやったことを、どうにしかして自分の人生に取り込んでみる。こういうことをしなきゃならないんじゃありませんかね。

1回しか経験できないんだから、後は野となれ山となれで、行き当たりバッタリで生きる人と、他の人の生き様を観察しながら、そこから学びとなることを見つけ出して、自分の人生に取り入れる人とでは、人生の結末は大きく異なるモノになると思うんでよ。

そんな便利な人が身近にいるのかって?フツーはいませんよね。だから人物伝とか評伝といわれる一人の人生にフォーカスを当てた物語を読むのですよ。課題図書では定期的に、ある人物の一生を綴ったモノを選んでいるんですが、それはそんな人物からの学びを感じ取って欲しいからですよ。

2月の課題図書にした

銀行王 安田善次郎』北康利 著/新潮社

からは陰徳を大事にすると人生で何が起こるのかを学べるはずですし、

中卒の組立工、NYの億万長者になる』大根田勝美 著/KADOKAWA

からは、学歴に関係なく成功を掴むための思考とマインドが学べるはずです。

ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア佐々木正』大西康之 著/新潮社

からは、時代を作る男のスケールの大きさや、有為な若者に対する無私の援助が何かを感じ取れるはずです。

アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール 著 山際素男 訳/光文社

からは、理念や理想のために命を賭けるとはどういうことか、差別を乗り越えることのハードルの高さがいかばかりかを知ることができるはずです。

男性だけでなく女性が主人公であっても、

裸でも生きる──25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子 著/講談社

のように、やり遂げるとはどういうことかを学べるわけですよ。

課題図書のページをちょっと眺めただけでも、私はこれだけの人たちの人生を追体験し、そこからの学びを、自分の人生に活かしているんです。つまりこういう本を読むことで、人生を5回でも6回でもイメージ上で繰り返せるのですよ。

人生って自力でどうにかしようとすると、ほとんどの場合は失敗するモノです。なぜならばどの局面も1回しか経験できないからで、全ての局面で良い手を指せる人なんていないからです。だからこそ、他の人の指した手を勉強して、悪手の数を減らす必要があると思うんですよね。

在宅勤務に飽きたら、こういう本を読んで自分の人生を見つめ直すってのもアリだと思いますよ。

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コロナ禍で変わる日々の散歩とランニングの風景に見つける幸福

外出自粛中でも、健康維持や運動不足解消のために奨励される散歩やランニング。しかし、公園や川沿いなどのランニングコースを利用する人が増え、そこでも人との距離に注意を払わなければなりません。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の引地達也さんは、日々のランニング風景に変化を感じながらも、目にする家族の姿に「幸せ」を見い出し、メディアからの情報にさらされ不安な気持ちを「浄化」できると、ランニングの効用を綴ります。

メディア機能の一部から堤防の風へ─「走る」「歩く」幸せの一歩

ランニングする人の数が急に増えている。自粛要請の中で、散歩やウォーキングは人との間隔などを配慮することを条件に奨励している向きもあり、「走る」市民の動機付けにもなっているようだ。

たいした趣味のない私でも日課のランニングは趣味の部類かもしれないが、その毎日の行動は頭を整理したり、1日の仕事の流れを確認したり、前日の会議の内容を見直したり、昨晩のメールの文言や会話の中身の真相を思案してみたりの時間と解釈している。ランニング中に思考する内容は、不要なものは消えてしまい大事なものだけが残っていくから、ランニングは頭と心の浄化という行動に近くなってくる。

それを最近は「お勤め」などと言っているが、このお勤めの日々の最近の風景、適度な間隔でそれぞれの大事な人や家族とともに歩き、行き交う光景は、この時期にあっても「幸福」という言葉がふさわしい、と考えている。

私のランニングコースは3コースあって、いずれも川沿いの堤防がコースだから、近くの人が走りたい、散歩したい、と思えば、おそらくそこに立つだろう場所ばかり。新型コロナウイルスの非常事態宣言が出された後から急激に堤防に人が多くなった。ランニングも親連れが目立ち、夫婦の散歩も激増した。

東京都内の生活圏の中にある堤防だから、それは身近な場所への散歩となり、自然と人は集まるから、ここでも適度な間隔は必須だ。そんな過密化した都市で、ウイルスの襲来に翻弄されている私たちだが、青空の下、家族連れで歩いている方々を見ると、そんなことを忘れて幸せな気分となる。

そこには子供たちやお年寄りだけではなく働き盛りの方々も多い。その歩く表情は、毎日の通勤電車で見せる表情とは違って爽やかだ。走っている私にもその幸福感が伝わるから、気持ちがよい。

そして、帰宅してネットを開くとコロナ禍のニュースが飛び込み、たちまち現実的な不安が押し寄せ、リップマンの著書『世論』の冒頭を思い出す。1914年、ラジオもテレビもないヨーロッパのある島でイギリス人とフランス人とドイツ人が仲良く暮らす中、連絡船が運んできた6日前の新聞にドイツとフランスの間で戦争が起こったことをその住民が知った、という話である。

戦争が起こっていることを知らない人にとって、戦争は「起こっていない」のであり、フランス人とドイツ人の間でいがみあいも起きない、という例えから、リップマンは私たちの行動はメディアによって媒介される「疑似環境」で決まる、と導いている。

現在、週間視聴率でニュース番組が上位を占める時世にあって、なおさら私たちの思考と行動はメディアが伝える情報に左右されてしまう状況にあることをまずは自覚したい。その上で私たちがどのように行動するかが問われている。

新型コロナウイルスによる不安な気持ちは大きな渦となって社会を席巻しているが、その不安を取り除こうと、アーティストやアスリートら、その技で人々を勇気づける人たちが立ち上がり、やはりメディアの拡張機能を使って、不安を拭おうと奮闘している。この近代社会の構図を冷静に捉えながら、アーティストやアスリートの声に心で応えられる社会でありたいと思う。

それらメディアから届くさまざまな声の中で本当にやさしいもの、本物の声が何かを考えて受け入れていく。その受け入れられる純粋な思いを大切につないでいきたい。

おそらく、堤防を風に吹かれて歩いていると、さまざまな情報から「浄化」された純粋な「本当のやさしいもの」が分かってくるような気がする。こんな時だからこそ、外で歩く一歩一歩や一緒に歩く人を大事にしたい。きっと、その一歩に幸せが宿していることを実感できるはずだと思う。

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パジャマは絶対NG。「テレワーク中の服装」は何を基準にすべきか

多くの企業がリモートワークを導入する中、「自宅で仕事をする際にどんな服をチョイスしていいのか迷う」という声がそこここで聞かれます。「服装選びの基準」のようなものがあれば、そんな迷いも霧消されるのですが、何を指針とすべきなのでしょうか。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、自宅勤務や外出自粛時における服装選びの「重要なポイント」を紹介しています。

お家ファッション

さて、本日は最近のファッション事情(?)のお話。

新型コロナのせいで外出を自粛するようになり、お家にいることが多くなりましたね。このことが生活のたくさんの部分に影響を及ぼしています。

真っ先に影響を受けたもののひとつが

  • ファッション

でしょう。なにせ会社にも学校にも行かないんですから。スーツも制服も着ないよね。それどころかバッグも要らないし#KuuTooのパンプスだって要らない。だって、おんもに出ないから。

Twitterにたまに流れてくる『春はピンクで気分をあげる!』『マストバイは、このスーツで決まり!』みたいなトレンドCMは、ホントどっーーーーーーっでも良くなった。だって、おんもに出ないんだもん。

外出せず人に会わない…これがファッションに与えるインパクトは小さくありません。ファッションは、人にどのように見られたいかあるいは着ている服からその人の社会的な階層や経済力、センスを読み取る大きなツールになっていました。それがすべてなくなってしまうんです。

逆に、長時間ずっと家にいて、仕事も家事も育児もちょっと外出もすることになりましたね。ここでファッションに求められるのは着やすくてメンテがカンタンというだけでなく

  • 自分自身の気分をアゲられる

ということだろうと思います。人のために、人から非難されないため、人からちゃんとしていると思ってもらうために、着るのではなく、その日の体調や気分タスクに応じて

  • 自分自身の気分をアゲられる

服が重要になってくるんです。

いや、在宅ワーク●年なんで、分かるのですが、とにかくメリハリをつけにくい。自分ですべて決められるということは、自分自身とずっと戦い続けるということでもあるんです。そんなときに

  • 誰にも会わないし、パジャマでいいや♪

なーんてやっていると、ロクなことになりません。まあ、昼くらいまでグダグダして、夕方からちょっと起き出して、ちょっと仕事してやった気になって、早めに飲み始めて、言い訳してオシマイ…なんてね。家事も仕事もできませんよ、断言するけど。

そして、服だけでなく、メイクや持ち物も

  • 自分自身の気持ちをアゲられる

かどうかで考えてみるといいと思います。メイクは、おそらく外出やオンライン会議の予定があるときだけするようになるでしょう。それ以外は、気分をアゲるためですね。ネイルだけだったり香水だけだったりすることになるでしょう。

そして、女性よりドラスティックに変わるのは、男性です。男性の服装は、女性よりはるかにバリエーションが少なく、言い方を替えれば、

  • 社会的に承認される範囲が非常に狭い

ですよね。そのためほとんどの男性が

  • 好き嫌いを無視

して、社会的に許されるカッコなのかどうかだけで服装を選んできています。許されそうにない、冒険的な挑戦的な服があっても

  • 他に合わせにくい…

という理由で購入してこなかったはずです。

ちょっと話がトビますが、一般的に男性の方が自分の感情を抑圧したり無視したりしがちだと言われていますね。その一因は毎日好きな服さえ着られないっていうところにもあるんじゃないですかね。自分の好きを毎日抑圧していれば、そりゃ感情的に鈍感になりますよ。

ですが、これからは違いますよ~!!自分自身の気分をアゲられるならなにを着てもいいんです。なんかワクワクしませんか♪

  • ゼブラ柄のソックス!
  • ベビーピンクのニット!
  • アイオライトのリング!
  • 我が子の顔写真をプリントしたカットソー!
  • 赤いパンツ!
  • 花柄のシャツ!
  • ポムポムプリンのパーカー!

とかね。

それどころか、これまで女性だけが着てきた服を男性も着られるようになるのかもしれないんです。

危機管理の専門家が危惧。新型コロナに勝てない平時型官僚の発想

強制力のない緊急事態宣言について、前回「悪循環を避けるにはロックダウンしかない」と指摘した危機管理の専門家で軍事アナリストの小川和久さん。主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で今回、阪神大震災を例に、平時型官僚の発想と有事型とも言える軍事組織の発想が真逆であると解説。戦争や感染症への対応における法律の不備については、必要な行動をとるなかで問題提起し解決すればよいと主張しています。

こんなに違う有事型と平時型

4月20日号の編集後記で、元内閣官房副長官の石原信雄さんの読売新聞へのコメントについて、「それは違います」と書いておきました。石原さんは日本の官僚としてはずば抜けた秀才です。第1次安倍政権では、日本版NSC(国家安全保障会議)を創設するための「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」の座長を務め、私も議員として色々と教えていただきました。その石原さんでも、今回のコロナの問題では机上の空論のようなコメントになってしまっています。

実を言えば、これは石原さんだけの問題ではなく、日本の官僚と官僚に依存している政治家に蔓延している病気なのです。今回は、それについて整理したいと思います。石原さんは4月19日付の読売新聞のインタビューの冒頭、次のように述べています。

「緊急事態宣言は、広範囲にわたって市民生活に影響を及ぼしている。住民との窓口になるのは地方自治体で、首相や閣僚は全国知事会などと頻繁に意見交換するべきだ。1995年の阪神大震災で、私は官房副長官だったが、被災地の正確な情報の把握に手間取った。非常時では政府が地域の状況を把握することが一番大事だ。」

この部分に、日本の行政が克服しなければならない問題点が現れているのです。

石原さんは「1995年の阪神大震災で、私は官房副長官だったが、被災地の正確な情報の把握に手間取った。非常時では政府が地域の状況を把握することが一番大事だ」と述べています。当時のことをもっと具体的に言いますと、石原さんを事務方の頂点とする首相官邸は、「神戸から情報が上がってこない」と嘆き節を繰り返していたのです。

それを日本の世論は「革新系の村山政権だったから危機管理ができなかった」と批判していましたが、それは違います。小沢一郎さんの政権であっても、事務方の発想が「情報が上がってこない」というものでは、同じような対応しかできなかったのです。

阪神・淡路大震災の発生を受けた石原さんは、首相官邸に向かう東急田園都市線の車内で、記者団に「これは災害対策基本法だ」と述べています。これを見るとわかるように、石原さんに代表される日本の官僚は最初に「どの法律の問題なのか。それを適用できるのか」が頭に浮かぶのです。そして、神戸の情報についても「上がってくるのを待つ」という受け身の発想しかないのです。

これでは大規模災害に代表される緊急事態に対応できるわけがありません。むろん、武力攻撃を伴う戦争やコロナのような感染症には、ただただ手をこまねいているのと同じことになってしまいます。

コロナ禍で明らかになった中国依存の限界と今後日本が進むべき道

新型コロナウイルスによるパンデミックが、今後の私たちの仕事や暮らしを変えるきっかけになると感じている人は多くいるのではないでしょうか。メルマガ『j-fashion journal』の著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんもその一人で、コロナ後の日本は、中国依存を脱し、生活必需品を国内で調達できるよう変革が迫られると予想。食料についても半自給を目指す兼農サラリーマン、兼農経営者、兼農コンサルタントが当たり前の社会を思い描いています。

1.中国は豊かに、日本は貧しくなった

1980年初頭、中国の改革開放政策の元、経済特区が制定され、日本政府は「日中友好」事業を推進し、大手商社は中国企業との合弁工場を競い合うように設立した。

当時の日本はパブル経済の真最中であり、金余りの状況だった。国内市場は成熟しており、地価は上がり、労働者不足だった。国内に投資する余地は少なかったのだ。そこに未開拓の中国が登場した。商社が中国投資に飛びついたのも無理はない。

当時の中国人従業員の給料は5千円以下だった。運送賃をかけても、中国生産の方がはるかに低コストだった。結果的に、中国生産の商品との価格競争に破れ、日本国内のメーカーは次々と淘汰された。商品単価が下がったことで、市場規模は縮小し、益々価格競争は激化した。その結果、小売業の売上も利益も減少した。安い商品しか売れなくなり、更に安い商品を供給するという悪循環に陥った。

当時の日本企業の経営者は、「品質が高くて価格の安い商品を供給することが、顧客への貢献であり、正義である」と考えていた。しかし、結果的には日本は貧しくなり、中国は豊かになった。そうなっても、後戻りはできなかった。

日本は製造業大国から、観光大国へと転換した。そして、世界中がウイルス禍を迎えた。世界経済と人の流れが停止した。あらゆるビジネスが止まり、世界は恐慌に陥ろうとしている。

2.グローバルからローカルへ

外出時にはマスク着用が推奨されたが、肝心のマスクが店頭から消えた。日本のマスクの7割は中国生産であり、中国政府はマスクの輸出を禁止したのだ。日本政府はあらゆる企業にマスク生産を依頼し、シャープを始め、様々な企業がマスク生産を始めた。また、個人も手製のマスクを作り始めた。これは日本だけでなく、世界各国で同様の動きが見られた。

世界各国で空港が閉鎖され、海外渡航が禁止された。2020年の東京オリンピックも延期が決まり、世界中の国が期限付きの鎖国をした。世界各国が中国への過度の依存がリスクであることを理解した。今後は、グローバルサプライチェーンが見直されるだろう。経済的にメリットがあっても、国内で生活必需品が調達できなければ、国民の生活が破綻する。お金のためのモノ作りではなく、生活維持のためのモノ作りが必要なのだ。

今回のウイルス禍が去ったとしても、いつ再び同様の感染症が流行するか分からない。軍事的な安全保障だけでなく、生活維持の安全保障を考えなければならない。それには、日本国内で生活物資が生産されていた時代に戻らなければならないが、既に工場設備も生産者もいない。私たちは、デジタル技術、ロボット技術を駆使した新時代のファクトリーを開発しなければならないのだろう。

【Jリーグ】複数クラブから悲鳴も。いつどのように再開する?

新型コロナウイルスの感染拡大を受け中断が続き、クラブ側から「このままだと厳しい」という声もあがり始めたJリーグ。緊急事態宣言の解除後に、チェアマンが「最後の手段」と語っていた無観客での再開の可能性が出てきたようです。サッカー情報で人気のメルマガ『J3+ (メルマ)』の著者じじさんが、無観客の先にはどのような方法があるのか、応援自粛や収容率といった観戦者への制限や、過密日程による大会方式のあり方などについて、提案しています。

Jリーグは「コロナ後」を考える時期

Jリーグは中断期間に突入している。無期限延期となったが心配されていた日本国内の感染者数や死亡者数の爆発的な増加はなさそうな情勢になっている。まだまだ油断はできないが何だかんだで自粛の効果は大きくてここ1週間ほどの各種の数字は「ピークの時期は過ぎたのでは?」とも考えられる。はっきりしたことは言えないが梅雨や夏の時期に入って気温や湿度や高くなるとひと段落つけそうな雰囲気もある。「コロナウイルスは湿度に弱い」とも言われているがその通りであればひとまずパニックはおさまるだろう。

ここ最近の感染者数や死亡者数の推移を考えると「5月6日(水)が期限となる緊急事態宣言が延長されない可能性」もある。さらに感染者数や死亡者数が減ってくると「この先の経済のことを考えて解除すべき」という意見も多くなるはずである。また、休校中の小学校や中学校や高校などがGWウイーク明けに授業を再開するようだとプロ野球やJリーグなどの各種スポーツの開幕や再開の話も一気に進展すると思われる。とにもかくにも緊急事態宣言がどうなるのか?である。延長されるようだと大規模イベントの開催は難しい。

すでに鳥栖や新潟や札幌は「このままだと厳しい」、「このまま中断期間が続くと持たない」とコメントしている。鳥栖はともかくとして新潟や札幌はJリーグの中では中規模クラブになる。地域密着に成功しているクラブの典型になるがそれでも経営的に厳しいとなると「もっと大変なクラブがたくさんある」と考えるのが自然である。「最速でも6月上旬の再開」になると思うので予定された試合数をすべてこなすのは不可能に近いが少しでもマイナスの額を減らさないと「コロナ後のJリーグ」は大変なことになる。

普通のインフルエンザと同様で流行する時期の感染者数や死亡者数をゼロに抑えるのはワクチンや特効薬などが出来たとしても難しい。一定以上の人数の感染者や死亡者が発生するのは確実である。「人類はコロナウイルスとうまく付き合っていくこと」が求められるがJリーグの上層部はそろそろ「コロナ後」のことを真剣に考えるべき段階に入っている。村井チェアマンはここ2か月ほどはいろいろなところに顔を出して調整をしていると思うので極めて大変だと思うがうまく休みながら次の手を考えないといけない。

新型コロナ抗体で防げる根拠「なし」か。 潜む「再発」の危険性

世界保健機関(WHO)は24日、新型コロナウイルスの感染者が免疫を獲得し、再感染しなくなるという十分な証拠はないと警告したとCNN日テレNEWS24が報じた。


感染後も「今の行動を変えないで」

CNNによると、アメリカの感染症学会の報道担当者は「抗体を持つ人に再感染のリスクがあるかどうかはわかっていない」と明かし、「危険性はあると想定せざるを得ない」と述べたという。そして抗体に防護力があると仮定した場合でも、完全なのか部分的なのか、どのくらい持続するのかは不明であるとし、「抗体による反応は時間がたてば弱まることはわかっている」と強く述べている。その上で、1度感染し抗体を持っている人でも、引き続き人との接触を減らすなど感染前と行動を変えないことが重要だとした。

国内でも再発例

世界で再発例が多発しているが、国内でも発生している。FNNによると、4月16日に再発が確認されたのは旭川市の40代の看護師。2月24日に倦怠感の症状が出た後、3月2日に感染確認。検査の結果2度目の陰性反応が出たことから。3月14日に退院し、自宅待機を続けており、退院後1カ月後の4月14日に再検査をしたところ陽性反応が出た。

NHKの報道によると、4月26日に熊本市で再発が確認されたのは、20代の女子学生。4月3日に新型コロナウイルスの感染が確認され、入院したという。治療を終えて4月9日に退院していたが、4月17日に再び倦怠感を感じ、味覚や嗅覚の異常があったことから帰国者・接触者外来を受診。その後再発が確認された。この女性と同居する50代の会社員の女性も、24日に感染が確認されている。

山中教授が警鐘。PCR検査で「東京の陽性率40%は危険領域」

iPS細胞の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授は、自身の公式サイト「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」で、「感染者数で一喜一憂するのではなく、注目すべきは陽性者の割合」だとする投稿をした。

東京の陽性率40%という驚くべき数字

自身のホームページで、東京と大阪の陽性率の高さに警鐘を鳴らした山中教授。陽性率とは、PCR検査をした人数に対して、どれだけ陽性者が出たかを示す割合で、東京の検査数は9827人(1月15日~4月25日)に対し、陽性者数は3850人となり、陽性率約40%となっている。

しかし、現状では条件に合う人のみにPCR検査を行っているため、「体調が悪い」「咳が出る」という軽症の疑いがある人は検査をしていない。このため、条件に当てはまらない感染者が多数いる恐れもあり、山中教授も「非常に多くの陽性者を見逃している可能性が高いと推定されます」と指摘している。

また、山中教授はホームページの中で他国の陽性率にも触れていて、「アメリカは日本よりはるかに多くの検査を行っていますが陽性率は20%程度」にも関わらず、「専門家は、まだまだ陽性率が高すぎるので検査数を3倍は増やす必要があると訴えています」としている。十分に検査をしているドイツは陽性率7%、韓国は3%だとし、「東京で約40%、大阪で約20%と高い陽性率となっています。これは危険領域です」と警鐘を鳴らしている。

YOSHIKIさんなど多くの在米日本人が「Stay Home」を叫ぶ理由

新型コロナウイルスの感染爆発により、3月22日から外出禁止(ロックダウン)が続くニューヨーク。感染抑止の効果が見え始めているようですが、まだまだ深刻な状況にあります。そんなマンハッタンのど真ん中から、日本に向けて「Stay Home」を叫び、その訳を語るのは、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者で『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんです。高橋さんは、日本での影響力ある人たちによる「逆張り」的な「アンチ自粛」の考えに感化される人の多さを危惧。耳を傾けるべきはYOSHIKIさんのようなブランディングする必要のない人の言葉だと訴えています。

「アンチ自粛派」の通ぶる姿に嫌気

ニューヨークがロックダウン(都市封鎖)されて、今日でちょうど25日間が経過します。世界のロックダウンはそれぞれにルールが若干、異なりますが、基本的には「不要不急の外出を禁止」という点は一致しているはずです。従来の企業は出社自体が禁止、飲食店での店内での飲食が禁止、これも国によっての例外はないようです。

海外に住んでいて日本を眺めると、国内にいるよりもわからない点は当然、多い。報道や人からの伝聞だけでは実態は掴みにくい。その反面、逆に冷静になって母国を観察できることも、またあります。

今ではどうかわかりませんが、3月いっぱいくらいまで、日本は「アンチ自粛派」の人の方が多かったように、こちらからは見えました。いや、多くはない。ただ「アンチ自粛派」の意見の方が強い、もしくは正しい、もしくは論理的、のように映りました(もちろん、あくまで遠く離れた国から、報道やSNSを見る限りの印象なので実際はどうかわかりませんが)。

それまでは、当然のように「自粛しましょう」という声しか聞こえませんでした。でも、一旦、見識者、コメンテイター、文化人、学者、などの一部の「日本の頭のいい人たち」、インフルエンサーの方々がそれなりの根拠とロジックを持ち出して「自粛は悪だ!」とYouTubeなどのSNSで発信すると、今度は、右にならえ、と今まで「自粛派」だった人間(もしくはまったく興味すらなかった人たちまで)が、意見を180度変え、その意見にフォローしていったように見えました。「いたずらに煽って、自粛するなんてバカだ」と。まるで、その「頭のいい人たちと自分は同レベルだ」とでも言いたいかのようにように。

その風潮は、すぐにコロナと同じくらいのスピードで「感染」し、僕の日本の知り合いはみんな揃って「安易に自宅に閉じこもる必要ないんだよね」「今、あえて自粛しないことこそが、日本の経済を支えることに繋がるんだよね」「出歩かないことを受け入れるってことは、日本の文化の衰退につながるってことがわかんないかなぁ」「知ってた?科学的にコロナってインフルエンザより致死率低いって」とか言いだしました。あぁ…またか、日本人。と僕は思いました。

ちなみに僕はこのメルマガでしつこいくらい書いているように、いわゆる“欧米かぶれ”ではありません。世界で日本が一番好きで、日本人が一番好きです。自分が日本人で心から良かったと思っているし、日本人であることに誇りすら感じています。

でも、この、インフルエンサーたちのフォロワーが、そのインフルエンサーの意見をまるで自分の意見のように錯覚して、世間とは真逆の「逆張り」をすることで通ぶる風潮には嫌気が差していました。それがまるで少数派の意見のように振舞っても、フォロワーはおまえだけじゃない。数十万、数百万といる。マイノリティーを狙ったブランディングは、結果、メジャー意見になって、失敗している。